滅びゆく妖魔のための武術入門/葉月双
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1撃目 絶滅危惧種
「記念すべき1000戦目、始めようか」
キズナは白の道着に、黒の袴姿。
久我刃心流において、袴を履くことができるのは初段以上である。
慣れ親しんだ畳の感触が、素足に心地よかった。
キズナの前髪は目にかからない程度の長さだ。幼い頃からずっとその長さを保っている。一度だけ、髪が目に入って相手の攻撃を躱し損ねたことがあるから。
「また私が勝つ」
その相手というのが、現在キズナと対峙している
長い黒髪を、首の後ろぐらいで一つに結んでいる。マリが髪を結ぶのは、本気で闘う時だけだ。
マリは白の道着に、赤の袴姿。
男は黒、女は赤の袴と決まっているが、深い意味はないと師範が言っていた。
「いつも自分が勝つみたいに言うなよマリちゃん。俺より弱いくせに」
ニヤッとキズナが笑う。
マリはキズナと同い年の17歳だが、体が細く胸や尻に余分な肉が付いていない。
それは発育が悪いのではなく、徹底的に鍛え上げた結果として、脂肪が減ってしまったのだ。
「キズナこそ、私より弱いくせに生意気」
マリも少しだけ笑った。
2人の笑顔に悪意はない。これから2人で闘うと言われても、すぐには信じられないぐらい爽やかで、そして楽しそうな笑顔。
「999戦、300勝300敗、399分け、今日は俺が勝ち越すぜ」
「1000戦はキリがいい。だから、私が勝って笑う」
マリは構えていないように見えるが、実際には右半身になっている。
腕を上げていないのと、半身が小さいので構えていないと錯覚するだけだ。
2人は同じ久我刃心流だが、得意分野が異なっている。
「行くぜ!」
キズナが膝を抜いて、前に倒れる力を利用して間合いを詰める。
久我刃心流・
普通に地を蹴っての前進より移動距離が短くなるが、速度は圧倒的に速い。
キズナは間合いを詰めると同時に左の
もちろん、一切の手加減はなし。まともに当たれば鼻の骨が折れるレベルの当身だ。
手加減なんてしたら、あとでマリに怒られる。
手加減というのは、相手を下に見ているということだから。
それに、
「遅い」
マリは最小の動きでキズナの当身を躱す。
単純な当身がマリに当たるなんてキズナだって思っていない。
マリは躱したあと、キズナの腕に触ろうとした。
しかしキズナが腕を引っ込める方が若干速かった。
危ねぇ、とキズナは心中で呟いた。
マリは相手の体勢を崩すことに長けている。触れれば、大抵は崩せる。
キズナは腕を引いた時の勢いで半身を変え、そのまま右の拳で突きを繰り出す。
こちらが本命。当身はあくまで目眩し。
さっきの当身よりもずっと速い突き。
しかしマリは躱す。
だが躱し切れず、キズナの拳はマリの頰を掠めた。
そしてマリの体勢が少しだけ前に崩れた。
が、それは隙ではない。
マリは体が崩れた時の力を利用して、掌底打ちを放った。
キズナは後方に下がってマリの射程から抜ける。
その瞬間、
世界が暗転した。
何も見えない。
完全なる闇。
一瞬、キズナは驚いたが、
「またかよ! マリちゃん!?」
これは4年前、すでに経験済み。
「いる。また喚ばれた」
姿は見えないが、マリの声も落ち着いている。
「あいつら、今度は竜族にでも侵略されたのか?」
「さぁ。でも、また喚ばれるとは思わなかった」
暗転した世界が加速する。
キズナは加速したと感じた。
4年前は慌てたが、今回は2回目なので冷静だ。
「しかし久しぶりだな。あいつら元気にしてんのかな?」
「さぁ。でも、妖魔の王は倒したから、元気なんじゃない?」
4年前、キズナとマリは異世界の人間たちに召喚され、当時猛威を振るっていた妖魔の王を倒した。
あいつらというのは、その時のパーティーメンバーのことだ。
剣士の少女と、魔法使いの少年。
どちらもキズナたちより2歳ほど年上だった。
「けど、喚ばれたってことは、また力を貸してくれってことじゃね?」
「じゃあ元気じゃないかも。どっちでもいい」
「強い敵と遊べるなら?」
「うん」
「マリちゃん本当、戦闘好きだな」
「キズナだって、ニヤニヤしてるくせに。見えないけど」
マリの声はとっても嬉しそうだった。
しかしそれは、キズナも同じ。
日本に住んでいる限り、こんな機会は滅多にない。
つまり、
剣と魔法の世界で妖魔や竜と闘うような機会のこと。
◇
暗転した世界が眩しい光を放ち、キズナは目を細めた。
その光が日光だと認識できるほど視力が回復した頃、自分たちが妖魔に囲まれていることを理解した。
「マジか。いきなりか」
「キズナ、嬉しそう」
2人はニコニコと笑いながら、さり気なく構える。
「ゴブリンにコボルトに、えっとダークエルフ、それから……」
キズナは自分たちを取り囲んでいる連中の顔を確認し、1人の少女の顔を見た時に視線を止めた。
「人間?」
マリも同じ少女に視線を合わせていた。
少女は長い金髪で、緩くウェーブがかかっている。少しきつそうな目付きで、瞳の色は青。
「可愛いな」
キズナはふと思ったことを口にした。
その瞬間、キズナと目を合わせていた少女の頰が真っ赤に染まる。
「なな、な、なに……」
少女は口をパクパク動かしたが、上手に言葉を紡げなかった。
少女の肌は白く、触ったらプニプニして気持ち良さそうだ、とキズナは思った。
しかしそれは鍛えていないということなので、良いか悪いかは分からない。
少女の服装は、白いフリフリのブラウスに、赤チェックのスカート。白黒ボーダーのニーハイに、底の厚い靴。
年齢は15歳前後といったところ。
「姫のことを可愛いと言ったのです。わたしもそう思います」
ダークエルフの少女が、混乱している様子の少女に言った。
ダークエルフの少女は、人間の年齢なら20歳より少し下ぐらいか。
しかしエルフ族は長寿なので、実際の年齢は不明だ。
褐色の肌に、ポニーテールに括った銀髪。同じ色の瞳。黒い戦闘服を着ているが、露出部分が多い。身体を守る気が皆無の戦闘服だった。
俺らの道着の方が防御力は高そうだな、とキズナは思った。
それから、ダークエルフの少女は右手に小さな弓を握っていて、背中には矢筒を装備していた。
「か、可愛いなんて……そんな……あたし、照れる……」
少女は両手で頰を押さえて、クネクネと身体を動かした。
その時に、胸元のループタイが小さく揺れた。
少女のループタイには、透明度の高いエメラルドグリーンの石が付いていた。
「戦う気がないみたい」
マリは溜め息混じりに言って、構えを解いた。
「そうみたいだな」
キズナも構えを解く。
少し残念だが、相手にやる気がないのなら仕方ない。
久我刃心流のコンセプトは『非常に積極的な護身』である。よって、相手に敵意がないのなら、何もしないのが基本だ。
「で?」キズナが言う。「俺たちを召喚したのって、まさかお前ら?」
「そうだ」
ダークエルフの少女が答えた。
「人間の魔法で?」
マリが首を傾げた。
「魔法書を入手した。わたしたちは切羽詰まっている」
「確かすげぇ魔力が必要だから、簡単には使えないって話じゃなかったか? 異世界召喚魔法って。俺はそう聞いた気がするが」
「私もそう聞いた」
4年前、キズナたちを召喚するのに何人もの魔法使いが魔力を合わせた。
「超極大魔法だ。当然だろう」
フンっとダークエルフの少女が鼻を鳴らした。
「あ、あたし、魔力だけはいっぱいあるから」
「うむ。姫が1人で、お前たちを召喚したのだ。姫の力だ。姫がやった」
少女は照れくさそうだったが、ダークエルフの少女は自慢気に胸を反らした。
「そうか。そりゃすげぇ。で?」
「何用?」
キズナとマリが言った。
「あ、ああ、それは姫の方から」
ダークエルフの少女が一歩下がった。
「あ、その前に自己紹介を。あたしはあんたたちが4年前に倒した妖魔の王の娘、リュリュよ。よろしく」
少女――リュリュがスカートの裾を摘んで、持ち上げながら小さな礼をした。
「ああ、俺は此花キズナだ。よろしく」
「私は久我マリ。自他共に認める世界最強。よろしく」
「あん? マリちゃん何言ってやがるんだ? 勝手に最強名乗るなよ。せめて俺に勝ち越してからにしろよ」
「じゃあ、決着、ここで」
マリがキズナから2歩離れて構えた。
「いいぜ。俺の方が強いってことを理解させてやる」
キズナも構える。
素足に土の感触が少し慣れないが、気にしても仕方ない。
それに、それはマリの方も同じだ。
「って、いきなり喧嘩しないでよ!」リュリュが2人の間に入った。「そんなことより、あたしの話を聞いて!」
「そんなこととは失敬な奴だな。俺とマリちゃんの因縁は17年に及ぶんだぜ」
「そう。産まれた時から私とキズナはライバル」
「たかが17年じゃない!? こっちの話は妖魔の歴史全部に関わることなんだから!」
「ほう。そりゃ気になるな」
「私も」
キズナとマリが構えを解いた。
リュリュは2人があっさり喧嘩を止めたので、ちょっと戸惑った様子だった。
キズナとマリの対決はあくまで対決であって喧嘩ではない。唐突に始まったり唐突に終わったりすることも多い。
リュリュはそのことを知らないので、戸惑うのも無理はない。
「よし。とりあえず聞こうか」
「うん」
キズナとマリがリュリュをジッと見詰めた。
リュリュはスゥッと息を吸ってから、
大きな声で言う。
「あんたたちのせいで、あたしたち妖魔は絶滅寸前だから助けなさいよ!」
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