31撃目 ねぇ終わりなの? もう終わりなの?
「お主、キズナが心配ではないのかの?」
「はぁ?」
コレットの言葉に、マリは顔を歪めた。
心配というのは格下に対してしか使わない。助ける、という行為もそうだ。自分より弱いと思っている相手しか普通は助けない。
つまり、コレットはキズナを弱いと思っているのだ。たかだか氷の竜なんかに殺されてしまうような、そんな弱い男だと思っているのだ。
「キズナを舐めるな」
腹が立つ。この世界で唯一、マリと同格の男を、コレットは見下している。
「別に舐めてはおらん。お主らの実力は分かっておるつもりじゃ。しかしそれでも、魔宝獣とサシで闘って無事で済むとは思えぬ」
「いいえ。あなたは分かっていない。何も分かっていない。キズナは世界で2番目に強い」
「ふむ。1番は我かの?」
「私」
「お主ら、自信過剰も大概にせいよ?」
「自信過剰? 違う。ただの事実」
マリは護身の鎖を全部引き千切って内なる獣を解放する。
唐突に解放された獣は、少しの戸惑いと多くの歓喜に震え、絶叫した。
グロリアの魔宝獣化を闇落ちとコレットは表現した。
ならば、キズナとマリはもうとっくの昔に闇落ちしている。
最強の称号という名の、底のない深い闇の中に住んでいる。
マリの本性は鬼神だ。
暴力という名の神に恋い焦がれた2匹の鬼。
「事実誤認じゃの!」
コレットが間合いを詰め、右のショートソードを斜めから斬り降ろし、左のショートソードを横に薙ぐ。
マリは両方のショートソードをそれぞれ親指と人差し指で挟んで止める。指が焦げる感覚があったが、どうでもいい。
「なっ……」
コレットが一瞬、驚愕する。
その瞬間をマリは見逃さない。
右足でコレットの腹部に前蹴りを入れ、
「
炎の鎧がマリの足を中心に消し飛んで、コレットが後方へと飛んで行く。
足の裏が焼けた感覚。だがそれがどうしたというのか。
マリはコレットを追って、追い付いて、追撃を入れる。
コレットの頭を掴み、地面に叩き付ける。
更にマリはコレットの背中を踏みつけようとしたが、コレットが横に転がって避けた。
コレットはショートソードを消して、両手を使って跳ね起きる。
マリは構わず攻撃を続ける。
「お主、急に動きが良くなりおったな!?」
マリの攻撃を捌きながらコレットが言った。
「そりゃ、両手両足の鎖がなくなればそうなる」
尋常じゃない解放感がマリの中に広がっている。
ある種の快感、あるいは幸福。
ただ、1つだけ残念なことがある。
相手がキズナじゃないことだ。
「何のことか知らんが、攻撃する度にお主の手足は傷付いておるぞ?」
コレットを護る炎の鎧が、マリの拳を、足を、焼いている。
このまま攻撃を続けたら、きっと使い物にならなくなる。
でも、
「だから?」
マリは少し笑った。
それがどうした。
腕がなくなれば足で、足がなくなれば肩で、肩もなくなれば頭で、頭も使えないならお尻で、どこでだって攻撃できる。
命が尽きるまで。
けれど、
マリの命はここでは尽きない。
それは確信。
マリの命はキズナのモノだ。
キズナの命はマリのモノだ。
キズナ以外の誰にも殺されるつもりはない。
◇
正気かこいつ!?
コレットはマリの猛攻を捌きながら思った。
普通じゃない。マリは絶対に普通じゃない。コレットも多少のダメージを負っているが、マリの方がダメージは大きいはずなのだ。
それなのに、マリの速度は変わらない。
炎に拳を焼かれても、素知らぬ顔で攻撃を続けるマリに対して、コレットは恐怖を覚えた。
こんなのは、こんなのは人間の闘いじゃない。
まるで炎を恐れない野獣と相対しているような錯覚。
恐怖のせいで、コレットは自分の身体の動きが悪いように思う。
けれど、しかし、だからと言って、
あり得ぬっ!
追宴二重奏を使った状態で、押し返せない。
コレットは追宴を使わなくても敵などいない。そういうレベルに立っていたのだ。その状態で追宴を、しかも二重の追宴を使ってなお、マリに対して防戦一方。
「化け物がっ!」
コレットは両掌をマリに見せる。
「この世から消えてしまえ!」
「どうして隙を作ったの?」
マリがコレットの両手首を掴み、コレットが最大火力の魔法を放つよりも速く、その両手首を捻り折った。
言葉では言い表せないレベルの激痛に、コレットが悲鳴を上げる。
未だかつて、両手首をいっぺんに折られたことなどない。
「私が見逃すと思ったの?」
マリはコレットの手首を掴んだままで、クンッと両手を下げる。
それと同時にコレットは重さを感じて両膝を地面についた。
崩された!?
そう気付いた時にはマリの足裏が顔の前にあって、顔面を蹴られる。
蹴った瞬間にマリが手首を離したので、コレットはそのまま後ろ向きに地面に倒れた。
そして、
マリがコレットに馬乗りになる。
正気じゃない。
マリは炎の鎧の上に跨ったのだ。
自分の身体が焼けることが、傷付くことが、死ぬことが、怖くないのか?
「どうしたの? 天下無双なんでしょう?」
マリが笑う。
赤いスカートのような服と太ももとお尻と股間を炎に巻かれながら、マリは笑った。
まるでこの世の邪悪を全てその笑みに閉じ込めたような、そんな薄暗くて凶悪な笑い方。
「ひっ……」
怖い。勝てないとか強いとか、そういう次元の話ではない。
とにかく恐ろしい。
こんな奴と闘ったことはない。アサシンだった時も、ロイヤルスリーになってからも、これほど絶望的な恐怖を感じたことはない。
負けるのが怖いわけじゃない。ダメージを受けることが怖いわけじゃない。
マリという存在そのものがあまりにも恐ろしい。
もしコレットがまだ少女だったなら、それこそカミラぐらいの年齢だったなら、股間を濡らしながら泣き叫び、許しを乞う。
「ほら、ねぇ、反撃しなきゃ。私を押しのけなきゃ。ほら、顔が大事なんでしょう?」
マリは焼け爛れた拳でコレットの顔面を殴打する。右、左、と順番に何度も殴り付ける。
「ねぇ終わりなの? もう終わりなの?」
抵抗しないコレットを見て、マリが殴るのを止めた。
「もう……やめて……」
コレットは追宴を解除した。それはもう闘う意思がないことを、そして全面的な降伏を意味する。
「そう。あなたもそうなの」マリは失望した、という風な表情で言う。「やっぱりキズナでなきゃダメなのね」
◇
天下無双のコレット・バーニーは、あっさりとマリに降伏した。
マリはコレットの腹から降りて地面に寝転がった。
そうすると急に身体中が痛くなってくる。
服のほとんどは焼け落ちて、火傷だらけの肌が痛む。闘っている時はほとんど何も感じなかったのだが、終わるとこんなものだ。よくあること。
「お主は……人ではない……」
コレットは立ち上がることもなく、ポツリと言った。
マリは何も応えなかった。
人の定義なんてものに興味はない。議論するつもりもない。
マリは人間だ。心の中に獣を飼っているというだけで。
それにしても、とマリは思う。
カミラにせよコレットにせよ、マリに対して怯え過ぎている。何がそんなに怖いのか、マリにはよく分からない。自分より強いかもしれない相手と闘うなんて、楽しさ以外の何を感じろというのか。
それに、それに、だ。
これはとっても大切なこと。
「私は優しいのに」
ポツリと言った。
そう、マリは優しい。少なくとも自分ではそう思っている。
だって、比較対象はマリよりずっと凶悪な男なのだ。
キズナに比べたら、マリは女神のように優しい。
まぁ、それはマリの主観なのだが。
と、
優しくて暖かい風がマリの周囲でグルグルと回った。
この風には覚えがある。
「オルトン?」
「……マリさん、本当、いつも無茶しすぎだよ」
オルトンはいつの間にかマリの近くに立っていて、回復魔法を使ってくれた。
そのことに気付けないぐらい、マリは消耗していた。
正直、目を瞑ったら意識が飛びそうなぐらい、全身が痛いのだ。これほどのダメージはキズナと全力でやり合ったあの日以来だ。
あの時は2人仲良く入院した。
「マリさんだけじゃなくて、キズナも、姉さんも、なんでいっつもいっつも、そんなボロボロになるまでやるのか僕には理解できないね」
「キズナとグロリアは?」
「……僕は邪魔なんだってさ。キズナに突き飛ばされたよ」
「そう。でも仕方ないと思う」
「分かってるよ。僕の実力じゃ、姉さんを止められない」
オルトンは酷く悔しそうに言った。
「私が回復したら、見物に行こう」
「でも、正直次元が違い過ぎて近寄れない……」
「大丈夫、私が護ってあげるから」
マリは優しく笑った。
「もう一生護って欲しいよ、本当に」
オルトンは力なく笑った。
「ついでにカミラもぉ、護ってあげようかぁ?」
「カミラ様!?」
オルトンは自分の背後に立っていたカミラに驚いて声を上げた。
「だからぁ、マリさんの次はカミラにもぉ、回復ちょうだいねぇ」
カミラの両腕はブラブラしていた。
「グロリアに一撃でやられて、キズナに邪魔だから消えろと言われて、言い返すこともできずトボトボと戦線離脱したの?」
マリはカミラがここにいる理由を推測して言った。
カミラの両腕を、グリーンスレードの兵士が折れるとは思えない。ならば、魔宝獣となったグロリアにやられたと見るのが妥当。
「見てたのぉ!?」
カミラのリアクションから、自分の推測が正しいとマリは判断した。
「見てない。それより、カミラは回復したら妖魔たちを助けに行って」
キズナとグロリアも気になるが、リュリュや妖魔たちの戦況も気になる。
キズナがグロリアに勝つのは当然としても、リュリュや妖魔たちが失敗したらもはや未来はないのだから。
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