29撃目 氷の闇落ち
カミラは段々とグロリアの相手をするのが面倒になっていた。
最初は嬉々として弱い者いじめを楽しんでいたのだが、グロリアが一向に折れないのだ。
何度叩きのめしても、何度蹴り飛ばしても、グロリアは剣を構える。
弱者らしく泣き叫んでくれなければ楽しくない。震えながら命乞いをしてもらわなければ心が躍らない。
殺してもいいならもっと決定的な攻撃ができるのだが、そういうわけにもいかない。グロリアを殺せばカミラがマリに殺される。殺されないまでも、酷い目に遭わされる。
カミラにとって、他人の命なんてそこらの石ころより軽いが、自分の命はとっても大切なのだ。
「いい加減にしてよぉ」
グロリアの斬撃を躱しながら、溜息を吐く。
せめて気絶でもしてくれれば、と思ってグロリアの腹部に拳を打ち込む。もう何度打ち込んだのか分からない。
グロリアは胃液を吐いて、それからまた剣を構える。
「どっかおかしいんじゃないのぉ?」
ここまで必死に向かってくる理由がカミラには分からない。こっちに殺す気がないことは伝わっているはず。だったら、適当なところで降参するなり気を失うなりすればそれで終わるのに。
「……負けない……わたくしは……負けない」
グロリアはカミラを見ていない。まるで呪詛のように「負けない」と繰り返していた。
ゾッとする。マリの時とはまた別の意味で、ゾッとした。
グロリアの顔は腫れ上がっている。カミラが何度も殴ったり蹴ったりしたからだ。もしかしたら、打ち所が悪かったのではないか、とカミラは思った。
「負けないったって、グロリア千人将じゃカミラには勝てないでしょー? だってカミラより弱いんだからさぁ」
「弱くない! わたくしは弱くなんてない!」
グロリアは目を見開いて、まるで自分に言い聞かせるようにそう叫んだ。
「いやぁ? 弱いよぉ? キズナとマリさんの戦友だって信じられないぐらい」
◇
キズナとマリはコレットの速度に対応し始めていた。
2人ともダメージを負ったのは最初だけで、今はもうほとんどの攻撃を綺麗に捌いている。
「くぅ」コレットが歯がみする。「お主ら、2人がかりとはいえ、ちょっと強すぎやせんかのぉ?」
コレットの振る剣の軌跡が、キズナにはよく見えた。
キズナに見えているのだから、当然マリにだって見えている。
「ははっ! 褒められてるぜマリちゃん!」
「私たちが強いのなんて分かり切ったこと!」
ただ、キズナとマリの攻撃もまた、コレットに有効なダメージを与えられない。
コレットの方もキチンと2人の攻撃を捌いている。
拮抗状態。
先に体力が尽きた方が負ける。あるいは集中力が切れて凡ミスを犯したら負ける。そういう闘いになっていた。
「この状態の我と、ここまで闘えるとは予想外も予想外じゃ!」
コレットが攻防の合間に話しかけてくるのは、2人の気を逸らしてミスを誘いたいから。
しかしそんな手に乗るほどキズナとマリは優しくない。
「こっちの台詞だぜコレット!」
「私たちを相手によくやってると思う!」
キズナもマリもコレットの実力は正当に評価している。
本当にコレットは強い。今まで闘ったどんな奴よりも。世界最強の称号は伊達じゃない。
1対1の闘いであったなら、キズナもマリもコレットに勝てなかっただろう。現状――約束が2人を縛っているという現状では、2人でやっと互角という勝負なのだから。
◇
「グロリア千人将ってぇ、4年前もお荷物だったんじゃないのぉ?」
何気ないカミラの言葉。
カミラという人間には悪意しかない。けれど、その言葉には悪意が含まれていなかった。ただ当たり前のことを当たり前のように言っただけ。
そしてそれはグロリアにとって最悪だった。
なぜなら、それは最も聞きたくない言葉だから。
キズナやマリとの差がもう埋められないと知った時の絶望感が蘇る。
「あ……ぐ……」
悔しさに涙が溢れた。
置いて行かれた寂しさが、自分だけ取り残された悲しみが、カミラに及ばない屈辱と混じって、頭がどうにかなりそうだった。
「えぇ!?」カミラが驚いたように言う。「泣いちゃうのぉ!? ちょっとそんな、カミラ超楽しくなってきたぁ! やっぱり弱者は弱者らしく泣いてもらわないとね!」
力が欲しい。
悪魔に魂を売ってもいい。
もう一度、あの2人と並べるだけの力が欲しい。
もう一度、キズナと闘えるだけの力が。キズナが本気で闘ってくれるだけの力が。
死んでもいいから。力が欲しい。
ならば、と頭の中で声がする。
それは魔宝具の声。
我に身を委ねよ、と魔宝具が囁く。
その声に耳を傾けてはいけない。魔宝具は扱うものであって、扱われるものではない。
けれど、
グロリアは抗わなかった。
本気だったのだ。本気で思ったのだ。心底願ったのだ。
あの2人と、同じ場所に立ちたいと。もう一度だけ、と。
瞬間、
氷晶剣が弾けて消え、氷の粒子となって螺旋を描いてグロリアを包んだ。
「追宴!? 嘘でしょ!?」
カミラの顔色が変わる。
そう。これは嘘。追宴魔宝開錠ではない。
追宴は魔宝具の力を取り込むものだが、これは違う。
これはその逆。グロリアという存在が魔宝具に取り込まれてしまったのだ。
「追宴じゃない!? まさかあんたっ!?」
これは心の弱い人間が呑み込まれた闇。暗い闇の底。
即ち。
グロリアは魔宝獣になったのだ。
◇
キズナもマリもこの楽しい闘いがずっと続けばいいのに、なんてことを思った。
でも、そういうわけにもいかない。いずれは誰かが倒れる。
決着が近い、とキズナは思った。
マリの体力がそろそろ限界だ。息を吐く暇さえ存在しないこの攻防。元々、マリはキズナより筋力や体力が劣る。だからマリが先に脱落する。
そしてその瞬間こそが決着の時だ。拮抗状態が破られたその瞬間にこそ、付け入る隙が生まれる。
マリだってそんなことは分かっている。だから、マリは絶対にキズナが勝てるように、コレットを地獄に導いてから脱落する。
この闘いは2人の闘いだ。片方が立っていれば、両方の勝利だ。
両方勝つか両方負けるかしか存在していない。
キズナは心の底からマリが隙を作ってくれると信じていて、マリもまたキズナがコレットを倒してくれると心から確信している。
さぁ、いつでもいいぜマリちゃん。俺らの勝ちで終幕だ。
と、
何かの咆哮が轟いた。
嫌な予感。何かマズイものが産まれ落ちたという感覚。
キズナもマリもコレットも揃って動きを止め、咆哮が聞こえた先へと視線を移す。
周囲の兵たち、妖魔たち、カミラーズとその部下でさえ、闘うことを止めていた。
「氷の……竜?」
キズナの視線の先に存在したソレは、体長およそ5メートル程度の大きさ。カミラのヌイグルミよりも小さいが、放つ圧力は桁外れだった。
ソレは誰もが想像する普遍的な竜の形をしているが、その身体は氷で作られている。太陽の光を反射してキラキラと輝いて綺麗だった。
「誰ぞが……闇に堕ちよったか……」
コレットが言った。
氷の竜が口から吹雪を吐き出し、周囲の兵たちを凍りつかせた。
唐突に現れた氷の竜が、見境なく攻撃している。キズナにはそんな風に見えた。
「引け! みんな引け!」コレットが叫ぶ。「向かって行くな! 退却しろ! アレは無理だ! 私がやる!」
コレットの言葉で、兵たちが恐怖を露わにして退却を始める。
「我々はアレをシカトして突撃するぞ!」
どこか遠くでフラヴィが叫んだのが聞こえた。判断としては間違っていない。グリーンスレード軍が崩れた今、敵陣へと深く切り込むチャンスだ。
「あれは何だコレット!」
キズナが言った。
「魔宝獣じゃ。アレを止めねば、両軍とも滅びるぞ。協力するのじゃキズナ」
「それじゃあ、誰かが魔宝具に……ちょっと待て。氷の竜だと!?」
1人、氷属性の魔宝具を使う人物を知っている。
とてもよく知っている。
真っ直ぐで真面目で、けれどちょっと頭の悪い女の子。小細工のできない不器用な女の子。喋り方は丁寧だが、性格が雑なせいで理合いを教えても全く習得できなかった。
「グロリア、なの?」
マリが言った。
「クソっ、元に戻るんだろうな!?」
「無理じゃ。魔宝獣は二度と元には戻らぬ。しかし今ならまだ倒せるじゃろう。アレはまだ完全体ではない」
「完全体?」
「うむ。このあと人の形――元の姿に近い状態に戻るのじゃ」
「闘ったことがあるのか?」
「まぁの。魔宝獣なんてものはそもそも、50年に1匹産まれるかどうかのものじゃが、幸い、我は1度倒しておる。とはいえ、当時のロイヤルスリー総出で、じゃがな」
「そうか。ならここは協力して……」
キズナはコレットに一時的な共闘を申し込もうとした。それほど、アレが危険な存在だと判断したから。
けれど、
「キズナァァァァァァァァア!!」
氷の竜が叫んだ。
もはや人の声ではない。
絶叫。
まるで全てに絶望したような、まるで全てを憎んだような。
空を裂くように、
世界を引き裂くように、
その声は酷く鋭く、
酷く荒々しく、
そして酷く悲しかった。
「そうかよグロリア。俺とまた遊びてぇんだな」
キズナは察した。察してしまった。
ならば、
「マリちゃん、予定通りコレットを倒せ。グロリアは俺をご指名だ。文句ねぇよな?」
死ぬほど遊んでやる。
「指名なら仕方ない」マリが肩を竦める。「私を指名してくれれば良かったのに」
「ふふ、グロリアは分かってんだよ。マリちゃんより俺の方が強いから、俺と遊んだ方が楽しいだろうってな」
「あぁ?」
マリがキズナを睨み付ける。
「おい!」コレットが言う。「お主らふざけておるのか!? ここは一時休戦して……」
会話の途中で、マリがコレットの顔面を蹴った。
コレットは後方に下がることでその蹴りを躱す。
「あなたの相手はこの私。邪魔はさせない。グロリアはキズナを指名した。まぁ、キズナの方が私より弱いから前菜的なことだと思うけど」
「あぁ?」
今度はキズナがマリを睨む。
「ならばお主を早々にぶち殺して征くのみじゃ。アレを放置するわけにはいかんのでの」
コレットが炎で創られた両手のショートソードを構える。
「ねぇキズナ、いいんでしょ? やっちゃっても」
それは確認。
2人の約束を、なかったことにするための。
「ああ。構わねぇからやっちまえ。俺もそうする」
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