4-2 血の拳

 ▼▼▼


 道場が休みの日に、親父と試合の約束をした。試合が始まる一時間前に道場に来たあたしは準備を始める。

「〝極真きょくしん〟」

 一度に消費できる量の限界までを使用し続ける。天井まで届くほどの赤い気は、炎のように揺らめいている。しばらくして、あたしの〝正気〟は枯渇こかつした。

「……」

 見える。心の奥底に、黒いうねりがうごめいている。それが〝殺気〟だと理解した。あたしはそれに手を伸ばす。


「〝外道げどう 極真〟」


 突然、景色が変わった。自分の身体からだを見る。暗く赤い、暗赤色あんかっしょくの気にあたしの身体は包まれていた。

 天井まで届く暗赤色の気。それは先程までと違い尽きることがない。〝正気〟とは質も量も比べものにはならない。無尽蔵むじんぞうあふれ続ける〝殺気〟は、あたしの価値観を変えていた。


【何だよ、この世界は……あたし以外がもろすぎる】


 指先でゆっくりなぞっただけで、道場の壁が切り裂かれる。つま先で床を叩いただけで、風穴があく。全てが脆すぎる。こんな脆い世界であたしは生きてきたのか。

 外道に堕ちて良かった。この世界の真実を目にすることができたのだから。……だが、待て。

 こんな世界で。この壁や床のようにたやすく人が滅びる所であたし以外が生きていけるとは思えない。

 いや、このさい親父は考えなくていい。このあたし以外に滅ぼされるとは思えねぇ。でもあたしのおふくろは。武道家でもないあたしの母親は簡単に誰かに殺されちまうんじゃねぇのか?


 いてもたってもいられなくなったあたしは道場から飛び出して、実家の武家ぶけ屋敷やしきに向かう。速く。速く。誰かに殺される前に辿たどり着かないと。

 誰かに殺されるくらいなら、あたしが殺さないと。

 〝外道 極真〟でまされた嗅覚・聴覚は標的ひょうてきの位置を正確に教えてくれる。いちいち玄関げんかんふすまを開けていたら時間がかかる。壁だろうと何だろうと、障害物を切りきざんで進んでいった。

「……知紅?」

 辿り着いた。お袋は驚いたように目を見開いている。良かった、まだあたしのお袋は誰にも殺されていなかった。早く殺さないと。


【――】

「え」


 別れの言葉もしい。すぐさま腕を振り抜くと、切り離された首はちゅうを舞い、床に落ちた。

 達成感もそのまま、あたしはすぐさま次の標的へ思考を切り替える。

【次にあたしの大切な者は誰だ】

 幼い頃から一緒に過ごしてきた更科流道場の人間か、違う。親同士仲がいいからたびたび会う相眞愛か、違う。


「…………しる、く…………」


 こちらにまっすぐ、高速で接近する存在に気づいていたあたしは、ゆっくり振り返る。そうだよな。あんた以外にいねぇよな、親父。


「どうして……どうして外道などにちたのだ、知紅……ッ!!」


 鬼のような形相ぎょうそうで涙を流す更科知久。だいの大人がみっともねぇな。それでも最強の武道家かよ。まぁ、それも今日で終わりだけどな。……あれ? あたしは親父を倒したあと、どうするつもりだったんだっけ? まぁいいや。


【早く始めようぜ親父。約束してた予定の時間よりだいぶ早いけどな。あぁでも、準備があるなら待っててやってもいいぜ。どうせ親父があたし以外に負けることはないんだからな】

「せめてもの親のつとめだ。おまえは、わたしの手で引導いんどうを渡さねばなるまい……!」

 巨大な炎が突然あたしの視界をおおい尽くす。というのは比喩ひゆで、ゆらめく大量の赤い気に親父の身体は包まれていた。

【あたしをる気か。そうこなくっちゃな。でもいいのかよ? 親父も〝殺気〟を使わなくて】

 まぁ親父にも外道家になられたら、あたしは勝てなくなるから困るんだけどな。

「そのような邪悪な気に頼らずとも勝てる。〝極真剣きょくしんけん〟」

【〝外道 極真剣〟】


 瞬間、過去のあたしの目には残像すら映らなかった剣戟けんげきの嵐が、両者の間で起こった。見える。見えるぞ。今のあたしの目には、親父の一挙手いっきょしゅ一投足いっとうそくが、見える……!

【〝外道 極真きょくしん剣波けんぱ〟ァ!】

「ぐッ……!」

 飛ばした殺気の刃が親父の両腕を深く切り裂いた。もう両腕は使えねぇ。次で決める……!

「お別れだ。知紅」

【おぅ、楽しかったぜ親父。〝外道 極真剣々――】


「〝始祖しそ 極真剣〟」


 その言葉が聞こえた瞬間、親父の姿が視界から消えた。


 ◇◇◇


 気がついた時には、あたしは病院のベッドで横たわっていた。あたしの身体には傷一つない。〝殺気〟も消えている。〝殺気〟が消えたのは使い始めてすぐに気絶させられたから消えたんだと説明がつくが、どうやってあたしを無傷で気絶させられたのか。

 ナースコールを押し、目覚めたことを看護士に伝えると、すぐにやってきた親父にいた。あたしと違って、身体のあちこちに包帯を巻いている。


「……わたしは確かに……この手でおまえを殺したんだ」


 薄々うすうすそうだろうと思ってた。じゃあ何であたしは生きて――。

「だが、〝再生〟した。知紅、今のおまえの身体には過去異能という特殊な力が宿やどっている。……知紅がわたしを倒さない限り、消えることはないだろう」

 苦渋くじゅうの表情で、あたしにそう告げた。

「正気に戻ったとはいえ……未成年とはいえ、外道に堕ち、母を殺めたその罪は死刑にあたいする。しかし誰もおまえをさばくことはできない。過去異能を消すために、手加減して負けた所で納得するわけでもないだろう。……外道に堕ち、拳を〈血〉に染めた時点で、もはやおまえは裁かれることも、救われることもなくなった」

 そういって、親父は頭を下げた。

「すまない知紅。わたしがおまえの気持ちに気づかなかったばかりに」

「親父は、何も悪くねぇだろ。……あたしが……あたしがまちがっちまったせいでお袋は……!」

「言うな知紅ッ!! わたしはまたおまえを殺してしまうぞ!!」

「何度だって生き返るんだろ!? だったらあたしを殺せよ!! 気の済むまで一生殺し続けろよ!!」

「このわたしに愛する娘を何度も殺させるというのか!?」


 悲痛な親父の表情を見て、あたしは冷静さを取り戻す。両者の間には、気まずい沈黙ちんもくが流れた。

「……わたしたちが再び親子としてやっていくには、一度距離をおいて気持ちの整理をつけねばなるまい。……団一郎だんいちろうなら引き受けてくれるだろう。しばらく、おまえは相眞そうま居候いそうろうになれ」


 そうして強引ごういんに話を打ち切り、親父は病室を去っていった。


 ▲▲▲


「外道家にくだされるのはその場での死刑だ。外道家の拘束こうそく自体が不可能だからな。あたしは今は正気だが……一度外道家になった者を刑務所に入れるのは危険だと判断された。殺しても死なず、刑務所にも入れられないあたしの処分は親父に任されることになった」

「それでここに来たのか」

「あぁ」

 言いたいことを全て言い終えると、赤髪の少女は立ち上がった。

「時間取らせて悪かったな。あたしは、あたしの罪を誰かに聞いて欲しかったんだ。……世間せけんでは、このことは公表されてねぇからな」

 そう言って立ち去ろうとする知紅に、愛は声をかけた。

「過去異能を捨てる方法はありますよ」


 目を見開いて振り返ると、知紅は愛に詰め寄った。

「本当か! あたしは、死ねるのか」

「でも教えませんよ。私は知紅さんに、死んで欲しくありません」

「何でだよ、あたしはお袋を殺した外道家なんだぞ!?」

「死んでしまった知紅さんのお母さんは戻ってきません。でも知紅さんは戻ってこれたじゃないですかっ! 愛していたから殺してしまったんですよねっ!? そのお母さんからさずかった命を、あなたは再び捨てるというのですかっ!」

「だから、その母親をあたしは殺しちまったって言ってんだろうがッ!!」

 愛もソファから立ち上がって、お互いににらみ合った。先に折れたのは知紅で、力が抜けたように対面たいめんのソファに座り込んだ。

「わりぃ。悪いのはあたしなのにな。つい熱くなって怒鳴どなっちまった。……でも頼むよ、あたしはもう死にたいんだよ」

「お父さんに勝つのは諦めたのですか?」

「外道家になっても勝てなかったんだ。もう諦めたさ」

「情けないですね」

「……あ?」

「私のお義父とうさんは、三十歳まで諦めませんでしたよ。知紅さんは、十七歳で諦めてしまうのですか?」

「……うるせぇ」

「とんだ根性なしですね。親の顔が見てみたいですー」

「それはどっちのことを言ってやがんだ……ッ!!」

 ソファから立ち上がるとテーブルを踏み台にして、愛の胸倉むなぐらつかみ上げた。

 声を荒げる知紅は、またはっとしたように手を放す。小さく、すまねぇ、とつぶやいた。


「勝負をしましょう」

「……勝負?」

「私一人では知紅さんに勝てないので、三対一の勝ち抜き戦をしましょう。知紅さんが勝ったら過去異能を捨てる方法をお教えします。私たちが勝ったら、お母さんの分まで生きて下さい」

「……手加減てかげんはしねぇぞ」

「はい、のぞむところなのですっ!」

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