第7章 真壁 相吾

7-1 過去へ

 いつものように愛、相吾、空の三人は放課後に部室に集まると、部活動の記録をノートに書き込んだり、スケジュールの管理をしたり、依頼が来るまで勉強をするといった思い思いの時間を過ごしている。知紅と恋も部員だが、知紅には修行があり、恋には早乙女家次期当主としての仕事があるため二人は基本的に部室にはいない。二人の力が必要になったら呼び出す形式である。

 こんこん、と。部室の壁からノックの音がした。

「はい、どうぞっ」

 がちゃり、と壁にあらわれた扉が開いて幼女が入ってくる。五隈ごくまいろり。謎の多いこの幼女は、結構気軽に部室にやってきてはソファに座ってお菓子を食べたり、図書室で勉強している忍に会いに行ったりする。

 基本的に過去異能に関する質問には答えないが、いろりの能力や与えてくれる情報が救人部の役に立つため、準救人部員のような存在になっている。

 部室に入ってきたいろりはいつものようにソファに座りお菓子を食べることもなく、ただ突っ立っていた。不思議に思った少女は尋ねる。

「どうしました、いろりちゃん?」

 いまいち表情の読めない幼女は、尋ね返した。

「そうまあいはほんとうのりょうしんにあいたい」

 部室の時間が止まったように感じた。相吾と空は手を止め、いろりの方を見た。マイペースな口調で続きを述べた。

「じゅんびできた。みんなよんで」

「え、と。私を生んだ両親が、今そちらにいるのですか……?」

 衝撃が抜けきれず、震える声で訊いた。

「そうまあいのりょうしんはしぼうしてる。だからあいにいく」

 いろりは行き先を告げた。

「〝過去〟へ」


 知紅、恋、忍の三人が合流したあとに連れてこられたのは大きな神殿だった。知紅が感心したように言う。

「古城だけじゃなくて神殿まであるのかよ。過去異能でつくったのか?」

「そう。こっち」

 いろりを先頭にして建物内を進んでいく。たどり着いた先にある大きな扉を押し開けて部屋に入ると、そこは広い空間だった。唯一、段差のある王座のような場所を除けば他には何もない。幼女は振り返ると説明をする。

「あのとびらのむこうが過去につながってる」

 最上段にある、普段いろりが出すものよりも古くくすんだ扉を指し示す。

「えっと、では行ってきますっ!」

 扉に向かって少女は走っていく。壇上に上がり、古い扉に手を伸ばした所で声をかけられた。

「少し待ってもらえるかな」

 いつものように好奇心あふれる笑顔を浮かべる空は、いろりに訊いた。

「どうしていろりちゃんは僕たちを呼んだのかな?」

「おしえない」

「〝過去改変〟だね?」

「過去改変?」

 知紅が訊き返す。

「今から愛ちゃんは過去へと旅立って生前の両親に会いにいくわけだけど、例えば愛ちゃんが産まれる前に母親を殺したとしよう。さて、愛ちゃんはいったいどうなるかな」

「えっと……消滅してしまう、とか?」

 恋の返答に、空は苦笑して答える。

「消滅というだけなら簡単な話だけどね。僕たちが今まで接してきた愛ちゃんが全てなかったことになるんだ」

「つまり記憶から消える、と?」

「記憶だけじゃない。今まで僕たちが過ごしてきた過去が全てが消えてしまうんだ」

「なっ――!?」

 驚いた様子の恋は、すぐさま愛に向かって叫んだ。

「愛ちゃんっ!! 絶対に行ってはなりませんわっ!!」

「ちょ、ちょっと待って下さい! 別に、生みの親を殺しにいくわけではないのですっ! ただ、私を捨てないように説得しにいくのです」

「もしそれが成功した場合、相眞先生に拾われた愛ちゃんが存在しなくなる。本当の両親に育てられるから苗字も名前も違うし、〈愛の拳〉だって宿らないし、救人部だってつくらない。今まで僕たちが接してきた相眞愛という人物はいなくなってしまうんだ」

「そん、な……」

 鉢巻きを巻いた女の子は絶望する。視線を落とし、悲しみに歪んだ顔を浮かべる。拳をぎゅっと、握りしめた。

「じゃあせめて、殴るだけでも……!」

「バタフライエフェクトという言葉があってね。ほんの些細ささいな出来事でも、後で起きる大きな現象の引き金になる可能性がある。過去に愛ちゃんの両親が愛ちゃんに殴られていない以上、殴った場合にどんな過去改変が起きるかわからないんだ。結局、今までの過去がなかったことになる可能性につながるんだよ」

「では、私は何もできないのですか……? 私を捨てた両親に、〈愛の拳〉で一番殴りたい相手に会えるのに、何もできないのですかっ……?」

「そうは言ってないよ。だからいろりちゃんは僕たちを集めたんだ」

 ぐるりと、全員を見渡す。

「愛ちゃんが過去に行ってもいいか。僕たちで話し合って決着をつけろということだね」


「いいわけねぇだろうが。馬鹿馬鹿しい」

 一番に、知紅が吐き捨てるように言った。

「過去にこだわってんじゃねぇよ。今テメェは満たされてねぇのか? 不幸せなのか?」

 問い詰められられた愛は、胸の辺りをぎゅっと握りしめて言った。

「幸せです……。みんながいて、救人部があって、人を救って、感謝されて。私は生きているんだと実感できます。赤ん坊を捨てるような親がいなくなるように、少しずつ世界を愛で満たせていると思います」

「それなら迷う必要はないではありませんかっ! わたくしは嫌ですわ! 愛ちゃんに会えないということは、お姉様とも会えなくなる。外道に堕ちたわたくしを止められる人はいなくなって、お兄様を殺す。そんなの、そんなの嫌ですわっ……! 自分勝手だと思われても構いません、どうか、わたくしのためにも行かないで下さい……!」

「恋ちゃん……」

 涙ながらの必死の訴えに、愛はさらに拳を強く握りしめる。次に口を開いたのは沈黙を続けていた忍だった。

「俺には――決められねえな」

「忍くん……?」

 忍は決心した力強い表情で続きを述べた。

「俺は相眞に救われたんだ。たとえ過去が変わって相眞に会えなくても、〈忍の拳〉を取り戻さずに放火魔に焼き殺されてもよ。むしろそれが本来の運命だったと受け入れるさ。自分が生き残るために、相眞が過去へ行くのを引き留めるなんてできねえよ」

 そう言ってきびすを返す。入ってきた扉の前に立つ。

「俺は救人部じゃねえんだ。お前らだけで決めてくれ」

 扉を開くと、忍は去っていった。

「相吾くんはどうするの?」

「……空はどうすんだ」

「過去改変に興味はあるけど、今の僕たちがいなくなるというのには反対だよ」

「……そうか」

 相吾は歩き出す。一歩一歩段差を上がり、愛と同じ最上段まで登ると声をかける。

「愛はどうしたい」

「……どうすれば、いいのでしょう」

「迷ってるってことは、お前を捨てた両親を殴ることも夢の一つだったってことだよな?」

「……はい」

「だったら夢に向かって突き進め。〈愛の拳〉は何のためにある」

 伏せていた顔を上げた少女に宣言した。

「お前の夢を叶えてやるのが俺の夢だ」


「……殴りたいです。私を捨てた両親をぶん殴ってやりたいですっ!!」


「その言葉が聞きたかった」

 くしゃくしゃと、愛の髪をなで回しながら微笑みかける。そして振り返るとたたずむ三人に顔を向けた。

「意見が割れたな」

「相吾くん。愛ちゃんが消えてしまってもいいのかい?」

「それが愛のやりたいことならな」

「……どうやら話し合いは無駄のようですわね」


 相吾は愛と向き合った。

「愛はここで戦いを見届けてくれ」

「そんな、相吾くん一人に戦わせるわけには……」

「後ろめたさを抱えるお前じゃ、あいつらと全力で戦えないだろ。俺に任せとけ」

「でも……」

「そうまあい」

「いろりちゃん?」

「まかべそうごとてをにぎって」

「こうですかっ……?」

 愛と相吾は手を握り合う。

「「……!」」

 二人は驚いた様子で目を合わせる。手を離して言葉をわした。

「行ってくる」

「はいっ!」

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