第5章 早乙女 恋

5-1 お嬢様

 昼下がりの午後。お屋敷のテラスでは、一組の男女がティータイムにきょうじていた。


「お兄様たら、また給仕きゅうじをご自分でなさいましたの? メイドに任せればよいのに」

「身の回りのことは一通り自分でもできるようにしたくてね。それと、ぼくのれた紅茶を恋に飲んで欲しかったんだ。どうだい、味は?」

「ん……。香りも味わいも、メイドの淹れるものより数段劣っていましてよ、お兄様」

「ふふ。正直者の妹を持って、ぼくは幸せだよ」

「まあ。お兄様ったら」

 晴れやかな日の差し込むテラスで、わたくしたち兄妹きょうだいは今日もティータイムを一緒に過ごす。わたくしの心が唯一、休まる時間。

 お兄様がつくったクッキーやケーキにも手をつけながら、たわいのないやりとりをして笑いあう。

 穏やかな時間は、あっという間に過ぎていった。

「そろそろ稽古けいこの時間だね。お母様の話によると、今日中には〝龍神りゅうじん〟を極められるのだったね。頑張っておいで、恋」

「はい。お兄様が誇れるような、立派な妹になって帰ってきますわっ!」

 スカートの端をつまみ、軽い会釈えしゃくをして別れを告げる。安心できる時間は、また明日。早乙女家の次期じき当主とうしゅとしての教育を受けに、お兄様の部屋を出る。


 ◇◇◇


 恋の母親――早乙女さおとめいこいは、柔らかく微笑んで娘を祝福していた。

「おめでとう、恋。早乙女流青龍を極めたあなたは、早乙女家次期当主の座が確定したわ」

「やりましたわっ! これでお兄様にも喜んでいただけますわねっ!」

「あら、もうこんな時間になってしまいましたね。今日はもう遅いから、汗を洗い流したら早くお休みなさい」

「はい、お母様っ!」

 嬉しそうな笑顔を咲かせる恋が去ったあと、憩は小さくつぶやいた。

「……あの子には、黙って出て行ってもらいましょうか」


 翌日の早朝。〝龍神〟を極めたことを早く報告しようと、兄の部屋を訪れた。ノックをしてしばらく待つが、返事が返ってこない。不信に思って扉を開けると、部屋はもぬけのからだった。

「あら……?」

「恋」

 廊下の奥からこつこつと靴音をたて、母親があらわれる。

「あっ、お母様。おはようございます。お兄様がお部屋にいらっしゃられないようですが、ご存知ぞんじでしょうか」

「あの子は昨日限りで早乙女の名を捨ててもらったわ。もう、この家に戻ることはないの。勘当かんどうということよ」

「お兄様が……勘当? ……わけがわかりません、いったい全体、どういうことですの? どうして、お兄様が早乙女家を出て行かなければならないのですか!!」

「本来なら早乙女家は代々、第一子が継ぐことが決まっているの。けれど、その子が早乙女流青龍を極められなければ、早乙女の名を捨ててもらい、青龍を極めた次の子が次期当主となるのよ」

「な……! それではお兄様を捨てたとおっしゃるのですか!?」

「あの子にはマンションの一室を買い与えて、一生分のお金も渡してあるの。捨てるなんて人聞きが悪いわ」

「それは捨てたのと同義どうぎではありませんかっ!! どこのマンションですの!? 今すぐ、お兄様をお迎えに……!」

「なりませんよ、恋。早乙女家次期当主としての自覚を持ちなさい。早乙女家に必要のないものは、切り捨てるべきなのです」


「……もう、いいですわ」

 これ以上の話し合いは無駄だと感じた恋は抑揚よくようのない声で言った。

「わたくしもこの家から出て行きます」

「何度だって連れ戻します。言ってわからないというのなら、多少のむちも必要でしょう。現当主である私が直々じきじきに教育してあげます」

 恋はうつむき、唇をかみしめる。手を強く握りしめると、爪が手に食い込んで血がしたたり落ちる。身体からほとばしった青く輝く気が青い炎のようにゆらめいて、その場を強く照らした。

「恋……? 大量に気を放出し続けるなどと無駄なことを教えた覚えは――!」

 顔を上げた恋と目が合う。その瞳は、殺意に満ちていた。

「馬鹿な真似はやめなさい、恋!!」

 〝正気しょうき〟が底をつく。青い気全てが消失すると、かみしめていた唇を開く。憩は恋を気絶させようと手を伸ばしたが、一足遅かった。

「〝外道 龍鱗りゅうりん〟」

 暗青色あんせいしょくの気が恋の身体を包み込む。憩の伸ばした手がそのうろこに触れただけで、指は切り裂かれ、血が流れた。その手を胸に抱え、憩は青い顔で、震えた声で懇願こんがんする。

「お願い……殺さないで……」

 恋の顔色をうかがうと、さっきまでの殺気に満ちた表情が嘘のように、笑顔を見せていた。憩は安心して胸をで下ろそうとする。

【安心して下さいお母様。わたくしの一番大切な人はお兄様ですから】

「あ……」

 それきり言葉をわすこともなく、恋は悠然ゆうぜんと早乙女家をあとにした。


 ◇◇◇


 こんこん、と。部室の扉がノックされる。うるわしい美声が部室内にいる三人へ届いた。

【少々、よろしいでしょうか】

「はいっ! 今開けますねっ!」

 扉を開くと、そこにはふんわりと花の香りがする美しい少女が立っていた。

 フリルのついた高級そうな洋服。軽く毛先が巻かれている、肩まで届く桃色の髪。

 にっこりと、人好きのする笑みをしてスカートの端をつまみながら少女は会釈をした。

【わたくし、早乙女さおとめこいと申しますわ】

「私は相眞愛なのですっ! ご依頼ですか?」

【ご依頼? ここはどういった場所でしょうか?】

「自主的に人助けもするし、依頼を受けて人助けもする『救人部きゅうじんぶ』の部室なのですっ!」

【まあ、人助けですか! ちょうど良かったですわ。わたくし、困っていたのです。この学校の者ではないのですが、こちらへご依頼をお願いしてもよろしいのでしょうか?】

「はい、もちろんなのですっ! 中へどうぞっ!」

 まねかれた少女――恋はソファに腰掛けると、空がテーブルにティーカップを置いた。

「僕は天枝空と申します。紅茶でよろしいですか?」

【お構いなく。頂きますわね】

 恋はティーカップに口をつけた。少し飲んでカップを置くと、対面のソファに座る三人の内、金髪の少年を見た。

「……俺は真壁相吾だ。なあ、先に一ついてもいいか?」

【はい。何でしょうか?】

「お前から、かすかに嫌な気を感じるんだが」

「ちょっと相吾くんっ! 依頼人に対して失礼ですよっ!」

 愛が相吾に対して注意をしていると、とうの恋はくすくすと笑いだした。

【あら、上手く隠していたつもりでしたのに、よく気がつきましたわね。あなたには青龍の才能があるのかしら】

 瞬間。残りの二人にもわかるように、身体から暗青色あんせいしょくの〝殺気〟を発した。

 一瞬固まったが、すぐに平静を取り戻した空は口を開いた。

「暗青色の気。どうやら青龍の外道家のようだね」

「青龍……早乙女……。まさか、早乙女家の方ですかっ!?」

 驚いてソファから立ち上がった愛が問いかけると、恋は上品にティーカップに再び口をつけた。

【外道に堕ちて、縁を切りましたわたくしはすでに早乙女家の者ではありませんわ。ここにいるのはただの青龍の外道家。そう思って頂いて結構です】

「……青龍の外道家が、ここへ何のようだ?」

【人探しの依頼ですわ。探して欲しいのは、わたくしのお兄様です】

 そのお兄様をどうするのかは、聞かなくてもわかることだ。外道家の行動理念はただ一つ。大切な人を殺すこと。

 愛はあらためて、対面に座る恋と目を合わせる。


 その目はうつろで、光が一切宿っていなかった。

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