5-3 恋の拳

 草原に足を踏み入れる。遠くにはどこまでも見渡せる青い海が広がっている。風が吹くと、ざわざわと木々が揺れた。

 知紅が眉をひそめて問いかける。

「おい、どこだよここは」

「わかりません。僕たちもここに来るのは初めてです」

「まってて」

 皆が後ろを振り返ると、そこには大きな古城が建っていた。城門に設置していた扉を消すと、そこをノックして、再びあらわれた扉を開く。城門の向こう側が見えた。

【普通に城門を開かれないのですね】

「わたしにはあけられない」

 いろりが扉を閉じると、扉は消失する。五分ほど経って、再びノックとともに扉があらわれると、中からいろりと倒也が出てきた。

【お兄様!】 

「恋!」

 恋が駆け寄ると、そのまま倒也とうやの胸に飛び込んだ。ぎゅっと、すがりつくように抱きしめる。

【ああ、お兄様、もう会えないかと思いましたわ……!】

「恋……すまないね。この子に、ぼくと恋が再開したら、ぼくが殺されたあとに恋が自殺してしまうと聞いてね。だから会うわけにはいかなかったんだ」

【……】

 恋はいろりを見る。いろりは何も言わずにただ見つめ返してきた。

【……まあ、いいですわ。約束通り、わたくしはお兄様とお話しをします。お兄様、あちらの草原でお話しをしましょう】

「うん。わかったよ」

「あの、私たちもついていっても……?」

【断られてもすぐに殺したりしませんわ。二人きりでお話しがしたいのです。ここで待っていて下さいな】

 そうして、二人は広い草原をしばらく歩いていく。くるりと恋が振り向くと、手をかざした。

【〝外道 龍籠りゅうかご〟】

 恋の身体からにじみ出た暗青色あんせいしょくの殺気が龍を形作ると、ぐるぐると恋と倒也の周囲を移動していき、頂点にたっすると動きを止める。

 完成したのは、とぐろ状に渦巻く暗青龍あんせいりゅうおりだった。龍の内側には恋と倒也。外側には愛たちが立っている。

【これで邪魔じゃまは入りませんわ。さあお兄様、最期さいごのお別れをいたしましょう?】

「……外道に堕ちたんだね、恋」

【お兄様とはなばなれになるくらいなら、お兄様を殺して私も死にますわ】


 愛が龍籠に近づこうとするのを知紅が止める。

「やめとけ。あれは触っただけで手がなくなるぞ」

「では、いざというときに倒也さんはどうやって守れば……そうですっ! 《愛の心》なら、あれをすり抜けて当てられるのですっ!」

「攻撃できなくなるだけだろ。あの龍籠はけねぇし、逃げられたら終わりだ」

「いったいどうすれば……」

「空。何のためにあたしを呼んだ」

 空に視線が集中する。たくらみに満ちた表情で、空は答えた。

「もちろん。いざというときのためですよ」


 ◇◇◇


「〝相眞流 徹甲弾てっこうだん〟っ!」

 愛は拾った石に緑色の気をまとわせると、大地を踏みしめ、全力で投げつけた。

「〝更科流 極真剣波きょくしんけんぱ〟」

 知紅は腕に赤色の気を色濃くまとうと、高速で振り抜き、気の刃を飛ばした。

 石は砕け、気の刃は散る。暗青龍あんせいりゅうは傷一つつかずに健在けんざいしていた。

【あら。正道の武術で暗青龍を壊せると思っているのかしら】

 気になってふと振り向くと、攻撃を加えた二人は斜め後方に飛び退いた。不敵に微笑ほほえむ空と目が合う。

「まさか。《天空》」

 組み合わせた拳を振り下ろす。見えざる巨大な空気の塊が鎮座ちんざする暗青龍に激突すると、草原一帯に轟音ごうおんを鳴り響かせた。強風が吹き荒れ、木々が揺れる。暗青龍は依然いぜんとして傷一つなかったが、細身の少年から放たれた大規模な攻撃に恋は目を丸くした。

【……今のは過去異能でしょうか? 驚きましたけれど、結局、龍籠には傷一つ……えっ?】

 そばにいた倒也がいつの間にかいなくなっていた。視線をさまよわせると、暗青龍の一箇所が、扉のように開いていた。

 ぱたん、と地面から閉じる音がする。地面にあった扉は一瞬で消え去っていった。


【そういうことでしたの。――殺されたいのなら、早く言ってくだされば良かったのに】

 周りを取り囲んでいた暗青龍を消すと、手のひらを古城へと向ける。微笑みを浮かべながら唱えた。

【〝外道 龍神遣りゅうじんけん〟】

 先程よりも巨大な、龍神の名をかんする暗青龍が恋の身体から飛び出していく。触れるもの全てを粉砕し、消滅させる。死の象徴しょうちょうとしてふさわしい、禍々まがまがしい闇色をれ流す暗青龍は、古城を破壊するために猛然もうぜんと進みゆく。

「〝徹心〟っ!」

 愛は両腕をバレーボールのレシーブの形に固める。

「〝極真〟」

 そこへ極真を発動した相吾が飛び乗ると、息を合わせて愛は腕を振り上げ、相吾は大きく跳躍ちょうやくした。暗青龍の鼻先で拳をふるう相吾。

「〈相殺そうさい〉」

 拳と暗青龍が接触した瞬間、静寂せいじゃくがおとずれた。暗青龍はぴたりとその進行を止める。

【なっ……!?】

 そのまま相吾は空いた方の手で手首を握った。

「《相思相殺そうしそうさい》」

 今度は垂れ流されていた殺気までもが動きを止める。暗青龍が写真に映された景色のように、完全に動きを止めていた。

「《愛の心》っ!」

 その隙に、愛はハート型の光線で恋の胸を貫いた。桃色のハートマークが恋の胸に浮かび上がる。

 鉢巻きをたなびかせて草原を駆けだした。必殺の拳が届く距離へと近づいていく。

 愛はまっすぐ、うつろな少女の目を見つめた。恋も、その力強い目を見つめ返した。

 左足で地を踏みしめ、腰をひねり、渾身こんしんの一撃をその右拳に込める。

「〈愛の拳〉ぃいいいいいいいっ!」


 ――その目は、相変わらず闇を宿したままだったのに。


 いつもと同じ光景を脳内にえがいていた愛は、裏切られることになった。拳が頬にぶつかるが、それ以上進めない。〝徹心〟をまとっているはずの拳から、血がしたたり落ちる。攻撃が〝外道 龍鱗りゅうりん〟にはばまれていた。

 〈愛の拳〉が発動していない。


「え……あれ……?」

 戸惑とまどう愛に対し、恋は微笑む。

【あちらの方は時間干渉かんしょう。あなたは精神干渉のたぐいですわね】

 恋は〝外道 龍神遣〟を消して答えた。

【わたくしは青龍の外道家ですので、同じく青龍の外道家か更科知久でもない限り負けることはありません。しかし過去異能という例外がありますわ。もしも私の精神や状態をいじるような概念的がいねんてきな過去異能があったら負けてしまいます。恋心を操作されるようなことも絶対にあってはなりません。そのように思ったわたくしに、この過去異能が宿ったのでしょうね】

 胸に手を当て、宣言した。


【わたくしの〈恋の拳〉は、他人からのあらゆる干渉を受けつけないのですわ】

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