4-5 VS 愛

「ちっ……過去異能を甘く見すぎてたか」

 知紅は思い返す。思えば空の《天空》も危なかった。もし一秒でも遅れていたら不可避の見えざる塊に飲み込まれて一撃で終わっていた。

 〈空の拳 百倍速〉も、空の視線の動きから狙いを読んであらかじめ動く方向を決めておかなければ避けられなかった。

「そういや、あいつら拳を組み合わせてたな……」

 もしかしてと思い、自分の両手も組み合わせてみる。

「……あたしにもあるのか。でも、これは使えねぇな」

 結局、知紅は過去異能抜きで戦うしかなかった。


 数分経ち、愛が戻ってくる。知紅は口元の血をぬぐうと、いつもの仏頂面ぶっちょうづらで顔色を偽装する。二人は武道場内で向かい合うと、言葉をわした。

「テメェの過去異能を教えろ」

「はい。まず、〈愛の拳〉は私の拳が届く範囲に入った人を無防備にする拳です。避けることも、防ぐことも、耐えることもできません。ただし、攻撃中の相手には使えませんね。組み技の《愛の心》は両手で作ったハート型から光線を撃ち出して、貫いた相手を五分間攻撃できない心理状態にします。ハート型の光線はあらゆるものをすり抜けますね」

「やっぱりか。知らずに戦ってたらあたしが負けてた。初見殺しょけんごろしにもほどがあるな」

 知紅は朱雀すざくの気をまとい始める。それを見て、愛も玄武げんぶの気を纏い始めた。


「知ったからには、もうあたしは負けねぇ。――負けるわけには、いかねぇんだよぉ!!」

 目にも止まらぬ速度で愛のふところもぐりこむと、構えをとる。〝極真〟を最大まで高め、拳を放つ。

「〝更科流 極真剣きょくしんけん〟」

 瞬間。知紅の姿がぶれたかと思うと、複数人が一斉いっせいに放ったかのように、乱打の嵐が愛の全身に叩き込まれた。

「ぐっ……! ああっ……!」

 拳を打ち込まれている感覚がしない。鋭く研ぎ澄まされた打撃は剣のように身体からだを貫いていく。

 達人の速さで繰り出される〝極真剣〟は凶器と変わらない。異常な速度ゆえに纏っている気が瞬間的に圧縮され、一時的に実体化する。刃物のように鋭く、薄く、頑丈に。それが手刀ならば、本物の刃物と同等かそれ以上の切れ味をほこる。


 両腕で顔を守りながら愛はひたすら〝徹心てっしん〟で耐え続ける。重さも硬さも最大限に。床にひびが入り、身体が少しづつ後方にずらされていくが、それでも地を踏みしめる足から力を抜かずに耐え続ける。

 道着が破れていき、血で赤くにじんでゆく。才能も経験も上回る知紅に武術で勝つすべはない。


「っ……」

 一瞬、知紅の攻撃が止まった。相吾から受けた傷が効いていたのだ。いったん体勢を立て直そうと、知紅は後方に飛び退こうとした。

 勝負とは常に一瞬で決まるもの。耐えに耐え、ようやく巡ってきた機会を掴めないほど甘やかされて育ってきたわけではない。

 とん、と。愛は軽く左拳を知紅の胸に当てる。金縛かなしばりにあったように知紅の身体は硬直こうちょくした。頬に冷や汗が一筋ひとすじ流れる。

「……おい、何だよこの技は。聞いてねぇぞ」

「〈愛の拳〉の応用、です……耐えている間に、思いつきました……」

 愛は道着も身体もぼろぼろで、拳を知紅に接触させたまま、肩で息をしながらうつむいている。全身が痛みでしびれていて攻撃する余裕がないようで、二人は会話を続けた。

「この技の名前は何だ」

「どのような名前がいいですかね?」

「〈愛のくさび〉とかどうだよ」

「くさび? くさびなんて私、漢字で書けないのです……」

「後で辞書で調べてこい」


 会話を終えると、物静かな道場では二人の息遣いだけが聞こえてくる。回復したようで、口角こうかくを吊り上げた少女は顔を上げると、ました顔の少女と視線を合わせる。

「いきますよ」

「来い」

 限界まで身体を引き絞り、弓なりに右拳を振りかぶる。左拳を引き、知紅の顔面目がけて。

「〈愛の拳〉ぃいいいいいっ!」

 その拳は避けることができない。防ぐことができない。耐えることができない。

(向かってくるのがわかんのに……本当に避けらんねぇ……)


 容赦ようしゃなく、拳は振り抜かれた。

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