7-5 あいのこぶし

 武道場には三人の人間が立っていた。

 一人目は年季を感じさせる老齢の武道家。青と白の気を展開して、息一つ乱さずに明鏡止水の心で対面の相手を見据えている。

 二人目は鉢巻きを頭に結んでいる女性の武道家。青と白と緑と赤の四種の気を全て展開して、息を大きく乱して閉じそうなまぶたを気力で開きながら対面の敵を見据えている。

 三人目の青年は焦った様子でその女性に声をかけた。

「もうやめようあいちゃん! 〝外道家殺し〟の竹龍たけたつろうには外道に堕ちたってかなわない!」

「うるさいっ! やってみなくちゃ、わからないでしょうがっ!」

 女性――竹龍たけたつあいの気が枯渇する。白い精神経せいしんけいのみが残るとそれを身体に引っ込めて、憎しみに満ちた眼で怨敵おんてきをにらみつけた。

「私のお父さんとお母さんと同じように、外道家として死ねるならば本望だっ!!」


「――待って下さいっ!」


 闖入者ちんにゅうしゃの登場に、その場にいる全員が驚いてその少女を見た。身長や服装などの違いはあるが、自らと瓜二つの少女を見て藍は訊いた。

「……私?」

「いえ。私は未来のあなたの娘です」

「はああっ!?」

 目の前の勝負を忘れて思わず聞き返した。

「娘!? 何言ってるの、私は処女よ!? 子供を産むつもりだってないわっ!」

「外道に堕ちてこの勝負に負けたあなたは、身体も精神もぼろぼろになって山に隠居します。それでも復讐を諦められなかったあなたは、私を産んで復讐の肩代わりをさせるつもりでした。ただ、もう身体が弱りすぎていて、私を産んだと同時に死んでしまったのです」

「何を、見てきたようなことを……!」

「見てきましたよ。過去異能によって」

「……そう。なら、そうなんでしょうね。だから何?」

 篭に向けていた憎しみを、今度は目の前の少女にぶつけた。

「私には復讐しかないの。親を殺された気持ちが、あなたにわかって――」


「親に捨てられた気持ちが、あなたにわかりますかっ!!」


 藍は言葉につまった。せきを切ったように愛は続けて言う。途中でかたわらにたたずむ青年もにらみつける。

「復讐のために産んだ? 私はあなたの道具ですか? 育てる自信がないから山に捨てた? 私はあなたのペットですか? 人間扱いされない私の気持ちがあなたたちにわかるというのですかっ!!」

 心底からの怒りをぶつけられて藍はひるんだ。藍の行動原理は両親絡みだ。親を引き合いに出され、ましてやその親が自分とあっては萎縮いしゅくするしかなかった。

「ま、待ってよ。未来ではそうかもしれないけれど、今は違うでしょ。未来の私に文句を言ってきなさいよ」

「病弱なあなたを全力で殴るわけにもいかないでしょう。道を踏み間違えたあなたを、今ここにいる全盛期のあなたを全力で殴ることが、私がすっきりする一番の方法なのですっ!」

「――ああもう、めんどくさいっ!!」

 手で髪をかき乱したあとに藍は拳を構える。

「やってもいないことでねちねち言われたってしょうがないわっ! 私は復讐を遂げるためにここにいるっ! 邪魔をするなら未来の娘だろうと容赦しないわ!!」

 〝吸塵圏きゅうじんけん〟を展開して構えを取る。愛も〝徹心〟を展開して構えを取った。

「はぁあああああああっ!」

 白い空間に飛び込んでいく。緑色の気が吸い取られていく。それでも足を止めることはない。まっすぐ突き進み、愛の拳が届く射程圏内にたどり着いたときには、体内の気は全て吸い取られていた。

「〝龍鱗〟〝徹心〟〝極真〟」

 篭との戦いで失った気を補充した藍は、三種の気を展開して最大強化をはかる。愛は拳を振りかざす動作に入っている。

(何をしてくるのかはわからないけれど。古今東西のあらゆる流派を極めた私の最大強化を簡単に破れるとは思わないことね)

「破る必要はありませんよ。あなたが勝手に解除するのですから」

(――え?)

 心を読んだように宣言する。それを証明するように三種の気は解かれて宙に散っていった。

 それだけじゃない。拳が飛んでくることがわかっているのに腕をあげて防ぐことができない。

 かといって、身体を動かして避けることもできない。

 少女の拳の一撃くらいならと耐えようしたのにまるで力が入らない。

「なに、それ……」

 震える声を漏らす。それに答えるように。力の限り、めいっぱい叫んで。


「あいのこぶしぃいいいぃいいいいいぃいいいいいいいいいいいいいいいっ!!」


 拳が深く鼻っ柱に突き刺さった。藍の身体が吹き飛ばされていく。痛みで遠のいていく意識の中でぽつりと心でつぶやいた。

(私と同じ、名前なんだ……)

 武道場の壁を突き破って外へ飛び出すのを見届けると、愛は満足したように仰向けに倒れた。

「やりましたよ、相吾くん」

 安心したように両目を閉じる。少女がこの地で再び目を覚ますとき、この世界は――。


 ◇◇◇


 学校の登校中になぜか何もない所で転んで、鼻を打ったので保健室に寄った。教室に遅れて到着した相吾は取っ手に手をかける。するとかつて聞いたことがあるような天真爛漫な自己紹介が扉越しに聞こえてきた。


相眞そうま愛生あきと申しますっ! 座右の銘は鉄拳制裁! 夢はお父さんのように最強の武道家になることなのですっ!」


「……愛、なのか?」

 扉を開けて入ってきた金髪の不良を、その鉢巻きを結んだ少女は凛とした眼差しで見つめた。

あいはお母さんの名前ですよ? 私の名前は愛生あきなのです。それよりもあなたっ!」

 びしっ! と頭に指を差し向けると説教を始めた。

「何なのですかその頭はっ! 金髪なんて不良の証拠なのですっ! 大方、その鼻の傷も喧嘩で負ったものなのでしょうねっ! 喧嘩で学校に遅刻するなんて、なんてけしからんのですかっ!」

「いや、これは――」

 否定しようと思ったが、やめた。こいつがどんな奴なのか知りたい。不敵に笑って挑発する。

「――だったら、どうするよ?」

「座右の銘は鉄拳制裁。この鍛え上げた拳で更生させてあげますよ」

「はっ。最強の武道家の娘だか何だか知らねえが、調子に乗ってるんじゃねえのか。最強なのはてめえじゃねえ、てめえの親父だ。親の七光りで威張っているようじゃ、てめえの実力なんてたかが知れてるな」

「……ここまでひどい侮辱を受けたのは生まれて初めてなのです。いいでしょう、先生、武道場をお借りします。この身の程知らずの不良を、土下座して謝るまで叩きのめしてやるのですっ!!」

「てめえの拳には愛がねえ。愛を忘れちまったっていうのなら、この俺が思い出させてやるよ」

「意味がわかりませんっ!」


「「言ってもわからないのなら――」」


「拳でわからせてやるのですっ!」

「拳でわからせてやるよ!」


鉄拳制裁の相眞愛生・完






 ◇◇◇


「……何だこれは」

「いせかいのえいぞう」

「この世界が変わるんじゃなかったのか」

「なぐったじてんでせかいがぶんきしてあたらしいせかいがうまれた」

「……まあいいか。それより何でこの俺は俺の記憶を持ってるんだ?」

「あまえだそらとのやくそく」

「ああ、そういうことか。いや、そういうことなのか?」


「相吾くんっ」

 少女はにっこりと笑顔で微笑みかける。

「私の両親を殴るという夢は達成できました! あとは世界中を愛でつなぐだけなのですっ!」

「最強の武道家は目指さなくていいのか?」

「お姉ちゃんに勝てると思います?」

「……思わねえな」

「ふふっ。これからもついてきてくれますよね、相吾くん」

 満たされた表情で拳を突き出すと、同じように拳を突き出して合わせる。

「約束だからな」

 草原に一陣の風が吹いていく。少女の鉢巻きが風になびいていく。

 俺たちの戦いは、これからだ。


鉄拳制裁の相眞愛・完

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