長い黒髪。こちらを見つめてくる深い青色の瞳。独特の無表情。

 いつもと何も変わらない姿だった。

 日本人形なんかではない。生きている。手をのばし、思わず彼女のほおを触れた。幽霊でもない。生きている。

「私の美しさにみとれているのね。いいわ、もう少し頬を触らせてあげる」

 このあとすぐにひっぱたいてやろうかと思った。

 いや、そんなことはどうでもいい。そんなことを思う前にまず踏むべき段階がある。これではいけない。おれは何を普通に受け入れようとしているのだ。

 言い表せない何かが、内側からあふれてとまらない。蓋はとっくのとうにふっ飛ばされて、どこかに消えた。これは怒りか、悲しみか、驚きか、とまどいか。それとも別の。

 これまで生きてきたなかで、覚えてきたすべての言葉を忘れていた。この場をおさめるにふさわしい最初の一言が、どうしても浮かばなかった。

 結局、選び抜いた言葉のテーマは、疑問の解消だった。

「お前。どうして……」

「どうしてここにきたかって?」

「違う! それもそうだが、おれはまず、その、なんだ」

「落ちついて。せっかく地獄から戻ってきたのに」

 風見が小さくに笑った。無表情のなかにかすかに見せる、彼女に近しいものだけがわかる表情。それを見て、不思議といくらか冷静さが戻った。

「天国と言わないあたりの謙虚さは、どこで身につけてきた」

「教会を脱出してから、ここにくるまでの間にね」

 そう、まずはそれだ。おれは疑問を整理する。

 整理して解決していくことは、この場にいる風見が、本物の彼女であることを証明することにもつながる。

「どうやってあそこから脱出したんだ?」

「教会には、誰の未来の死体もなかった。白ウサギのものもね。だから、多少強引なことをしても平気だと思ったの。策略をひとつ思いついて、だけどそれには凪野くんが邪魔だった」

「だからおれひとりを避難させた。それで、お前はどうやって?」

「私は一度、死ぬことにしたのよ」

 はあ? と首をかしげる。だが風見が足をくみ、挑戦的な態度を取っていたので、すぐに何かのとんちであることに気づいた。

 考える。

 あの場所で、風見はどうやって助かったのか。爆発の危険から身を守る術は、どこにあったのか。そしてそれを成功させるために、おれが邪魔だったという言葉の意味は。一度死ぬことにしたというのは、まさか幽霊になったというわけでもないだろう。

 教会内にあったものを思い出し、そして、答えに行き当たる。

「まさか……」

 風見もおれがわかったことに気づき、うなずいた。

 答えはつまり。

「棺桶よ。爆弾を棺桶から取りだして、放り投げた。白埼先生が起爆装置を押す瞬間と、私が棺桶に入る瞬間は、同じだったかも」

 鉄製の棺桶は、爆発に耐えられる頑丈さをそなえつつ、爆風で飛ばされる軽さもそなえていた。「一度死ぬ」とは、つまり「棺桶にはいる」という意味。そしてあの棺桶は、ひとがひとり入るのでやっとのサイズだった。風見もそれに気づいていたのだ。

「あとは爆風に吹き飛ばされ、気づいたら柵をつきやぶって、園外まで飛ばされていたわ。蓋を開けたとき、驚いちゃった」

「で、それからは?」

「凪野くんが燃えた教会に向かって私の名前をひたすら叫んでいるところをこっそり見て、個人的に満足したあと、桐谷警部補に電話した」

「最低だな!」

 風見の説明はさらに続き、この数日間の全容が明らかになった。問題の中身は、最低に最低をかけるような行動ぶりだった。

 桐谷警部補に電話をしたあと、彼女は続けて桐谷と荒田にも連絡をとった。おそろしくスムーズで的確な対応だ。無事であることと、事件を解決したことを告げたあと、「凪野くんを驚かせたいから、少しの間だけ死んだフリをして行方をくらませる」と提案したそうだ。あれだけの修羅場をくぐりぬけてすぐに嫌がらせを思いつくあたり、どういう神経をしているのかと責めたいが、何よりそれに協力したやつらがいたことも信じられない。あろうことか、桐谷警部補まで。

「今回の件が、私の命を狙っての犯行だとするなら、黒幕の死神を刺激しないためにも、数日は身をひそませておくべきだと言ってくれたわ」

「本当かよ」

 タネあかしをされたいま、思い出すだけで、あれもこれもとおかしいところがでてくる。桐谷がおれに必要以上にテレビを見せなかったのは、死んだはずの風見(女子高生)の存在が、いっこうにテレビで触れられない矛盾を防ぐため。

「この数日はどこにいってたんだよ?」

「愛知のおばあちゃんの家で夏休みを満喫してた」

「ぬけぬけと!」

 さらに思い出すのが、荒田の言葉だった。「残念だが彼女は遠くにいってしまった。こればっかりはどうしようもない」。何がどうしようもないだ、あの野郎。愛知に帰ることも知っていたのだ。知っていて、よくもあんな暗いトーンで電話ができたものだ。

 怒りつつ、ツッコミをいれつつ、こうして会話して、あらためてかみしめる。

 風見夜子が戻ってきた。

「おばあちゃんにいろいろ買ってもらったの。マンションの部屋を直せないかわりに、って。上着、下着、服をもりだくさん、おしゃれなネックレスとか、あとは歯ブラシ、バスタオル、パジャマ、身の回り品。それをいれるためのキャリーケースも」

「だからなんだよ」

「いま、お店の前の外にちょうど持ってきてるの」

 すべての荷物をかかえて、風見夜子が戻ってきた。どういう意味かようやくわかった。

 厨房にいる父さん、影でこちらを見ている母さん。どちらも風見に驚いている様子はない。桐谷警部補や荒田たち同様、連絡が二人にもいっていたのだろう。ということは、彼女の部屋の準備もおれに隠してしていたはずだ。

「なかにいれてもいい? 私ちゃんと、教会で言ってくれた凪野くんの言葉を覚えているのよ。ああだめよ、爆風で頭をうちつけて忘れたとは言わせないからね」

 彼女の迫力のある追及に、何か自分が、重大な間違いをおかした気持ちにさせられる。これから毎日、風見と顔をつきあわせることになるのだろうか。同じ場所で、同じ家で。朝も、昼も、夜も。休日も平日も、登校時も、帰宅時も。どこまでも付きまとわれていく毎日になるのだろうか。何があってもおかしくない。何が起こっても、おかしくない。

 結局、返事のかわりにため息をついた。うなだれて、負けを認めた。

 風見は席を立ち、すらりと方向転換。それからまっすぐ、店の外へとスキップをはじめる。それは遊園地で見せた、あの下手なスキップとはもう違っていた。小気味よく、リズムもしっかりと取れていて。


 ウサギのように、かろやかだった。



                                 ( 了 )

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『風見夜子の死体見聞』連載編/著:半田畔 富士見L文庫 @lbunko

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