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しばらく足が動かなかったので、風見に代わりにコンビニに行ってもらった。おれはコンビニの前の駐車場に腰掛けて待っていた。
生きている実感がまだ薄かった。意識していないのに、頭が自然と動き、目玉がきょろきょろとまわった。周囲の情報を得ようとしていた。見えないものを必死に探しているようにも思えた。
その途中で、道の角からこちらを見つめている男性に気づいた。
誰だろう。
頭部の右側、髪の一部分が白髪になっていて、特徴的な男だった。死神のようだと、突飛な比喩が浮かんだ。そして見つめているというよりは、どこか冷たく睨んでいるという風だった。定食屋の常連客かとも記憶を探ったが、心当たりのない男だった。
風見が店からでてくると同時、男は去っていった。彼女は袋を両手に持っていて、片方をおれに渡してきた。ティッシュ箱とシャー芯がはいっていた。お礼を言った。
「もう大丈夫、死は通り過ぎたわ」
「それは決めゼリフか何かか?」
彼女がひじを怪我しているのが見えた。そのころにはもう、男のことは頭になかった。とにかく、お礼だけでは足りないと思った。
「いろいろ悪いな」
「いいのよ。別に謝ることはないわ。皮をかぶっていても、別に恥ずかしいことではないのだから。そのうち剥けることもあるでしょう」
「下半身についての謝罪じゃねえよ! いまのおれの声のトーンで、よくそんな勘違いができたな!」
風見はおれの横に座り、持っていた袋からカップのアイスクリームを取りだした。自分だけアイスクリームを買っていた。自分だけアイスクリームを買い、食べだした。そういえば、風見夜子という人間はこんなやつだったと思いだした。八年前と変わらない部分もあった。そう、八年前。
「ひとを助けたのは、本当に久しぶり」
風見は言いながら、プラスチックのスプーンでアイスの表面をなでていく。
聞きたいことが、たくさんあった。
「どうしてわかったんだ? おれが、死にそうになるって」
「視えるのよ。昔から」
風見は言う。
「七年前から」
彼女がおれの顔をのぞきこんでくる。深い青色の瞳が射抜いてくる。おれは心当たりのある言葉にぶつかっていた。関わるなと警告する声が聞こえた。風見夜子から離れろというささやきがまとわりついた。
気づけばおれは口を開いていた。
「死体が視える、って、言っていなかったか」
「そう、それのこと」
風見はスプーンをアイスに突き立てる。さっきと食べ方が変わっていた。大人しいのか、荒々しいのか、わからないやつ。アイスの掘削を進めながら、彼女は説明も続ける。
「普通の死体じゃないの。これから死ぬはずの、ひとの死体。四六時中、いろいろな場所で視える。道路や、住宅街。道端に工事現場。それから駅のホームも」
最初は弱い声色だったが、しだいに語気が強くなっていくのがわかった。おれは一字一句聞き逃すまいと耳を傾ける。それは八年前、もしかしたらおれが聞いていたかもしれない説明だ。
かかわるな。
離れろ。
警告の声が聞こえる。ボリュームを下げたかったが、方法がわからない。
思えば風見は、おれの死の状況まで適格に言い当てていた。交差点という場所。大きな車に轢かれるという原因に、小鳥が死ぬことまで。そしてなぜか、日付も合っていた。死神というあだ名が頭をよぎる。
「未来の死体だってわかって、昔は助けようともした。でもだめだった。成功したことなんて、めったになかった。誰も信じてくれないのよ、こどもの言うことなんて。わたしはそのときまだ、小学生だったから」
風見は続ける。
「だからもう諦めたの。助けられない自分がみじめに思えて、ほかにできることはないかと探したわ。救えないなら、せめて見届けるべきだと思ったの。第一発見者になって、誰よりも早くその場にいるべきだと思ったの」
あっ、と小さく声をあげてしまった。気づいてしまったことによる驚きだ。
死神。
死亡現場に必ず居合わせることで付けられた、彼女のあだ名。
あだ名がつけられて。結果、風見は学校で孤立した。
こいつはそれでも現場に向かうことをやめなかった。無力さに悩んだ末の、つぐないのために。
表情が無くなったのは、ずっと死体を見てきたからかもしれない。
もしも自分だったらどうしていただろう。
これから死ぬ人物の死体が道端にあって、おれはどうするだろうか。
そんなの、決まっている。
かかわるな。
離れろ。
いつものかしこい選択だ。面倒事は嫌いで、自分が一番好きだから。
「でも今日。凪野くんを助けることができた」
風見はうつむきかけた顔をあげる。止まっていたスプーンの手を動かし始める。無表情だったが、その言葉にこもった希望を、おれは確かに感じとった。嫌な予感が少しした。
「小学生のわたしも、中学生のわたしもできなかった。でも、いまのわたしならできる。高校生のわたしになら、きっとできる」
「再開するのか? ひと助けを」
「逃げたくないのよ。負けたくないの」
他人が火に包まれていれば、おれは持っている水を自分にかぶせる。
かしこい生き方だと、そう思っていた。
かかわるな。
離れろ。
おれの生き方が、間違っているとは思わない。なるほど、死体が視えるという風見の言葉は嘘ではなかった。八年の年月がかかって、それがわかった。だけど当時のおれが同じ事実を知って、風見とずっと一緒に居続けていたかといえば、断言はできない。むしろおれは、八年前に風見夜子と出会ったことで、この生き方を確立したともいえる。
未来の死体が視えるだなんて、面倒事をひきずりこんでくるに決まっていた。まさしく、他人の火を自らかぶりにいく行為だ。昔から変わらない、おれは自分が一番好きだった。
だけど、一方でははっきりと思い出せる。
横断歩道に投げだされた自分の体を。しびれて動けなくなり、そこに迫ってきたトラックを。黄色の車体を。鼻先にかかった、死の風圧を、おれは思い出せる。
おそらく一生、頭からこびりついて離れない光景だった。
「もうひとつだけ、訊いていいか」おれが言う。
「なあに」
「どうしておれを助けてくれたんだ?」
「……」
「これまでみたいに、見届けようとは思わなかったのか? おれを助けようと思った理由は、何かあるのか?」
風見の持っていたアイスのカップが空になる。立ち上がり、そばにあったゴミ箱に放り込む。おれに振り返ったところで、彼女は答えてきた。
「謝ってもらってないから」
まだ、謝ってもらってないから。そう言った。
「昔、一緒に遊んでいたことがあったでしょう?」
「お前にまだ表情があったころだろう」
「凪野くんがまだ、自分のことを『僕』と言っていたころでもある」
思い出せ、と風見の目が訴えてくる。圧されて、帰りだしたい衝動にかられた。ひょっとしたら、いまでもまだ遅くはないという気がした。
「最後に遊んだ日を、覚えてる?」
「いいや。おれがお前に、何かしたのか?」
「かくれんぼをしたのよ。あなたは、わたしを置いて帰ったでしょう」
そんなことで?
確かに記憶はあった。思い出せと訴えられて、思い出すことはできた。だけど納得はいかなかった。おれはそんな理由で、こいつに助けられたのか。ほとんど気まぐれじゃないかと思った。
しかし本題はここからだった。
「加えて凪野くんは今日、わたしに命を救われた。もうだめだと思っていたところを、わたしが身をていして、怪我を負いながらも見事に助けだした。これはもう、あなたにとってはものすごい貸しだと思うの」
わかりやすく押しつけがましかった。今後、世界中の誰かに命を助けられることがあっても、こいつにだけは助けられたくないなと思った。
気づけば、耳元で警告の声が聞こえなくなっていた。「もう遅い、時間切れだ」。それが無言にこめられたメッセージだった。
「わたしに協力してくれるでしょう、凪野くん?」
――――――――
※この物語の続きは好評発売中の富士見L文庫『風見夜子の死体見聞』(著:半田畔 イラスト:文倉十)でお楽しみ下さい! http://www.kadokawa.co.jp/product/321603000716/
連載はまだまだ続きます。ここから本編終了後に舞台を移し、新たな物語「続編」がスタートです!
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