本編・第一章『風見夜子の重大な警告』

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「凪野くん、あなた死ぬわよ」

 電信柱の陰からあらわれた風見夜子は、手を振るかわりにおれにそう言ってきた。朝の挨拶と解釈するには少し無理のあるセリフで、思わずあくびがとまってしまった。最初は日本人形に話しかけられたのかと勘違いしかけたが、クラスメイトで間違いなかった。

 風見夜子。

 高校二年生に進級し、同じクラスになって一か月が経っていた。同じクラスになったのは小、中、高と合わせて実に八年ぶりだった。そして話しかけられたのも、やはり同じくらいの年数ぶりだ。久し振りすぎる挨拶で、まさかいきなり死を宣告してくるとは思わなかった。

「死ぬまでは三日、というところ。長くても四日で、五日はもたない。絶対に」

 風見は指を三本立てて説明してくる。話の途中で指が増えて四本になったが、最後の一本である親指が立つことはとうとうなかった。どの指も細くて、触れれば骨の感触をじかに味わえそうだった。

 彼女はおれの前に立ちはだかっていた。じろりと向けてくる瞳は、濃い青色をしている。親類のどこかに外国人がいたとか、ななめの方角へオシャレに目覚めてカラーコンタクトをつけているとか、そんな簡単な理由であれば納得できたが、そうではないらしい。とにかく、おれはこの瞳が嫌いだった。

 よけようと体を傾けると、その方向に彼女も傾いてくる。まだ逃がさない、という風だ。視界の左右を、登校する生徒が流れていく。風見夜子と話しているところを友達に見られたくはなかった。

 彼女は中学生のころから、体臭のごとくある噂をまとっていて、それはあまりいい匂いのするものではなかった。

 目と目がまた合って、すぐにそらした。

 風見は無表情で続ける。

「横断歩道の途中で死んでたわ。場所は……」

「ありがとう。気をつけるよ」

「場所はこの通りのひとつ右。郵便局とコンビニの建ってる交差点があるでしょう?」

「そうだね」

「たぶん、あなたはコンビニに行こうとしていたんだと思う」

「へえ」

「死体の損傷が激しいから、大きな車に轢かれるはず」

「ほう」

「信号は無視しないほうがいい。でも、もしかしたら車のほうが無視して進入してくるのかもしれない。とにかく気をつけて」

「もうすぐ授業がはじまるぞ。お前も急げ。じゃあな」

 言いながら彼女の横を抜けていく。右に行くフリをして左を通った。フェイントに引っかかった風見は少しだけつまずいた。

 逃げるように学校まで走り続けた。途中で信号に一度つかまったが、無視して渡った。おれを轢いてくる車はやってこなかった。



 教室について、挨拶代りに、隣の席にいる佐藤の肩に手をおいた。

「おはよう」

「邪魔をするな凪野」

「何をしているんだ?」

「見てわからないのか。お前の目玉は本当についているのか?」

 佐藤の手元にはゲーム機があった。授業がはじまっているわけでもないのに、机の下で隠れてやっていた。小さな機械音がする。ゲーム機は『3DS』でも『DS』でも『PSP』でもなく、『ゲームボーイアドバンス』だった。懐かしさで泣きそうになった。画面はカラーではあるが、少し暗い。

「ノーダメージでクリアしてやるんだ。いまの俺の集中を妨げられるやつは誰もいないぜ」

 佐藤の両指が、ボタンの上で器用に動き回る。そこまで言われると邪魔したくなってしまい、朝のことを話そうという気になった。

「風見に話しかけられた」

「は?」

 佐藤はすぐに、ゲーム機から顔をあげてきた。ぼさぼさ頭に、充血した眼。昨日からこの席にいて、ずっとゲームをしていたのではないかという顔だった。

「風見夜子に話しかけられたんだ」言いなおす。

「なんだと?」

「また聞こえなかったのか。お前の耳は本当についているのか?」

 ゲーム機の音が変化する。画面のなかでプレイヤーが死んだ音だった。佐藤はゲーム機を机のうえに置き、改めてリアクションを見せてくる。

「『死神』と話したのか?」

「ああ」

 佐藤は急いで自分の肩を手で払いはじめた。おれがさっき、挨拶がわりに手をおいた場所だった。不吉なものでも取り除くかのように、その仕草はしばらく続いた。終わるまで待ってやった。

「で、何を言われたんだ?」

「死を宣告された」

「お前を殺す、って?」

「事故だってさ。おれはもうすぐ死ぬらしい」

「死神に会ってから、体はどこか悪くないのか?」

「どこも悪くないよ。おれの身代りになってくれた奴がいたみたいだしな」

 おれはゲーム機を指差してやる。そこでようやく、佐藤も気づく。ゲーム機を手に取るが、ときはすでに一分前から遅い。

「ちくしょう! ノーダメージが!」

 ゲーム機には大きく、『DEAD』の文字が浮かんでいる。

 死神。

 それが風見夜子につけられたあだ名だ。

 彼女が姿を見せる場所がある。

 事故も事件も関係なく、そこには必ず死体がある。

 誰よりも早く、つまり第一発見者となり、死体のある現場にあらわれる。

 だから死神。

 最初に目撃したのは、風見の友達だった女子だという。その子の父親は警察官だった。父親が風見の存在を現場で何度も見ていることがあり、それで噂が広まった。

「あいつ、凪野に魔除けのための商品でも売り付けようとしたのかな。自分の評判を利用してさ。買わないと不幸が訪れて死ぬぞ、ってさ」

「どうだろうな。面倒事は苦手だ」

「お前は自分が一番好きだもんな」佐藤が言って、ためいきをつく。

「その通り。おれは他人が火に包まれていたら、持っている水を自分でかぶるような男だ」

 その火が移らないように。

 自分だけは、安全に過ごせるように。

「でもこれでおれが死んだら、あいつは本当に死神ってことになるよな」

「いまの時点でもう十分、死神だろ。伸ばしっぱなしのあの黒髪。絶対に呪いがかかっているぜ。切ると死ぬから、切り落とせないんだ」

 言われてみれば、確かに呪いがかかっていてもおかしくはなさそうだ。

 風見はクラスで孤立している。ひとと話しているところを見たことはない。噂は学校中に広まっているというから、もしかしたらクラス単位ではなく、校舎単位の孤立かもしれない。彼女に話しかける教師もたまにいるが、内容はどれも必要最低限のものだ。彼らも噂を信じているのかもしれない。

 嫌われているのではなく、怖れられている。

 気持ちが悪いのではなく、気味が悪い。

 関わってもいいことがないのは確実だ。おれに言わせれば、風見夜子は火だるまの状態である。面倒事は嫌いだし、見て見ぬフリが正解である。

「いっつも表情が変わらないもんな。暗闇が友達みたいだ」

 佐藤は続ける。

「この前、理科の実験があったろ。カエルの解剖。俺、風見と同じグループになったんだけどさ。あのとき結局、風見がひとりで解剖作業をしちまったんだ。ゴムバンドもつけずに、素手で臓器を取りだしたのには恐れいったよ」

 隣のグループで見ていたから、おれもそれは覚えていた。風見たちのグループでは、そのとき女子のひとりが途中退出していった。近くのトイレで嘔吐している声が、静かな実験室中に響いていた。その女子は三日間だけ不登校になった。

「死体とか見慣れているから、平気だったんだぜ」佐藤が言う。

「そうだな」

「あんなに細い体じゃ、飯もロクに食べていなさそうだ」

 それは違う、と心のなかでつぶやいた。

 口にでそうになったところを、無理やりおさえつけた。答えようものなら、どうしてわかるんだよ、と問い詰められてしまう。

 さらに言うなら昔の風見には表情があった。八年前のあいつには表情があった。それもまた答えられない。あいつとかかわりがあることがバレたら、次にクラスで孤立するのはこのおれだ。火だるまになるのはこのおれだ。それは大変、面倒くさいことになる。

 授業が始まる五分前になって、風見夜子が教室にはいってきた。おれと佐藤は話をやめた。

 教室内の雰囲気が変わる一瞬を、おれは見逃さなかった。立ちながら談笑している生徒は、死神のことなど気にしていないという態度を見せはじめるものの、風見が近くを通るときは不自然なほど距離を空けていた。

 窓際、前から二番目が風見夜子の席だった。彼女の席だけ、わずかにほかの席との間隔が広くなっている。

 おれの席からは、風見を後ろから眺める格好となる。今日になって久しぶりに、正面から向かい合って彼女を見た気がした。深い青色の瞳。それから突き立ててきた三本の指が、妙に印象に残っていた。シャーペンの芯みたいに細かった。

 そこまで考えて、シャーペンの芯を切らしていたことを思い出した。佐藤に一本だけ貸してもらい、しばらくはそれで乗り切ることにした。もしも三日後まで命が続いていたら、買いにいかなくちゃいけないなと思い、ひとりで笑った。

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