1-2
我が家は食堂を経営している。父方の祖父の代から続けられてきた店だった。
七年前、おれたち一家はこの町に越してきて、祖父から父がこの店を継いだ。
「伝統を重んじる」などという大義名分をもとに、角がさびた看板や、ななめに傾いている庇、それに店内がリフォームされたことは一度もない。
転校してきてすぐのころは、よく友達を家に招いていた。頑固で気のきかない父さんの目を盗んで、よく母さんが定食の余ったおかずを友達にふるっていた。友達も喜び、それが目当てで遊びにくることもあった。中学生になってからは、恥ずかしさが勝って友達を誘わなくなった。やはり自分の家の形は、一般家庭のそれとは少し違うのだった。
ドアは一軒家のような押し開きのものではなく、横引きになっている。玄関のかわりに、定食のおかずの匂いが染みついたのれんが待ち受ける毎日だ。
「ただいま」
「おかえりっ」
と、一番に声をかけてくれるのは親ではなく常連客たちである。夕方という中途半端な時間にビールをあおっている会社員や、近所のおじさん連中。それと遅めの休憩で昼食をとっている土木作業員。
「陽太くん。おれ、サバ味噌定食ね」「こっちはビール追加」「ねえチャーハンつくれない? 親父さんに聞いてみてよ。余った材料で適当につくる感じでいいからさ」
店の入り口から奥の部屋を通るまでの間に、左右からオーダーを投げつけられる。「はいはい」と適当にあいづちをうって注文をキャッチする。レジの台においてあるメモ用紙に書きなぐって、それを厨房の前にいる母さんに渡す。ここでようやく、本物の「おかえり」が聞こえる。母さんは厨房にひとりで入っている父さんに注文を読みあげる。
さらに奥にひっこむと、そこから廊下が広がっている。木造の家の内部を思わせるつくりで、ふすまがいくつか並んでいる。それぞれ居間、客室、寝室につながっている。
靴を脱いで段差をあがる。一応、玄関と呼んでいる場所だ。近くの階段をのぼれば、おれの部屋がある。だが休む暇はない。平日はテスト勉強か買い物、もしくは友達と遊びに行くとき以外は、店の手伝いをまかされることになっていた。この店の手伝いがおれの収入源でもあるので、うかつにサボると買い物に行くことも、友達と遊びに行くこともできなくなってしまう。ちなみにテスト勉強と称して部屋で漫画を読んでいるのは内緒である。
着替えるのも面倒なので、二階にはあがらず廊下の隅にカバンを置いた。制服のまま、壁にかかっているエプロンをひとつ取り、そのまま店に戻った。同じタイミングで母さんがエプロンを脱ぎ、奥に引っ込んでいく。接客は母さんとの二人態勢だ。料理は、父さん一人の担当である。厨房にはいれるのは皿洗いのときだけだ。
小学校のころから言われている言葉がひとつある。
「お前に食材は扱わせない」
ゆえに接客係だ。常連客の顔も、注文する品も、完璧に覚えている。
近くにある会社のサラリーマン。暇を持て余し、たまり場としてここを利用するおじさん連中。土木作業員たち。
あと、本当は忘れておきたい人物がもうひとり。
考えていたところで、ちょうど店のドアが開く音がした。
のれんをくぐり、忘れておきたい常連客である、風見夜子が入ってきた。
無表情のまま空いたテーブル席をすべて無視して、カウンター席までやってくる。壁ぎわの隅の席が、彼女の定位置であった。
足元にカバンをおろし、席につく。それからロボットのように前をみたまま動かない。注文を取りに来るのを待っている。そして注文を取るのはおれである。
朝のことを思い出してため息をつく。意を決して行こうとしたところで、土木作業員たちがレジに向かってきた。会計を済まし、あらためて彼女を見る。同じ姿勢のままだった。
コップに水をいれて、風見のもとに持っていった。
「注文は?」
「親子丼、大盛り」
コップを彼女の前に置くよりも早く、注文が終わる。メモ用紙にだして書くまでもない、スムーズなやり取り。朝のことでまた何か言ってくるのだろうかと身構えていたので、それもなく、少しホッとした。
おれは風見に背を向けて、厨房の前まで移動する。父さんに親子丼をオーダーし、接客の半分がこれで終わる。
テーブルの片付け、いくつかの客の会計を終えながら、風見のほうを盗み見る。やはり視線を変えず、前を見続けている。あるのは木の壁だけだ。メニューも何も張っていない。木目でも数えているのだろうか。
厨房から、親子丼ができたという父さんの声がする。親子丼の乗ったお盆を持って、風見の席に向かう。近くによると、彼女何かつぶやいているのがわかった。
「七十三、七十四、七十五……」
「…………」
本当に数えていた。
なぜか夢中なようで、間近に来ているおれに気づいてもいなかった。無言で丼ぶりだけ置いて、おれはすぐに風見から離れた。一度だけ振り返ると、彼女は箸を持って食べ始めようとしていた。
「今日も会話なし?」
気づくと、奥に引っ込んでいたはずの母さんが後ろにいた。顔と声が近かったので離れた。おれの視線をたどり、母さんも風見を見ている。
「あんたたち、いつまでケンカしてるの?」
「ケンカなんてした覚えはない。する理由も機会もない」
「幼馴染でしょうに」
「違う。そんな言葉でカテゴライズするな。知り合いだっただけだ」
七年前。
この町にきて、最初に声をかけてきたのが風見夜子だった。今のように髪もまだ長くなく、笑顔でおれを誘ってきた。瞳も青くはなかった。
一緒に遊んでいた時期もあったが、幼馴染というほどではない。小、中、高、と学校は同じだったが、会話は今日までなかった。
いつからそうなったのか。
いつから話すこともなくなったのか。
おれが風見から離れていった理由。
あいつがとつぜん、変になったからだ。
「死体が視える」
死んだひとが倒れているのが視える。
風見は昔、おれにそう言ってきた。まだ死神というあだ名もついていなかったころだ。彼女はおかしくなっていた。だから距離を置こうと思った。
関わってもいいことがない。結局は、これに尽きた。
それから面倒なことはぜんぶ避けてきた。自分が一番好きだとわかった。他人が火に包まれていれば、もっている水を、自分にかぶせるような人間だとわかった。
隣の席の佐藤がいじめを受けていることも、本当は知っている。あいつがゲームボーイアドバンスでゲームをしているのは、昔を懐かしんでいるのではなく、いま遊べるゲーム機がそれしかないからだ。ほかの最新機種は、盗まれた。だけど本人はあれで楽しそうにやっている。ならばおれも気づいていないフリをするべきだ。自分についた火は、自分で払うのが一番なのだ。
おれはただ、配膳をして、注文をとって、レジを打っていればいい。それで面倒はなくなる。
風見の席から、カチャカチャという、丼ぶりを引っかく箸の音が聞こえてきた。様子をうかがうと、ちょうど食事を終えたところだった。大盛りの親子丼という量を、彼女はいつも無茶なく平らげてしまう。
おれはどんぶりを下げに向かう。一歩いっぽが重かった。
「あの通りには近づかないで」
空になったどんぶりを回収すると、風見が言ってきた。
「コンビニに行くなら、ほかのところに」
「…………」
おかしい。どうしておれはわざわざ立ち止まって、こいつの話など聞いているのだろう。さっさと丼ぶりをさげてしまえばいい。死神という自分のあだ名に酔っている女子生徒の、戯言だ。
「信じて。交差点、横断歩道を渡り切ったところで、事故は起きる」
「お前さ、いいかげんにしたほうがいいよ」
無視するつもりだった。
それができないなら、朝のように適当な返答をすればいいと思った。
目をそらさないで。その言葉に、腹が立ったのかもしれない。
なぜか振り返り、風見と向き合っていた。近くの客が、おれと彼女の不穏を察していた。夫婦の客は一度こちらを見て、すぐに目をそらした。それでいい。それが正解で、かしこい選択だ。
「ただでさえ変な噂がたっているんだぞ。本気で孤立したいのかよ。そんなことだから、気味が悪いって言われるんだ。死神が悪口だってこと、お前、気づいていないのか?」
言いたいことだけ言って、その場を去った。自分らしくないなと思った。配慮もないし、冷静でもない。というこの混乱さえ、風見によってかき乱されてできたものだ。
次に目を向けたとき、風見は姿を消していた。食堂のドアが開く音も聞こえなくて、本当に死神のような去り方だと思った。
風見の座っていた席には、大盛りの親子丼分の料金が置かれていた。なんとも雑な置き方だった。回収してレジに向かう。母さんが待ち構えていて、おれに言ってきた。
「いつまでケンカしてるの?」
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