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登校のために靴をはいていると、厨房から父さんがでてきた。食堂は七時から開店しているので、とっくに仕事着になっている。母さんも来店中の二組の接客をしている。
「テーブル席のティッシュ箱が切れている。帰りに買っておいてくれ」
雑用ばっかりで本当に楽だ。やりがいが得られるような場面はないが、面倒事を避けるには、これほど向いている仕事もない。
食堂を通り、出入り口へ向かう途中で客のおぼんから味噌汁を取り、一口いただいた。「おおい!」と、当然のように怒られる。常連客のサラリーマンだから罪悪感はない。むこうも本気で怒ってはいない。
「いってきます」
「いってらっしゃい」
客の声に押されて、今日も登校を果たす。
通学路で風見に会うかと思ったが、そんなことはなかった。電信柱を見るたびにその影を確認している自分にいらついた。
教室につくと、佐藤は今日もゲームボーイアドバンスで遊んでいた。カセットだけは昨日と違っていた。中古のゲームショップを渡り歩いて、わざわざ新しいのを買ったそうだ。
授業開始ぎりぎりに風見も登校してきた。無表情。長い黒髪。彼女が近寄ってくることも、目が合うこともなく、どうやら無事に過ごせそうだった。二日連続で彼女のことを考えているから、体に悪いと思っていたところだったので、ちょうどよかった。
午後になって体調が悪化した。つまり、無事で過ごすことができなくなった。
授業中に、クラスの女子のひとりからメールがきた。メールアドレスだけ交換していて、日常的につるむこともなく、そんなに仲は良くない相手だった。メールを開くと、画像が一枚添付されていた。メール本文には「最新ニュース。いつものように、これを知り合いに広めて」とある。おれにとっては初めてのメールだったので、この「いつものように」というのがよくわからなかった。
肝心の画像は新聞の記事を撮ったものだった。人身事故と派手な見出しがあり、大きく写真が載っている。写真は事故直後の光景を映していて、中途半端な位置で止まっている電車と、たくさんの客が混乱しているのが見える。そのなかに風見夜子の姿があった。
写真の背景が暗く、夜だということがわかる。さらに新聞の記事は、今日の日付のものだった。つまり風見がこの現場に寄ったのは、おれの店で親子丼を食べた後だということになる。
「……なるほど」
最新ニュースとは、死神伝説の更新のことだった。
あいつの知らないところで、風見夜子専用のメールマガジンがあったということだ。こうやって噂が広まっているのかと少し納得した。
おれはメールをそっと削除した。風見のためではなく、自分のためだった。
「謝らなければいけないことがあるの」
校門を出て少し歩いたところで、日本人形に話しかけられた。誰よりも早く教室をでたかと思っていたら、風見はおれを待ち伏せしていたらしい。そして謝りたい、と。
ようやくおふざけをやめる決意をしたのだろうか。ひょっとしたら昨日のおれの言葉が、少しは効いていたのかもしれない。本来なら面倒事はごめんだが、謝罪の言葉を聞く義務も、少しはあるのだろう。いまだけは聞いてやろうと気になった。
「ごめんなさい。見通しがあまかったの。明日には死んでいるかもしれない」
「………………」
そういえば父さんにおつかいを頼まれていた。確かティッシュ箱だったか。スーパーにでも寄ろうか。
「ごめんなさい。見通しがあまかったの。明日には死んでいるかもしれない」
「聞こえてたよ! 無視したんだよ!」
「ごめんなさい。見通しがあまかったの。明日には死んでいるかもしれない」
「わざとかよ!」
風見はおれを追ってくる。思わず大声でツッコんでしまっていたが、これでは下校中の生徒の注目を集めてしまうかもしれなかった。そもそも大声でツッコむ柄などではない。おれは常に冷静で、落ちついた態度をとれるやつなのだ。まわりとうまく合わせられる、容量のいいキャラなのだ。決めた。もうおれは人生で二度と、大声ではツッコまない。
「明日には死んでいるかもしれない」
「四度目だな。おれの聴力をおちょくるな」
風見のほうを振り向くことなく、前をみたままクールにかわす。彼女はなおも、早歩きのおれに平気な様子でついてくる。ななめ後ろの位置を保ち、姿を消さない。
「あなたの死体に触って、いろいろ調べてみたの」
「まるで変態みたいな言い草だな」
「あなたの死体から服を脱がせて、全裸を眺めてみたの」
「思いっきり変態じゃねえか!」
大声でツッコんでしまった。
もう帰りたい。これ以上の会話はしたくない。
「あなたの死体をひっくり返してみたの。そうしたら、小鳥が下敷きになっていた。つまずいて転んだ拍子につぶしたんだと思う。だから、小鳥にも気をつけて」
「そんな小さなもの、目には入らない」
「あと、高校生にもなって皮をかぶっているはどうかと思う」
「服をぬがしてひっくり返したと言っていたな!?」
「あんな小さなもの、我ながらよく目に入ったと思うわ」
「やめろ! 下半身の話をするな! お前の妄想には付き合いきれないんだよ。なぜならそれは決して事実ではないんだからな」
大した性格の持ち主だ。まともに聞かないと判断したら、揺さぶりをかけてくるなんて。まったく想像で物を言うとはおそろしい。どうせあてずっぽうに決まっているのだ。そう言っておけば男子高校生は動揺すると思っているのだ。どうしてバレた。
自分が信じられなかった。ここ二日で、信じられない量の会話とこいつとしている。絶対に関わりをさけようと思っていた相手と、しかも結構きつい会話をしている。
深呼吸を一度して、心を整えた。気づくころには家(店)の前まできていた。
「明日、気をつけて。コンビニ。横断歩道。小鳥」
「食事をしないなら入ってくるな」
一度だけ振り向き、そう言った。目が合った。深い、青色の瞳。先にそらしたのは風見のほうだった。向きを変えて、いまきた道を戻っていった。今日は親子丼を注文しないようだった。
店のドアを開けると、なかから盛況の声が聞こえてくる。
「ただいま」
「おかえり!」
客の数人が返してくる。いつもよりうるさい声だった。いろんな定食のまざった匂いを振り切って、早足で奥まで抜ける。玄関まで辿りついたところで、厨房から父さんが顔をだしてきた。おれをじろじろと見て、やがてため息をついた。
「なんだよ、父さん?」
「ティッシュ箱」
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