本編・プロローグ『風見夜子と僕の出会い』

「転校してきた凪野陽太です。仲良くしてください。よろしくお願いします」

 走る車のなかで、僕はセリフを何度も練習した。来週から通う学校のためのものだ。

車から眺める外は、すでに知らない町の光景になっている。ガラスの向こうは夏休みだ。今年は友達と遊べない。

 小学三年生。早くまわりと馴染みたかった。ひとりも友達ができなかったらどうしよう、それが原因でいじめられたらどうしよう。上履きにコッペパンとか詰められたらどうしよう。そんな不安を、早く解消したかった。

 車が目的地に着く。

 小さな定食屋の前だった。

 引っ越しの車が一台、すでに到着していた。運転手の父さんが真っ先に車から飛びだし、定食屋の前で待っていたお祖父ちゃんとお婆ちゃんに向かっていく。僕たちは今日から、お祖父ちゃんたちに代わってここに住むことになっていた。定食屋ももちろん、引き継がれる。僕と母さんは、父さんの夢に引っ張られてこの町にきたのだった。

 母さんと一緒に車を降りることにする。脱ぎ散らかしていた靴を乱暴に履いて、ドアを開けた。とたんに熱気が肌にはりついてきて、見えないお湯につかっている気分になった。どこか高さのあるところからは、セミの鳴き声も聞こえる。

 降りてすぐに気づいたことがあった。

 近くの電柱から、僕たちを見ている女の子がいた。

おかっぱ頭で、夏の日差しには似合わない肌の色をしていた。わきにサッカーボールを抱えていて、その格好が不釣り合いに思えた。

 目が合うと、すぐにその子は僕のもとに駆け寄ってきた。

「あなた、お名前は?」女の子は笑顔で言ってきた。表情の豊かな子だと思った。

「…………」

 口が渇く。あれだけ車のなかで練習していたセリフが、でてこなかった。凪野陽太です、と名前すらも言えなかった。当然だ。僕はまだ学校には着いていないし、ここは教室のなかじゃない。予想とは大きくはずれている。

 僕がたじろいでいると、女の子が続けてきた。

「近くに公園があるの。これから、セミのぬけがらを砂場に埋める遊びをしに行くんだけど、一緒にどう?」

 少し変わった子だと思った。ならそのかたわらに持っているサッカーボールには、いったい何の意味があるのだという疑問がわいたが、黙っておいた。

 母さんのほうを見上げると、いってらっしゃいと笑顔を向けられた。乱暴に踏んでいた靴を履きなおして、僕は移動の準備をはじめた。

 小学三年生の夏休み。

 風見夜子との、最初の出会いだった。

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