続編・第二章『風見夜子と期末テスト』
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風見夜子に、最大の敵が迫っていた。
死力をつくさなければ、殺される相手。準備を怠れば、足元をすくわれる。寝首をかかれ、気づくころには命取り。
退けたかと思えば、すぐにやってくる。こちらの隙をついて、背後にまわり、奇襲をたくらんでいる。相手はこちらが油断するのを待っている。日常を壊さんと、画策している。
相手の名前を、期末テストという。
「さあ凪野くん。今日まで身につけた知識を大爆発させるときよ」
「脳が消し炭にならないといいな」
「絶対に百点を取るわ」
テストがはじまる五分前。教室のドアの前で、風見は意気込んでいた。意気込みすぎて、進むと同時、ドアに正面衝突した。基本的に彼女は勝ち負けにこだわると、目の前のものしか見えなくなる。戸を引いて開けるという手間さえ省くほどに。
なぜ風見が、ここまで百点にこだわるのか。
話は一週間前にさかのぼる。
「授業がはじまるわよ、凪野くん」
居眠りから覚めると、目の前に風見の顔があった。深い青色の瞳に、自分のねぼけ顔が映っているのが見えるほどの近さだった。
黒板のうえの時計を見ると、一時間目の開始まであと五分を切っている。授業がはじまるまでの間、早めに教室についたおれは居眠りをしていた。
なんとなく、彼女の前で隙をつくっていけないという気持ちが働き、目をこすって意識を戻す。
「授業がはじまってもいないのに居眠りなんて、ちょっと驚き」風見が言った。
「期末テストが近いから、昨日の夜も勉強してたんだよ。そしてお前が、普通に教室にいても話しかけてきてることには、だいぶ驚きだけどな」
学校での会話。廊下や昇降口、桐谷や荒田の前で会話することはあっても、個人が大勢いる教室(しかも自分のクラス)という空間で風見と話すのは、いまだに少しだけ違和感があった。というか、これが初めてではないのかという気がする。横にいる佐藤が、こちらを見て見ぬフリをしてゲームをしている姿も新鮮だ。
二か月前までは、死神というあだ名で周囲から避けられていた彼女だが、いまでは教室で異性と話す程度なら、それほど視線と警戒を集めることはなくなった。
「凪野くんがちゃんと勉強してるなんて、カキでも降るんじゃない?」
「降らねえよ。痛えよ」
おれは言う。
「お前のほうこそ勉強はいいのか。ひとの机のそばによって、優雅に肘をつけてる暇があるのか」
「わたしは完璧よ。諦めてるから」
「完璧に不完全だな」
「数式や年号がなんの役にたつの? 古語や化学式を日常のどこで使えっていうの?」
「…………」
わかりやすく勉強がしたくないやつの言い分だった。横の佐藤がくすっと笑ったのが見えた。
「いろんな知識を蓄えるっていうのは、そなえることと同義だろ。自分の可能性を広げるために勉強してんだよ」
「それは将来が明確に見えていないひとの言い分でしょう? わたしにはちゃんとした夢があるの。だから勉強なんてしなくていいの」
「ほう、そんなお前の夢は?」
「サッカー選手」
「勉強をしろ」
そういえば小学生のころ、はじめて会った風見はサッカーボールを抱えていた。が、だからといっていまの夢の説得力にはつながらない。風見が真面目にサッカーをしたらどうなるだろうか。ハットトリックをかましそうだ。オウンゴールで。
「ところで凪野くん。さっき席についたら、変な虫がとんできて、わたしの机に小さな黄色い卵を産んでいったの」
「それがどうした」
「シャーペンで卵をすくって、起こす前に寝ている凪野くんの右手の甲につけた」
「うああああああああああああ!」
こすっちゃった!
その手の甲で目をこすっちゃった!
「あんまり騒ぐと、まわりがわたしたちに注目してしまうわよ」
殴りかけたが、それこそ彼女の言うように、周囲の注目を集めてしまうかもしれなかった。本当は彼女の言葉にも大声でツッコミはいれまいと警戒していたのに、案の定、叫んでしまっていた。もしかしたらもう手遅れかもしれない。周囲の注目を集めてしまっているかもしれない。
そうっとあたりを見回すと、なんとこちらを見ているものは、一人もいなかった。見ているフリさえいないかもしれない。身構えている分、肩透かしを食らう。もう少し注視してくれてもいいじゃないかという、変な怒りさえわく。
よく見ると、みんな節々に、何かの話題について話し合っているようだった。それも別の話題ではなく、ひとつの話題だ。教室が一体となって、何かについて話し合っていた。悲しいことに、ついていけていないのはおれと風見だけだった。
「今日、担任の先生が復帰するそうよ」
「…………」
風見に教えられるなんて。
もしかして、ついていけていなかったのはおれだけなのか。
「担任って確か……」
「白埼先生。白埼ユミ先生」
白埼ユミ先生。若い女性の先生で、彼女は四月におれたちA組の担任になり、そしてわずか一か月ほどで休職した先生だった。
このクラスの生徒の授業態度に問題があって、愛想を尽かし、そうなった、というわけではなく、白埼先生の個人的な事情だと聞いていた。担任になってわずか一か月だというのに、休職にはいったとき、男女問わずクラスの生徒のほとんどが彼女を心配した。一年生のころ、彼女の授業を受けたことがなくよく知らなかったが、すぐにやさしくて人望のある先生だとわかった。
何より白埼先生の特徴的な部分は、
「おはようございます」
と、思考をさえぎるように、ドアが開いた。
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