その7

 放課後の地下施設。

 ホテルに行くのにちょうどいい時間に、マリンはやってきた。

 マリンは、僕とサクラを見るなり言った。


「なんか、ふたりともサッパリしてません?」

「シャワーを浴びたからな」


 サクラが即答した。

 マリンはスケベな笑みで僕を見た。

 僕があわてると、サクラが無感情に言った。


「キョウの治癒能力をテストしていた。血が出たからシャワーを浴びたのだ」

「血が出たのは、キョウくんなんですね?」

「私も返り血を浴びた。だからシャワーをつかった」

「一緒に入ったんですかぁ?」

「入るかっ」

「入ればいいじゃないですか。彼女……のフリをしてるんだから」


 マリンはイタズラな笑みでそう言った。

 サクラは言葉をつまらせた。

 するとマリンは穏やかな微笑を浮かべてこう聞いた。


「キョウくんの治癒能力はどうでした?」

「キョウの治癒能力は、おそらくイオリと同程度だ。しかし、痛覚はイオリとは違って常人並み、いや、すこし痛がりかな」

「ということは」

「強烈なダメージを受けると、ショック死する」

「肉体は無事でも、精神が先にやられるのですね?」

「ああ。おそらく手足等の切断には耐えられないだろう」

「感じやすいんですねえ」


 サクラとマリンは、同時に僕を見た。

 それから、つんつんと指先で僕を突きはじめた。

 僕が身をよじると、ふたりはクスクスと笑った。

 サクラが笑顔で言った。


「そろそろ時間だ。私はここで着替えていくが、貴様らはどうする?」

「僕はこのままでいいや」

「マリンは?」

「ホテルに衣装を用意しています。最上階のスイートを予約してあるので、そこで着替えますね」

「分かった。では、すぐに着替えてくる」


 そう言ってサクラは、奥の部屋に入った。

 僕とマリンは、ソファーで待つことにした。

 僕は聞いた。


「あれから大丈夫だった?」

「ええ、問題ありませんよ」

「シンコの誤解は解けた?」

「私よりも先に、シンコちゃんなんですね」

「あっ」

「えへへ冗談ですよ。そんな、おびえないでください」

「うん」

「もっとシンコちゃんやサクラさんに接するように、気安くしてくれると嬉しいです」

「うっ、うん」


 僕はぎこちない笑みでうなずいた。

 と、そこにサクラがやってきた。

 黒のボトムスに白のシャツ、黒のベスト。そしてポニーテール。

 女子なのに、ヤケに着替えの早いサクラなのだった。


「ホテルには私の車で行こう」

「えっ、うん」

「どうした?」

「いや、美少年みたいで綺麗だなあって」


 僕がぼんやり思ったままのことを口にすると、サクラはあわてて顔をそむけた。

 いかにも恥じらっているような、おびえているような可憐な仕草である。

 が。

 その手にはナイフが握られ、そしてそれは僕のわき腹に突き刺さっていた。

 そう。サクラは照れ隠しにナイフでツッコミを入れたのだ。


「って、痛い! 痛いよっ!!」

「黙れ」

「もう! ギャグ漫画みたいなツッコミやめてよ。マジで痛いんだからっ」

「貴様があんなことを言うからだっ」


 などとやりあっていると、マリンが、じとっとした目で僕を見た。

 僕が肩をすぼめると、マリンはクスリと笑った。

 そして僕たちは、サクラの運転でコシノクニ・グランドホテルに向かうのだった。――




 ※


 ホテルに到着した。

 車を従業員に預けてスイートに向かった。

 サクラは荷物を持って、僕とマリンを先導した。

 部屋に着くと、マリンは言った。


「じゃあ、ちょっと準備してきますね。ゆっくりくつろいでいてくれると嬉しいです」

「分かった。では、キョウと作戦を確認しておく」


 サクラはそう言って、資料をカバンから出した。

 マリンは僕たちに微笑むと、奥に入っていった。

 サクラは、マリンが扉を閉めるのを見届けると、いきなりこの後の予定を説明しはじめた。



「本日18時、コシノクニ・グランドホテルにて、海上自衛隊主催のパーティーが行われる。会場は12階の大広間、ここは普段は結婚式などに使われている」

「エネルギー長官のあの会場っぽいのかな?」


 僕が言うと、サクラはテキパキと答えた。


「そうだな。ちょうどあれくらい、50人用のパーティー会場だ。ちなみに最終的な参加者は36名になった」

「36人かあ」

「貴様とマリンを除くと34名だな。そのなかに内通者の痴女がいる」

「僕とマリンは、その中から捜せば良いんだね?」

「マリンと私は、あくまでサポートだ。貴様がひとりひとり声をかけて確かめるのだ」

「ちょっと待ってよ。痴女に話しかけるって、そんなの危ないだろ」

「危ないな」

「僕はエキサイターの感染者、国の重要機密じゃないのかよ。過保護に監視してるかと思えば、危険にさらす。キミたちのやってることは支離滅裂じゃないか」


 僕は、サクラのやりかたを非難した。

 するとサクラは、大きくため息をついて、それからまるで物わかりの悪い子に説明するように、ゆっくりと言った。


「貴様がエキサイターを宿していること、そして、エキサイターの感染者が貴様とイオリ以外にいないことは、痴女には知られていない。そう。我々が痴女を捜し出す手段は、貴様のみであるという――この致命的な事実を知る痴女は、すべて葬り去ったのだ」

「イオリは?」

「ヤツの探知能力は、貴様に比べてかなり劣る。その代わり、身体能力は貴様よりも優れている」


 サクラはそう言って、すっと目を細めた。

 僕があごを引くと、彼女はサディスティックな笑みをした。

 それからあわてて感情を押し殺した。

 任務に集中したのである。


「というわけで、キョウ。痴女に貴様を殺す理由は、今のところない。痴女にとって貴様はただの高校生。そもそもヤツらは、積極的に人を殺さないからな」

「痴女って、基本的には無害なんだっけ?」

「公権力の執行機関に食い入る以外はな」

「ただ、ハンドジョブやジョイライドみたいな危険なヤツはいる」

「その通り」


 と言って、サクラは机の上に写真を並べた。

 それからこう言った。


「貴様の痴女捜索と並行して、私とマリンも痴女を捜す。ただし、私とマリンが捜すのは『荒馬の痴女・ジョイライド』のみだ。ジョイライドが会場に来ていなかった場合は、貴様だけが頼りとなる」

「ジョイライドを捜す?」

「この写真は、ジョイライドの犠牲者だ。よく見てくれ」

「みんな若いな」

「いかにも童貞ドーテーっぽくて、しかも、オタクくさい。貴様にそっくりだ」

「あー、そういえばそっくりだ。なるほど、だから親近感を持ったのか」


 僕は大きくうなずいて、サクラと一緒に笑った。

 それから、うるさいわ――と叫んで、サクラの後頭部を引っぱたいた。

 慣れないノリツッコミをキメたのである。


「痛ぅ……」


 サクラは頭をかかえ、うらめしそうに僕を見上げた。

 そして言った。


「今、ハッキリ分かった。私は、ツッコミを入れられるのが嫌いだ」

「じゃあ、ボケるなよ。ツッコミを誘うなよ」

「私はボケていない。本当のことを言っただけだ」

「うーん、それは否定できないけどさあ」

「とにかく話をもとに戻すぞ」

「うん」

「ジョイライドの犠牲者は、貴様にそっくりだ。さいわいにして、会場に若い男は貴様しかいない。だから私とマリンは、貴様を物欲しそうな目で視ている人物を捜す」

「そいつは、きっとジョイライド」

「確証を得たら即射殺する」

「僕はどうすればいい?」

「じっとしていろ。ただ、それらしき人物に誘われたら誘いに乗れ。危ない目に遭う前に必ず殺してやる」

「それってオトリになれってこと?」


 僕が眉をひそめると、サクラはニヤリと笑った。

 僕はしばし考えたのち、渋々うなずいた。

 オトリと言っても今日はマリンがずっとそばにいるし、サクラだって会場にいる。いつもより厳重に警護されているのである。


「信頼してるよ」


 僕が念を押すように言うと、サクラは噛みしめるようにうなずいた。

 と、そのときだった。

 奥の扉がガラッと開いた。

 僕とサクラは、いっせいに見た。

 するとそこには、両手を広げて扉を全開にしたマリンが、


「おまたせ」


 キラキラの笑顔で立っていた。

 マリンは、ヒモのような大胆なドレスを身にまとっていた。

 アゴが外れてしまうくらい美しかった。

 僕とサクラは大きくを目を見開いたまま、同時につばをのんだ。

 するとマリンは髪をなびかせ、こっちに歩いてきた。

 おそろしく高いハイヒールを見事にはきこなし、彼女は腰をくねらせ、しゃなりしゃなりとやってくる。

 耳に銀色のイヤリングをさげ、くちびるにルージュが光り、そしておそらく薄く化粧をしているのだろう、息をのむほど華麗な顔だった。

 マリンは普段でも抜群に可愛いのに、今、目の前にいる彼女は、いつもに増して美少女だ。


 マリンより可愛い子っていたんだ――僕はマリンを見ながらそんなわけの分からないことを思った。


「ねえ、行きましょう?」


 マリンは、僕の顔を笑顔でのぞきこんだ。

 たわわなおっぱいに視線が吸引される。

 僕は声が出ず、いや、息さえできずに無言でうなずいた。

 マリンは、そんな僕の様子に満足すると、ぎゅっと僕の腕にしがみついた。悪魔のようなやわらかさと天使のようなあたたかさ、そして小悪魔のような甘い匂い。視覚と触覚と嗅覚とやられた僕は、今にも失神しそうである。

 と。

 そんな僕にトドメを刺すように、マリンが耳もとでささやいた。


「ここからは、私が "彼女" を演じますよ?」


 僕は聴覚までやられた。

 あとは味覚を残すのみ。

 とはいえ、今の段階ですでに僕はマリンの魅力に完全にやられていた。

 もう、マリンのことしか考えられない。


「えへへ」


 マリンは、そんな僕の気持ちを見透かしたように、微笑んだ。

 それから彼女は、ぐいぐいと僕の腕を引っぱりパーティー会場に向かった。

 僕は夢幻の中をただよっているような足どりだった。

 すくなくとも頭の中は、しあわせでいっぱいだった。――




 ※


 会場は、立食パーティーになっていた。

 僕はマリンに引っぱられるまま誘われるまま、会場を移動した。

 サクラは、ウェイトレスを演じていた。

 飲み物を運びながら、さりげなく僕たちを見守っていた。


「音楽が始まりましたよ」


 マリンが耳もとでささやいた。

 ハッとして顔をあげると、会場の奥で上品なバンドが演奏をしていた。

 そして気品あふれる海上自衛隊の将校たち……老夫妻が寄りそいダンスを楽しんでいた。

 まるで明治時代のダンスフロア。

 コシノクニ・グランドホテルの12階は、たちまち上流階級の社交の場に様変わりした。

 僕は思いっきり気後れした。

 場違いな自分が恥ずかしくなった。

 だけどマリンは違った。


「ねえ、行こう?」


 マリンは、まるでアイドルのようなキラキラの笑顔で、僕の手を引いた。

 そしてダンス会場の真ん中に飛びだした。

 若いふたりの乱入に、会場はわいた。

 バンドは、曲をアップテンポでジャジーなものにした。

 マリンは、飛びっきりの笑顔でダンスを思う存分楽しんだ。

 僕は彼女の動きにあわせるので精一杯。

 もちろんダンスなんか分からない。


「えへへ、本能のままでいんですよお」


 後で考えて、そのとき撃たれなかったのが不思議である。

 たとえば痴女対策のエキスパートに会場を見せて、『このなかで痴女は誰か?』と質問したら、100人のうち100人、全員がマリンを指さすだろう。

 それくらいマリンは、ずば抜けて美しく、そしてセクシーだった。


「ああん、もっときつくリードしてえ」


 痴女よりも痴女らしい……そんなマリンは、僕の首に腕をからみつかせ、腰を自在にくねらせダンスした。

 それは踊るというよりも、抱きつき、もつれあっている。


「キョウくん、もっと楽しんでえ」


 僕は羨望せんぼうの眼差しをいっしんに浴びながら、みだらなダンスの餌食えじきになっていた。――



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