その8

 ダンスが終わった。

 僕とマリンは、鳴り止まない拍手のなか壁際のテーブルについた。

 マリンの白蛇のような両腕が、僕の首にからみつく。

 僕がツバをのみこむと、マリンはくちびるがふれそうなくらい顔を近づけてきた。

 そして言った。


「彼女のフリは午前0時まで。シンデレラの時間は、そこで終了」

「………………」

「王子さまは、どうしてくれますか?」


 マリンはそう言って、大胆に足を僕の腰に引っかけた。

 僕が何も言えずにいると、マリンは、ぐいっと僕のお尻をつかんだ。

 それからまるで女の子のお尻をなでまわすように、マリンは僕のお尻をあつかった。彼女は、ほっぺたを僕のほほにくっつける。そして、耳もとでささやいた。


「私は、私のことを好きな人が好き。ちゃんと私を見てくれる人が好き」

「………………」

「ほかの子と仲良くなってもかまいません。私を愛していることが分かればそれでいい。キョウくん、私のこと好きですか?」

「うっ、うん」

「だったら、もっとアピールして」


 とろけるようなマリンの声が、このときだけは、ゾッとするほど冷たく響いた。

 僕の背筋は自然と伸びた。

 マリンは両手で僕のほほをさすると、真っ正面から僕を見た。

 彼女のやわらかなくちびるからもれる、せつなげな吐息は、僕の脳ずいをもしびれさせた。

 と。

 そのときだった。


「ああ、すみません」


 ウェイトレスの変装をしたサクラが、マリンの背後からぶつかった。

 そのいきおいで、サクラはわざとらしくワインをこぼした。

 するとマリンは可愛らしい悲鳴を上げて飛び退いた。

 マリンのドレスには、ワインのシミがついている。

 マリンがうらめしそうな目で見ると、サクラは周りに聞こえないように低い声で叱りつけた。


「エージェント・佐世保マリン。任務に集中しろ」

「はい?」

「貴様の任務は、キョウの誘惑ではない。少しは頭を冷やせ」

「私はそんなっ」

「トイレで話をしようか。今の貴様は、ハッキリ言って任務の邪魔だ」

「えっ? ちょっと待って」

「キョウ、すこし外すぞ」


 サクラはそう言って、マリンを無理やり会場の外に連れていった。

 マリンは口をとがらせながらも渋々サクラに従った。

 僕は、ふたりの背中をしばらくぼんやり眺めていた。

 そして、今日ここに来た理由――痴女の捜索――を、僕は今頃になってようやく思い出すのだった。




 ※


「ねえ、あなた今ひとり?」


 突然、後ろから声をかけられた。

 ふりむくとそこには美人秘書……って感じのメガネの事務官がいた。

 手にはシャンパンのグラスを2つ持っている。

 僕がかるく会釈をすると、メガネ美女は僕にグラスをにぎらせた。

 そして彼女は、僕の手をにぎったまま話しはじめた。


「素敵なダンスだったわ」

「ありがとうございます」

「彼女も素敵」

「はっ、はい」

「でも、あの子のほうがキミに夢中。キミの気をこうと、必死になってたわ」

「そんなあ」

「アイドルみたいにカワイイ娘だけど、めんどくさい性格ね」


 メガネ美女は、じっと僕の目を見つめて、やさしく微笑んだ。

 綺麗なお姉さんだなあ――と、僕はうっとりした。

 だけど心を乱されることはなかった。

 さっきまでマリンの魅力に、ぐにゃぐにゃになっていたからだ。

 僕は、いつの間にか美女に免疫ができていた。


 抜け目なく、このメガネ美女を観察する。

 よく見るとセクシーだけど、でも痴女じゃない。

 エキサイターはまったく反応しなかった。

 メガネ美女は首をかしげた後にこう言った。


「ねえ、男の子。私はめんどくさくないわよ」

「はい?」

「部屋に行かない?」


 メガネ美女はそう言って、僕の腰に手をまわした。

 僕は、つま先立って出口のほうを見た。

 マリンもサクラも、まだ戻ってこない。

 メガネ美女は、そんな僕に微笑むだけでじっと見つめている。

 だから僕は、今度は会場を見まわした。

 それでもエキサイターは反応しなかった。


 ここに痴女はいない。

 痴女にしか見えない文字もない。

 痴女の声もまったく聞こえないのである。


 僕はもう一度、メガネ美女をじっくり見た。

 妖しいけれど、やはり痴女ではない。

 僕は少し悩んだ。

 それが態度に表れた。

 するとメガネ美女は、まるで悪巧わるだくみに誘うような、そんな笑みでささやいた。


後腐あとくされのない遊びよ」

「……うん」


 僕は結局、彼女の誘いに乗ることにした。

 彼女の正体に興味があったし、純粋に美人だったというのもある。

 だけど僕の背中を強く押したのは、それはマリンやサクラの役に立ちたいというシンプルな思いだった。僕は、キザったらしくメガネ美女を誘った。


「じゃあ、僕の部屋にこない? 最上階のスイートだよ」

「あら素敵」


 僕はもう、すっかりイケメン・スパイの気分である。

 余裕の笑みで、メガネ美女を連れて部屋にエスコートした。

 その際、さりげなくポケットからアメやガムを落としている。

 もちろん、サクラとマリンへの合図のつもりである。――




 ※


 部屋に入ると、メガネ美女はいきなり抱きついてきた。

 僕の腕をつかみ壁におしつけ、噛みつくようなキスをした。

 僕はあ然として、しばらくされるがままだった。

 メガネ美女が言った。


「あなた、すごく好みよ」


 もし僕がマリンやサクラと出逢ってなくて、美少女慣れしていなかったら、一発でヤラれていただろう。それくらいメガネ美女は、なまめかしくエロかった。

 僕は精一杯の余裕をみせてこう言った。


「いきなり激しいんだね」


 するとメガネ美女は、ねっとりとした声で言った。


「彼女を待たせるわけにはいかないわ。早く済ませましょ」


 そう言ってメガネ美女は、寝室のドアを開けた。

 そして僕をイタズラな笑みで突き飛ばした。

 僕はベッドにあおむけになった。

 メガネ美女は淫らに目を細め、僕を見下ろし、舌なめずりをして言った。


「アレの最中に彼女が来たらイヤだから、ちょっとおまじない」


 メガネ美女は、カバンから何かを取り出しドアの近くにそれを置いた。

 なにやら小さな装置のようだが、ベッドからはよく見えない。

 というより、僕が上体を起こしたときにはもう、メガネ美女はベッドにひざを乗せていた。彼女は、まるでネコ科の猛獣のように四つんばいでやってくる。

 僕が身をよじると、メガネ美女はスケベな笑みで僕の肩を小突いた。

 そうやって僕を押し倒すと、彼女は僕にまたがった。

 そして、ひどく淫奔いんぽんな笑みで僕を見下ろしこう言った。


「お姉さんがリードしてあげる」


 メガネ美女は、僕に馬乗りになった状態で思いっきり背を反らした。

 そうやってシャツを脱ぎすてた。

 黒いオトナなブラと、ロケットのようなおっぱいがあらわになる。

 僕がツバをのみこむと、メガネ美女はロケットおっぱいの隙間すきまから僕の顔をのぞきこんだ。それから彼女はブラを外し、僕をからかった。


「騎乗位は嫌い? キミは女の子を上からねじ伏せたいの? それとも後ろから支配したいの?」


 そのとき、キーンと、激しい耳鳴りが僕を襲った。

 そして目を開けると、僕の頭上にそびえ立つ2房の乳ロケットには――痴女にしか見えないあの文字のような、キスマークがつけられていた。


「そのキスマークは!?」


 僕は思わず聞いてしまった。

 だけどメガネ美女は、僕を警戒することなく笑顔で言った。


「あら、あなた。これが見えるのね?」

「……うん」

「これはね、素敵な女性ひとからの贈り物。彼女にとって、このキスマークは支配の証、私にとっては従属の印なのよ」

「……お姉さんは、その女性の支配されている?」

「うふふ、私は彼女に絶対服従、奴隷みたいなものね」

「マゾなの?」

「相手によるわ。でも、私だってただ支配されてるだけじゃないのよ」

「それって?」

「彼女たちは圧倒的な力を持っている。従属すれば、その力で守ってもらえる」


 メガネ美女は馬乗りのままそう言った。

 それから彼女は、まるで神の前で告白をするような、そんな清らかな笑みで、だけど下劣なことを言った。


「実はお姉さんね、キミのような男の子が大好きなの。キミみたいな子を見ると、エッチな意味で食べたくて食べたくてしかたがなくなるの。そしてお姉さんはね、男の子が死ぬまで激しく愛でてしまうのよ。自分を抑えることができないの」

「………………」

「そんな困った性癖を持ったお姉さんだけど、彼女たちの下僕になれば逮捕されずにすむ。いつまでも楽しむことができる。彼女たちは私を守ってくれる。そう。守るだけの力があるの」


「連続殺人犯を守るだけの力を持った……集団?」

「痴女――って、海自では呼んでるわ」


「そして、あなたは?」

「荒馬の痴女・ジョイライド――と、海自では呼んで極秘で捜査してるわね」

「だけど、あなたは痴女ではない」


 僕は非難をこめてそう言った。

 するとメガネ美女……ジョイライドは、開き直ってこう言った。


「私は痴女に憧れたの。だけど痴女にはならず、彼女たちに協力する道を選んだの」

「裏切り者だよ。あなたみたいな人のことを、売国奴って言うんだぞ」

「そうね、その通りよ。でも、たくさんいるのよ」

「そのキスマークは、売国奴の烙印らくいんだ」

「選ばれし者の勲章よ」


 きっぱりとジョイライドは言った。

 僕は言葉をつまらせた。

 別に僕は、愛国心が強いほうではないけれど、それでも彼女の誇らしげな笑みは心底理解できなかった。吐き気すらもよおした。




 ※


 永遠にも感じられる静寂だった。

 それを破ったのは、ドン! ――と、扉を蹴り開けた音だった。


「公安だ!」「電子隊です!」


 サクラとマリンの声が寝室のドアの向こう、部屋の入口から聞こえた。

 彼女たちの足音が近づいてきた。

 ジョイライドは、僕に馬乗りになったまま背を反らした。

 そのとき、寝室のドアが蹴破られた。

 ジョイライドは首をねじむけ、にたあっと笑った。


「動くな!」


 サクラが拳銃をかまえたまま寝室に飛びこんだ。

 すると、バチンッ! ――と、火花が散ったような激しい音がして、焦げた臭いが部屋に充満した。それからサクラの悲鳴があがり、どすんと壁に叩きつけられたような振動がした。

 懸命に身をよじって様子をうかがうと、サクラが床に突っ伏していた。

 そして声をかける間もなく、マリンが部屋に飛びこんできた。


「あっ!」


 僕が叫ぶのと同時だった。

 寝室の入口に設置された何かから、マリンの拳銃に向かって蒼白あおじろい光が伸びた。

 マリンは、とっさに拳銃を投げ捨てた。

 光は拳銃を追尾し、衝突すると火花が散った。

 間一髪、マリンは無事だった。

 が。

 無理な体勢のマリンが足をついたところには、謎の液体が水溜まりを作っていた。マリンはそれに滑って尻もちをついた。


「きゃっ!?」


 そして彼女は、すさまじく仰け反った。

 まるでハンマーで背中を殴られたかのようだった。

 おそらく電流を浴びたのだと思う。

 水溜まりに伏せるマリンは、仰け反った後も微細なけいれんを繰り返していた。

 マリンの意識は辛うじてある、だけど、とても動けそうにない。

 一方、サクラは完全に意識を失っていた。

 ジョイライドは、その様子に満足すると、腰を浮かし、カバンから小さな拳銃を取り出した。僕はその隙にベッドから滑りおりた。


 ジョイライドは僕を一瞥いちべつすると、拳銃をマリンに向けてこう言った。


「念のため仕掛けておいて良かったわ」

「痴女が、まさか、こんな複雑な罠を……」


 マリンが、かすかにつぶやいた。

 するとジョイライドは、さげすみの目でマリンを見下ろした。

 そして言った。


「あんたのようなモテ系は大嫌いよ」


 ジョイライドは、拳銃の撃鉄を起こした。

 それから、まるで外科医が執刀するような目と手つきで、すっと銃口をマリンの頭に照準した。

 そしてその瞬間。

 そこに僕は飛びこんだ。

 ジョイライドの視界からマリンを隠すように、僕は真っ正面に立ちはだかったのである。

 僕は無我夢中で拳銃をつかんだ。


「坊や!?」

「撃たせるもんか!」


 この言葉と同時に、ジョイライドは発砲した。

 弾丸は僕のお腹に命中した。

 というより、銃口から僕のお腹までは、わずか数センチ。

 どう撃っても確実にあたる距離である。


「痛てえぇぇ……」

「どきなさいっ!! 坊やは、あの女どもを殺したのちに別のやりかたで殺してあげる!!!」


 ジョイライドは必死に僕の手を振りほどこうとした。

 だけど僕は負けなかった。

 ここで負けるわけにはいかなかった。

 僕は死にもの狂いの抵抗をみせた。

 途中、ジョイライドは何発か撃ったけれど、当然、それらはすべて僕にあたったのだけれども、それでも僕は拳銃を離さなかった。


「絶対に負けないぞ!」


 と、僕はどうかつした。

 撃ったジョイライドのほうがおびえていた。

 僕は彼女をにらみながら言う。


「めちゃくちゃ痛い、撃たれたところが熱い、痛い、よく分からない。とにかく死んだほうがマシという激しい痛みがっ、今も僕の全身を貫いている。いつまでも痛い。コゲ臭くて痛い、たぶん痛いんだよ、これはっ」

「なら離せ! そこをどきなさいっ!!」

「嫌だ。めちゃくちゃ痛いけど、でも、僕には守りたい人がいる。彼女を撃たせるわけにはいかない、離すわけには、いかないんだよ」

「なにをバカなことをっ!」


「好きな人を失うことは、死に勝る」


 僕の声はおそろしく澄んで、そして響いた。

 だけどジョイライドの心には響かなかった。


「あらそう。なら坊やを殺して、あの子を殺すだけ」


 だから僕は覚悟を決めて、腹の底から声を出した。


「何発だ、あと何発残ってる」

「はあん?」

「撃ってみろ、耐えてやる」


 するとジョイライドは発砲した。

 だけど僕は倒れなかった。

 彼女は続けて撃った。

 それでも僕は倒れない。

 だから彼女は悲鳴をあげて何度も何度も引き金を引いた。

 僕は弾丸をすべて受けとめた。

 そして弾が尽きると僕は。

 ジョイライドの絶望に満ちた顔面を――ブン殴った。

 それですべて終わりだった。




 ※


「キョウくん!」


 マリンが全身全霊を浴びせるように、僕の胸に飛びこんできた。

 僕はよろめきながらもそれを受けとめた。

 僕たちはベッドに深く沈みこんだ。


「好き、好き好き好き、キョウくん大好き」


 僕はマリンの熱烈なキスを浴びた。

 マリンは夢中になって僕にキスをしまくった。

 息継ぎのたびに僕の名前を呼んだ。

 マリンはその大きな瞳いっぱいに涙をためて、いっしんに言う。


「大好き。だから余計なこと言わないで」


 マリンは痛みに身をよじりながらも、しかし、キスを止めなかった。

 僕も銃創に激しい痛みを感じながらも、しかし、そんなことはどうでも良くなっていた。

 僕たちは、きつく抱きしめあった。

 サクラの笑い混じりの声がした。


「先に帰るぞ、今日は泊まっていけ」


 顔をあげると、サクラはジョイライドを後ろ手に縛り上げ、寝室から出るところだった。

 僕が何か言おうとすると、サクラは背を向け、すっと手をあげた。

 そしてマリンが僕のほっぺたを引っつかみ、熱烈なキスをした。

 最上階のスイートルームで見た朝日は、ひどく美しかった。――



【第4章 完】

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

THEY CHIJO リトルデーモンJ @Jew-Z

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ