その4

 数日が経った。

 痴女は依然見つからず、僕は捜査に協力し続けていた。

 昼休みにシンコが言った。


「ねえねえ、まだ捜査続いてるの?」

「うん。結構大変なんだよ」

「修理部には来ないし、帰りも遅いしさあ」

「しょうがないだろ、僕だってそっちに行きたいよ」

「ほんとかなあ?」

「ぁん?」

「だってマリンさんも捜査に協力してるんでしょお?」

「うん」

「ほんとは、ふたりで遊んでるんじゃない? デートとかしてるんじゃないの?」


 シンコはスケベな笑みでそう言った。

 悪友たちもスケベな笑みで俺を見た。

 僕は困り顔で腕を組み、大げさにため息をついた。

 するとシンコはおどけて、ちょこんと舌を出した。

 僕たちは、いっせいに噴きだした。

 と、そんなことをしているうちに昼休みは終わった。

 そして放課後になると、僕はいつものように視聴覚教室に向かうのだった。――




 視聴覚教室にはサクラがいた。

 僕が席について、しばらくするとマリンがやってきた。

 サクラは、ちらりとマリンを見ると、口をおさえてうつむいた。

 なにか笑いをこらえている――そんなふうに見えた。

 僕とマリンは目と目をあわせると、同時に首をかしげた。

 サクラを見た。

 するとサクラは、懸命に笑いをこらえてこう言った。


「さて。現場付近の住民に、あらためて聞きこみを行った。これは、それをまとめた資料だが……」

「ん? サクラどうしたの?」

「くくっ、いや、なんでもない」

「いやいや笑ってるし、すごい笑ってるし」

「あの、さっきからどうしたんですか?」


 と、マリンが訊くと、サクラは堪えきれずに噴きだした。

 彼女は笑いながら、資料を僕たちに手渡した。

 そして言った。


「近隣住人に『不審者はいないか』、『特にみだらな女性に心当たりはないか』、『男子児童のウワサになっている人物はいないか』等の質問をぶつけた。すると、ひとりの女性が浮かび上がった……のだが」

「それのどこがおかしいの?」

「近隣住人の噂になっている人物は佐世保マリン、貴様だ」

「私ぃ!?」


 マリンは声を裏返して、ひどく驚いた。

 サクラが笑いながら言った。


「いや、以前からすこし評判ではあったそうだ。それを聞きこみで大きな騒ぎにしてしまったのだが」

「どんな評判なんですかあ?」

「そのっ、別に私がそう思ってるわけではないのだが、これはあくまでそういう噂になっているという話をするのだけれど」

「もう、早くハッキリ言ってくださいっ」


 マリンが笑いながらそう言うと、サクラは溜めていた息を吐き出すように言った。


「コシノクニ高専の生徒に、エロい女がいる。赤い髪で胸もお尻も迫力があって、グラビアモデルのようにセクシーだ……と、男子児童のあいだでそういう噂になっている。その女の歩く姿を見ただけで、何人もの小学生が下腹部に異常――これは勃起あるいは精通のことだと思われるが――とにかく身体的な変調を訴えている」

「こらっ」

「いや、これは冗談でも笑いごとでもないのだ。現に近隣の小学校やPTAから苦情が出はじめている。佐世保マリン、貴様にだぞ」

「そんなァ!?」


 マリンは肝をつぶさんばかりに驚いた。

 僕は気の毒に思いながらも、しかし、こみあげる笑いをおさえるのには苦労した。

 彼女の体をマジマジと見ていると、ぺちんと叩かれた。

 マリンは、ぷっくらとほっぺたをふくらませてこう言った。


「もう、そんなに視ないでください」

「ごめんっ」

「サクラさんっ。私、なにも悪くないですよね?」

「あっ、ああ」

「なにか私にできることはありますか?」

「うーむ」


 サクラは生真面目な顔をして腕を組むと、そのままイスに深く沈みこんだ。

 微妙な空気が流れた。

 僕は、とりあえず笑いをおさえようとした。

 気持ちを切り替えるつもりで、映像を適当に選んで再生した。

 事案の現場から、かなり離れたATMの監視カメラだった。

 僕はほおづえをついて、そこに映る人々をぼんやり眺めていた。

 すると――。


「あ"っ!?」


 僕は突然、激しい耳鳴りに襲われた。

 サクラとマリンが身を乗り出して僕を見た。

 僕は大きくツバをのみこむと、映像を巻き戻した。

 そして画面を指差してこう言った。


「この人は痴女だよ」


 少し白髪の混じった中年女性だった。




 ※


 翌日の放課後。

 サクラは、いきなり言った。


「痴女の身元が判明した。ヤツは警視庁の上級管理職、つまり我々の身内だ」

「えっ? 警視庁の人が痴女!?」

「しかも、ゆくゆくは官僚となるキャリア組。先ほど私は『警視庁の上級管理職』と言ったが、それは今、警視庁にいるというだけにすぎない。彼女は数年でほかの省庁に移動する」

「そんな人が痴女なんだ」

「襲われて痴女になったのか、あるいは痴女が幹部候補生だったのか、それは分からない。しかし今現在、痴女であることは確かである。そうだなキョウ?」

「うん、間違いないよ」

「ではさっそく彼女の家に行ってくれ」

「えっ!?」

「マリンとふたりで家宅捜索をするのだ。いいな?」


 サクラは、キリッとした笑顔でそう言った。

 僕とマリンは、うなずくしかなかった。

 というわけで、僕たちはさっそく郊外の公務員宿舎に向かうのだった。――




 公務員宿舎に着いた。

 そこは高級マンション、あるいはリゾートホテルのようだった。

 僕とマリンは宿舎に入った。

 大らかで豪華なフロントには誰もいない。

 僕たちは階段で目的の部屋を目指した。

 マリンが言った。


「部屋は最上階の五階です。それといいですか、キョウくん。ここからは、『宿舎の子が、親のいない日にボーイフレンドを家に連れこんだ』……そんな演技でいきましょう」

「うん、分かった」

「腕を組んでると階段は上りにくいですね。手をつなぎましょう?」

「えっ、うん」

「えへへ、なんか照れますね」

「うん」


 まるでフィギュアのような繊細な指先だった。

 その指先から彼女の温かさが伝わってくる。

 思わず握る手に力がこもった。

 するとマリンは照れくさそうに笑って、軽く体当たりをした。

 僕の顔は自然と笑顔になっていた。

 マリンはそんな僕に笑顔で、だけど厳しいことを言った。


「ねえ、キョウくん。万が一のことなんですけどね。もし、私が襲われて痴女になったらすぐに殺してください。絶対に話しかけたり、話を聞こうとしたりしないでくださいね」

「えっ?」

「そうしないと殺せません。私やサクラさんだって殺せないんですよ。とにかく痴女になった瞬間、なにも考えずに殺してください」

「そんなっ」

「私たちスパイは、『ごく親しい人がターゲットの場合は、視界にとらえた瞬間、反射的に撃ち殺す』そのように訓練されています。そうじゃないと撃てなくなるからです」

「………………」

「キョウくん、拳銃を渡しておきますね。私が痴女になったときはお願いします」


 マリンはそう言って、僕に小さな拳銃を握らせた。

 僕はゆっくりとうなずいて、拳銃をカバンにしまった。

 マリンの言ったことが、あまりにも非日常的すぎて実感がわかなかったからである。

 僕は重苦しくなった空気にたえきれず、冗談めかして話題を変えた。



「ねえ、なにかスパイグッズみたいなの持ってないの?」

「え? ああ、ありますよ」

「ほんとに?」

「んーたとえば、これなんですけどね」


 マリンはそう言って、胸もとのボールペンを手にとった。

 カチカチと親指でノックしながら彼女は言った。


「このボールペンって実は小型爆弾なんですよ。こうやって1回ノックすると普通にペン先が出るんですけどね、3回ノックすると5秒後に爆発します」

「おっ、いかにもスパイって感じ」

「使います?」

「うーん、拳銃よりは抵抗ないかな」

「じゃあ、はい」

「ありがと。3回ノックで爆発だったよね?」

「ええ。解除するときは、また3回ノックすればOKです」

「了解。ええっと、じゃあ確認なんだけど、1回ノックで普通のボールペン、3回ノックで5秒後に爆発。解除は再び3回ノック」

「その通りです」

「じゃあ、2回ノックするとどうなるの?」


 僕はそう言って、カチカチと2回ノックした。

 するとマリンは、あわててボールペンを奪い取ろうとした。

 だけど僕は反射的にそれを避けてしまった。


「あっ!?」

「えっ!?」


 ボールペンは僕たちの手のなかで、ぶぅうううんんんんっと羽虫のようなエロい音を鳴らし、そして微細に振動をはじめた。

 僕とマリンは、もつれあい、からみあった状態でしばし無言のままでいた。

 やがて僕は言った。


「これって、バイブだよね?」


 するとマリンは羞恥で、ほっぺたを桜色に染めた。

 それから、じんわり笑って上目遣うわめづかいでこう言った。


「ローターかな」


 僕がクスリと笑うと、マリンはスケベな笑みで僕の胸におでこをあてた。

 その仕草があまりにも愛くるしかったので、僕はつい、ぶぅうううんんんんっと、ボールペンをマリンの胸の先端にあててしまった。


「あぁん」


 するとマリンは、ぎゅっと僕のそでをつかみ、せつなげな顔でくやしそうに僕をにらみつけた。それから彼女は背伸びをすると、僕の耳元で当てる位置をリクエストした。僕は言われるままにボールペンを移動した。動かすたびに、マリンのくちびるはゆがみ、声と息がかすかにふるえた。

 僕とマリンは誰もいない階段で、ふたりの時間をしばし楽しんだ。


「もう、こういうことは後でゆっくりしましょうよお?」

「うっ、うん」

「まあ、彼氏を家に連れこむ設定ですから、待ちきれずに階段で――というのはアリですけど」

「ごめん」

「えへへ、なんで謝るんですかあ」


 マリンはそう言って、かるく跳びはね僕のほほにキスをした。

 それから彼女は手ぐしで髪を整えだした。

 その仕草が妙にイオリに似ていたので、僕は彼女との約束をふいに思い出した。

 それとなくマリンに話を振ってみた。



「あの、サクラにはもう聞いたんだけどね、マリンはイオリを追わなくていいの? 僕があいつに捕まったときのことは、事情聴取しなくてもいいのかな?」

「ええ、そのことなら別の人間に引き継ぎましたよ。私は今、キョウくんの専属です」

「ああ、やっぱり」

「サクラさんも同じこと言ってました?」

「うん」

「えへへ。でも、どうしたんですか? もしかして彼女にエッチなことをされたんですか? それを私に自慢したいんですか?」


 マリンはそう言って、スケベな笑みで僕の顔をのぞきこんだ。

 僕は困り顔で言った。


「いや、僕のことは構わないんだけどね。マリンのほうこそ大丈夫だった?」

「キョウくんに生おっぱいを視られちゃいました」

「うーん」

「うーん」

「……イオリのことどう思う?」

「特になにも。ただ、キョウくんのことがすごく好きなんだなあって」

「こわいくらいね」

「えへへ。ちなみにもうひとつ分かったことがありますょ」


 そう言ってマリンは可愛らしく胸を張った。

 それからドヤ顔でこう言った。


「あの日以降、小早川イオリとキョウくんは、肉体的な関係に進展がありました。彼女は、私よりもエッチなことをしています。だから彼女は私を襲ってこないのです」

「………………」

「キョウくん。小早川イオリとってるでしょ?」

「うっ」


 僕は言葉を詰まらせた。

 マリンが、じっと僕の目を見た。

 しばらくののち、僕はうなずいた。

 そして、イオリから頼まれていたことをマリンに伝えた。

 マリンは可愛らしく首をかしげ、目まぐるしく計算をしていたが、やがてうなずくと僕にニッコリ微笑んだ。

 そして言った。


いですよ。3人で会いましょう」

「ほんと?」

「ですが、その前に家宅捜索を済ませましょう?」


 マリンはそう言って僕の手を引いた。

 五階に到着すると、マリンはぐいぐいと奥に進んだ。

 そして、あっという間に目的の部屋の前に来た。


「オートロックを解除しましたよ。なかに1人いますね」


 マリンは拳銃を構え、ジェスチャーで僕に下がるよう伝えた。

 僕が壁際まで後ずさりすると、彼女はドアを蹴り開けた。

 そのいきおいで中に跳びこんだ。

 僕はカバンの中の拳銃をにぎりしめ、しばらくそこで待っていた。

 やがてマリンが戻ってきた。

 彼女は無表情で僕を見ると、無感情にこう言った。



「ターゲットは、すでに死んでいました」



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