その5

 痴女は、すでに死んでいた。

 マリンと僕は、鑑識に現場を引き継ぎ家に帰った。

 その道すがらマリンは言った。


「鑑識から結果が出るまで、この件はいったん忘れましょう」

「うん」

「それで小早川イオリ……なんですけど」

「ああそうだ」

「えへへ、あまり乗り気ではないようですね」

「……まあね」


 僕がぼんやり言うと、マリンはクスリと笑ってこう言った。


「3人で会うときまでに、仲直りしておいてくださいね」



 で。

 その日の晩、イオリはさっそくやってきた。

 といっても、露天風呂であんな別れかたをしたから、この日のイオリは、しおらしかった。僕が布団に入って電気を消すと、するっと布団に入ってきた。だけど、ベッドの片隅に丸まって、僕が話しかけるまで黙っていたのである。


「……なあ、イオリ」

「なあに?」


 イオリは突然、パッと花が咲いたような、そんな声をあげた。

 それから飛びつき僕にまたがると、キラキラの笑顔でくちびるをねだった。

 その急な態度の変化に僕は失笑した。

 するとイオリは、くちびるで僕のくちびるにかるくふれて、それから念を押すようにもう一度くちびるを重ねてきた。

 その後、満ち足りた笑みでイオリは言った。


「お願いを聞いてくれてありがとう。後のことは手紙に全部書いたから、学校で読んでね」

「えっ、うん」

「このお話はこれでお終いだよ。キョウちゃん、イチャイチャしよお?」

「ん? もしかして公務員宿舎でのことを視てたのか?」

「キョウちゃんのことは、なんでも知ってるよ」

「あんなせまい階段だったのに?」

「だってイオリはスパイだもん」

「うーん」

「ねえ、キョウちゃん。ぶぅうううんんんんっ」

「うはっ」

「イオリも、ぶぅうううんんんんってして欲しいなあ?」

「いやっ。でもボールペン持ってないよ」

「マリンに返しちゃったもんね」

「ほんと、よく視てるよな」

「だってキョウちゃんのこと好きだもん」


 イオリはそう言って、もそもそと下に移動した。

 僕の胸にほっぺたをのせて、甘えて丸くなった。

 ずるい――と、僕は心中でうなった。

 僕のイオリに対する怒り、謝罪して欲しいという気持ちは、依然変わりはないが、しかし、半裸でこんなことをされては、それがあいまいに霧散むさんしてしまう。僕は色香で籠絡ろうらくされてしまう。……。


「ねえ、キョウちゃん。イオリを抱きマクラにしてえ?」

「うん?」

「抱きマクラみたいに抱きしめてえ?」

「あっ、うん」

「大好き」

「………………」

「ねえ、今度ふたりで、ぶぅうううんんんんっを一緒に買いに行こう?」

「はぁ?」

「そういうお店でね、一緒にオモチャを選ぶのって、きっと楽しいよお?」

「うっ、うん」

「でも今日はないから、ぶぅうううんんんんっの代わりにぺろぺろしてあげる」

「あっ、うはっ、やめてっ」

「えへへ、キョウちゃん。女の子みたいにしてあげる」


 イオリはそう言って、僕の背に両手をまわした。

 それから目の前にある僕の敏感なところをぺろぺろしはじめた。

 身をよじると、イオリはほっぺたで僕の胸をおさえつけた。

 そうやってイオリは僕を拘束こうそくすると、くちびると舌で僕をもてあそぶのだった。


「イオリっ」

「んふっ」


 しばしの抵抗の後、僕は弛緩しかんした。

 あきらめて、観念して、快美に身をゆだねたのである。

 するとイオリは刺激をゆるめ、僕の胸で甘えてそのうち眠りについた。

 たぶん僕よりも先に眠ったのだと思う。……。




 ※


 翌日、学校に行くとサクラがいきなり言った。


「鑑識結果の分析が終わるまで、しばらく捜査は中断だ。2・3日休んでくれ」

「あっ、うん。じゃあマリンも?」

「マリンは貴様と同様お休みだ。私は会議に出るがな」

「そっか、おつかれさま」

「ん? なんだ今日はやさしいな。なにか気持ちいいことでもあったのか?」


 サクラは懸命に笑いをこらえてそう言った。

 なんのことだか分からなかったが、たぶん彼女なりの皮肉めいたギャグなのだと思う。

 僕は言い返すのもめんどくさかったので、皮肉に気づかないフリをした。

 まあ、どこらへんが皮肉なのか本当に分からなかったのだけれども。


「なあサクラ。昨日の痴女が犯人じゃなかったら、2・3日後にまた映像を観まくるの?」

「そうなるな」

「じゃあ、それまでは、たっぷり休ませてもらうよ」


 僕がそんなテキトーなことを言うと、サクラは笑ってうなずいた。



 昼休みになると、僕はマリンを屋上に誘った。

 そこでイオリからの手紙を開けた。


「今、初めて開けるんですね?」

「うん。ひとりで開けるの、なんか恐ろしくてさ」

「えへへ」


 で、どんなことが書いてあったかというとそれは――。


「3人で集まる場所が指定してありますね」

「はぁ!? サクラの家で会うの!?」

「キョウくんの家のお隣さんなんですね」

「ほんとに隣に引っ越したんだ」

「えへへ。それで続きなんですけどね、『サクラが帰宅するのはいつも夜7時以降だから、それよりも前の時間に、彼女の家で待ってること。そうすればイオリはあらわれる』……ですって」


 マリンは手紙を読み上げると、僕をじっと見た。

 僕は困惑を隠し切れずに、ツバをゴクリと呑みこんだ。

 そして一拍おいた後、僕たちは同時に噴きだした。


 あまりにも人を食った、しかし実にイオリらしい待ち合わせだったからである。


「ようするにサクラの家に忍びこめってこと?」

「たしかに小早川イオリにとっては、もっとも安全な場所ですけれど」

「そうなの?」

「他の場所よりは」

「そっか。じゃあ早速、今日行ってみる?」

「いいですよ」

「それじゃ学校が終わったら一緒に」


 と、僕は言ったあとで、はっと気づいたことがあった。

 女の子の家に勝手に入るのは、さすがにマズいのではないだろうか。


「キョウくん、大丈夫ですよ。サクラさんはスパイです。プライベートな物は、ひとつも置いてません」

「でも」

「それにキョウくんの家と同じ戸建て住宅ですよね? 寝室に入らなければ大丈夫ですって」

「そっか。リビングなら、まあい……のかなあ」

「もしサクラさんに見つかって、彼女が怒るようなことがあったなら――絶対に怒らないとは思いますけど――私が全部かぶりますよ」


 マリンは、まるで太陽のような笑顔でそう言った。

 それから僕に寄りかかると、サンドイッチを口に持ってきた。

 ここで僕は持ち前のいい加減さをフルに発揮させた。

 深い思慮もなにもなく、ただなんとなく流されてサクラの家に侵入することに決めたのである。――




 ※


 放課後になると、僕はまっすぐ家に帰った。

 しばらくするとマリンがやってきた。

 僕たちは、サクラの家に行った。

 鍵は、マリンが道具を使って開けてくれた。

 そしてなかに入ると、そこは閑散としてなにもなかった。


「うわっ、本当になにもない」

「ソファーとテーブルとテレビだけ。小物のたぐいは、ひとつもないですね」

「なんかチェックイン直後のビジネスホテルみたいだよ」


 僕はそう言ってソファーに腰掛けた。

 マリンは僕の左に座ると、ぴとっとくっついてきた。

 それから僕のほほをさすり、上目遣うわめづかいでこう言った。


「イチャイチャしてたら、きっとすぐに現れますよ」

「うん」


 まず間違いない。

 そう思ってマリンと笑ったその瞬間。


「どぉーん!」


 と言って、イオリがソファーに飛びこんできた。

 そして僕の右腕をひっつかむと、ぎゅっと胸ではさみこんだ。

 僕は今、ソファーに座り――左からはマリン、右からはイオリ――ふたりに圧迫されている。

 イオリは、ひとしきり僕の腕にほほをこすりつけると、満足して上体を起こした。反射的にマリンは腰を浮かせた。

 イオリは、マリンに向かってこう言った。


「本当に、ふたりでやってきたんだね」


 するとマリンは、即座にこう訊いた。


「どうして私なんですか?」

「敵だから」

「……私を説得できれば、ほかの人もみんな説得できると?」

「正解。やっぱりマリンは賢いね」


 イオリはそう言って、ぎゅうっと両腕で僕に抱きついた。

 そんな姿勢で首をねじむけ、イオリはマリンに今までの経緯を語った。

 マリンは、それをすばやく理解した。

 すべてを聞き終わるとマリンは確認をした。



「つまり、あなたは公安の極秘任務でエキサイターを盗んだ。しかし、それを命じた上司は痴女だった。あなたは痴女の罠にハマり、痴女のもっとも恐れる物を日本から取り除いた」

「その通りだよ」

「……エキサイターを自身に注射した理由は?」

「痴女から逃れる力を身につけるため。ちなみにキョウちゃんに注射をしたのは、愛の印」

「おいっ」


 と、僕は思わずツッコミを入れた。

 するとマリンとイオリに左右から、むぎゅっとおっぱいで圧迫された。

 無言の乳ツッコミ――そんな言葉が頭をよぎった。

 それはさておき、マリンはイオリにこう問うた。


「ヨコスカ基地に侵入したとき、ミスした自覚は?」

「ない。侵入は完璧だったよ」

「北側フェンスの映像に微細なノイズがありました。データ改ざんの痕跡こんせきです」

「なるほど。だからあの日のマリンは、単独でイオリを追ってきたんだね」

「ええ」

「でも、それはイオリのミスじゃないよ。当初の侵入経路は北側だったけど、なんとなく気分が乗らないから、あの日は西から侵入した。だから改ざんする必要はないんだな」

「経路変更は、上に伝えたのですか?」

「するわけないよお」

「では、当初の作戦内容を知る人間は、あなたと上司以外には?」

「いない。もし罠じゃなかったら、上司は自分の上司に報告してると思うけど」

「なるほど分かりました」


 マリンはそう言って、姿勢良く座り直した。

 それからイオリを真っ正面に見て言った。


「ウソはついてない……ようですね。あなたの上司は、あなたに研究施設を爆破させ、私にあなたを殺させるつもりだったのでしょう」

「イオリは、そう分析したよ」


 イオリは上体を起こしてそう言った。

 それから僕の腕を胸ではさみ、マリンから奪い取るように引っぱると、イオリはマリンに言った。


「というわけで、海自と公安に保護を求めたいのだけれども。協力してくれる?」

「ええ」


 マリンは微笑み、うなずいた。

 そしてイオリがホッと安堵のため息をついたところで、マリンはイタズラな笑みで、すかさずこう言った。



「あの、条件があるんですけど――。とりあえずキョウくんと、最後までヤッちゃってもらえません?」


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