その5

 家に着いた。

 僕は、自転車を放って玄関に駆けこんだ。

 ドアを開けた。

 するとリビングでは、姉さんとマリンさんが仲良くおしゃべりをしていた。

 シンコもいる。

 みんなで仲良く料理を囲んでいる。


「あら、キョウ。あわてちゃってどうしたの?」

「やあ、姉さん。無事っ」

「無事?」

「あはは。僕の大好きなポテトは、まだ無事かなあって」


 僕はそんなわけの分からないことを言って、料理をつまんだ。

 姉さんが首をかしげた。

 シンコは、かるく手をあげただけで、料理に夢中になっている。

 そしてマリンさんは眉をひそめていた。

 僕はそんなマリンさんに向かってこう言った。


「やあ、僕が帰ってきてビックリした?」

「……サクラさんみたいな言いかたするんですね」

「サクラみたいな?」

「もしかしてサクラさんと一緒にいました?」

「さあね」


 僕は、ぎこちない笑みで席に着いた。

 マリンさんは笑顔だけど、僕の態度に苛立いらだっていた。

 が。

 僕は気にしなかった。

 なにしろ僕とサクラを爆弾で殺そうとした相手である。

 僕は笑顔で、だけど挑むような目でマリンさんを見た。

 マリンさんも怒りをおさえたような、そんな笑顔で僕を見続けた。

 気まずい空気が場を支配した。

 しばらくの後、沈黙に堪えきれなくなった姉さんがマリンさんに話しかけた。


「ねえねえ、さっき、サクラさんって言ってたけど」

「えへへ、クラスメイトです。キョウくんの隣の席ですよ」

「その人となにかあったの?」

「いいえ、なんでもないんです。でも、キョウくんは彼女と仲が良くて、私いつもハラハラしてるんです」

「ちょっとキョウ、本当なの!?」

「いやっ」


 僕が言葉をつまらせると、マリンさんがイジワルな笑顔でこう言った。


「もう本当ですよお。キョウくんって、シンコちゃんやサクラさんのことは呼び捨てなのに、私のことはマリンさんって "さん" 付けなんですもん」

「それは良くないなあ」


 シンコが顔をあげて言った。

 するとみんなが大きくうなずいた。

 じっと僕を見ている。

 僕の言葉を待っている。

 と、そんな静けさのなかチャイムが鳴った。


「ああ、僕が行ってくるよ」


 僕は逃げるように玄関に向かった。

 すると、リビングを出てすぐのところで、サクラにバッタリ会った。

 彼女はチャイムを押すと、返事を待たずにズカズカと家に上がりこんでいた。


「なに? ちょっとどうしたの!?」

「いいから黙ってろ」


 サクラは、僕を押してリビングに入った。

 姉さんが驚きの声をあげた。


「まあ、どなた?」

「クラスメイトの桜田門です。隣に引っ越してきたので挨拶を。コレ、よかったら食べてください」


 サクラは、ニッコリ笑ってカップケーキを差しだした。

 その普段とはまるで違う笑顔に、僕は眉をひそめた。

 マリンさんが、ぎこちない笑みをした。

 だけど姉さんは、すごく喜んだ。

 たちまちサクラの席が用意された。

 それから海自のスパイと公安のスパイ、僕と姉さん、そしてシンコは料理を囲んで、にこやかに談笑するのだった。……。


 しばらくの後、サクラがアイコンタクトを送ってきた。

 僕は、さりげなくもわざとらしい、そんな大声でサクラに言った。


「ああ、そう言えば、キミは午前中休んでいたよね。大丈夫、プリントは僕が預かってるよ。部屋にあるから取ってくるよ」

「ああ、じゃあ、自分も行きます」

「うん、それがいい。どれが必要か見てもらおう」

「すみません、すこし席を外します」


 サクラはそう言って、姉さんに、すっと頭を下げた。

 まるで剣の達人のような、見事なタイミングだった。

 姉さんは、釣られるように頭を下げた。

 その隙をついて、サクラはさっと席を立った。

 僕はあわてて立ち上がった。

 そして僕とサクラは、僕の部屋に向かうのだった。




 ※


 部屋に入り、ふたりにきりになると、サクラはいきなり言った。


「マリンについて調べたが、ヤツの得意武器は毒針だ。抱きついたときにブラのフロントホックに仕込んだ針で毒を注入する。犠牲者はいずれも他国のスパイだが、女同士だからと油断した」

「まさかっ」

「私もマリンも女性専門のエージェント。女性と親密になり油断させる訓練を受けている」

「女性専門って、ターゲットは女のみってこと?」

「私もマリンも若い。短期間ですべての技術を身につけることは不可能だ」

「だから一芸に秀でたスパイとなるよう、局地的なスキルを身につけるのか」

「絶対に女は殺す監察官エージェント……私はそういった教育を受けた。もちろん、それ以外のターゲットに対して、まったくの無力というわけではない。基礎的な訓練は受けている」

「それはおそらくマリンさんも同じ」

「ああ。だから『痴女対策』に抜擢されたのだ」

「なるほど」


 痴女が相手なら、男嫌いのサクラでもまったく問題はない。

 いや、こんなことを言うと彼女は否定するかもしれないが、ただ現実問題として、サクラは男と話したがらないし、目すら合わせようとしない。僕以外とは。


「ああ、そうだ。なんでサクラは僕とは普通に話せるんだ?」

「なんのことだ」

「いや、だって男の人が苦手でしょ? クラスでも男子と話さない」

「そっ、そんなことはない」

「そう? でも、まあいいか。僕と話してくれれば不自由はしないから」

「べっ、別に貴様が特別というわけではないっ。私はっ、仕事上のことなら男とも普通に話せるのだっ」

「ああ、やっぱり」

「しまった」


 サクラは言ったあとで、くやしそうな顔をした。

 彼女は、自ら墓穴を掘っていくタイプなのだった。

 で。

 僕が懸命に笑いをこらえていると、コンコンコンとドアがノックされた。

 振り向くと、姉さんが入口に立っていた。


「すみません、先に戻ってます」

「あ、はい」


 姉さんが何か言う前に、サクラは、すっと頭を下げてリビングに戻った。

 部屋には、僕と姉さんだけが残った。

 姉さんは言った。


「ちょっとキョウ、あなたやるじゃない!」

「えっ?」

「マリンって子、あの子はすごく良い子よっ。姉さん気に入っちゃったわ」

「はあ」

「あんな良い子と付き合うなんて、すごいことよ。キョウ、あなた頑張ったのね」

「いやっ」


 頑張ったつもりはないのだけれど。

 というより、そのマリンさんはブラジャーの毒針で姉さんを殺そうとしているのだけれど。きっと姉さんやシンコを殺した後で、あるいはふたりを人質にとって、僕を追い詰め殺すのだと思うのだけれども。


「ん? なんかおかしくね?」


 僕は、ぼんやりつぶやいた。

 だけど姉さんは、そんな僕を気にするふうもなく、笑顔でこう言った。


「ところでキョウ。あなたモテるのは結構だけど、あのサクラって子は何者?」

「はぁ?」

「あの子も良い子っぽいけど、でも二股はダメよ。マリンさんを大事にしなさい」

「ああ、違う違うよ。サクラはそんなんじゃないよ、シンコと同じだよ」

「ふうん? まあ、カップケーキは美味しいけれど」


 姉さんはスケベな笑みでそう言った。

 僕は頭をかいて、リビングに戻った。




 ※


 リビングに戻ると、そこは盛り上がっていた。

 マリンさんとサクラは、ものすごい笑みを飛ばしあっていた。

 お互いに殺すすきをうかがっている――僕の目にはそう見えた。

 そんななか、シンコがイオリのことをしゃべっていた。

 おもしろおかしく笑い話にしていたけれど、シンコはイオリが僕を退学させたことにすごく腹を立てていたから、自然と毒をふくんだ言いかたになっていた。


「たしかにボクたち3人は、小さい頃からずっと親友だったけどさあ。あいつの家は大屋敷だし、いや、お金持ちってわけじゃなくて古くからの大地主だか大百姓だかで、とにかく家だけはデカイんだよ。それなのにボクとキョウとウマが合うなんて、今思えばおかしかったんだ。その違和感に気付かなかったから、あんなことになったんだよ、きっと。まあ最終的には、キョウとこうして同じ学校に通うことになったし、キョウだってこんな素敵な彼女ができたから、それはそれで好かったんだけどね。今はみんな、すごくしあわせだから、イオリにはほんと感謝しなくちゃいけないんだけどさあ」


 そんなシンコの話を、みんなは笑顔で聞いていた。

 だけどサクラだけは、心を痛めているように見えた。

 このとき、僕は気がついた。

 サクラは、イオリと同い年で、同じ公安部の監察官エージェントである。

 きっと面識があるし、もしかしたら友達だったのかもしれない。

 そのイオリが公安部を裏切り、国家機密を盗んだ。

 サクラは決して口に出さないが、おそらくイオリに対する感情は僕の想像をはるかに超えた激しいものだろう。

 僕はそんなサクラを気づかって、話題をイオリのことから、姉さんの話に変えた。


「ところで姉さんって、彼氏と付き合ってたのっていつだっけ?」


 するとこれが予想外に盛り上がった。

 姉さんは照れくさそうに、だけど嬉しそうによくしゃべる。マリンさんがきわどい質問をすると、姉さんは笑顔ではぐらかす。でも、それにシンコがあっさり答える。シンコはいつも僕の家にいるから、姉さんのことにも自然と詳しくなっていた。


「ちょっとシンコ、余計なことしゃべらないで」

「えへへ」

「もうシンコちゃん、可愛い顔して意外とよく見てるんですねえ」


 マリンさんがそう言って、シンコに抱きついた。

 シンコは、マリンさんのおっぱいに圧迫されて満更でもないって顔をしていた。

 というより、ソファーに深く沈みこみ、ふにゃふにゃになっていた。


「あ――ッ!!」


 僕は思わず、ふたりを指さして立ち上がった。

 マリンさんのブラには、きっと毒針が仕込まれている。

 あの抱きつきでシンコを殺すに違いない。


「ちょっ、ちょっとちょっと!」


 僕はあわてて、ふたりの間に割って入った。

 ぐりぐりとシンコを押し出すようにして、ソファーに座った。

 するとマリンさんは、一瞬真顔になって、すぐに笑顔で首をかしげた。

 シンコが不満をもらした。


「なんだよ、キョウ。ヤキモチかよお」

「あはは、そうだよ、そう。ヤキモチかなあ?」


 僕はしどろもどろにそう言った。

 自分でも何を言っているのかわけが分からないけど、今はとりあえずシンコが無事であればそれで好かった。

 シンコは、ぷっくらとほっぺたをふくらませた。

 僕は愛想笑いでひたすら頭をかいていた。

 すると、マリンさんは立ち上がった。

 そしてイタズラな笑みで僕を見下ろすと、


「やっぱりシンコちゃんと仲良しですよね」


 と可愛らしくスネて、それからこう言った。


「いいですよっ。私はお姉さんとイチャイチャしてきます」


 マリンさんはそう言って、姉さんのところに向かった。

 姉さんは、ちょうどお皿を片付けにキッチンに行くところだった。


「あっ!」


 僕はあわてて追いかけた。

 だけどマリンさんは今にも姉さんの腕にしがみつきそうだ。

 とても間に合いそうにない。

 僕は、なかばあきらめかけていた。

 が。

 このとき僕の足に、突然、衝撃が走った。


「えっ!?」


 僕は、つまずき転倒した。

 転んでる最中に、サクラの足につまずいたことを知った。

 彼女は、そっぽを向いて無表情で足を伸ばしていた。


「がっ!」


 僕は両手を伸ばして、べたんと倒れた。


「ちょちょちょっと、キョウくぅん?」

「ふごっ?」


 気がつくと、僕はマリンさんの生々しくも温かなパンツに顔を埋めていた。

 そう。おそらく僕は伸ばした手でマリンさんのスカートをつかみ、脱がし、彼女を巻き沿いにして倒れたのだ。

 僕はあわてて立ち上がろうとした。

 すると、上から姉さんのため息混じりの声がした。


「ちょっとキョウ、ヤキモチもいい加減にしないと見苦しいわよ」

「……うん」


 僕は苦笑いで頭をかくしかなかった。

 姉さんは、自分の命が狙われているとは知らず、大げさにため息をついた。

 するとマリンさんが笑顔だけど厳しい口調でこう言った。


「ちょっと、ふたりで話しあってみます」




 ※


 僕とマリンさんは、僕の部屋に行った。

 マリンさんは部屋に入ると、ドアに鍵をかけた。

 僕をベッドに押し倒し、馬乗りになった。

 もがくと、ぐいっと股間を押しつけ全体重をのせてきた。

 そして身動きのとれない僕を見下ろして、マリンさんはこう言った。


「サクラさんに、なんて言われたんですか?」

「痛っ」

「なにを聞いたんですか?」

「……キミが毒針で女スパイを殺したこと。それと爆弾で博士を殺したこと」

「私が博士を殺した?」

「違うって言わせたいのなら、痛くするんじゃなく、もっとこう……色っぽいやりかたのほうが効果的かと」

「サクラさんを信じるんですか!?」

「だったら説明してよ」


 僕はあえぐように言った。

 本心からの叫びだった。

 僕は心情的には、まだマリンさんを信じたいのである。

 痛めつけられながらこんなことを言うのも、おかしな話なのだけれども。


「ねえ、マリンさん。博士を殺したのは、キミなのか? サクラの車に爆弾をしかけたのもそうなのか?」

「サクラさんの車に?」

「学校帰りに爆発した。僕とサクラは死ぬところだった」

「………………」

「やっぱり。キミは僕とサクラを爆弾で殺し、姉さんたちをホームパーティーで殺すつもりだったんだね?」

「………………」

「ブラの毒針で」


 僕は溜めた息を吐き出すようにそう言った。

 するとマリンさんは、僕のことをうかがうような瞳で見た。

 まるで何か僕に言いたいことでもあるような、そんな瞳で、だけど無言で馬乗りのまましばらく僕を見つめていた。

 やがてマリンさんの顔に、すごい、小悪魔のような、淫靡いんびな笑いが浮かびあがった。

 マリンさんは僕に飛びかかり、そのおっぱいに僕の顔をうずめた。

 ベッドの上でもみくちゃになりながら、マリンさんは言った。


「ブラのフロントホックに毒針? ねえキョウくん、毒針は見つかりましたか?」

「ふごっ」

「ありませんよね? 私、そんなブラしてませんよね?」

「ぶはっ」

「それにキョウくん。もし私がキョウくんを殺すよう命令されているのなら、お昼休みに屋上で殺していましたよ」

「あっ」

「あのときに殺すほうが、ずっと楽です」

「…………」

「お姉さんやシンコちゃんだって、わざわざ殺さなくてすみます。というより、彼女たちを殺す意味が分かりません」

「それはっ」


 たしかにそうだった。

 あのときは、サクラの迫力におされてそういう理解をしたけれど、よく考えれば、姉さんたちを積極的に殺す理由はないのである。


「納得してくれましたか?」

「うん……ごめん」

「もう、私『信じてください』って言いましたよね?」

「はい」

「ただ単に信じるんじゃなくて、信頼して欲しいですよお」


 マリンさんはそう耳もとで囁いて、それから僕の胸の敏感なところにデコピンをした。


「痛っ!?」


 僕が身をよじると、彼女はバッと飛び退いた。

 ベッドにぺたんと座り、髪を調えながら、僕をちらちら見ては笑ってる。

 僕は困り顔で上体を起こした。

 ベッドの端まで進み、いきおいよく立ち上がった。

 マリンさんは、前髪をいじりながらしばらく何か考え事をしていたが、やがて、ぼんやりつぶやいた。


「だけど変ですね。サクラさんは博士を殺してない。私も殺してない。それにサクラさんの車には爆弾がしかけられていた」

「うん」

「もちろん、私はしかけていません。ということは」


 そこまで言って、マリンさんは、ハッと何かに気がついた。

 マリンさんは僕の顔を見た。


機知害女トリックスターが、ひとりいた」


 そう言い捨てると、マリンさんは部屋を飛びだした。――


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