その4

 マリンさんもサクラも、教室に戻ってこなかった。

 僕は放課後になると修理部に行った。

 いつものように、そこでシンコたちと過ごしたのである。


「なあキョウ。佐世保さんも桜田門さんも午後の授業に出なかったね」

「うん」

「なにか聞いてる?」

「別に聞いてないよ」

「ふうん、彼女なのにぃ? お昼休みは一緒にいたんだろう?」

「まあ、マリンさんとはお昼は一緒だったけどさ」


 僕は大げさに眉をあげた。

 そのとき悪友が大らかに手をあげた。


「おーい。楠木って、この後ヒマ?」

「うん、夜は姉さんたちとホームパーティーだけど」

「今、電話があったんだけどさ、家まで来てパソコンを修理して欲しいんだって」

「場所は?」

「本町のマンション」

「じゃあ帰り道だ」

「行ってくれるかな? 実は『前に携帯ゲーム機を修理してもらった子が良い』って指名されたんだ。で、たぶんキョウのことだと思うんだよね。おまえしか修理しないから」

「うん。じゃあ、さっそく行ってくるよ」

「ボクも行こうか?」


 シンコがそう言って、僕の顔を覗きこんだ。

 僕は微笑みを返してうなずいた。

 すると悪友が言った。


「あっ、室内犬をたくさん飼ってるって」

「あー、じゃあ、シンコはダメだ」

「ごめんキョウ」

「ううん、ひとりで行ってくるよ。おまえは犬が苦手だもんな」

「よろしくね」

「じゃあ、ホームパーティーでな」


 僕はシンコの頭をなでるとマンションに向かった。――




 ※


 依頼のマンションは、駅から離れた川沿いにある。

 僕は自転車で、閑散とした土手沿いの道を走り、そこに向かった。

 マンションのフロントが見えたところで、唐突に後ろからクラクションを鳴らされた。

 振り返ると、黒塗りのワゴンが突っ込んできた。


「うわっ」


 あわてて避けると、ワゴンは僕の行く手をさえぎるように停車した。

 そして黒髪の美少女が降車した。

 サクラだ。

 銃に手をかけている。

 僕は両手をあげて自転車を降りた。

 そして叫んだ。


「危ないよ! っていうか、運転して良いのかよ!!」

「ふんっ、免許証の偽造などお手のものだ」

「そんなっ」

「それに貴様は忘れているようだがな、私はそもそも警官だ。取り締まられる側ではなく、取り締まる側の人間だ」

「なんだよそれ」

「ちょっと話がある」

「待ってくれよ、修理で呼ばれているんだよ」

「コシノクニ市・本町123・グランメゾン456号室。誰が呼んだと思う?」

「まさか、サクラが依頼を?」


 僕は思わず眉をひそめた。

 するとサクラはニヤリと笑い、僕を土手まで押した。

 それから僕をコンクリート壁に押しやると、


 ドンっ!


 と、壁に手をついた。

 サクラは僕に顔を思いっきり近づけてこう言った。


「いいから話を聞け」


 サクラは仕事の時の、いつもの顔だった。

 無表情で無感情に、彼女は僕をじっと見ている。

 僕はこのとき、マリンさんの忠告を思い出した。


「博士を殺して、僕も殺す気だな!」


 僕は、するりとすり抜けダッシュした。

 が、すぐに腕をつかまれた。

 後ろ手に決められ、壁に押しつけられた。


「痛っ!」


 今、僕のほっぺたは土手のコンクリート壁にくっついて、僕の背中には、サクラのほっぺたからお腹までがピッタリ密着している。ただし、彼女は僕の腕の関節をキメて、太ももの間にヒザを突っこんでいる。

 そんな状態で、サクラはぐいぐいと僕に体を押しつけている。


「痛いっ、痛いよ!」

「当たり前だ、痛くしている」


 サクラの声は、ちょっと楽しそうだった。

 しかも彼女の体は、あれだけ鍛えて引き締まっているというのに、やわらかかった。

 僕は痛めつけられているにも関わらず、女の子の感触に興奮した。

 それはおそらくサクラも同じだと思う。

 僕がうめきをあげるたびに、彼女の悦びを含んだ吐息が背中に伝わった。

 サクラは、ヒザを押しあげてこう言った。


「貴様、なんだか嬉しそうだな。マゾか?」

「違うよっ、そっちこそ嬉しそうじゃないか」

「ああ、悪いヤツを懲らしめるのは楽しいぞ」

「ううっ、キミは男嫌いなだけじゃなく、サディストでもあったのか」

「私は男嫌いではないっ! が、男をこうやって捕縛するのは実は初めてだ」

「痛ぅ……」

「ふふっ。しかし自分よりも身長の高い者をこうやって屈服させるのは、なかなか気分がいいな。貴様、まったく身動きが取れないだろう? ふふふ、私に完全に支配されてるぞ」

「だから、そういうのがサディストなんだって」

「ああ、そうかもしれないな。この、こみあげてくる感情はそういったものかもしれん。私は今、開眼したのかもしれないな」

「痛っ! 痛い痛い痛い痛いっ!!」

「くくく、まったくだらしない。貴様、こんなにゴツゴツした体だというのに、まるでダメじゃないか。ふふん、見かけ倒し、ではなく、感触だましだな。実に興味深い体をしている」


 サクラは僕の背中にべちゃっと張りつき、うっとりとした声でそう言った。

 僕の関節をキメながらも、もう片方の手は僕の体をいまわっている。

 サクラは、吐息ともあえぎともつかぬ声でささやいた。


「男の肉体は鍛えなくとも、こわばっているのだな」

「……サクラは鍛えてるのに、すごくやわらかい」

「貴様は、なよなよした頼りない童貞ドーテーのくせに、野生の臭いがする」

「サクラは女の子の香りがする」

「これが男の体か」

「キミは女の子だね」

「…………」

「……」


 気まずい沈黙の後、サクラはバッと飛び退いた。

 僕が振り向くと、サクラは照れくさそうな上目づかいで、じっと僕を見た。

 背中を丸め、両腕で胸を隠している。




 ※


「あの」

「話があるっ」


 サクラは、ぴしゃりと言った。

 その迫力におされて僕はうなずいた。

 サクラは、鋭く短く言った。


「マリンは悪人だ。博士を殺し、私まで狙った」

「ああ、女子トイレでの大乱闘ね。マリンさんは無事かい?」

「お・か・げ・さ・ま・でっ、私は無事だ」

「………………」

「……こほんっ」

「キミなんか信じないぞ。キミが仕掛けた爆弾を見せてもらった」

「公安の爆弾か。あれは裏サイトで簡単に入手できる」


 サクラは、スマホを差し出しそう言った。

 そこに映ったサイトでは、たしかに『ぬいぐるみ型爆弾のピーポー君』が売られていた。


「おい、楠木キョウ。貴様は、ほんとの佐世保マリンを知っているか? どうだ考えてみろ。ヤツは海上自衛隊の諜報員エージェント、アジアで五指に入る凄腕だ。ヤツはどんな仕事も平然と成し遂げる。どんな密命を受けているか分からないぞ」

「まさか」

「私がいるから、マリンは貴様に手が出せなかった。チャンスをうかがっていた。するとそこに博士が登場、貴様から痴女ウィルスを抽出できると言いだした」

「…………」

「しかし、今は公安と合同作戦中だ。海自はウィルスの成分を我々に見られたくなかった。おそらく命令と違う物を開発していたのだ」

「そこで急遽、博士と僕を殺すことにした……のか」


 僕は、おそるおそる確認した。

 サクラは自信満々にうなずいた。

 なんとなく、それっぽい推理だったけど、どこか引っかかった。

 僕は、もう一度じっくり状況を整理しはじめた。

 と。

 そこにマリンさんからの電話があった。

 しかしサクラが僕のスマホを引ったくった。

 そして着信拒否をした。


「あっ」

「行くぞ、車に乗れ」


 サクラは強引に僕の手を引っぱった。

 僕はムッとした。だれどスマホを取られ、拳銃を持った相手ではどうすることもできなかった。結局、僕は自転車を置き去りにして車に乗った。


「シートベルトをしろ。荷物は後ろに置け」

「うっ、うん」

「どうした?」

「いや、キミって硬派に見えて、結構、女の子っぽいところあるんだなあって」

「なんだ、いきなり」

「ぬいぐるみをこんなに車に乗せて。ほんと、なんだかんだで女の子だよね」

「バカにするなっ。ぬいぐるみなど、私にそんな趣味はない!」

「えっ? でも」

「どうした?」

「これって、ぬいぐるみだよね」

「ああ、ピーポー君だな」

「「………………」」


 僕とサクラは目と目を逢わせると、しばらくの沈黙の後、車から飛びだした。

 そのいきおいのまま走って、車から遠ざかった。


「爆弾だ!」

「すぐ伏せろ!」


 この言葉と同時だった。

 サクラの車は爆発した。

 僕は立ち上がると、しばらくその爆炎を眺めていた。

 やがてサクラがそばにやってきた。

 彼女は、僕の両肩をつかみ、僕を真っ正面に見すえてこう言った。


「しっかりしろ! マリンはプロのスパイ、必ず貴様を殺す」

「うっ、うん」


 心情的にはマリンさんを信じたいが、しかし、こんな爆発を目の当たりにしてはサクラの言うことに同意するほかない。


「おい、マリンは今どこにいる?」

「ええっと。今日は、僕の家に招待している。姉さんたちとホームパーティーをするんだ……って、帰らないと」

「ダメだ。貴様は警視庁で保護する」

「でも姉さんが危ない!」

「だからダメだと言っている。貴様が感染した痴女ウィルス……エキサイターは国の最重要機密。なによりも優先する」


 きっぱりと、サクラは言った。

 彼女は、口をとがらせたままの僕に一瞥いちべつをくれると、電話をかけた。

 いつもの無表情で無感情に状況を報告している。

 僕のために護送ヘリを手配している。


「くぅ……」


 それは彼女の立場とか日本のこととか、そういうことを考えればベストな判断かもしれない。

 だけど正直に言って、僕にとってそんなことはどうでも良かった。

 僕には姉さんを守る責任があり、また責任感があった。


「おい貴様!? まっ、待て!!」


 僕はサクラの隙をついて、自転車で家に戻るのだった。――



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