その5

 僕が家に帰ると、楠木家は大騒動となった。


「ちょっとキョウ! デートなんてすごいじゃない!!」

「いや、まあ、姉さん落ち着いて」

「落ち着いてなんかいられるわけないじゃない!」

「ていうか、なんで知ってるの。シンコがしゃべったのか?」

「えへへ」

「早いよ。ちょっと目を離した隙とか、そういうレベルじゃないだろ」

「もう、そんなことはどうでもいいでしょ。とにかく、姉さんが服を選んであげる」


 そう言って姉さんは僕の手を引っぱった。

 僕があいまいな笑みをしていると、姉さんはさらに言った。


「デートは18時よね」

「うん。でも服ぐらい自分で選ぶよ」

「いいから、女の趣味は女にまかせなさい」

「うっ、うん」


 それからの僕は、まるで洗濯機に放り込まれたようだった。

 しばらくすると、僕は小綺麗なシャツにジャケットを羽織っていた。

 声援をいっしんに受けて家を出た。駅にむかった。

 ふたりが応援してくれたことには心から感激をしたけれど、でも、家から出るときに姉さんが火打ち石を鳴らしたのには、さすがに笑ってしまった。――




 ※


 駅に到着した。

 佐世保マリンは、18時ぴったりにやってきた。

 黒のブーツにミニスカ、ノースリーブの黄色のシャツには白と緑のストライプ。

 黒のベストとネクタイ。オレンジの腕時計。

 赤いセミロングによく似合う黄色のブローチ。黒と白のイヤリング。

 ものすごく色数が多いけど、でも、ばっちりキマってる。

 なにより彼女のおっぱいを強調……じゃなくて、彼女の魅力を引き出している。


 ――この子、めちゃくちゃオシャレだ。


 僕は、姉さんに服を選んでもらって良かったと、心からホッとした。


「キョウくん。ねえ、キョウくんって呼んでもいいですか?」

「えっ、うん」

「マリンですぅ」

「はあ、知ってます。佐世保マリンさんですよね」

「んふふ。夕食まですこし歩きませんかぁ?」

「あっ、うん」

「どこか楽しいところに案内してぇ」


 マリンさんは、甘えた声でそう言った。

 僕はまた頭の中が真っ白になってしまった。

 毎度毎度で申し訳ないけれど、でも、こんなカワイイ子とふたりきりなんて――しかもこんなに顔が近くにあるなんて――のぼせ上がらずにはいられない。


「ねえねえ、キョウくん?」

「えっ、あっ、はいっ」


 僕は挙動不審気味にうなずいて、カバンからメモを取りだした。

 だけど持つ手がふるえてる。

 いや、情けないとは分かっているけれど、でも、ほんとに緊張してるのだ。


「キョウくん、何が書いてあるんですかぁ?」

「あっ、これは姉さんが」

「お姉さんにオススメのお店を教えてもらったんですね」

「うん」

「どれどれ?」


 マリンさんはそう言って身を寄せてきた。

 それから僕の腕にしがみついて、メモをのぞきこんだ。

 そのとき、ふわっと髪が香った。

 とてもいい女の子の匂いがした。

 それだけではない。

 マリンさんは、ぷるんぷるんとやわらかくて、じんわりと温かかった。


「キョウくん、これは?」

「え?」

「『頑張れ!』って書いてありますょ」

「ああ、それは親友の……いや、姉さんかな」

「んふふ、仲が良いんですね」

「両親がうちにいないからね。来るときは大騒ぎだったんだ」

「じゃあ、今日は楽しいデートにしなくちゃね」


 マリンさんは、すこし照れてそう言った。

 くちびるをねだるように顔をあげた。

 僕がツバをのみこむと、マリンさんは、ぱっと離れた。

 それからイタズラな笑みで僕の手を引いた。


「オシャレな文具店があるんですね。ちょっと寄っていい?」




 ※


 ディナーは、駅ビルの最上階だった。

 レストランに入ると、夜景の綺麗な窓際の席に通された。

 姉さんが予約を入れてくれたようだった。


「みんなに愛されてるんですね」


 マリンさんはそう言って、僕にかるく体当たりした。

 その仕草があまりにもシンコに似ていたので、僕は反射的に小突き返してしまった。


「あっ、ごめん」

「ううん。ようやく心を開いてくれました」


 マリンさんは上目づかいでそう言うと、クスリと笑った。

 僕は溜めた息を吐き出すように笑った。

 僕とマリンさんは目と目をあわせると、また笑った。

 心の距離が近づいたような気がした。

 僕の心に余裕ができた。


「こんな素敵なお店があるんですね」

「僕も初めてだよ」

「じゃあ、別のコースを頼んで少しずつ食べましょう?」

「うん」


 僕とマリンさんは様々な料理を堪能した。

 オシャレなイタリアンだったけど、マナーにうるさいお店ではなかったし、それに食べ方が分からない料理もなかったから、僕たちはリラックスして会話を楽しめた。


「ねえ、キョウくん。今更なんですけどぉ?」

「うん?」

「彼女っていますぅ?」

「ううん、いないよ」

「ほんとかなあ?」

「あはは、ほんとほんと。実は初めてのデートなんだ」


 それどころかこんなにカワイイ女の子と話をするのも初めてである。


「ふうん? じゃあ、あの同級生の子は? 青い髪のちっちゃくて愛らしい子」

「ああ、シンコのこと? あはは、ないない」

「ずいぶんと仲が良さそうでしたけど?」

「シンコは弟っぽいというか、犬っぽいというか、とにかくそういうのじゃないんだよ」

「でも幼馴染みで、ずっと一緒にいるんですよねえ?」


 なんで知っているのかなと思ったけれど。

 たぶん学年主任に呼ばれたときにシンコがしゃべったのだと思う。


「というか、シンコとはずっと一緒じゃないんだよ」

「そうなんですかぁ?」

「実は、あの学校には転校して来たんだよ。それまでは別々の学校だったんだ」

「ふうん? じゃあ、そっちの学校に彼女がいたんでしょ?」

「まさか」

「シンコちゃんのほかにも、幼馴染みがいたりして」


 マリンさんは、じとっとした目で僕を見た。

 間違いない。

 シンコは、小早川イオリのことまでしゃべってる。

 僕は、ぎこちない笑みで言った。


「……いるにはいたけどさあ」

「ねえねえ、その人のことを詳しく知りたいですょ」

「うーん、あまり話したくないな」


 僕は話題をそらした。

 だけどマリンさんは、しつこく小早川イオリのことを訊いてきた。

 僕は、姉さんから「過去の話はするな」と言われていたから、懸命に質問をかわした。しかしマリンさんは引かなかった。僕も頑張った。で、しばらくそんな攻防が続いた後、マリンさんは、ちょこんと舌を出した。


「なんだか特別な女性ひとみたいですね」


 マリンさんは、スケベな笑みでそんなことを言った。




 ※


 お店から出て、夜道を散歩した。

 駅から少し離れ、公園に向かった。

 公園は、国道をまたぐ高架橋の先にある。

 僕とマリンさんは、雑談をかわしながら高架橋を渡った。


「チーズ美味しかったですね」

「たくさん食べちゃった」


 僕は、しあわせいっぱいで大きく伸びをした。

 と、そのとき、高架下を走る車が目についた。

 で。

 キーンと、激しい耳鳴りがした。

 耳もとで、オンナの声がささやいた。


『会場は、コシノクニ・グランドホテル。さあ、痴女のうたげのはじまりよ』


 つやっぽい、吐息ともあえぎともつかぬ声だった。



「ねえねえ、キョウくん? どうしたんですかぁ?」

「えっ? 今なんて?」

「なにか嫌なことでも思い出したんですか? そんな顔してますょ」

「ううん、なんでもない」


 僕は困り顔で頭をかいた。

 するとマリンさんが突然立ち止まった。

 じっと前を見たままでいた。

 僕は首をかしげながらも視線を追った。

 するとそこには――。


「おいっ、いたぞ!」


 美少女がこっちを指さしていた。

 学校の階段で見た、あの黒髪の美少女である。

 美少女は、部下の美女軍団に指示を出していた。

 部下は美少女にうなずくと、ゆっくりとこっちにやってきた。


「駅に戻りましょう」


 マリンさんは、彼女たちを見たままそう言った。

 僕の手を、ぎゅっと握りしめた。

 そして二歩三歩後ずさりした後、僕の手を強く引っぱった。

 そうやって駅のほうに駆けようとした――のだけれども。


 ガンッ!


 美少女がいきなり発砲した。

 それと同時に彼女の部下がダッシュした。

 しかし、その出鼻をくじくように、マリンさんがさっき買ったばかりの万年筆を、

 ビュッ! ――と、部下に向かって投げつけた。


「ぐはっ!?」


 部下はバランスを崩した。

 太ももを押さえた姿勢で、顔面から道路に突っ込んだ。

 あまりの衝撃のため、僕は呆然と立ちつくした。

 マリンさんは、そんな僕の手を引いて駅に向かった。

 すぐに路地に入り、美少女たちから逃れようとした。

 十字路を何度か曲がって、バスのロータリーに入ったところで、マリンさんは言った。


「ヤツらは公安です、狙いはあなた」


 今までとはまるで別人のような、キリッとした表情である。


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