その5
翌日の昼休み。
僕はシンコたちと昼食を食べていた。
今日の昼休みは、僕とマリンが別れる――予定になっている。
だから、目立ちすぎないよう教室から出ようとしたのだけれども、いきなりシンコたちに捕まってしまった。
「最近、マリンさんとずっと一緒じゃん。たまには付き合えよお」
シンコがそう言うと、悪友たちは僕の机にお弁当を並べた。
それからイスを持ち寄り、お弁当を食べはじめたのである。
そんなことをされては一緒に食べるしかない。
僕が困り顔で頭をかくと、サクラがチラリとこっちを見た。
だけど彼女は何も言わずカバンから文庫本を取り出した。
そして、ひとり読みはじめた。
おそらく、僕のそばにいて臨機応変にフォローを入れるつもりなのだろう。
が。
マリンはあの後なにも説明しなかったので、ぶっちゃけどんな段取りになっているのか、まったくの謎だった。
流れに身をまかせていればいいですよ――と、笑顔で言うだけだったのだ。
というわけで、僕はマリンとの約束はひとまず忘れて、シンコのバカ話に付き合っていた。
「ねえねえ、キョウ。キスマークなんだけどさあ?」
「なんだよシンコ、唐突に」
「いやあ、昨日のアニメなんだけど」
「あー、観た観た。キスマーク付けてたな」
「うん、それでね、ボクは調べたんだよお」
「キスマークのことを?」
「うん」
シンコは、ぴょこんと跳びはね微笑んだ。
僕たちがうながすと、シンコは嬉しそうに語りはじめた。
「キスマークをつける理由はね、乱暴に言うとズバリ『独占欲』なんだ。で、具体的な理由をひとつずつ見ていくと、これが男女で異なるんだな」
「男と女でキスマークをつける理由が違うのか」
「うん。男は『浮気防止』が主な理由だよ。浮気防止のために、彼女や妻にキスマークをつける。なかには『彼女からせがまれて』キスマークをつける人もいる」
「なんだかムカつく理由だな。で、女は?」
「『離れている時も思い出してほしい』っていうのが多いみたい。あとは『彼氏を困らせたい』からキスマークをつけるとか」
「うーん、迷惑な話だなあ」
僕は苦笑いでそう言った。
するとシンコたちは、スケベな笑みで僕の顔をのぞきこんだ。
僕が眉を上げると、シンコは話を再開した。
「ちなみにキスマークをつける場所によっても、意味は変わるみたい」
「キスマークの場所が?」
「うん、これは男女共通だね」
「たとえば?」
「首筋につける人は、相手に対して執着心が強いんだって」
「まあ首なんかに付けられたら、みんなから丸見えだし。そんなところにつけるんだから、うーん、やっぱり執着してるよな」
「えへへ。それでね、胸につけるのは征服欲や独占欲のあらわれらしい。キスマークをつけた相手を所有したいって気持ちが強いんだって」
「所有したい……なるほどなあ」
「で、背中にキスマークをつける場合なんだけど、これは自分にしか見えない場所なんだよね」
「ああ、背中にキスマーク付いてても、付けた本人にしか分からないよな」
「うん。でね、これは確認の意味合いが強いんだ」
「確認?」
「恋人に何かを伝えたい――というよりは、自分自身へのメッセージだね。つまり、『ボクはこの人が好きだ』っていう、そんな自分の気持ちを確認したくてキスマークを付けるんだって」
「はあ、なるほどなあ」
「言われてみれば、それっぽいでしょ?」
シンコはニッコリ笑った。
僕たちは大きくうなずいた。
素直に感心したからだ。
で。
ここまでは、いつもしているようなバカ話なのだけれども、よりによって今日はこれだけでは終わらなかった。シンコと悪友たちが、スケベな笑みで僕の顔をのぞきこんだのである。
「なあ、キョウ?」
「ん?」
「どこにあるんだよお?」
「なにがァ?」
「キスマーク」
「僕に?」
「「「「うん」」」」
シンコたちは笑顔で僕を囲んだ。
僕が思わず立ち上がると、悪友のひとりが後ろから羽交い締めにした。
シンコが背伸びして言う。
「首筋にはなさそうだなあ?」
「だから無いって」
「またまたぁ? 正直に言わないと調べちゃうぞ」
「止めろよっ」
「だって、さすがにマリンさんを調べるわけにはいかないだろお?」
シンコがそう言うと、一瞬、悪友たちが固まった。
たぶん、マリンの体についたキスマークを想像したのだと思う。
というか、言ったシンコが一番興奮していた。
妙な沈黙が流れた。
そしてしばらくの後、悪友たちはいっせいに僕に飛びかかった。
「おい、やめろよ」
「うるせえ、見せやがれ」
「だから無いって」
「ちくしょー。おまえだけ、あんな
「泣くな! 泣くなよ!!」
「キョウだけズルいぞ」
「ああン、ちょっと脱がさないでよ」
「あはは、キョウてめえ、女みたいな声あげるなよ」
「いやいや脱がさないでっ、ほんと笑い事じゃないから」
「えへへ。じゃあ、とりあえず胸から確認してみよっか」
「おい、ちょっと待ってくれよ」
などと僕たちが盛り上がっていると、マリンがちょうどクラスメイトと一緒に教室に戻ってきた。マリンは人気者だから、お昼はたいてい女子のグループに混ざって外で食べている。
「もう止めてくれよっ」
僕はシャツを脱がされながら、そんな情けない声をあげた。
するとシンコたちは、ドッと噴きだした。
で。
マリンは、そんな僕たちに気がつくと、するするとこっちにやってきた。
おそらく別れ話をする
「ああ、マリン」
僕はシンコたちを振りほどくと、彼女に声をかけた。
すると、バシン! ――っと、マリンはいきなり僕をビンタした。
不意を突かれた僕は、モロに食らって吹っ飛んだ。
イスや机を巻きこんで、派手にぶっ倒れたのである。
「痛ぁ……」
僕は苦痛をもらしながら顔をあげた。
すると僕の眼前で、マリンが仁王立ちをしていた。
彼女は、僕にしか見えないよう気をつけながら、ちょこんと舌を出した。
えへへ、やり過ぎちゃった――って感じ。
しかし手加減をしているといっても、凄腕スパイのビンタである。
「マジ痛え……」
ほっぺたをさすっていたら、なんだか笑いがこみあげてきた。
マリンは、そんな僕を叱りつけるように言った。
「もう我慢の限界よ!」
妙に実感のこもった言葉だった。
僕は萎縮した。
クラスのみんなもどよめいた。
チラリと見ると、サクラが懸命に笑いをこらえていた。
まったく、まるで人ごとのようじゃないか。
そう思って僕は口をとがらせていた。
すると突然、というか唐突にシンコが叫んだ。
「ごめん! マリンさんごめん!! 別に悪気があったわけじゃないんだよう。ボクたちは、マリンさんとキョウの邪魔をしてるわけじゃないんだ。むしろふたりのことを応援しているんだよ。ふたりの仲を裂こうとしていたわけじゃないんだよう」
「えっ?」
マリンは、きょとんとした顔でシンコを見た。
だけどシンコは、そんなマリンの表情を読み取れず、ただひたすらに謝った。
「イヤだよね? マリンさんだって彼氏の裸を見られたらイヤだよね? さわられたくないよね? ほんとごめんっ、ボクたち配慮が足りなかったよ。だから謝るから許してよお。ねえマリンさん、ボクたちと……それにキョウも許してあげて?」
「なんで!?」
僕は思わず変な声をあげてしまった。
するとみんなが一斉に僕を見た。
おまえは黙ってろ――みたいな顔だった。
僕は首をすくめ、それから救いを求めるようにマリンを見た。
マリンは、懸命に動揺を隠していた。
このタイミングで僕と別れることはできる。
だけど、この状況で別れを切り出すと、シンコのせいで別れたみたいになってしまう。
そういった結論にたどり着いた僕とマリンは、ただ呆然と立ちつくしていた。
永遠にも感じられる時が流れた。
その静けさを打ち破ったのは、ガタンという大きな音だった。
サクラが立ち上がったのである。
「ちょっと佐世保さん」
サクラはそう言って、マリンの前に出た。
マリンからシンコを守るように、ふたりの間に入った。
それからサクラは、マリンを真っ正面に見ると、低い声でするどく言った。
「私のことが気にくわないなら、気にくわないとハッキリ言え。貴様が怒っているのは、シンコさんに対してではない。私がキョウと仲良くしているから怒っている。そうだろう?」
「……ええ」
「だったら初めからそう言え。そうすれば、シンコさんを傷つけずにすんだ」
これじゃどっちが悪いのか分からない。
サクラがあまりにも堂々と言うものだから、マリンはうっかり謝りそうになった。
が、しかしここは謝ってはダメである。
マリンはあくまで被害者なのである。被害者じゃないと、僕はマリンと別れた後でサクラとくっつくことができないのである。
「あっ、僕は悪役か……」
しかもクラスのみんなから冷たい視線を浴びるほどの、ひどいヤツ。
僕は、自分の役まわりに今さら気がついた。
「そういうことか……」
僕は、サクラとキスをした罰として、マリンにキツイお
いやまあ、罰といっても、マリンは僕の彼女じゃない。
彼女のフリをしているだけである。
といっても、そこらへんが最近アイマイでよく分からないことになっているのだけれども。……。
「マリン! シンコさんに謝れ!!」
サクラは、そんなわけの分からないことを叫んだ。
クラスのみんなは、口をぽっかり開けたまま、なりゆきを見守った。
僕もシンコも当事者ではあるが、口をぽっかり開けたままである。
そんななか、マリンだけは目まぐるしく計算をしていたが、しかし彼女がなにか言う前に、サクラは行動を起こした。
「行くぞ!」
いきなり僕の手をつかんで廊下に出たのである。
※
「ちょっと!?」
「うるさいっ」
サクラは僕を連れて廊下に出ると、そのまま進んで階段を下りた。
昼休み終了のチャイムが鳴っても、彼女は構わず歩き続けた。
校舎から出て校門に向かった。
購買に入ったところでサクラは、ぼそりとこう言った。
「あのままではラチがあかん」
「でもマリンは?」
「ヤツもスパイだ。なんとか切りぬけるだろう」
サクラはそんな無責任なことを無表情で言った。
僕が眉をひそめると、彼女はイタズラな笑みをした。
そのまま僕の手を引いて、地下施設に入った。
僕がソファーに座ると、サクラはコーヒーを
「このまま午後の授業は休もうか。夕方は、コシノクニ・グランドホテルでパーティーだ。その時間まで、準備や打ち合わせをしたい」
「マリンは?」
「そのうち来るだろう」
「約束したの?」
「いや。来なかったら連絡する」
サクラは微笑して、カバンからスマホを取り出した。
それから電源を入れると、彼女は連絡先リストを立ち上げた。
と、そこで、ぶるるるるるっと、スマホは断末魔の振動を発した。
ディスプレイのライトが消えたのである。
「あっ!?」
サクラのスマホは、彼女の手のなかで沈黙した。
がく然とするサクラに、僕はうなずき自分のスマホを差しだした。
そして笑顔でこう言った。
「マリンのメアドなら僕も知ってるよ。これでも彼氏を演じていたからね」
サクラはしばらく僕の顔を見ていたが、ふいにまた微笑して言った。
「私のスマホには、認証キーが入っている。それがないと、この地下からは出られない」
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