その4

 翌朝。

 僕が教室に入ると、サクラはいきなり言った。


「昨夜のことだが」

「うん」

「あれは仕事だ。仕事でそういうことをしたのだ。いいな?」

「うっ、うん」

「忘れろ」


 サクラは低い声で短く言った。

 僕がうなずくと、サクラはニヤッと笑った。

 僕も自然とニヤッとしてしまった。

 僕たちは机に向き直ると、授業の準備をはじめた。

 チラッと見たら、サクラも同じタイミングでこっちを見た。

 僕とサクラは目と目が逢うと、同時にニヤッとした。

 あわてて目を逸らした。

 それから、またチラッと見た。

 目が逢うとやはりニヤッとした。

 あわてて目を逸らした。

 これではまるで中学生、いや、小学生である。


「キョウ、あまりニヤニヤするな」

「うん、でも」

「なんだ」

「サクラだって」

「うるさい」

「うん」

「笑うな」

「サクラだって笑ってるし」

「笑ってないっ」


 僕とサクラは、ずっとこんな感じで過ごした。

 そしてあっという間に放課後になった。

 僕たちは、別々に地下施設に向かった。――




 ※


 修理部に少し顔を出してから、階段の隙間に行った。

 するとそこにはマリンがいた。

 彼女は、僕を見ると壁に鍵を刺した。

 どうやら僕が来るのを待っていたらしい。

 僕は小走りで彼女のもとに行き、急いで階段を下りた。


「今度、入りかたを教えますね」


 マリンはそう言って階段を駆け下りた。

 施設に到着すると、すでにサクラがいた。

 食卓のようなテーブルでコーヒーを飲んでいる。

 僕はとりあえず彼女の正面の席に座った。

 サクラは、僕を見ると口もとだけで笑った。

 僕もつられてかすかに笑った。

 しばらくするとマリンが飲み物を持ってやってきた。

 マリンは、僕とサクラの顔がよく見える席に座った。

 飲み物を一口飲んだ。

 それから彼女は、僕とサクラを交互に見ると、ニコッと笑った。

 その笑顔を見て、僕もサクラもマリンの言いたいことを察した。

 サクラがすぐ言った。


「マリン、実はそのっ」

「キョウくんから直接聞きたいです」


 マリンは、サクラの言葉をさえぎり、ピシャリと言った。

 それからマリンは僕を見た。

 サクラも僕を見た。

 マリンが微笑んだ。

 僕はこのときほど、マリンの笑顔を恐ろしいと思ったことはない。

 僕は大きくツバをのみこむと、言葉を選びながら言った。


「昨日の夜、サクラとキスをした」

「それから?」


 マリンは笑顔のまま聞いた。

 僕は正直に答えた。


「それだけだよ。そのまま家に帰って後はなにもない」

「昨日が初めてだったんですか?」

「うん」

「はあ。たったそれだけのことで朝からずっとニヤニヤしてたんですか」


 マリンは、ため息をつくと思いっきり弛緩しかんした。

 僕とサクラは、ぎこちない笑みで固まった。

 マリンは、すこし考えた後、サクラを真っ正面に見て言った。


「サクラさん、役割交換しません?」

「えっ!?」

「これからはサクラさんが、キョウくんの彼女の役をやってください。私はクラスメイトとしてキョウくんを警護します」

「いやっ、しかし」

「そっちのほうが楽なんです。警護に集中できます」

「うーむ」


 サクラが僕を見た。

 マリンは笑顔でサクラを見たままだった。

 そのまま話を続けた。


「サクラさんが彼女を演じたほうが、クラスのみんなも納得します。もともとキョウくんとサクラさんは、転校した日から仲が良かったですし、それに今日のふたりの態度も、ちょっとしたウワサになっているんですよ?」

「ウワサ!?」

「エッチしたんじゃないかって」

「「はあァ!?」」

「私もそう思ってました」

「いや、しかしっ」

「はたからはそう見えていましたよ」


 マリンは、まるで母親のような笑みでそう言った。

 それから彼女は自嘲気味じちょうぎみに笑うと、ため息を混じりにこう言った。


「私、疲れちゃいました。キョウくんがちゃんと私のことを好きなのか分からない……」


 僕とサクラは言葉をつまらせた。

 返す言葉が見つからない。

 どんな顔をしていいのか分からない。

 そんな僕たちを笑顔で見て、マリンはこう言った。


「というわけで、サクラさん。役割を交換したほうがよろしいかと思うのですが、いかがですか?」

「うっ」

「指揮官はサクラさんです」

「うむ」

「決断を」

「……分かった。それがベストだ」


 サクラは噛みしめるように、うなずいた。

 マリンはサクラにうなずき、それから僕を見た。

 僕が口をとがらせると、マリンはニコッと笑った。

 それからサクラに作戦会議を始めるよう、うながした。


「分かった」


 サクラは気持ちをリセットするように、コーヒーを一口に飲んだ。

 それから資料を僕とマリンに配った。

 そして、作戦会議を始めるのだった。




 ※


「それでは、海上自衛隊の内通者の捜索・暗殺についてだが――」


 サクラは、いつもの無表情で無感情に言った。


「明後日の早朝、対痴たいち哨戒艇しょうかいてい『CJ-1・デバガメー』の試験運用をコシノクニで行う――という情報を流した。今は、市内に入った海自の人間を、コシノクニ・グランドホテルに宿泊するよう誘導しているところだ。明日の夕刻、海自主催のパーティーがホテルで行われるという理由でな」

「そのパーティーで内通者を捜すのですね?」


 マリンが聞いた。

 サクラはうなずいた。


「もちろん、我々3人もパーティーに参加する。そこでキョウ、参加者をエキサイターで確認してくれ」

「うん、でも」

「今回の痴女は、エキサイターで正体を暴けない。しかし、貴様は痴女の声が聴こえる。痴女の文字が視える。それでなんとか見つけ出すしかない」

「何人くらいいるの?」

「今のところ30人、当日は多くても50人だろう」

「そんなに?」

「ハンドジョブのように、普段は男性の姿かもしれない。犯人はしぼりこめない」

「じゃあ総当たり?」

「そうなるな」

「『荒馬の痴女・ジョイライド』とかいうヤツの特徴からしぼりこむのはダメ?」

「ダメだ」


 サクラは断言した。

 マリンが笑顔で補足した。


「ジョイライドの情報が役に立つのは、暗殺のときです。それも暗殺に失敗して、ジョイライドと正面衝突したときですよ」

「内通者の正体がジョイライドとは限らないからな。一番良いのは、内通者に気付かれず、しかも内通者の正体がジョイライドなのか分からない段階で、暗殺に成功することだ」

「なるほどね」


 僕が納得すると、


「ジョイライドのことは、今は忘れて良い」


 と、サクラは言った。

 資料をめくって、それからこう言った。


「さて。というわけで、我々3人は明日の夕刻『コシノクニ・グランドホテル』で捜査を行う。キョウとマリンは、恋人としてパーティーに参加。私はウェイトレスに変装、ふたりのサポートを行う……という作戦だったのだが」


 サクラは、マリンの顔色をうかがった。

 するとマリンは笑顔で言った。


「サクラさんとキョウくんがカップルで参加したらどうですか? 私がウェイトレスをやりますよ」

「うーむ」


 サクラは、うつむき、口に手をあてて考えこんだ。

 僕は彼女の顔をのぞきこんだ。

 するとサクラは眉をしぼって、するどく言った。


「うるさいっ。貴様のことなど、どうでもいいっ」


 だけど口もとは笑ってる。

 そんなサクラを見て僕はニヤッと笑った。

 こほんと、マリンがわざとらしくせきをした。

 で。

 しばらくの後、サクラが言った。


「しかしマリン。ここはマリンが彼女として同行したほうが良くないか?」

「なぜです?」


 マリンが笑顔で聞いた。

 サクラは理路整然と話した。


「パーティーには、海自の面々が集まるわけだろう。やはり海自の慣例などに詳しいマリンが適任だと思う。キョウとその彼女は、海自の関係者として参加するわけだしな」

「そこまでの知識を必要とします?」

「あったほうがいい。これは海自に限ったことではないのだが、そもそも組織には独特の文化がある。敬礼のしかたすら組織ごとに違うではないか。そういった些細なところから内通者が見つかるかもしれない」

「分かりました。では、会場には私が彼女として行きましょう」


 マリンは、かしこまってうなずいた。

 指揮官の命令には絶対服従、そんな感じの顔だった。


「「よかった」」


 僕とサクラは、安堵のため息をついた。

 マリンはしばらく黙っていたが、やがて笑顔でキッパリ言った。


「ただし、それ以外の時間は、サクラさんが彼女のフリをしてください」

「え?」

「パーティーでは、私がキョウくんの彼女を演じます。でも、それ以外はずっとサクラさんが彼女でお願いします」

「「それはっ」」


 僕とサクラは、口をぽっかり開けたままで固まった。

 するとマリンは、くにゃりと姿勢を崩し、ころころと笑った。

 そして言った。


「それくらいの気持ちの切り替え、できますよね?」


 どんな男も鼻の下を伸ばさずにはいられない、蠱惑的こわくてきな姿態である。

 が。

 それが同性のサクラには、はらわたが煮えくりかえるほど憎らしく見えたのだと思う。

 サクラの顔色がサッと変わった。

 挑発に乗った。


「当たり前だっ」


 みごと釣られたのである。

 マリンは可愛らしくガッツポーズをすると席を立った。

 それから資料をカバンにしまい、彼女はイタズラな笑みでこう言った。



「ということで、サクラさんにキョウくん。楠木キョウと佐世保マリンは、明日のお昼休みに別れます――そういう演技をしましょう。で、キョウくん。私は教室を飛び出しますから、その間に、サクラさんとくっついてくださいねっ」


 腹が立つほど愛くるしい、可愛げがあって憎めない、それどころかきつく抱きしめたくなるほど扇情的せんじょうてきな、そんなマリンのスネかたなのだった。


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