その2

 家に帰ってから、僕は門の外にずっといた。

 ずっとそわそわしていた。

 20時になると、シルバーの中型バイクがやってきた。

 マリンさんだった。


「こんばんはぁ」

「あっ、どうも」

「えへへ。どうしたの?」

「いやっ、バイクとマリンさんの組み合わせがなんか意外で」

「私、こう見えて自衛官なんですよ? 車輛や船舶の免許は結構持っているんですぅ」

「そうなんだ」

「ねえねえ、はやく行きましょう?」


 マリンさんはそう言って、ヘルメットを差しだした。

 僕はそれを被ると、マリンさんの後ろにまたがった。


「って、すんません」

「ううん、遠慮なく。ぎゅって抱きしめてね」

「でも」

「ほら、上半身をぐいっと私の背中に被せてください」

「こっ、こうかな」

「ああんっ」


 マリンさんは、甘ったるい声をあげて仰け反った。


「ごっ、ごめん」

「えへへ冗談ですよぉ」

「えっ」

「でも危ないですから、ちゃんときつく抱いてくださいね」


 マリンさんはそう言って、バイクを発進させた。

 大きな道に出ると、彼女は思いっきり前傾姿勢になった。

 その姿勢のまま、お尻をぐりぐりと後ろにやってきた。

 というより、僕の股間にこすりつけてきた。


「ああん、ダメですよお。誤解しないでくださあい」

「いや」


 そんなことを言うけど、こんなことをされたら「誤解するな」というほうが無理である。

 僕は懸命に股間をセーブしながら、しかし、彼女の背中に上体をかぶせた。

 マリンさんは、おっぱいがぷるんぷるんしているというのに、肩が華奢きゃしゃでしがみつくには、ずいぶんと頼りなかった。

 僕は彼女の体をなぞるように手を下にやった。

 だけど、腰はくびれてもっと頼りなかった。

 一瞬、おっぱいにワシっといってやろうかを思ったけれど、さすがにそれはためらわれた。で、最終的には、僕の手は彼女の腰をつかんでいた。マリンさんの腰は他の部分が華奢なだけに、いっそうボリューム感があるように感じられた。


「んもう、気持ちよくしないでえ」

「あっ、いや、ごめん」

「まったく。キョウくんってヤるときはヤる男なんですね」


 マリンさんは、可愛くスネた。

 それからバイクの速度をゆるめた。

 あたりを見まわすと、ここは見慣れた景色だった。

 僕は首をかしげた。

 するとマリンさんは、バイクを停めてこう言った。


「着きましたよ」


 コシノクニ高専である。

 マリンさんは、僕の手を引いて夜の学校に入った。――




 ※


 人の気配のまったくない特別教室棟だった。

 僕とマリンさんは、視聴覚室に入った。

 彼女は、カーテンをすべて閉め、電気をつけるとこう言った。


「博士に会ってもらいます。海上自衛隊で一番の科学者です」

「えっ?」

「痴女ウィルスの無毒化、兵器化にたずさわった人物で、エキサイター開発のキーパーソン。そして、唯一の生き残りです」

「そんな人物に、なぜ?」

「キョウくんから痴女ウィルスを取り出します。これはキョウくんを助けるための最善策ですょ」


 マリンさんは笑顔でそう言った。

 そのとき、ガラッと扉が開いた。

 白髪の婦人と、そしてなんと桜田門サクラだった。


「えっ? なんで?」

「公安と海自の上層部が手を組んだ。これからは共同作戦となる」

「ん? ということはキミたちは仲間ってこと?」

「公安の桜田門サクラと、海自の佐世保マリンは、今日付けで『楠木キョウ対策チーム(仮)』に配属されたのだ」


 桜田門サクラは、背筋を伸ばしてそう言った。

 まるで軍隊みたいな言いかただな――って思っていたら、ピシッと敬礼をした。

 そういうところが、ひどくロボットくさい。

 彼女は整った顔をしているから余計そう思う。


「では、さっそくエキサイターのテストをさせてください」


 白髪の婦人……博士が、にこやかにそう言った。

 僕は、おとなしく指示に従った。

 席について大型ディスプレイで映像を見た。

 外国の政治家や起業家が映し出されると、その都度、博士は質問をした。僕はそれに答えた。やがて博士は質問をしなくなった。

 というのも、僕が激しい耳鳴りに襲われたからだ。

 エキサイターが映像に反応し、政治家の正体が痴女であることをあばきだしたのだ。

 すべてが終わると、博士は僕の脳波を見ながらこう言った。


「素晴らしい。理性を失わず痴女化しないまま、痴女の能力だけを手に入れている。完全にエキサイターに適応しています」

「彼から痴女ウィルスを摘出てきしゅつできますか?」

「できますとも」

「では、さっそくお願いできますか?」

「あはは。明日以降、研究施設に来てください。すぐに準備しますよ」

「よろしくお願いします」

「ええ。しかし惜しいですね、人間で初めての感染者、しかも成功例だと言うのに」


 博士は、僕を見ながら名残惜なごりおしそうに言った。

 桜田門サクラがわざとらしいせきをすると、博士は、ちょこんと舌を出した。高名でご高齢にも関わらずチャーミングな博士なのだった。


「では、今後については作戦本部から連絡があります」


 桜田門サクラが、ぴしゃりと言った。

 そして、この言葉で今日は解散となるのだった。――




 僕はマリンさんのバイクで家に帰った。

 信号で停車しているときに、僕は彼女を誘った。


「あの、もしよければ明日なんだけど、姉さんたちとディナーはどう?」

「えへへ。いですょ」

「ありがとう。たぶんシンコが言っちゃってると思うんだよね、キミと僕のこと」

「あー、それで歓迎会なんですね」

「うん、姉さんは僕に彼女ができるのを楽しみにしていたからね」

「じゃあ、頑張って期待にこたえなくちゃ」

「ねえ、マリンさん」

「はい?」

「痴女ウィルスの摘出手術が成功したら、僕たちの関係は終わり?」

「……そういえば、そういうことになりますかね」

「そっか」

「…………」


 マリンさんは、無言でバイクを走らせた。

 僕は言った。


「マリンさん。今夜は最高で、生まれて初めての2回目のデートだったよ」

「もう。サクラさんの隣の席になってから、皮肉が上手くなりましたよね」

「いや、そんなつもりじゃ」

「……ちょっと夜景を観てから帰りません?」

「うん」

「あと、テクニシャンなオサワリはバイクを降りてからにしてください。力が抜けちゃって危ないんで」




 ※


 家に帰った。

 すると姉さんがものすごい勢いでやってきた。


「ちょっと、キョウ! 昨日の女の子と付き合うことになったんだって!?」

「ああ、うん、そのことなんだけど。明日、うちでホームパーティーしない?」

「彼女をつれてくるのね?」

「もちろん」

「分かったわ。姉さん、張りきって料理するわね」

「うっ、うん。あんまり興奮しないでよ」


 僕は露天風呂に逃げこんだ。――



 お風呂につかって、いつものように手足を伸ばした。

 タオルを頭に乗せて、遠くの日本海を眺めた。

 ためた息を一気に吐き出した。

 すると疲れがドッと出て、そして回復していくように感じられた。

 と、このとき僕は露天風呂の管理サイトにチェックを入れなかったことに気がついた。


「まっ、いいか。どうせ僕しか使ってないし」


 僕はそんな無責任なことをつぶやいた。

 それから、すいぃーっと入口とは反対側、景色がよく見えるほうに行った。

 お風呂のなかを呑気に進んだ。


「そういえば、あの林から小早川イオリが現れたんだっけ」


 僕は、なんだか急に恐ろしくなった。

 いや、別にイオリが恐ろしいわけではないけれど、しかし、あの林はイオリ専用の出入り口というわけでもない。イオリが侵入できたということは、それ以外の者も侵入できるのだ。そう。たとえば痴女とかいうあの不気味な連中も。……。


「すいぃぃいいい――……」


 僕は、たちまち反転し、もといた場所に戻ろうとした。

 平泳ぎのように両手で湯をかいて、しゃがんだ状態ではあるけれど、それでもできるだけ早く歩いた。できるだけ音を立てないようにした。

 そうやって僕は、入口の近くに戻ろうとしたのである。

 が。

 そんな僕の眼前で――。


 ぽちゃん。


 と、すらりとした白い足が湯に入った。

 しかもそのすぐ後を追って、もう一本の足も入った。

 僕はアホみたいな顔をして視線を上に移した。


「あっ」

「えっ」


 真っ白な足の持ち主は、桜田門サクラだった。

 彼女はタオルを抱き、あ然として僕を見下ろしていた。

 もちろん僕も喪心状態である。


「「……………」」


 永遠にも感じられる沈黙が流れた。

 桜田門サクラは腰をおろし、湯船にようやく浸かった。

 ぼそりと言った。


「すまないっ。男女の混浴は禁止だったな」


 かすかにつぶやいたのはさすがだが、声はわなわなとふるえている。


「ふるえてる?」


 僕は桜田門サクラが羞恥しゅうちに身もだえていることに気がついた。

 そして、そのことに違和を感じた。

 なぜなら彼女は警視庁公安部の監察官エージェント

 男に裸を見られて恥ずかしがるというのは、僕のもつ女スパイのイメージとまるで違う。真逆ともいえる。女スパイならむしろ自信満々に見せつけて、誘惑してきそうなものである。

 と。

 僕が首をかしげていると、桜田門サクラは思いっきり虚勢を張った。


「べっ、べべべ別に恥ずかしいわけではないっ」


 彼女はそう言って、つんと澄ました。

 タオルで隠してはいるが、実に堂々とした態度である。

 しかも僕に挑むような目を向けている。


「ふふんっ」


 まるで見栄っ張りを絵に描いたような笑み。

 やけっぱちと言ってもいい。

 自暴自棄じぼうじきと言い換えるのもひとつだろう。


「あの、桜田門さん?」

「ななななんだあっ?」


 桜田門サクラの声はうわずって、しかも途中から裏返っていた。

 僕は、そんな彼女の取り乱しっぷりに、ちょっとめんどくさいなと思った。


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