その6
「とりあえずキョウくんと、最後までヤッちゃってもらえません?」
と、マリンが言いだしたのが、この、世にもバカげた関係のはじまりだった。
「ねえ、イオリさん。私って――もってまわった言いかただったけど、私なりの精一杯の言いかたで――キョウくんに告白したんですよ?」
「知ってるよ」
「それなのに、キョウくんは隠れてイオリさんと
「えへへ」
「それを私に黙ってた。イオリさんが『私に会いたい』って言わなければ、たぶんずっと黙ってました」
「
「好感度が思いっきり下がった状態です」
マリンは笑顔で、だけどピリピリした感じで言った。
僕が弁解しようとすると、マリンは僕の口を手でふさいだ。
そして、そのままイオリとふたりで会話した。
「だからイオリさん。とりあえずキョウくんと、最後までヤッちゃってもらえません?」
「おまえに指示される筋合いはないよ」
「指示ではありません。あなたに協力する条件です」
「……それは要するに、今後、キョウちゃんの好感度が上がることを意味している? ヤるかもしれないから先にヤレってこと?」
「仕事と割り切ってキョウくんの彼女のフリをし続けることはできます。でも、こんなことを言っているってことは、私、きっとヤキモチを妬いているんです。まだ2割くらい本心から好きなんだと思います」
「今は、演技8割、本心2割でキョウちゃんと付き合っているんだね?」
「おそらく」
「ふうん?」
「そもそも私の名前は『佐世保マリン』ではありません。海自は、公安と違って本名で諜報活動を行いませんので」
「いわゆるスパイ観の相違ってやつだね」
「私は、自分が佐世保マリンなのか、佐世保マリンを演じているのかすら、時々分からなくなります。ですから、キョウくんへの想いも演技なのか本気なのか、あいまいでぼんやりしていて本当に自分でもよく分からないんです」
「やっぱり、おまえは優秀なスパイだね」
「理解してもらえます?」
「よく分かるよ」
そう言って、イオリは僕を思いっきり引っぱった。
自身のヒザに僕の頭を押しつけ、強引にヒザまくらにした。
そしてイオリは、イタズラな笑みでマリンに言った。
「おまえの気持ちはよく分かる。分かるからイジワルをしてあげる。イオリは、キョウちゃんとの関係を慎重に進めることにしたよ」
「あっ!?」
「キョウちゃんが押し倒してくれるのを、ずっと待つことにする」
「……長期戦になって不利になるのは、あなたもですよ?」
「サクラの倒しかたなら知ってるよ」
「それって、私も恩恵を受けられますか?」
「イオリにとって一番手強いのは、おまえだからね。イオリは、好もうと好むまいと、おまえ以外の女を先に排除することになる」
「だったらその条件でいいですよ。私はイオリさんに協力します」
マリンの声色が、パッと華やかなものになった。
イオリも肩の力が抜けて、なんだかホッとしたようだった。
ふたりは僕を起き上がらせると、僕の目の前で握手をかわした。
イオリは握手をしたまま言った。
「ところで、海自はイギリスの流儀がしみついてるというウワサだけど?」
「否定はしませんよ」
「二枚舌外交・三枚舌外交はお手のもの?」
「人によります」
「ふうん?」
「イオリさんに散々共感しておきながら、今晩キョウくんと最後までヤッちゃう……そういうことを私はするかもしれません」
「そんなことしたらイオリ、自分のことをおさえきれないよ」
「ですよねえ。でも、いい雰囲気になったら止めることなんてできないじゃないですかあ」
「あはは、やっぱりマリンは手強いね」
「えへへ、やっとマリンって呼んでくれました」
「イオリは、初めからマリンのことを認めてるよ」
「私もです」
「男の趣味が同じだけあるね」
「ほんとそうですね」
などと、ふたりは僕の目の前で言うのである。
僕は戸惑いながらも、ため息をついた。
するとマリンとイオリに左右から
※
「なにか飲み物、取ってくるね」
イオリはそう言って、キッチンに向かった。
僕とマリンはソファーでくつろいだ。
僕はマリンに言った。
「黙っててごめんね」
「うん」
僕たちは肩を寄せあって、ソファーに深く沈みこんだ。
しばらくするとイオリが飲み物を持ってやってきた。
と。
そのとき、リビングの扉がガチャリと開いた。
「あっ」
サクラだった。
サクラは僕とマリンを見て、それからイオリを見ると、僕たちの制止に耳を傾けることもなく、いきなり、
ダダンッ!
イオリの胸に2発、弾丸を撃ちこんだ。
心臓を撃ち抜かれたイオリは、ぶっ倒れた。
「小早川、貴様ァ!」
サクラは拳銃をイオリに向けたまま、彼女のところに向かった。
そこにマリンが飛び出して、サクラの前に立ちはだかった。
僕は腰を浮かせただけで、なにもできなかった。
マリンが言った。
「イオリさんは味方です! 公安に痴女が
「……。とにかくトドメを刺してからだ」
「話を聞いてくださいっ」
マリンはそう言ってサクラの拳銃を握った。
サクラは拳銃をおろし、倒れているイオリを覗きこんだ。
するとイオリは、むくりと起き上がった。
それから苦しそうな顔でサクラに微笑むと、彼女はこう言った。
「エキサイターで痴女なみの生命力になっている。次からは、頭を狙うんだね」
サクラはしばらく黙っていたが、やがてつぶやいた。
「話を聞こうか」
その後、僕たち4人はテーブルを囲んだ。
マリンがサクラに事情を説明した。
イオリはマリンにまかせっぱなしでなにも話さなかった。
サクラは状況をすばやく理解した。
イオリの言うことを信じたようだった。
「分かった。それでは公安の上層部に報告しよう」
「ダメですよ、サクラさん。イオリさんの上司は痴女ですよ。報告したら痴女たちにイオリさんのことが広まっちゃいます。暗殺されますよ」
「その痴女のことも報告するから問題ない。そいつを避けて伝達されるはずだ」
「あのっ、痴女はその上司だけとは限らないんですよ? 組織内で増えてるかもしれません」
「そうか……」
サクラは、口に手をあてて考えこんだ。
だけどイオリは、まるで他人事のようだった。サクラのカバンを勝手に開けて、なかの資料を興味津々といった感じで眺めている。
そんなイオリを、サクラはしばらく無視していたが、やがて目障りに感じたのだろうか、イオリの手から資料を引っつかんだ。
すると、イオリはニコッと笑ってこう言った。
「その公務員宿舎で死んだ痴女……イオリの上司だよ」
「「「えぇっ!?」」」
僕たちの口から同時に驚きの声があがった。
サクラはすばやく状況を整理をした。
そして言った。
「死んだ痴女は、イオリに指示を出した痴女。鑑識の結果は実は『自殺』だったのだが、これは作戦失敗の責任を取っての行動か?」
「痴女は、アリやハチの生態によく似ています。自殺しろと、命令を受ければ素直に従います」
「いずれにせよ、こいつから仲間がたぐれなくなったわけだ」
「最悪の場合、公安上層部のすべてが痴女になっている……可能性がありますね」
「警視庁そのものを
「しかし、鑑識結果が自殺とは……やっかいですね」
マリンはそう言って、飲み物を口にした。
僕たちも飲み物を飲みながら考えた。
やがてイオリが言った。
「ねえ、公務員宿舎に行ってみない?」
「行くって、撃たれたとこ大丈夫? 動いても平気なの?」
「大丈夫。たぶん数日で傷跡すらなくなるよ」
「ほんとに?」
「マリンに撃たれたところは、そんな感じだった」
「……すごいな」
「えへへ。だから行こう? エキサイターで視てみようよ」
「エキサイターで?」
「キョウちゃんかイオリの能力が、なにかに反応するかもしれないよ?」
それしかない――と、誰もが思った。
というわけで、僕たちは公務員宿舎に向かうのだった。
※
公務員宿舎には、サクラの車で向かった。
すっかり日は暮れて月が出ている。
僕は助手席、マリンとイオリは後部座席だった。
車に乗ってしばらくの後、僕はサクラに言った。
「勝手に家に入ってごめん」
するとサクラは、運転しながらこう言った。
「どうせ場所は、イオリが指定したんだろ。気にするな」
「でも」
「見られて恥ずかしいものなど、なにもない。それは後ろのふたりも承知の上だ」
「はあ」
「ところで。貴様は以前、私に『イオリの事情聴取はしないのか』と
「うん」
「今思えば、貴様はあのときイオリに接触を受けていたのだな」
「いやっ、まあ」
「気づくべきだった。つらい思いをさせたね」
「そんなァ。気にしないでよ」
僕が頭をかきながらそう言うと、後部座席から、コホンコホンコホンっと、ふたりのわざとらしい
イオリが可愛らしくスネて言った。
「ねえ、サクラ。イオリはね、キョウちゃんとファーストキスをしたんだよ」
「ああ」
「キョウちゃんはね、イオリとファーストキスをしたんだよ」
「そうか」
「横取りしないでね」
「するかっ」
「言ったね? 武士に二言はない、だよ?」
「もっ、もちろんだっ」
サクラは、ぶっきら棒に言った。
するとイオリはマリンに向かって、だけど僕たちにも聞こえるように、大声で言った。
「前にもサクラとはね、『魔界転生』って山田風太郎の小説を貸したときに、同じようなやりとりをしたんだよ」
「二度と読むか……みたいな感じ?」
「そうそう。で、一年後どうなったと思う?」
「どうなったんですか?」
「山田風太郎の小説がね、サクラの本棚に全部並んでた」
「すべての著作が!?」
「絶版のレアなヤツまであった。イオリは驚くよりも
「じゃあ今回も?」
「やりかねないよ」
イオリは、ため息混じりにそう言った。
するとサクラは、大げさに
後ろから、イオリとマリンのクスクスと笑う声がした。
やがてサクラは、速度を落としてこう言った。
「到着した。立ち入りの申請はしていないから、さっさと終わらせるぞ」
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