その3

 この日の痴女捜査は、説明だけで終わった。

 サクラが「解散!」と言った後、僕は視聴覚教室を追い出された。

 おそらく警視庁やコシノクニ署の人たちを交えて、再び会議をするのだろう。

 修理部に寄ったらもう誰もいなかった。

 僕はひとりで帰路についた。

 結局、マリンとはふたりきりで話す機会を作れなかった。――



 夕食は、姉さんと一緒に食べた。

 しばらくくつろいだ後、僕は露天風呂に入った。

 湯船に肩までつかり、手足を伸ばして日本海を眺めみる。

 ここは僕が独りになれる貴重な空間だ。

 と。

 思っていたのだが。


「やあ」


 サクラが競泳用水着でやってきた。

 僕は口をぽっかり開けたままでコクンとうなずいた。

 するとサクラは、するりと湯船につかり、僕の隣に座った。

 まるで剣の達人のような隙のない動き、僕は風呂から出るタイミングを完全に失った。

 サクラが言った。


「捜査協力ありがとう。突然、捜査の指揮をまかされたせいもあって、先程はキツい言いかたをしてしまった。許してほしい」

「いや別に、気にしてないよ」

「ありがとう。この水着はお詫びというかサービスだ。こんな私で申し訳ないが、一緒に露天風呂につかることを楽しんでもらえれば幸いだ」

「あはは、そんな気にしないでよ」


 と言って舐めるように見たら、


「イヤらしい」


 と鋭く短く言われた。

 僕はおどけて困ったような笑い顔をした。

 するとサクラは頭をさげて、胸を隠す手をどけた。

 それから背筋を伸ばして胸を張った。

 だけど顔を背け、ほっぺたを羞恥で赤く染めている。

 それどころか耳まで赤くなっている。


「あれ? サクラ、もしかして泣いてる?」

「泣いてないっ」

「でもなんか涙目になってるよ?」

「そんなことはないっ」

「うーん。まあいいけど、嫌なら無理しなくていいからね」


 僕はサクラを気づかいながらも、ちゃっかり彼女の水着姿を堪能した。

 サクラは、ストレートの黒髪に切れ長の瞳といったシャープな美人――なのだけれども、実は着やせするタイプである。競泳用水着にしめつけられた彼女の白い肌は、むっちりと強調されていて、ぷっくらと色々なところから美味しそうに、はみだしていた。ぶっちゃけ裸よりもエロいと思う。……。

 いつまでもじろじろ見ているわけにもいかないので、僕はすこし気になっていたことを訊いてみた。


「ねえ、そういえばこの前イオリに監禁されたんだけど」

「ああ」

「そのときのことを言わなくていいの? イオリとどんな話をしたとか、どんなことをされたとか」

「なんだ、個人的に聞いて欲しいのか?」

「いや、そういうわけじゃないけどさ。事情聴取っていうのをしなくていいのかなって」


 僕がぼんやり訊くと、サクラは僕を真正面に見た。

 それから仕事のときの顔になって、彼女はこう言った。


「自分は、小早川イオリの捜索からは外れている。貴様の担当が私の仕事、イオリは別の人間が追う」

「はあ」

「役割分担。もし事情聴取が必要なら、そのときは別の人間がするだろう」


 サクラは、ぴしゃりと言った。

 相変わらず可愛げのない言いかたである。

 僕はムッとして、思わず言葉尻をつかまえてしまった。


「さっき、『イオリの捜索から外れている』って言ったけど、イオリと仲良いの?」

「なぜだ」

「いや、テレビの刑事ドラマなんかだと、親しい人が容疑者のときは、事件の担当から外れるよね? そんな感じなのかなって」

「べっ、別に公安にそういう配慮ないっ。そもそも私は、貴様の担当になる前はイオリ捜索チームを率いていたのだっ」

「あはは、サクラって分かりやすいよね」

「なっ!?」

「やっぱりイオリと親しいんだね」

「……ああ」

「親友だったとか?」


 僕はそう言って、サクラの顔をのぞきこんだ。

 するとサクラの顔色がさっと変わった。

 どうやら僕の気づかうような表情に、彼女はひどく誇りを傷付けられたようだった。

 サクラは、突然立ち上がって僕を見下ろした。

 それからキッとにらみつけると、吐き捨てるようにこう言った。


「あんなヤツ、親友でもなんでもないっ」


 そしてサクラは露天風呂から出ていった。

 その後ろ姿を、僕は口をぽっかり開けたまましばらく見ていた。

 競泳用水着にしめつけられた彼女のお尻は、ぷるんとほっぺたが顔を出していた。食いこみ気味の水着で歩くサクラの後ろ姿は、普段の清楚な彼女とはまるで別人のように、ひどくいやらしかった……――。





「――……キョウちゃん」

「ひゃあ!?」


 突然後ろから声をかけられた僕は、変な声をあげてしまった。

 振り向くとイオリが湯船から顔を出して、僕を見上げていた。

 僕はツバをゴクリとのみこんだ。

 するとイオリは、ぶくぶくと浮上しながら僕のそばまでやってきた。

 そして全裸のイオリは僕の横に座ると、ぴとっと体を密着させてきた。

 イオリは甘えてこう言った。


「キョウちゃんって、サクラとふたりきりのときは責め責めなんだね」

「あっ、そうかな?」

「サクラは男性恐怖症だからそうなるよね」

「ああやっぱり男苦手なんだ」

「たぶん、サクラの人生で一番話をしている男はキョウちゃんだよ?」

「あはは、まさか」


 と僕は笑って頭をかいたけど、そのあとでふいにうそ寒いものに襲われた。

 イオリは、サクラを殺そうとはしないだろうか。


「えへへ、大丈夫だよお。サクラとキョウちゃんは、そういう関係にならないもん。キョウちゃんはガンガン責める女の子じゃないとダメだから」

「うーん、そうかもね」

「でもイオリは、ちょっとうらやましいかなって思ったかも。たまにはキョウちゃんからガツガツ来てくれると嬉しいな」


 イオリはそう言って、僕の首に両腕をからみつかせた。

 そうやって、じっと僕の目を見つめた。

 沈黙にたえきれず、僕は彼女の腰に手をまわした。

 するとイオリは、まるで全身に電流が走ったような、そんなよろこびかたで身もだえた。

 瞳にハートマークが映ってる――イオリはそんな顔で僕を見ている。


 このままでは一線を越えてしまう。


 そう思った僕は――童貞らしい身持ちの堅さ、初体験の相手を選り好みする尊大さもあって――話題をそらした。


「ところで、イオリって『コシノクニィー語』って覚えてる?」

「うん覚えてるよ」

「今日の朝、あれからシンコと学校に行ったんだけど、そのときちょっと話になったんだよ」

「うん知ってる」

「えぇっ!?」

「キョウちゃんのことは全部知ってるよ」


 イオリはキラキラの笑顔でそう言った。

 ただしその瞳には、病んでる子特有の妖しい光を宿している。

 僕はおそるおそる聞いた。


「もしかして学校でのこととか全部知ってるの?」

「うん、知ってるよ」

「………………」

「キョウちゃん、すごく頑張ってる。コシノクニ高専はそれなりの学校だけど、でも、そのなかで成績トップになるとか、生徒会長になれって学年主任に言われるなんて、それはそれで凄いことだよ。やっぱりキョウちゃんは、どこに行っても評価されるよね。イオリが惚れただけあるよ」

「あのな」


 僕は、いやあな気持ちになった。

 イオリがチョー上からの目線で褒めているのが気に食わない。

 それに、そもそも僕がコシノクニ高専という―― 一般教養レベルの知識さえあれば入学できてしまう ――そんな高校に通うことになったのは、イオリのせいである。

 そこで頑張ってるとか、当事者に褒められても嬉しくはない。

 だいたい僕はなにひとつ頑張っていないのだ。

 頑張らなくとも学年トップになれる学校なのである。

 というより、優秀な生徒は勉強以外にやりたいことを見つけて、そっちで頑張っている。彼らの頑張りによって、ロボットや飛行機のコンテストでは常に上位、コシノクニ高専はそういう学校なのである。


 僕は、バカにするな――と叫びたくなった。

 だけど同じ高校に通っているシンコのことを思うと、とてもそんなことは言えなかった。シンコを見下すつもりはまったくないが、しかし、ここで怒ってしまえば無意識下で彼女を見下していたことになる。

 僕は、やり場のない怒りにふるえた。


「ねえ、キョウちゃん?」

湯疲ゆづかれした」


 僕は、からみつくイオリをふりほどいた。

 そして彼女を置き去りにして、ひとり家に帰るのだった。――




 ※


 翌日。

 僕はいつものように学校で過ごした。

 この日もマリンとは、ふたりきりになれなくて、イオリのことは言えなかった。

 というより、イオリとの約束を果たす気持ちが失せていた。

 機会があればそのうち――それくらいにしか思わなくなっていた。

 思い返してみれば、イオリは自分の言葉がどんなに人を傷つけるのか、そんなデリカシーをまったく欠いたヤツだった。

 いや、イオリに悪気はないし、満面の笑みで言うから今まではまったく気にしてなかったが、それにしても昨夜の言葉は酷かった。

 退学の件もふくめて、一度きちんと謝ってほしい。

 僕はそんなことを考えながら授業を受けていた。……。



 放課後になると、視聴覚教室に呼ばれた。

 そこでエキサイターを使って痴女を捜すことになったのだけど、これがなかなか大変だった。

 サクラが無表情で無感情に言った。


「昨日も言ったが、犯行現場の映像記録はない。だから周辺地域の映像――主に駐車場の防犯カメラやATMの監視カメラのものだが――とにかく映像をことごとく手に入れた。楠木キョウ、すべて視てくれ」

「これを全部!?」

「時間とエリアはできるだけしぼった。が、見つからないときは範囲を広げる」

「もっと増えるってこと?」

「当然だ」

「大変だよ、いったい何時間かかるんだよ」

「貴様のエキサイターは、写真や静止画では反応しない。動画をひとつひとつ視て確認するしかないだろう」

「またそんな正論を言うけどさあ」


 と、僕が苦笑いをすると、サクラはひどくサディスティックな笑みをした。

 こいつ。

 絶対楽しんでやがる。

 サクラは僕が嫌がる顔を見て、本当に嬉しそうな、なんなら気持ち良さそうな、そんな顔をする。サディズムに開眼しやがった。

 そう思って口を尖らせていると、マリンが僕の腕にしがみついてきた。


「ねえ、キョウくん。一緒に観よう?」


 マリンはそう言って、ぎゅっと僕の腕をおっぱいではさみこんだ。

 やわらかくて温かい、しかもいい匂いがする。

 僕は彼女の魅力に一発でやられた。


「うん。じゃあ早速これから視てみるよ」

「恋人らしくイチャイチャしながらね」

「そっ、そうか、僕たちは付き合ってる……設定なんだっけ」

「まずはフリからスタートです」

「うっ、うん」


 というわけで、僕はおとなしくマリンと映像を視るのだった。――




 数時間が過ぎて、外はすっかり暗くなっていた。

 サクラが資料を片付けながら言った。


「今日はここまでにしよう。また明日の放課後にお願いする」

「痴女は見つからなかったね」

「聞きこみをもう一度してみよう。それで人物像がしぼりこめれば、映像チェックの範囲を市内全域に広げられる」

「そこまでするのっ!?」

「捜査とは地道なものだ」

「うーん」

「痴女が見つかったからといって、そいつが犯人とは限らない。できれば複数見つけたい」

「ああそういえば、ひとりも映ってない」

「エネルギー長官の事件で、大量の痴女を駆除したからな。コシノクニには、ほとんど残っていないだろう」


 サクラは実感をこめて言った。

 するとマリンは僕の手をぎゅっと握りしめて、それから、ぼそりとつぶやいた。


「残った痴女はそれだけ狡猾こうかつ……ということですね」



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