その7

「では、こいつの言ったことは本当なんだな?」

「間違いありません。ねえキョウくん、政府高官が襲われるんだよね?」

「あの、ちょっと待ってよ。痴女ウィルスって何だよ?」

「うるさいっ、自分もよく知らんのだ」


 桜田門サクラが吐き捨てるように言った。


「後で説明します」


 マリンさんが短く言った。

 そして、ふたりは僕を見た。

 僕は口をとがらせた。

 だけど、ふたりの迫力には勝てなかった。

 僕は、要点を整理しながら説明をした。


「先日、アメリカ合衆国エネルギー長官が来日した。そして発電施設の視察にコシノクニ市にやってきた。それで今日は20時からコシノクニ・グランドホテルでパーティーをやる。彼女たちは、日本の政府高官を襲って……痴女にするつもりだ。『痴女にする』というのは、よく分からないのだけれども」

「パーティー会場が何階なのか言え」


 と、桜田門サクラが言った。


「お願いっ」


 続けてマリンさんが言った。

 僕は言葉が出ず、無言で首を振った。


「だったら一緒に来い、もう20時だ」

「なんで僕が行かなくちゃいけないんだ。そんな危ないところは嫌だよ」

「ねえ、キョウくん。あなたなら痴女の文字が見えます。だから案内して」


 マリンさんは拳銃を下ろしてそう言った。

 僕はツバをのみこんだ。

 すると桜田門サクラが天に向かって発砲した。

 そして言った。


「人命がかかってる。いいから、はやく来い」




 ※


 ホテルに着いた。

 ホテルの至るところには、僕にしか見えない淫靡いんびな――おそらくは痴女とかいうヤツらの――文字があった。

 僕はパーティー会場を指さした。

 するとマリンさんは僕を引き留めた。

 そして桜田門サクラにこう言った。


「これ以上は危険です。彼を連れては行けません」

「じゃあ、そこの童貞ドーテー。最短の道を教えろ」


 桜田門サクラは、思いっきり僕を見下した。

 僕は口をとがらせて、周囲を見まわした。

 会場までの最短ルートを発見した。

 だけどそれを口頭では説明せずに、僕はそこに向かってダッシュした。

 桜田門サクラの態度にカチンときたからだ。


「こっちだよ」

「ちょっと待ってくださいぃ」

「ふんっ、最初からそうしろ」


 マリンさんと桜田門サクラは僕の後に続いた。

 やがてパーティー会場に着いた。

 ふたりは拳銃をかまえた。

 桜田門サクラが扉を蹴り開けた。

 僕たちは、パーティー会場に飛びこんだ。


「なんだこれは」


 会場のありさまを見た僕は、言葉を失った。

 マリンさんは、ガックリと肩を落とした。

 桜田門サクラは、いやあな顔をした。

 まあ、結論から先に言って、僕たちが政府高官を救うためにパーティー会場に駆けつけてみれば――そこには痴女があふれていた。




「公安だ! 動くなっ!!」


 桜田門サクラが天井に向けて発砲した。

 すると痴女がいっせいに、こっちを見た。

 会場の片隅がどよめいた。

 そこにいるのは初老の紳士、政府の高官たちである。


「すでに応援を呼んでいる。機動隊がホテルを包囲するっ、逃げられないぞ!」


 桜田門サクラは叫んで、拳銃を痴女の群れに向けた。

 マリンさんはその横に立ち、やはり拳銃を構えた。

 さりげなく僕を守るような位置取りだ。


「動くなっ!」


 桜田門サクラが、痴女の足を撃った。

 撃たれた痴女は、あえぎ声をもらした。

 だけどバランスを崩しただけで、緩慢かんまんな動きでこっちに向かってくる。


「頭です! 頭以外は効きません!!」


 マリンさんが叫んだ。

 そして痴女の頭に2発、弾丸を撃ちこんだ。


『いやあん』


 痴女はぶっ倒れた。

 マリンさんがトドメを刺すようにもう1発撃ちこむと、それでようやく痴女は動かなくなった。ただし、会場にはまだまだたくさんの痴女がいる。

 痴女で満ち満ちている。


「気をつけて! 抱きつかれたら痴女になります!!」


 マリンさんが叫んだ。

 飛びだした桜田門サクラに釘をさした。

 桜田門サクラは、ぐっと立ち止まった。

 そして彼女は、その場で黙々と痴女を撃ちだした。

 頭を撃ちぬかれた痴女は次々と倒れていった。

 しかし数が多すぎる。


「こっちです!」


 マリンさんが政府高官に手を振った。

 彼らはSPに守られて、会場の壁際を歩いた。


『あはぁん』


 痴女が政府高官に飛びかかった。

 SPがそれを阻止した。

 が。

 しかし痴女に抱きつかれてしまった。


「んんん!!!???」


 SPは痴女に抱きつかれ、くちびるを吸われた。

 するとSPは男だというのに、ひどくみだらな感じになった。


『うふぅ~ん』


「「「「「げえ、SPが痴女にィ!?」」」」」


 政府高官らの口から同時に名状しがたいうめきがもれた。


「女体化するのかよ」


 桜田門サクラがぼそりと言った。

 マリンさんは沈痛な面持ちでうなずいた。

 桜田門サクラは虚脱して、拳銃を下ろした。

 僕たちは、しばし呆然として立ちつくした。



「みんな、あきらめないで!」


 マリンさんがそう言って、痴女を撃った。

 桜田門サクラは気力を取り戻した。

 政府高官らは一丸となって、会場からの脱出を試みた。

 だけど、ひとり、またひとりと痴女になり、僕たちのところにたどりついた頃にはもう、SPはただひとり、政府高官は数えるほどしか残っていなかった。


「とりあえず逃げましょう! 弾がつきました」

「自分もつきた」

「さあ、こちらへ。キョウくんは彼らと一緒にいてください」

「うんっ」


 僕たちは扉を閉めて、会場を後にした。

 エレベーターに向かって全力疾走した。

 と。

 そのとき後ろで、派手に扉が壊れる音がした。

 そして何かが、ものすごいいきおいで頭上を通り越した。

 まるで魔風が吹きぬけたようだった。


『うふぅ~ん!』


 それは痴女だった。

 痴女は、僕たちを飛びこえると、行く手を阻むように着地した。

 ゆらりと立ち上がって、僕たちを舐めるように見た。

 明らかに今までの痴女とは格が違う。

 パワーもスピードもズバ抜けている。

 桜田門サクラが言った。


「あの服は、モニカ・エネルギー長官だ」

「えっ? でもあんなに若くなかったよ」

「若返るのです」


 マリンさんは、無感情にそう言った。


「痴女になると若返るの?」

「彼女の場合は『本来の姿に戻った』のですけれど」

「はあ」

「とにかく痴女は、若くみだらな姿なのです」


 そう言ってマリンさんは、拳銃を痴女に投げつけた。

 痴女はそれをめんどくさそうに払った。

 と、そこに、


「せいやあ!」


 桜田門サクラが跳び蹴りで飛びこんだ。


「危ない!」


 マリンさんがあわてて加勢に入る。

 ふたりは痴女に向かって、すさまじい打撃をくりだした。

 しかし、痴女はそれを気だるそうにかわすだけ。

 かすりもしない。


『あふぅ~ん!』


 痴女が突然反撃に出た。

 ふたりは大きく後ろに飛び退いた。

 桜田門サクラは体勢を崩し、尻もちをついた。

 そこに痴女が飛びかかる。

 しかし間一髪。

 SPが飛びこみ、痴女を抱きとめた――のだけれども。


『ちゅぱっ!』


 SPは痴女の濃厚な口づけの餌食となった。


「しまった」


 SPは痴女をぶっきらぼうに放り投げた。

 それから大型のナイフを両手で握り、自身の瞳に突き刺した。

 そうやって彼は自らの脳を破壊した。

 SPは、桜田門サクラの眼前で自刃した。


「あっ、あわわわわ」


 桜田門サクラは喪心した。

 後ろに両手をついて、大股を開いた姿勢だった。

 あのツンケン、ギクシャクして、僕を童貞ドーテーとバカにした、男を男とも思わないあの桜田門サクラが、恐怖にうちふるえていた。


「逃げて!」


 マリンさんが叫んだ。

 彼女は飛び退いた拍子に痛めたらしく、足をかかえてうずくまっていた。


『むふぅぅ』


 痴女がゆっくりと立ち上がる。

 桜田門サクラに、じわりとにじみ寄る。

 しかし彼女は、ただ虚脱して苦痛に満ちた涙をこぼすのみ。

 襲われて痴女になるのも時間の問題である。


「それをただ見てろと言うのか……」


 僕はふるえながらも懸命に勇気を奮い立たせた。

 起死回生の策を考えた。

 知恵をしぼった。

 必死に記憶をたぐっていると、そのときシンコからのメールを受信した。


 ―― デートは盛り上がってる? ――


 シンコの甘えた上目づかい、スケベな笑みが頭に浮んだ。

 そして、あいつとのバカなやりとり、クラスの女子にボコボコにされる悪友の姿を思い出した。

 僕は、ぼんやりつぶやいた。


「どんな女ももだえること間違いなし……」

「キョウくん!」


 マリンさんが叱るように叫んだ。

 僕は、ハッと現実に引き戻された。

 政府高官が、そっと僕の肩をつかむ。

 僕を守るように前に出る。

 僕たちが守ろうとした政府の要人が、逆に僕を守ろうしている。

 それは僕がただの未成年、オタクな高専生だから当たり前のことなのかもしれないけれど、でも、僕はそのことに反発した。

 ひどく情けない気持ちになった。

 バカにするな――とさえ思った。

 そして僕は一歩、前に出た。

 桜田門サクラと痴女の間に、割って入ったのである。


『うふぅ~ん』


 痴女は腰をくねらせ威嚇いかくした。

 僕は挑むように前に出た。

 痴女はその豊満な胸をぶつけるようにアゴをあげた。

 まさに一触即発。

 まるでガンマンの早撃ち対決だ。


「キョウくん……」

「………………」


 数分にも数十分にも感じられる静寂がすぎた。

 カタンっと、なにか床に落ちた。

 その瞬間。


『んほぉおおおっ!!』


 僕は痴女に鼻フックをキメた。

 痴女は急に、しおらしくなった。

 しなしなとその場に座りこんだ。

 そして元の姿――ご高齢のアメリカ合衆国エネルギー長官――に戻った。

 そのとき機動隊がやってきた。

 彼らは、エネルギー長官を捕縛した。

 それから僕たちの無事を確認すると、パーティー会場に突入した。

 僕は、テキパキと動く彼らをしばらくぼんやり眺めていた。

 このとき、ようやく実感がわいてきた。

 ぼそりとつぶやいた。


「なんだよコレ。痴女ってなんだよ」


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