その2
翌朝。
僕は自室のベッドで目を覚ました。
シンコが心配そうに僕の顔を覗きこんでいた。
僕が上体を起こすと、シンコは言った。
「大丈夫? 露天風呂でぶっ倒れてたんだって?」
「えっ? ああ」
「お姉さんが大変だったって言ってたよ。まあ、笑ってたけど」
「そうなんだ」
あれは夢じゃなかったのか。
「じゃあ、小早川は? 姉さん何か言ってた?」
「はあ? あいつに会ったのか? それとも頭を打ったのかい?」
「いやっ」
「突然メールなんか来たから、夢でも見たんじゃない?」
「そっ、そうだよな」
僕は身をよじって時計を見た。
学校に遅刻するような時間ではないけれど、しかし、のんびりしていい時間でもなかった。
僕は機敏に起き上がった。
それから制服を引っつかんで、シャワーを浴びに行った。
シャワー浴びながらラジオを聞いた。
シンコを待たせておいて、それはないだろうと思うかもしれないが、シンコは別に気にしてないし、それにいつものことだった。というより、シンコは僕の部屋で独りくつろぐのが好きなのだ。
『朝のニュースです。現在来日しているアメリカ合衆国エネルギー長官のミセス・モニカですが、本日は発電施設の視察のためコシノクニ市に滞在する予定です……』
ラジオはそんなニュースを伝えた。
僕はシャンプーをしながらそれを聞いた。
そのとき。
キーンと、突然、激しい耳鳴りに襲われた。
色っぽいオンナの声がささやくようにこう言った。
『ついに同士がやってきたわ。69号線で出迎えるのよ』
ラジオとは明らかに違う声だった。
僕は眉をひそめた。
だけどそのことよりも頭の痛みのほうが切実だった。
昨晩、露天風呂で打ったのだと思う。
僕の後頭部には、ちょっとしたコブができていた。
「さわると痛むな」
僕は頭をさすりながらシャワーを終えた。
それから制服を着るとシンコとともに、自転車で学校に向かった。
「なあ、シンコ。今日は69号線はさけようぜ、きっと大渋滞だよ」
「えっ? ほんと?」
「ああ、ラジオで言ってたよ」
※
コシノクニ高専の昼休み。
僕は、いつものようにシンコや悪友たちとバカ話をしていた。
「キョウとシンコは、ほんと仲良いよな」
「まあ、幼馴染みだからね」
「だからうちの学校に転校してきたのか?」
「別にそういうわけではないけれど」
退学処分だから転校先は限られていた。
ちなみに、この学校の生徒は大きく分けて2タイプ。
1つは、ハッキリとした目的を持った成績優秀者。
これは理系分野に多く、実際、そういった生徒は学校の設備や環境を存分に活かし、飛行機やロボットの制作に勤しんでいる。
そしてもう1つは、勉強にあまり熱心ではない生徒。
コシノクニ高専は自由な校風だから、目的を持った生徒は積極的に勉強するし、サボりたい奴は好きなだけサボることができる。
で。
言うまでもないが、僕とシンコは後者だった。
「しかしシンコは別としてさ。うちの学校って男女があまり仲良くないよな」
「まあ、オタクと不良しかいないからな」
「男はオタク、女は中学のときに不良だった奴が多い」
「シンコはオタク側だがな」
「えへへ」
「しかしそれにしても」
「うちの学校は女が強ええんだよなあ」
僕たちは、ひどく実感のこもったため息をついた。
するとシンコがイタズラな笑みでこう言った。
「ねえねえ、女の子の弱点って知ってる?」
「エロい意味で?」
「ううん、別にそれでも
「まあな。せいぜい、おっぱいを
「しかも揉んだ瞬間、顔面に一発食らいそうだ」
僕たちは、あまりにも情けない顔で言った。
するとシンコは、ぴょこんと跳ねて、それからドヤ顔でこう言った。
「鼻フックだよ。どんなに強い女の子でも鼻フックには弱い」
「なんで?」
「女の子は、誰でもナルシストなところがあるからね。鼻をつぶされるのは、なにより嫌う。どんな女も
「「「「なるほどなあ」」」」
僕たちは、大きくうなずいた。
教室を見まわした。
クラスの女子をじろじろと見た。
彼女たちの鼻フック顔を想像した。
やがて悪友のひとりが言った。
「実際に試してみようぜ」
「「おっ、おう」」
悪友たちは女子に向かってダッシュした。
僕とシンコはすこし出遅れた。
が、駆けつけたときはもう大乱闘となっていた。
「なにすんだコラァ!」
「痛っ! 痛いっ!!」
「このクソオタクがァ!!」
「ごめん、ごめんなさいっ!」
「二度と近づくんじゃねえ、近づいたらブッ殺す!!」
「「「ひいぃぃ」」」
悪友たちは女子に囲まれていた。
踏みつけるように何度も何度も蹴られていた。
助けに入ろうとすると、女子に
僕は
「ごっ、ごめん」
つい条件反射で謝ってしまったけれど、よく考えると謝る理由などなかった。
僕は複雑な心境で頭をかいた。
と。
そのふとした拍子に、テレビが視界に入った。
テレビは教卓のそばにあって、昼休みになるといつもニュースを流している。
『12時30分、お昼のニュースです。さて本日、コシノクニを訪れているモニカ・アメリカ合衆国エネルギー長官ですが、視察に先駆けて、次のような発表を行いました……』
また、エネルギー長官のニュースかよ。
僕はそんなことを思いながらも、記者会見を視聴した。
するとキーンと、激しい耳鳴りに襲われた。
そしてテレビ観ると会場の背壁には、異様な、記者会見に相応しくない淫らな文字が大きく描かれていた。
『我らは痴女。世界はすでに支配した。あとは日本だけだわ』
「えぇっ!?」
僕は己の目を疑った。
何度も目をこすった。
だけど、やっぱりエネルギー長官が発表するその後ろには、大きく淫靡な文字でそう描かれていた。大げさにキスマークのようなものまである。
「なあシンコ! あのニュース、あの女を観てくれ」
「アメリカのエネルギー長官?」
「あいつは痴女だ」
「えっ? あの女性が?」
「だって、そう描いてあるだろう」
「なにを言っているんだよう?」
「おまえ、あの文字が見えないのか?」
「はあ?」
「いやいや、ちょっと待ってくれよ」
僕は笑いながらテレビを指さした。
だけどテレビは、もう次のニュースに変わっていた。
「なあキョウ、どうしたんだよお? もしかして頭を打ったのかい?」
「うーん」
「露天風呂で変なとこをぶつけたのかい?」
「……まあ、大丈夫だよ」
僕はそんないい加減なことを言って、お手洗いに行った。
そしてニュースのことなどサッパリ忘れるのだった。
※
トイレを出て、教室に戻る途中だった。
雑然とした廊下を歩いて、階段をすこし上がったところで、上からふいに、
僕は思わず立ち止まり、後ずさって身を隠した。
小早川イオリ――という言葉が聞こえたからだった。
「小早川イオリは、まだ見つからないのか?」
「はっ」
「友人がこの学校にいるらしい。ヤツに居場所はない、必ず頼ってくる」
「監視します」
「小早川への尋問は、我ら公安が行う。まさか単独で国家機密を盗むとは思いもしなかった」
「しかもその国家機密とともに行方不明に……」
「海上自衛隊の
「赤髪のマリン、あの冷酷な殺し屋ですか!?」
「殺し屋なんて過小評価をするんじゃない。あの女は日本で、いや、アジアで五指に入る超一流のスパイだ」
女はそう言って舌打ちをした。
僕はそっと顔を出して、女を見た。
女は黒髪のロングヘアーで、紺の制服を着ていた。
しかも切れ長の瞳の――僕たちと年齢はそれほど変わらない――美少女だ。
そして彼女の部下も女だけだった。
「隊長。小早川の狙いはなんでありますか?」
「ヤツが盗んだのは『エキサイター』だ」
「エキサイター……で、ありますか」
「海上自衛隊が極秘裏に開発していた国防のカナメ、日本の切り札だ」
「小早川は、それを持って逃走しているのでありますか」
「なんとしても見つけ出せ。赤髪のマリンに先を越されるなっ」
黒髪の美少女は、叩きつけるようにそう言って、ズカズカと階段を下りてきた。
部下がその後をあわてて追いかけた。
だけど彼女たちは僕のことには気付いたふうもなく、背筋をピンと伸ばして通りすぎた。
風にそよいだ黒髪は、ひどくいい匂いがした。
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