その2

 シンコは門のところで待っていた。

 僕たちは自転車で学校に向かった。

 その道すがら、シンコはイタズラな笑みでこう言った。


「もしかして、さっきさあ、マリンさんいた?」

「はあっ!?」

「布団に入ってたでしょ? なんか物凄いふくらんでたけど」

「いっ!? いやっ、だからそれは高校生にもなってやると恥ずかしい、そんな生理現象と全裸の結果、ああいうふくらみになったわけだよってその、言わせんな恥ずかしいっ」


 と、僕はしどろもどろに言った。

 だけどシンコはスケベな笑みで、じとっと僕を見るだけだった。

 僕がツバをのみこむと、シンコはコホンと咳をして、それからこう言った。


「MSKタスワS?」


「エム・エス・ケー……って、コシノクニィー語かよ、懐かしいな」

「ねえねえ、MSKタスワS?」


 シンコは、念を押すようにもう一度言った。

 僕は渋い顔でうなずいた。


 ちなみに、この『コシノクニィー語』は、小学生の頃にアニメの影響をモロに受けて作った、オリジナル言語である。

 ただオリジナル言語といっても、そこは小学生が作ったものだから、とてもシンプルだ。

 まず名詞を、「あ → か」「さ → た」といった具合に、50音表でひとつ左にずらす。そして残りは結構適当で、子音を抜いて母音のアルファベットのみにする。それだけである。

 そんなテキトーな変換だと「聞いても理解できないだろう」とそう思うかもしれないが、これが結構大丈夫だったりする。そもそも幼馴染の小学生が話すことなど、たかが知れてるし、言葉にしなくとも伝わったりするからだ。

 で。

 今、シンコが言った『MSKタスワS?』は、どんな意味かというと。


タスワサクラさん?」


 つまりシンコは、僕の布団のなかに隠れていたのは「まさかサクラさん?」と訊いたわけだ。



「って、おい!」

「ねえねえ、サクラさんだったの?」

「なんでそうなるんだよ」

「だってサクラさん、隣に引っ越したって」

「ああ、そういえばそんなこと言ってたな。あれから別に、というか、そもそも隣の家とも付き合いないから分かんないよ」

「ふうん?」

「というより、サクラは隣の一軒家にひとりで住んでるのか?」

「そんなこと言ったら、キョウのとこだって」

「まあな」


 うちは、ほぼ姉さんと僕のふたり暮らしである。


「コシノクニ市は田舎で、家賃が安いというかアパートなんかないからね。サクラが戸建て住宅にひとりで住んでいてもおかしくはない……のかなあ」

「駅前になら、マンションはあるけれど。でも高専に通うなら」

「ん? 駅前のほうが学校に近くね?」

「そっか、よく分かんないね」

「まあ、駅前のマンションより、ぶっちゃけ、ここら辺の一戸建てのほうが家賃安いからな。サクラもそういう理由で、こっちにしたのかもな」


 僕はそんなテキトーなことを言った。


「しかしタイミングよく、お隣さんもいなくなったよね」

「まあ賃貸だし、自衛隊駐屯地で働いてるとか言ってたしな」

「ああ、キャンプ・コシノクニで。あの陸上自衛隊の駐屯地で働いてるんだ?」

「そうそう。2年毎に配置転換とか言ってから、ちょうど引越しの時期だったんじゃない?」

「なんだよお隣さんに詳しいじゃん。結構、ご近所付き合いしてるじゃん」

「全部、姉さんに聞いたことだよ」


 僕はそう言って眉をあげた。

 するとシンコはクスリと笑って別の話をした。


「ねえねえ、コシノクニィー語だけどさあ」

「ああ、シンコ、よく覚えてたな。というか咄嗟とっさによく言えたな」

「それはキョウもだよ」

「まあね」

「ねえねえ、コシノクニィー語って、イオリが考えたんだよね」

「そうそう。僕たちがアニメにハマって、敵が話す言葉が格好よくて、でもよく分かんなくてさ、結局、イオリがオリジナルで言語を作ってくれたんだよな。あいつ、小学生の時から頭良かったから」


 僕は空を見上げ、あの頃を懐かしんだ。

 するとシンコは首をかしげた。

 僕の顔をのぞきこんでこう言った。


「ねえ、もしかしてイオリのこと許したの?」

「ん?」

「なんかそんな感じ。怒ってない」

「うーん。別にそういうわけじゃない、というか、よく分かんないんだけどさ」

「うん?」

「いつまでも怒っているのも疲れるし、エネルギー使うし、もったいないかなって」

「まあ、そういう考えかたもあるのか」

「うん」

「キョウはオトナだね」

「そっか」

「そうだよお」


 シンコはクスリと笑って、それから僕の表情をうかがった。

 僕は、どういったリアクションをとればいいのか分からなくて、困り顔で頭をかいた。――




 ※


 学校に着いた。

 僕は、マリンにイオリのことを伝えようとした。

 しかし、これがなかなか難しかった。

 というのも、休み時間は隣の席のサクラと話すくらいしかできないし、お昼休みはシンコたちが来る。それにマリンは人気者だから、いつも女子に囲まれている。

 屋上でふたりにきりになるのは意外と難しい。

 まあ、僕がこの件に関してあまり積極的ではない――というのが実状ではあった。

 で。

 そんな感じでいつものように過ごしていると、放課後に先生に呼ばれた。


「おい、楠木。警察のかたが見えてるぞ。おまえ、家の近くで事件があったらしいな。捜査に協力してほしいと言ってたぞ」

「はい?」

「視聴覚教室だ、早く行ってこい」

「はあ……」


 僕は首をかしげながらも教室に向かった。

 視聴覚教室の扉には、『警視庁・コシノクニ警察署合同捜査チーム』という看板が立っていた。


「失礼します」


 教室に入るとサクラがいた。

 サクラのほかには、マリンしかいなかった。

 僕が席に着くとサクラは、いきなり言った。


「貴様がエキサイターに感染したことは最重要機密である。だから他の者には外してもらった」

「警察にも秘密なの?」

「そもそもエキサイターの存在が秘密だからな」


 そうサクラが言うと、マリンがやさしく補足した。


「感染を知る者が増えれば、それだけ狙われる可能性が高まります。ですから、『ご近所で事件があった』という理由で呼んでもらったのです」

「というわけで、早速、事件について説明をするっ」

「いや、ちょっと待ってよ。僕が事件に協力するの?」

「そうだ」

「いきなりだよ。それに無理矢理だよ。僕に選択権はないのかよ」

「ない」

「はあ?」

「貴様のエキサイターに、いったいいくら税金が使われてると思っているんだ。捜査に協力して、すこしは国民の皆様のお役に立て」


 サクラはそう言って、ビュッと指示棒を伸ばした。

 ディスプレイに資料を映すと、彼女はうむを言わさず説明をはじめた。



「7月某日午後3時10分ごろ、コシノクニ市西町付近の路上で、学校から帰宅途中の男子児童が、見知らぬ女性に『手淫しゅいんによって精通せいつうさせられる』という事案が発生した。この事案は、親からの通報により警察の知るところとなったが、調査を進めていくうちに被害者は他にも複数名いることが分かった」

「はあ」

「被害者の証言から、犯人は同一人物だと推測されている」

「で、その事件を僕たちが捜査するの?」

「まだ分からないのか、キョウ」


 サクラは、優越感に満ちた笑みをした。

 僕が眉をひそめると、彼女はビシッとディスプレイを指した。

 そして言った。


「犯人は "痴女" だ。貴様は、エキサイターで犯人を探し出すのだっ」

「あっ、はい」


 僕は、ちょっとついていけないんだけど――といった感じの、距離感のある笑いかたをした。

 だけどサクラはいつもの無表情、仕事をするときの顔だった。

 ちらっとマリンを見たら、愛想笑いを返された。

 僕は首をかしげながらも、とりあえずの質問をした。


「ようするに、小学生にイタズラをするヤツがいて、そいつが痴女だってこと?」

「その通り、だから我々が捜査を引き継いだ」

「それで僕がエキサイターで見つけると」

「ああ」

「でも待ってよ。痴女に襲われたら、痴女になるんじゃないの? 襲われた小学生は無事なんでしょ?」

「手淫で精通しただけだ」

「ああ、手コキで初めて射精したわけね」


 僕が噛みくだいて言うと、サクラは目を見開いてほっぺたをピンクに染めた。

 マリンがクスリと笑った。

 僕は困り顔で笑いながら、マリンを見た。

 すると彼女は説明をした。


「痴女に襲われて痴女になるのは、痴女と体液交換をするからです。具体的には、ディープキス、あるいはそれ以上の性交渉、粘膜接触です。ですから手コキ……手淫しただけなら、痴女化することはありません」

「なるほど、ということは――。犯人は痴女だけど、この事案に関して言えば、ただの変質者による犯行と変らない、そういうことだよね? 被害者が痴女化したりしないから」

「今のところはな」


 サクラは厳しい口調でそう言った。

 まあ、逮捕のときは暴れるだろうから、そのときはただの変質者とは違って、特別の注意が必要になる。

 僕はさらに質問をした。


「そもそもその痴女の目的は何? 手コキする意味ってあるの?」

「ない。ただの快楽犯と思われる」

「はあ?」

「ねえ、キョウくん。実は痴女って、それほど知能は高くないんです。人に化けて人間社会に溶けこんでいますけど――権力を欲する傾向は別として――基本的には無害です。それどころか、ほとんどの痴女は趣味といったものすら持ちません。アリやハチの群れによく似ています」

「それじゃあ、この犯人は?」

「高度な知能を有した上級の痴女です。快楽のために小学生を襲ってますからね」

「痴女にも階級があるんだ」

「アメリカ合衆国エネルギー長官だったミセス・モニカを覚えてますか? 彼女のように権力者になりすました痴女、あるいは痴女化した権力者は、いわゆるハイクラスの痴女になります」

「で、そういう痴女が犯人なのか」


 僕は、ぼんやりつぶやいた。

 事件の全貌ぜんぼうがおよそつかめてきた。

 するとなんだか気が抜けた。

 僕は、ゆるーい感じでサクラに訊いた。


「ところで、この事件というか事案ってさあ。痴女がゆきずりの小学生を手コキしてるって話でしょ?」

「ひとりではない。何人も犠牲になっている」

「そうそれ、それなんだけど。そもそも痴女って若くてエロいビジュアルじゃん? 手コキされた小学生って被害者なのか?」

「貴様、なにを言っている?」

「いや、だってエロいお姉さんに学校帰りに手コキしてもらったら、男なら誰でも嬉しいと思うんだけど。で、その痴女だって喜んで手コキしてるわけでさ、まあ精通はするかもしれないけれど、でもそれ以外にこれといった害はないんでしょう?」

「はあん!?」


 サクラは、おまえはバカか? ――みたいな目で僕を見て、あごをしゃくるような声をあげた。

 だけど僕はかまわず、素朴な疑問を口にした。


「手コキする人と、される人……両者ともに喜んでいる。それって犯罪なのかな? むしろWin-Winじゃね?」

「黙れ」


 低い声で短く言われた。

 それからサクラはこうつけ加えた。


「保護者から被害届が出ている。それに貴様には、犯罪か否かを判断する権限はない。知識もない。おとなしく国民の皆様のお役に立て」


 サクラの論法は、いつも真っ向上段からであり、常に正々堂々としていた。

 まったく返す言葉もねえよ。

 僕はただ口をとがらせるだけで、うなずくしかなかった。

 そんな僕に、マリンはやさしく微笑んでくれた。

 サクラは僕たちを一瞥いちべつすると、無表情で無感情に言った。



「というわけで、我々は当事件の捜査にあたる。なお、防犯カメラやATMの監視カメラ等に、犯行はいっさい映ってない。目撃者もいない。被害者もハッキリと顔を覚えてない。犯人の手淫があまりにも早すぎるためだっ」


 と、サクラはここまで一気に言うと、バチンと指示棒で机を叩いた。

 それから使命感に燃えて彼女はこう言った。


「当局は、この痴女を『音速の痴女・ハンドジョブ』と名付けた。各自このハンドジョブの逮捕にまい進し、被害を最小に止め、必ずや最速で成果をあげてほしいっ! それと言うまでもないが、今、貴様らが聞いているこの声は私の声ではない。警視庁ならびにコシノクニ市警、そして住民の皆様の声を――私は貴様らに伝えただけである」



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