その8

『セキュリティ発動、誤作動の場合は速やかに解除してください』


 無機質な声が蔵に響きわたった。

 マリンさんとサクラは、レーザーを照準されてその場に立ちつくした。

 僕は両手を縛られ天井から吊されてるから、もともと動けない。

 だけどそんな僕にもレーザーは照準されている。

 そして僕の手には、解除リモコンが握られていた。


「イオリのトラップだ! これは解除リモコン!!」


 僕は端的に説明をした。

 ふたりは蔵の中を見まわし、即座に状況を理解した。


『解除可能時間、残り5分です』


 無機質な声がまた言った。

 その声にかぶせるようにサクラが叫んだ。


「我々はレーザーで動けない! 楠木キョウ、貴様が解除しろ。解除リモコンのボタンを押せ!!」

「ボタンってどれを?」

「どれでもいいから早くしろ。5分で焼き殺されるぞ」

「うっ、うん」


 僕は言われるままにボタンを押した。

 すると眼前に、ホログラムのようにディスプレイが浮かびあがった。

 ディスプレイの上部には数式が表示され、そして下部にはタッチパネルが映し出されている。

 僕が眉をひそめると、サクラが言った。


「数式をすべて解けば解除される。楠木キョウ、リモコンはテンキーになってないか? 数字とアルファベットを入力できるはずだ」

「あっ、うん、感触でなんとなく分かる。たぶんテンキーだよ」

「それで答えを入力しろ! 4分以内だ」

「ちょっと!? そんなムチャ言わないでよ、これって微分方程式だよね!?」

「ディスプレイを裏から見てもよく分からんっ」

「そんなっ」

「いいから早くしろ!」


 サクラはイライラしながら、そんな身勝手なことを言った。

 すると無機質な声が無慈悲にまた言った。


『あと3分』


「楠木キョウ!」

「うるさい、ちょっと黙っててくれよ」


 僕はトラップの解除に集中した。

 まずはリモコンのボタンを押してみた。

 するとタッチパネルの数字が光った。

 そのことでボタンの配置は容易に知れた。

 しかし、問題は微分方程式だった。

 暗算で解くのは厳しいし、それにこんな緊迫した状況、しかも縛られ吊された状態ですらすらと解けるものではない。

 嫌な汗がドッと噴きだした。

 そのときマリンさんがやさしく、ゆっくりと言った。


「キョウくん、落ち着いて。その解除プログラムは、海上自衛隊・電子情報隊の金庫と同じものです。小早川イオリは、その数式を解いてエキサイターを盗みました」

「……うん」

「最重要機密の入った金庫ですから、解除は一筋縄ではいきません。だけど開発者は、『とあるゲームの爆弾解除シーンを参考にプログラムを組んだ』ともらしています。いえ、ハッキリ言うと『丸パクリ』だそうです。キョウくん、遊んだことはありますか?」

「うーん」

「では、ゲームだと思ってください」


 マリンさんは、おだやかな笑みでそう言った。


『あと1分』


 無機質な音声が響きわたった。

 そして蔵の中が、赤く明滅しはじめた。

 だけど僕はもう、あせることはなかった。

 マリンさんの言葉によって、僕の心は平穏を取り戻し、そして頭は冴えわたっていた。

 僕は集中してひたすら微分方程式を解いた。

 最後の問題を解くと、蔵は明るくなった。

 そして僕たちを照準するレーザーは消え去った。

 僕を吊す縄まで解けている。


「やった!」


 僕は全身で喜びを表現した。




 ※


「やった! やったよ!!」


 僕がはしゃぐその横を、サクラは無言ですりぬけた。

 拳銃を構え裏口に向かった。

 そこから顔を出し安全を確認すると、サクラは外に出ていった。

 その際、機動隊に無線を入れている。


「マリンさん!」


 僕はマリンさんのところに駆けつけた。

 するとマリンさんは、怒りを懸命に抑え、しかし抑えきれずにこう言った。


「あなた、いったい何を考えているんですか! 私、信じてくださいって言いましたよね? それなのに私を信用せず、危険に身をさらすなんて!!」

「………………」

「あなたの宿したエキサイターは、とてつもなく貴重なんですよ!!!」


 マリンさんのものすごい剣幕に、僕ががく然としていると、そこにサクラが帰ってきた。

 サクラは僕を見ると、低い声で短く言った。


「車で待っていろと言ったのに!」


 どんな弁解も通用させない一語であった。

 僕は素直に謝った。

 マリンさんにも謝った。

 だけどマリンさんは、許してくれなかった。

 感情をむき出しにして、ひたすら僕を責めた。

 何度も何度も同じことを繰り返した。その美しい瞳いっぱいに涙をためて、マリンさんは僕を責めた。こんなに取り乱したマリンさんは初めて見た。

 サクラは何も言わず、ただ僕たちをじっと見ているだけだった。

 数分にも数十分にも感じられる時が過ぎた。

 マリンさんは、冷然として言った。


「もし私を疑うのなら作戦は終了、細菌研究施設に行くことになる。そこで死ぬまで人体実験を繰り返すことになる。そうなったら困るのは、キョウくんでしょう?」

「うっ、うん」

「だったら私を信頼して」


 吐き捨てるようにそう言うと、マリンさんは蔵から出ていった。

 僕は呆然として立ちつくした。

 そんな僕に、サクラはクスリと笑ってこう言った。


風邪かぜ引くぞ」


 彼女は、僕に服を放り投げると蔵から出ていった。

 ひとり取り残された僕は、とりあえずパンツにしょんぼり足を通すのだった。――




 ※


 翌日。

 僕は憂うつな気分で授業を受けていた。

 お昼休みになると、あらためてサクラに謝った。

 サクラは、体ごと僕に向いて、コクンとうなずいた。

 それから、スッと本を差しだした。

 僕は首をかしげた。そして聞いた。


「それは?」

「美術の資料集。17世紀の画家・ルーベンスの『キリスト降架』だ」

「それがどうしたの?」

「昨日の貴様、こんな姿でマリンに怒られていた。全裸で、ぐったりして、うつろな目をして、うなだれて……」


 サクラは話しながら、くつくつと笑いだした。

 口をおさえうつむいて、ちらちらと僕を見ては笑ってる。

 僕は困り顔でルーベンスの絵画を見た。

 ゴルゴダの丘で処刑されたキリストを、十字架から降ろす場面が描かれていた。

 ちなみに、アニメ『フランダースの犬』で主人公が見たかった絵画としても有名である。


「って、ぐったりしてるもなにも死んでるじゃん」

「ああ、昨日の貴様そっくりだ」

「うーん」

「怒られて死んだようになるとか、貴様は子供か」

「でも本気で怒らせちゃったんだよ」


 僕は、しおらしくそう言った。

 するとサクラは、保護者のようなため息をついた。

 それから真面目な顔をして僕に言った。


「大丈夫、マリンは子供じゃないよ」

「うん」

「作戦本部から次の指示があるまでに、仲直りできるといいな」

「どうかな」

「ちゃんと謝ればいい。大丈夫だ、マリンは貴様の "彼女" なんだろう?」

「止めてよ、こんなときに皮肉とか」

「ふんっ。裸を見せつけられたお返しだっ」


 サクラは、ニヤリと笑ってそう言った。

 言ったあとで、彼女は視線を下に落とした。

 それから視線を戻して、また僕の目を見た。

 もう一度、彼女は視線を落とすと、ゴクリとツバをのみこんだ。

 ほっぺたがみるみる赤くなった。

 サクラは、あわてて顔を背けた。


「外で食べてくる」


 突然立ち上がり、彼女は廊下に飛びだした。

 そして昼休みが終わるまで、サクラは帰ってこなかった。――




 ※


 放課後。

 僕は勇気をふりしぼってマリンさんに声をかけた。

 ふたりで屋上に行くことになった。


「ごめんなさい」


 僕はあらためて謝った。

 マリンさんは、やさしくそれを受けとめてくれた。

 そして許してくれた。

 マリンさんは、僕の喜んだ顔を見ると一緒に喜んで、それから穏やかではあるけれどクギをさした。


「ねえ、キョウくん。ヒーローになりたい気持ちは分かります。でも、私たちがやっていることは、とても危険なんですよ。サクラさんが石橋を叩いて渡るタイプだから、彼女に守られていて実感しにくいかもしれないけれど、でも、スパイの仕事ってアッサリ人が死ぬんです。私の知り合いは何人も死んでいます。サクラさんだって、きっとそうです。あなたが昨日やったこと、足を踏み入れようとした世界はそういう世界です。……キョウくん、覚悟はできてますか?」

「……ごめん」

「それを分かって欲しかったの。それと、昨日は私も言い過ぎちゃいました。ごめんなさい」

「いえ、そんなっ」

「えへへ、そんなに恐縮しないでくださいよお。私たち付き合っているんですよ?」

「あっ、うん」

「スパイのようなことがしたいなら、せめて付き合ってるフリくらいキチンとしてください。その気がなくてもねっ」


 そう言ってマリンさんは僕の胸に飛びこんだ。

 それから腕を僕の首にからませると、くちびるをねだって背伸びした。

 ぎゅっと目を閉じたマリンさんは、少しふるえていた。

 僕はくちびるを彼女のくちびるに重ねた。

 永遠にも感じられる時が流れた。

 マリンさんは、すこし照れくさそうに、スネた感じでこう言った。


「昨日、警察署でのこと覚えてます? 私、おっぱい見られましたよ?」

「あっ、うん」

「蔵でキョウくんの裸も見ちゃいました」

「はい」

「責任とってくださいっ」

「えっ?」

「私って、結構有名なんです。『あいつはスパイだ』って、いろんな機関からマークされています。しかも、今回の任務で公安の人たちに顔を知られちゃいました」

「……うん」

「若い女スパイは、処女を喪失したら引退です。 "いかにも女スパイ" って感じになっちゃうんで」

「はい?」

「私、この任務で引退してもいいかなって思ってます」


 マリンさんは、サッパリとした笑顔でそう言った。

 僕がツバをのみこむと、彼女は大きく伸びをして、それから空を見上げてこう言った。


「ねえ、キョウくん。恋人のフリから始めましょう? まずは私を『マリン』と呼び捨てにして」

「うん」

「ねえ、聞こえないよお?」

「マリンさっ……マリン」


 僕が言い終わるのを待たずに、マリンは抱きついてきた。

 僕が抱きしめ返すと、彼女は顔をそらし、おびえたような恥じらうような笑みをした。それから上目づかいで僕を見て、マリンはささやいた。


「私が勘違いしちゃうくらい、熱烈に演じてくださいね」



【第2章 完】



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