ROUND2 暗黒の騎士・カヴァリエロ

 翌朝。

 俺たちは城を出ると、馬車で時計塔に向かった。

 時計塔は王都の北、沼地のなかにある。

 沼地にはすぐに到着した。

 北の沼地は広く、木の腐ったような臭いで満ちている。


「沼って意外と深いんだねえ」


 音芽はそんなことを言って、馬車から飛び降りた。

 俺と桔梗も馬車を降りた。

 時計塔は眼前にそびえ立ち、そこまでは粗末そまつな木の橋がのびている。

 塔までの距離はあるが、しかし、馬車は通れそうにない。

 音芽が言った。


「ねえねえ、看板があるよお」

「あら、『テンタクロン・ベスティアに気をつけろ』だって」

「テンタクロン・ベスティア……触手のビーストって意味だね」

「触手のモンスター?」


 俺たちは首をかしげ、そののち眉をひそめた。

 しばらくすると、桔梗がドレスのすそをたくし上げた。

 橋に一歩踏み入れ、彼女は言った。


「とりあえずワタシが行くわ」

「えっ?」


 桔梗は、俺たちを置き去りにして、するすると先に進んだ。


「頼んだわよ。もしワタシが襲われたら、蛮痴羅パンチラパワーで倒してね!!」

「ちょ、待てよ」

「さあ触手よっ! この大人気の美少女をもてあそぶのよ!!」


 桔梗はそんな挑発しながら橋を渡った。

 俺と音芽は彼女を追いかけた。


「って、ひゃあ」


 沼からなにかが伸びて、桔梗を引きこんだ。

 そして数秒にも数十秒にも感じられる静寂の後。

 沼から触手のたばがあらわれ、桔梗を天高く持ち上げた。


「でかいっ」


 それはまさしくイカだった。

 桔梗はその太い触手にからめ取られ、宙につるされた。


「あぁん」


 桔梗のほほには、しめった髪がひとすじ張りついている。

 それが妙に扇情的せんじょうてきで、しかも、ドレスからのぞく素足が艶めかしい。

 俺は思わずツバをのみこんだ。

 呆然として立ちつくしてしまったのである。


「だめぇ」


 触手が桔梗の太ももを、がばっと開く。

 あえぐくちびるに吸いついている。

 生意気に上をむいた、そのひかえめな胸をもみねじっている。

 まっ白な腹をなでまわしている。

 あのツンケン、ギクシャクとして、俺を見下し、男を男とも思わない桔梗が、恐怖に、いや、快感にあえいでいる。……俺は桔梗に、はじめて愛おしさと、凄まじい肉欲をおぼえた。


「って、はやく助けなさいよ!」


 桔梗が涙声でわめき散らした。




   ▽     ▽     ▽


「はやく助けて!」

「あっ、ああ」


 俺はナタを手に取った。

 それから巨大イカを見た。


「どうにも頼りないな……」


 俺は周囲を見まわした。

 大きなくいが沼に刺さっている。

 ただし、杭といっても先端に巨石がついていて、まるで鈍器のようである。

 俺はそれを引き抜くと、桔梗のところにダッシュした。

 それから橋の途中で一回転。

 まるでハンマー投げのように杭を両手で持って、体当たりをするように巨大イカを攻撃した。


「ぶほおッ」


 巨大イカは頭部を強打され、ぐにゃりとつぶれた。

 沼に沈んだ。

 が、しかし、桔梗を放さなかった。


「いやん、振動があ」


 強打による振動が触手を伝わり、桔梗の体を微細にふるわせた。

 俺は体勢を立て直した。

 顔を上げると、触手が桔梗をまさぐっていた。


「ああんっ」


 桔梗の声は吐息といきともあえぎともつかない、しかし明らかに愉悦ゆえつにおぼれた声だった。


「ぶほっ」


 沼からイカの頭があらわれた。

 それは、ぬめっとして白く巨大なイカ頭。


「って、なんだよ、しつこいな!」


 俺は杭をまた振りおろした。

 ぶんっ! ――と、イカを殴った。

 まるで正月のもちつきのように殴った。

 殴りまくった。


「ばふんっ」


 イカは強打のたびに、くぐもった声をあげた。

 頭がぐにゃりとへこんだ。

 しかしそれは、すぐもとに戻った。

 そしてついに触手が、


「うはっ!」


 俺の足に巻きついた。

 俺を天高くつるしあげたのだ。


「って、なにやってんのよお」


 桔梗は恨めしそうに俺をにらんだ。

 上体を仰け反らせて、両手をバンザイの格好で締めつけられている。

 両脚をM字に開いている。

 その太もものあいだから、桔梗は俺を見下ろしている。

 で。

 俺はというと、触手が右の足首に巻きつき宙吊りになっている。

 いわゆるタロットカードのハングドマン……逆さ吊りの男である。


「はやく、たすけてぇ」


 桔梗が俺を見た。

 ぞっとするほど、みだらな眼差しだ。

 俺は救いを求めるように音芽を見た。

 音芽は、がく然としながらも懸命になにか考えていた。

 俺は目を閉じて、ゆっくりと首を振った。

 すると、ぐいぃっ――と、俺は引き寄せられた。

 そして俺は顔面から、


「ああんっ」


 桔梗の股間に突っこんだ。


「ふごごっ! ぶはっ!」


 俺は身もだえた。

 死にもの狂いで脱出を試みた。

 桔梗はドレス姿である。

 そのドレスが、沼の泥水かあるいはイカの粘液か、なんだかよく分からない水分をたっぷり含んでいる。それが俺の顔にからみついている。

 単純に呼吸困難である。


「んんんんん!」


 桔梗の濡れたドレスから、はき出される花果酒のような匂い。

 俺はかるい錯乱状態におちいりながらも懸命に暴れた。

 そしてその結果。


「ちょっとお?」

「……ごめん」


 俺はぐるりと桔梗の体をすべって、最終的には、桔梗の胸に顔をはさんだ状態に落ち着いた。

 大股を広げた桔梗に、俺はおおいかぶさったのだ。

 むろん、ふたりとも宙に吊されている。


「これは、まいったな」

「ちょっと、人のおっぱいに顔を埋めて冷静に言わないでよ」

「ごめん」

「あぁんっ、くすぐったいわ」


 桔梗は、ぽおっとした顔で俺を見下ろした。

 俺は思わず顔を背けた。

 すると音芽と目があった。

 音芽は橋の手前で、俺たちを見上げていた。


「ねえ、おふたりさん。お楽しみのところ申し訳ないんだけど」

「助けてくれ」

「早くしなさいよっ」

「じゃあ、遠慮なく」

「ちょっと待ちなさいよ」

「えっ?」

「もうちょっと、あぁん、たのしんでから」

「こらっ」

「ねえ、どうするの?」

「助けてくれ」

「分かったよお」


 音芽はそう言って小石をつまんだ。

 パチンコで巨大イカを照準した。

 それから音芽は力いっぱい引きしぼると、

 ぼすんっ! ――と、イカの頭を撃ちぬいた。

 たったそれだけのことでイカは絶命した。

 俺と桔梗を投げ捨て、ずぶずぶと沼に沈みこんだのである。


「おいこら、いつまで抱きついてるのよ」

「ごめんっ」


 俺が起き上がると、桔梗は、きっとにらんだ。

 しかしほほを染め、可愛らしくスネた笑みである。


「もう、冗談でもなんでもなく、ほんとにキズモノになってしまったわ」

「いや、そんなことないよ」

「なによ、責任取りなさいよ」

「いやっ」


 俺は言葉を詰まらせた。

 桔梗が、ぐいっと顔を近づけた。

 そこに音芽がやってきた。


「桔梗は、ほんと楽しそうに誠也と話すんだね」

「なによっ」


 桔梗は顔を真っ赤にして背を向けた。

 俺も恥ずかしくて顔を背けた。

 そんな俺たちを、音芽はしばらくニコニコしながら見ていた。


「とっ、とにかく行くわよ。時計塔はすぐそこよ!」


 桔梗はそう言って歩きはじめた。

 俺と音芽は、あわてて後を追った。

 時計塔に到着すると、どういうわけか門はガラガラと音を立てて開いた。

 俺たちは目と目をあわせると、大きくうなずいた。




   ▽     ▽     ▽


 中に入った。

 塔は巨大な石が積み上げられてできていた。

 それは王城も同じだが、時計塔の石はどれもちて黒ずんでいた。

 俺たちはそんな塔の内部を歩いた。


「みごとに壁がない。野球場くらいの広さかなあ」

「意外と中は広いのね」

「敵もいないな」

「まるで貸し切りね」


 桔梗はそんなテキトーな返事をした。

 音芽は興味津々といった感じであたりを観察している。


「あの真ん中にあるのは小部屋かな?」

「エレベーターだと好いけれど、まあ、そんな都合のいいものはないわね」

「たぶんね」


 俺たちは、中央にある小部屋に向かった。

 近づいてみると、それは、きらびやかに装飾されていて、まるで神殿のようだった。


「入ってみる?」


 桔梗はそう言って、俺たちの返事を待たずに扉を開いた。

 内装も、きらびやかだった。

 明らかに他の外壁とは造りが違う。

 しかも奥には、みるからに強そうなよろいが祭られていた。


「あれって、絶対強いだろ」


 それは防具というよりも、美術品だった。

 まさに聖なる鎧と呼ぶにふさわしい品だった。

 俺たちは、そんな鎧をうっとりながめ、しばし呆然と立ちつくした。

 桔梗がふらふらと鎧に向かっていった。


「罠とか大丈夫?」

「さあ」


 桔梗はそんな気のない返事をした。

 鎧を手に取った。

 すると、がこんっ! ――と、鎧の置かれた台座が沈んだ。

 そして俺たちは光につつまれた。


「これは!?」

「まずいっ、力が抜けていく」

「体力がどんどん奪われているわ」


 俺たちは、その場にへなへなと座りこんだ。

 目の前で、鎧の台座が沈んでいる。

 さらには壁がせり上がっている。


「扉がふさがれてしまうわ」


 ため息をつくように桔梗が言った。

 それと同時に、壁が扉を完全にふさいだ。


「力が入らないよお」

「これはまずいな」

「ええ、とてもシンプルだけど、有効な罠ね」


 俺たちは完全に閉じこめられた。―― 



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る