〃
「とりあえず
俺はそう言って、魅夏先輩にカタナを渡した。
魅夏先輩の――パンツを見られないためにパンツを脱ぐという――トンデモ理論はとりあえず無視をした。まず理解できないし、また理解しなくてもよいものだった。だいたい、その理屈のおかしさを指摘できたとしても、魅夏先輩は人の言うことをまったく聞かないのである。
「よっ」
俺は
そのいきおいのまま、続けて左足、右足と蹴りあがって塀を跳びこえた。
「行こう」
魅夏先輩は、腰をかがめて道場に近づいた。
俺もその後ろをついていく。
道場の壁には、床の高さに造られた空気抜きの小窓がある。
魅夏先輩は、そこから中をのぞきこんだ。
「ここに間違いない。剣道やっているぞ」
魅夏先輩はそう言って、俺を引き寄せた。
俺を後ろから抱くように、魅夏先輩は俺の両肩に手を乗せる。
小さな窓から見えるようにと、ほっぺたを寄せている。
そうやって見ていると、イヤホンから音芽さんの声がした。
『まだ八時半になってないから、練習してないよね?』
「ああ、なんか正座して黙とうしてる」
魅夏先輩がぼそりと言った。
音芽さんは続けてこう言った。
『念のため、確認するけれど――。剣道の服装は、上半身は着物のような剣道着、下半身は
「ああ、パンツは見えねえけど、女はシャツを着てるな」
『正座してるからね。で、
「そこからパンチラを狙うのか?」
『普通は、その穴からは見えないよ。剣道着がお尻の下まで伸びているからね』
「剣道着が縮むように、なにか細工したんすか?」
俺は話を先回りして言った。
すると音芽さんは、
「もう! 苦労したから自分で言いたかったのにぃ!!」
と、ひどくくやしがった。
俺は肩をすぼめた。
「まったく」
魅夏先輩は、たしなめるように俺をぐっと押さえつけた。
俺の頭の上にあごを乗せて、後ろから密着した。
魅夏先輩は、そうやって俺を力いっぱい抱きしめた。
先輩の胸が俺の顔を包みこむ。
やわらかい感触が首筋だけでなく
「ごめん、ごめんなさいっ」
俺は、この抱きしめかたが嫌いだった。
魅夏先輩は、ただ俺のことを弟のように扱っているだけだけど、俺としては、なんだか先輩に支配されているようで、ひどく屈辱をおぼえてしまうのだ。
「っていうか、音芽ェ」
『なんだい、魅夏ァ?』
「今、道場の連中が立ち上がったんだけどさ」
『うん』
「
『あー』
「
『あー』
「まあ、道着が短かったら、
『そ、そうだよね。そういえば、そうだよね。あはは』
「………………」
「………………」
『……作戦、失敗だよね』
「………………」
「………………」
数分にも数十分にも感じられる沈黙が流れた。
やがて魅夏先輩は、はァっと息をもらして失笑した。
それからこう言った。
「しょうがないなあ。で、
『
「いや、写真をメールしてくれよ」
『ああ、そっか』
イヤホンの向こうから、ガサガサとなにかを探す音がした。
実はポンコツな音芽さんなのだった。
で。
「あー、やっぱ送らなくていいや」
魅夏先輩は待ちきれずに、いきなり立ち上がった。
血を飛ばすようにカタナを振り下ろして、ずかずかと入り口に向かった。
半開きの木戸を、ぐいっとつかんだ。
力いっぱい開けた。
そして大らかな声で、なんと叫んだ。
「たのもぉ――!! 由利未季ィ! 私と勝負しろぉ――!!」
それは大ざっぱで投げやりな道場破りであった。
▽ ▽ ▽
「由利未季ィ! 私と勝負しろぉ――!!」
魅夏先輩は自信満々の笑みだった。
道場は静まりかえった。
俺は眉をひそめた。
そして音芽さんは、
『うわあ、作戦とか意味ないじゃん』
と大らかに笑って、ゴミ箱になにか投げつけた。
そんな音がイヤホンからした。
「たのもぉー!」
魅夏先輩は、道場の入り口で仁王立ちしたままである。
俺は非難の意味をこめてかるく
すると先輩は、骨伝導無線だけに聴こえるように、ぼそっとつぶやいた。
「そろそろ門での騒ぎが伝わるころだ。引きつけた警備も戻ってくる」
それから先輩はもう一度叫んだ。
「たのもぉ――!! 勝負しろぉ――!!」
すると道場が騒然となった。
道場生が竹刀を構え、いっせいに魅夏先輩に向けた。
おそらく30人はいる。
そのなかからひとり、生真面目そうな青年が前に出た。
歩きながらこう言った。
「キミ。ここは市長さんの私道場なんだけど、分かってますか?」
「あんたは由利未季かよ」
魅夏先輩は、吐き捨てるようにそう言った。
だらりとカタナを下げたままで、無造作に間合いを詰めた。
そして、
ずどんっ!
瞬速の突きを放った。
魅夏先輩は、冗談のような距離をバカバカしい速度で跳んだ。
青年は突きをもろに食らった。
魅夏先輩が跳んだ距離の倍以上、青年は吹っ飛んだ。
無様に倒れた。
「貴様ァ!」
道場生たちは、いきり立った。
魅夏先輩は、にやりと笑った。
そしてあとは大乱闘だった。――
▽ ▽ ▽
魅夏先輩は、カタナを右肩から左下へ、びゅっと下ろす。
真逆の軌道で斬り上げる。
横に払う。
それから、まるで重い家具を蹴るように、
「おらあァ!」
カカトで道場生を蹴り飛ばす。
肩からの体当たりで吹き飛ばす。
目が合うと、鋭く突きで跳んでいく。
後はそれの繰り返し。
魅夏先輩は、悪夢のような強さだった。
道場生たちは、まるで歯が立たなかった。
しかし、由利未季からは、どんどん遠のいていた。
先輩の強さに恐怖して、男子全員で女子たちを守るようになっていたからだ。
「たぶん、任務とか忘れてんだろな……」
俺はあたりを見まわしながら、ひとりつぶやいた。
塀の向こうを覗いてみる。
すると警備員がひとりこちらにやってきた。
俺は塀にぴたりと身を寄せると、向こう側の気配を読んだ。
そしてしばらくすると。
ぶんっ!
まるで釣り師のように、ワイヤーを放った。
俺は手ごたえを感じると思いっきり引っ張った。
塀の向こうで、ぶつかる音がした。
俺は背伸びをして覗いてみた。
警備員は気絶していた。
俺は手を伸ばして、警備員を塀のこちら側に引っ張りいれた。
そのとき、イヤホンから音芽さんの声がした。
『なあ、ふたりとも。門に集まっていた警備員がそっちに向かってるよ』
「今、ひとり倒したよ」
俺が言うと、音芽さんは努めて明るくこう言った。
『無理しないでね。できるだけ戦闘は回避しよう』
すると魅夏先輩は叫んだ。
「目に映った奴ァ、片っ端からブッ倒すぞッ!」
先輩は今まで以上に暴れまわった。
俺と音芽さんの口から同時に、名状しがたいうめきがもれた。
俺は加勢に入ることも忘れて、茫然と立ちすくんだ。
今になってようやく自分の置かれた状況を理解しはじめたのである。
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