〃

「先輩どうしたんすか。なんか急に機嫌悪くなってません?」

「うっさい、早くしろっ」


 魅夏先輩は、乱暴に俺にパラシュートを背負わせた。

 それから俺を押してセスナに乗せた。

 俺は救いを求めるように音芽さんを見た。

 音芽さんは、困り顔で携帯端末を操作した。


 キイィィイイイ――――ンンンンン!!!!!


 するとセスナは、いきなり発進した。

 屋上の滑走路から空へと飛び立った。

 俺は、あわてて扉を閉める。

 うようにして座席に向かう。

 正面には魅夏先輩が座っていた。

 俺が席につくと、魅夏先輩はぶっきらぼうに言った。



「なあ。これからやることを説明すんだけど、いいかな?」

「えっ、うん」

「あのな。このセスナは高度3000メートルまで上昇して、スカイタワーの上空を通過する。で、そこから、あたしたちはスカイダイビングする」

「えぇっ!? スカイダイビングゥ!!」


 俺はアホみたいな顔をして、バカみたいに叫んでしまった。

 魅夏先輩は説明を続けた。


「セスナから更衣室までの距離は2550メートル。手脚を広げた姿勢、大の字で飛べば時速200キロで通過することになる。で、そのままだと地面に衝突するから、更衣室の少し手前でパラシュートを開く。ここまで良いかな?」

「良くねえよッ!」


 俺は叩きつけるように叫んだ。

 それを先輩は鼻で笑った。

 そして言った。


「とりあえず誠也が先に飛んで、カタナで更衣室のガラスを斬る。あたしは追うように後から飛んで、聖羅ちゃんを撮影する――こういう段取りにしよう。カタナで斬るほうが簡単だからな」

「そんなことできるかよ」

「『できるか』なんて言うなよ。やるんだよ」

「アホか先輩はッ! というか、いつもこんなアホなことやってたのかよ」


 俺は今更、がく然とした。

 魅夏先輩は、姉さんと幼馴染おさななじみだからよく家に遊びに来ていたけれど。

 だから先輩のことは昔からよく知っているけれど。

 ずいぶんと色んな意味で可愛がってもらったけど。

 思い出すとだんだん怒りがこみあげてきたのだけれども。

 だけど、こんなアホなことをする人だとは思いもしなかった。

 俺は、このときほど先輩のことを頭がおかしいと思ったことはない。

 気の毒に思ったことはない。

 で、そんな思いが露骨に顔に出た。

 が。

 それなのに魅夏先輩は、なぜか胸を張った。

 優越感に満ちてニヤリと笑った。

 それからこう言った。


「なあ、心配すんなって。別に斬れなくてもいいから。ガラスを叩いて、聖羅ちゃんを驚かせて、こっちを向かせるだけでいいからさ」


 先輩は嬉しそうな顔で、俺の肩をぽんぽん叩いている。


「あとさ、誠也。このベルトのこの装置な。もし、あんたが地面に激突しそうなときは、あたしがこれで引っ張り上げるから。磁石みたいに引き寄せることができるから」


 だから安心しなよ――と、先輩は言った。

 俺は、この頭の悪い作戦よりも、わが身に迫る危険よりも、なにより魅夏先輩が無理して俺の機嫌をとっていることに反発をおぼえた。

 そういうことをさせている自分がひどく情けなく思えた。

 カッコ悪く感じたのだ。

 だから俺は見栄を張った。


「俺が、先輩を引き寄せることもできるんすか?」


 先輩が危ないときは、俺が助けてやるぞ――と、俺はカッコつけたのだ。

 すると先輩は、はじめ驚いたような顔をして、それから母性に満ちた笑みをした。

 そして言った。


「よろしく頼む」


 先輩は身を乗り出して、俺の手を握った。

 席を立ち、俺の隣にやってきた。

 肩をくっつけ、ぴったり身を寄せた。

 それから先輩は甘えるように、俺の肩に頭を乗せた。


「あのっ」

「なんだよう」


 先輩は首をねじむけ、口をとがらせた。

 顔をあげて背筋を伸ばした。

 ぐいっと俺を引っぱって、それから俺の頭を自身の太ももに押しつけた。

 そうやって強引にひざまくらにしたのである。


「ちょっと」


 いつまでもガキ扱いしないで欲しい。

 俺は押さえつける手をふりほどき、もがいて脱出した。

 すると先輩は可愛らしくスネて言った。


「誠也はもう、高校生なんだな」


 そして普段とはまるで違う、妙にオンナくさい笑いかたをした。

 魅夏先輩は甘えるように身を寄せてきて、じっと上目づかいで俺を見た。


「っ……」


 俺は、すこし動揺した。

 ツバをごくりとのみこんだ。

 永遠にも感じられる沈黙だった。

 それを破ったのは、骨伝導無線からの声だった。



『ああー。い雰囲気のところ悪いんだけどお。補足説明してもいいかな?』

「「はうっ」」


 俺と魅夏先輩は、あわてて飛び退いた。

 飛び退いた後で、別に離れる必要ないじゃないか、見られているわけじゃないし、それにヤマシイことをしていたわけでもない――そう思った。

 急に可笑しくなった。

 そういった雰囲気は伝わるのだろうか。

 音芽さんは大きくせき払いした。

 それから俺たちの返事を待たずに説明しはじめた。


『あと5分ぐらいでスカイタワーに着くんだけど、キミたちはそこから飛び降りるんだけど』

「ああ」

『で、どうなるかというとこれは運動方程式 y = 0.5gt^2 で表されるんだ』

「ようするに?」

『数式に当てはめると、時速800キロ以上で地面に落下する。だけどまあそれは真空での話でね、実際には、だいたい157メートル、5.66秒ぐらいで時速200キロに達すると、あとは等速直線運動っぽくなって22.09秒で更衣室の外を通過するんだよ』

「んんん?」

『すなわち、ダイヴしてから27.7秒後にターゲットを撮影すればいい。で、それと同時にパラシュートを開いて10秒くらいで地上に降りる――そんな感じだね』

「ずいぶんと『だいたい・・・・』や『ぐらい・・・』が多いんだな」


 俺はぼんやりつぶやいた。

 魅夏先輩がくすりと笑った。

 音芽さんは苦笑いで言った。


『でね、着地した後なんだけど。魅夏のバイクが近くに停めてあるから、それで逃走してちょうだい』

「うん」「了解」


 俺と先輩は笑いながらうなずいた。

 先輩の顔が、すうぅっと真剣な表情へと変わっていく。


『じゃあ最後に――。弟クンに、音芽お姉さんから一言』

「あっ、はい」

『ねえ、誠也クン。キミはもしかしたら『なんで俺が市政と闘わなきゃいけないんだ』って思っているかもしれない。『こんな危険なことを、なんで俺がしなくちゃいけないんだ』って思っているかもしれない。ボクがキミの立場だったら絶対に思っている。それが普通の高校生の感覚だと思うんだ。でもね、誠也クン。闘う者だけが、守られる者には味わえない人生をおくることができるんだ。だから誠也クン……』

「長いよ」


 と言って、魅夏先輩は笑った。

 俺も笑った。

 音芽さんの笑みがイヤホン越しに伝わってきた。

 俺たち3人は、しあわせに満ちた沈黙を楽しんだ。

 やがて音芽さんが、俺たちを鼓舞するようにこう言った。


『OKぇ、ふたりとも! そろそろスカイタワーだよ。ボクがキミたちなら呑気に話など聞いてないで、すでにダイヴしているぞッ!!』

「おう」


 俺はニヤリと笑ってダイヴした。

 一拍おいて、先輩が後に続いた。


 俺たちは時速200キロで、ターゲットを目指す。



 10秒、11秒、12秒……。

 俺は淡々と秒数を数える。



 19秒、20秒、21秒……。

 目をつぶり、左手に持ったカタナに右手を添える。

 気力をこめる。



 25秒、26秒、27、


「そこッ!」


 俺はパラシュートを開き、それと同時にカタナを突き出した。

 カタナはパソコンのファンのような音を発して、衝撃波を放出する。

 第2展望デッキを縦に割る。

 更衣室の窓に亀裂を入れる。

 砕く。

 デッキにいる人たちの注目を集める。

 聖羅ちゃんを注目させる――はずだったのだけれども。



「なにィ!?」


 デッキには、機動隊があふれていた。

 アサルトライフルが窓の外に向けられていた。

 そう。警察署長の娘など、どこにもいなかったのである。


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