ROUND3 鬼神寺住職の孫・穴山桔梗

 国道を西にしばらく進んだ。

 魅夏先輩が叫んだ。


「代われ」


 先輩は、するりと俺のふところに滑りこんだ。

 ぐりぐりとお尻を押しつけて、俺を後ろに押しやった。

 魅夏先輩は、そうやって俺からハンドルを奪った。

 俺が口を尖らせると、先輩は言った。


「追っ手をまいた後、高速道路で帰ろう」

「…………」

「なんだよう?」

「……別に」


 俺はそう言って、先輩の胸にモミッと手を乗せた。

 先輩の強引なやりかたには、朝からずっとイライラしていた。

 これくらいの仕返しはやっても良いような気がしたからだった。

 すると先輩は、


「あんっ」


 と、腰をくねらせ可愛らしい声をあげた。

 普段の先輩からは想像できない、吐息ともあえぎともつかない声である。

 そんなオンナの声が、イヤホンからふきつけられた。

 俺は、くちびるをふるわせただけで、しばらく声もなかった。

 やがて魅夏先輩は、くやしそうに言った。


「運転中だぞ。危ないから止めろよなあ?」

「えっ? うん」

「そういうのは後で音芽にやらせてもらえよ」

「いやっ」

「なんだよ、音芽の胸をさわりたいって言ってただろお?」

「それはまあ」

「ああン?」

「ごっ、ごめんなさい」

「なんで謝るんだよお」


 魅夏先輩はそう言って、バイクを思いっきり傾けた。

 側道に入り、何度も右折左折を繰り返した。

 追っ手をまくためだ。

 そのうち大きめの道に出た。

 先輩は追っ手がないことを確認すると、まるで母親のような鬱陶うっとうしさでこう言った。


「なあ、誠也ァ。あんた、色気づくのは結構だけどな。だけど、誰の胸でもいいから手当たり次第――ってのはくない。まれた人に失礼だからな」

「あっ、はい」

「なんだよ、心こもってないぞ?」

「うん、ああ、はい、すんません」

「……べっ、別に、あたしは初めてまれたからって、怒ってるわけじゃないからな? あたしは、誠意と仁義の話をしてるんだァ」

「すんません」

「あんた、どっちがいんだよ?」

「へっ?」

「音芽の胸と、あたしの胸」

「んんん?」

「どっちをみたいんだって、あたしは訊いてんだよ」


 魅夏先輩は照れくさそうにそう言った。

 なんだか話がおかしな方向に向かいはじめた。

 こんなふうに先輩がおかしなことを言いだしたときは、困り顔で聞き流すのがいいのだが、しかし、このときの俺はすでに冷静な判断力を失っていた。

 先輩に振りまわされ続けて我慢の限界だったのだ。

 俺はイジワルを言ってやろうと思った。


 小さいおっぱいが好きだから、先輩のおっぱいをみたい――と言おうか。

 それとも、

 音芽さんは先輩とは違って胸も器もデカいから、音芽さんのおっぱいが好い――と言おうか。

 ずばり、

 音芽さんのほうが見た目も性格もカワイイから――って、これはさすがに言いすぎか。


 などとイジワルを考えてみたものの、実際、魅夏先輩は顔もスタイルも好くて、ガキの頃からずっと美少女だって評判だったから、こんなことを俺に言われてもショックでもなんでもないだろう。まあ、そうやってチヤホヤされてきたから、こんなふうにワガママに育ってしまったのだと思う。



「あんっ、誠也。ちょっとその手がいやらしい」

「あっ、ごめん」

「もう! どっちが好きかハッキリしてからにしろよなあ?」


 魅夏先輩は怒っているのか悦んでいるのかよく分からない、そんな声で言った。

 するとそのとき、こほんと、骨伝導無線から音芽さんのワザとらしいせきがした。

 音芽さんは、じっとりとした声で言った。


『あー。全部聴こえてるんだけどお。ボクをダシにして、いちゃいちゃしないでほしいなあ?』

「ごっ、ごめん」

『後でボクにもモミモミさせてよお』

「あんたは自分のみなよっ」

『そんな、そっけない。自分のモミモミしたってつまらないだろお?』


 音芽さんは鼻息荒くそう言った。

 見た目はロリ巨乳のクセして、言っていることはただのエロオヤジである。



『さて、それはさておき、ともかくとして。今ちょうど高速道路に入ったと思うんだけど?』

「ああ、高架を走ってる」

『後ろから巨大な熱源が近づいているんだけど、そこから何か見えるかな?』

「ああン?」


 魅夏先輩は首をねじむけた。

 しかしバイクが横に流れるだけだった。

 代わりに俺が見た。


「どうだ、誠也?」

「………………」

「どうした?」

「……いやっ」

「ああン?」

「そのっ、あれっ。あのっ、たぶん見間違えだと思うんだけど」


 と、俺は前置きしてから、音芽さんに訊いた。

 俺たちの後ろに見えたモノについてである。


「ねえ、音芽さん。鬼神寺に、たしか大仏ってあったと思うんだけど。俺たちの今いるところから見えるかな?」

『うーん、ちょっと待ってね。ええっと、鬼神寺の大仏立像は、立った状態の大仏で全高50メートル。ちなみに、ガンダムの高さは18メートル。エヴァンゲリオンとウルトラマンは40メートル。茨城県の牛久大仏は100メートル。で、キミたちは高架の上を走ってるんだっけ?』

「そう」

「そこらへんの高さは、およそ30メートルだね」

「で、大仏が俺たちの左後ろに見えているんだけど」

『ええっと、方位は問題ないよ』

「というか……」

『ん? どうしたんだい?』

「もういい」

『へ?』

「動いてる」

『なにが?』

「近づいてくる」

『もしかして?』

「間違いない」


 信じられないことだが、大仏がどんどん近づいている。

 いや、それは最初に見たときから、分かり切っていたことなのだけれども、目に映る光景を理解し納得するのに、しばらく時間がかかったのだ。

 俺は大きくツバをのみこんだ。

 それから深呼吸をして、ふたりに状況を報告した。



「魅夏先輩に音芽さん。大仏がどんどん近づいています。高速道路のわきをこちらに向かって進んでいます」


 あまりにもバカバカしくて状況報告になっていない報告だった。

 しかし、おそらくそれは身ぶるいするような実感をおびていたのだろう。

 ふたりは、まるで満足すべき報告を得たようにうなずいた。

 で。

 しばらくの沈黙があって唐突に、


 ずうぅん!


 と、地響きがした。

 俺と魅夏先輩は反射的に身をすくめた。




   ▽     ▽     ▽


 地響きといっても地殻変動のたぐいのそれではない。

 一定の間隔をおいて、ずん、ずんと、腹に響く。

 いわゆるこれは足音だった。

 大仏の。



「誠也ァ!?」

「足音です!」

「はあン?」

「この振動は、大仏の足音です」

「バカか」

「いや、マジっすよ」

「あんた頭を打ったのか? それともからかっているのか?」


 魅夏先輩の声に笑いが混じる。

 しかし、俺の言ったことにウソ偽りはない。

 俺だってバカなこととは思うのだが、しかし実際に、俺たちの後ろを大仏が走っているのである。


 いきおいよく手を振って。

 まるで陸上選手のような美しいフォームで。

 困ったことに。

 信じてもらえないとは思うのだけれども。


「しかも、どんどん近づいてくるんすよ!」


 俺は困り顔で言った。

 その刹那せつな



 ずうぅん!


 と、ひと際デカい音がして、大仏がいっきに詰めてきた。

 その凄まじい振動でバイクがふらつく。

 魅夏先輩が懸命に制御する。



 ずうぅん! ずうぅん! ずうぅん! ずっずん!


 ずうぅん! ずうぅん! ずうぅん! ずっずん!


 今、鬼神寺の大仏(全高50メートル)は、まるでスプリンターのような美しいフォームで、俺たちのすぐ斜め後ろを駆けている。

 俺は口をぽっかり開けたままで、それをしばし見上げていた。

 やがて、音芽さんがノドのつまったような声で叫んだ。


『2足歩行とかありえない!』


 そこにツッコミを入れるのかよ――と、そんなことを思っていたら黒い影につつまれた。大仏がすぐそこに迫っている。前のめりでバイクに影を落としている。俺たちに手を伸ばしている。そして、ひょいっと俺はつままれた。


「あっ!?」


 俺は大仏につままれて、天高く持ち上げられた。

 そして大仏は、俺をつまんだまま、走ってバイクを追い抜いた。


「先輩!」

「なんだこりゃあ!?」


 魅夏先輩は、ちょっと笑った。


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