第9話

 しん、と静まる多目的ホールの中に唯一響く、ディーラーがリズムよくカードを切る音。

 両サイドは敵。D三班の核にあたる、丸っこい麻呂が、わたしと棗の隣にどんと座っていた。


「あと何回シャッフルしましょうか?」


 十分にシャッフルし終えたディーラーが、各班の主将に訊いた。


「いえ、もう大丈夫です」


 銀の言葉に賛同するように、敵側の主将も頷いた。


「では、配る前にもう一度ルールの確認をいたしますが、プレー中、私語は厳禁ではありません。しかし、手持ちのカードがなくなり次第、すみやかに席を立ち、ホールの隅で観戦願います。万が一、プレーに参加しないもの、つまり、カードがなくなった方も含め、なんらかの合図、または指示を送った場合、そこで試合終了とし、相手方の勝利となります」


 ディーラーが一呼吸置いてから続ける。


「それでは、ゲームを始めます」


 順番に、十等分に分けられるカードをじっと見つめる。めくってもめくっても、同じ柄のカード。当たり前だが、ジョーカーを裏面から見透かす、なんていう超人技は出来ない。だが、麻呂はゲームが始まる前、穏やかな口調で強気な言葉を口にしていた。


「僕はジョーカーがどれか分かる。引かないよ」


 アルカイックスマイルとはこのようなことだろう。麻呂が座る座布団の色が紫色に見えるのは、きっとわたしだけじゃないはずだ。

 だが、麻呂も人間だ。ただのはったりかもしれない。

 麻呂の向こうにいる棗は、ジョーカーを引かない宣言をした麻呂の言葉を聞いて、顔をしかめるどころか、口元を緩めている。


 カードを配り終えたディーラーが合図をし、一斉にカードを確認した。わたしはざっとカードを流すように見ると、すぐに目だけを少し上げ、辺りを確認する。梓と銀も目線を上げ、様子を窺っている。と、それから数秒後、棗が左手で、右目をこすった。

 銀と梓は、元々のカードの枚数が六枚、あとは五枚ずつだった。敵の班はカード運が良かったらしく、五人全員のカードが一組ずつ揃っており、場にでていた。それを見て、わたしは揃っていた一組のカードに目をやっただけで、場には出さなかった。

 全員がカードの調節を行ったことを確認すると、銀がカードを持つ手を伸ばし、なんの違和感もなく相手にカードを引かせた。わたしは心の中でよし、とガッツポーズをする。

 緊張感が漂う一巡目、誰もカードが揃うことなく、また銀が相手にカードをひかれた。そうやって、二巡目も過ぎていく。


「なかなか揃わないね」


 麻呂がぼやくように言った。麻呂と対戦した友達に、彼がどんな風にババ抜きをするのかきいた梓がいうには、麻呂は全ての試合で、五巡目までに上がっていたらしい。しかし今回、五巡目でやっと一組揃い、あと一枚だというのに、なかなか上がれないでいる。


 まあ、それもそのはずだ。上がれない確率を上げているのだから。


 ここで、梓の考えた必勝法を説明しよう。

 ババ抜きは、一デッキ五十三枚の、素数で始まる。そのため、必ず一人あたりのカードの枚数に不公平が出てしまう。つまり、カードの枚数が偶数の人、奇数の人に分かれる。手札のカードは二枚ずつ消化していくため、偶数の人間は、ずっと偶数のまま、ということになる。奇数の人間も同じく、だ。

 たとえば、ターン開始時に五枚持っているとすると、一枚もらい、もう片方の隣から一枚引くため、五枚に戻る。ペアが揃ったときも同じで、ペアを場に出すと、ターン終了時に残る手札は、三枚になる。

 これを繰り返していくと、最終的に、もとから偶数のカードを持っていた人は、二枚になる。二枚のうち、片方の数字が合っていれば、次はもう引かれるだけなので、奇数スタートよりも楽に上がることが出来る。

 つまり、ポイントとしては、最初に偶数から始まるカードを持つこと。そして、自分が偶数のカードのときに相手からカードをもらう、という行動をすればいいのだ。


 そして、梓が挙げた提案はまだある。カードを合わせるにも工夫が必要だと、彼は言う。それは、相手が取ってきたカードを次に自分が取る、という作戦だ。前の人が揃わなかったカードが、隣の人も揃わないとき、二人ともそのカードを持っていない、ということになる。そしたら、自分のカードとペアになる確率がぐん、とあがる、というわけだ。

 わたしはこれを聞き、きっと初めて、梓に尊敬のまなざしを向けただろう。


 だが直後、そのまなざしを、棗が全て持って行った。


「たしかに、梓が言ったものなら単体でなら勝てる。けど、これは団体戦。もう少し工夫が必要だと、思う」

「団体戦って言った……あの棗が、一番協調性なさそうなのに」

「工夫って?」


 素晴らしいと思った自分の意見が通らなかった梓が、銀を横目に不満そうに訊いた。


「梓の言う作戦に付け加えるだけだから、大元は同じ。まず、ジョーカーの位置を教え合う。それから、相手が四人抜けるまで、ペアが揃っても決して場に出さない。ただそれだけ」

「え、あと一人で抜けちゃうのに?」

「それでいいんだ」

「うーん、ジョーカーの位置はなんかの合図で教えれるとしてさ、ペアを場に出さないってどういう意味だ?」


 今度は銀が訊いた。


「ずっと場に出さないわけじゃない。要は最後に味方のカードがなくなればいい」

「カードを場に出さないってことは、はじめと同じ枚数ってことだろ? なんのために?」

「カードをコントロールしたいから」

「あ、お前、まさか」


 銀が作戦の内容を理解したらしく、笑いだした。


「なるほどなあ。そりゃこえー。及ばねーわ」

「なんだよ銀、教えろよ」

「必勝法だ。反則取られねーか、ヒヤヒヤすっけど」


 笑いが止まらない、といった様子で銀が続ける。


「五匹の羊の群れから四匹逃して、残った一匹を五匹の狼で仕留めるってことだよ」


 銀は、棗の口から言うように顎で促したが、棗もまた、顎で銀をさした。銀は「照れ屋なんだから~」とオネェ言葉になると、この作戦について説明を始めた。が、その内容はまた後に説明しよう。


 ジョーカーを持っている、という合図は、右目を左手でこする、という動作に決まった。そして、カードを配り終え、中身を見たとき、目をこすったのは棗だった。気を利かせた楓がダミーで頬を触り、恐らく相手にはあまり気づかれずに済んだと思う。つまり、今ジョーカーを持っているのは、棗、ということになる。


 棗のカードを取った麻呂が、勢いをつけてカードを場に置いた。一抜けだ。


「やっと抜けられた。お先」


 にっこりとした笑顔を向けると、すたすたと壁際に歩いていく。

 その背中を見送るA八班の皆は、むしろしたり顔だった。何も知らない人から見たら、さぞ不気味だったことだろう。


 わたしのカードは残り五枚、うち一つはペアが出来ている。まだジョーカーが回ってない、ということは、麻呂の宣言通り、麻呂はジョーカーを引かなかったことになる。さすがだ。

 しかし、彼は後悔することになるだろう。彼が最後の一人になった場合、彼の強運が、わたしたちの小賢しい作戦などもろともせず、C三班を優勝に導くことができたかもしれないのに。


「よーし、どんどん抜けるよ!」


 相手方の主将が、波に乗ってきたと言わんばかりに掛け声をする。波に乗らされたとも知らず、とても愉快な気分だ。

 戦いは一見静かに続き、楓に最後のカードを取られた中等部の制服を着た人が、豪快に立ち上がった。


「お前ら、マジでどんだけ運ないの? 全然そろってないじゃん。林、頑張れよ!」


 可哀想だね、と馬鹿にした態度で、その人は仲間のところへ走って行く。


「やっぱりA八班って能力だけの班だよね」

「能力部門だと個々の力の差で押し切られるけど、チームプレイ、出来ないらしいし」

「生徒会長いるけど、元はだっさいヤンキーじゃん」

「俺、及川ってやつ知ってますけど、あいついつも自分が一番って感じで、ぶっちゃけうざいんですよねー」


 壁際で、わざと聞こえるように言っている四匹の羊。プレイを妨害していると言われれば妨害しているが、今からわたしたちがやろうとしていることに比べれば、可愛いもの。みんなも何も思ってないだろう、と銀と梓に目をやると、予想に反し、貧乏ゆすりが激しく、イライラとしたオーラを放っていた。


「僕はもう二枚。まあ、ジョーカーは持ってるけど、こんなにターンがあるんだ、誰か引くでしょ。君たち、本当に真剣にやってたの?」


 向こうに便乗して、一匹の羊、林も、挑発してくる。


「うっせーよ。黙ってろ。お前ら、いくぞ! せーの!」


 あのときは、ルールには載ってない、と言い張り、大ブーイングにも負けなかった。だが、大人になって考えれば、ルール以前に、モラル的に反した行動だったと思う。


 わたしたちは、銀の合図で、一斉にカードを見せあった。


「な、なにしてるのさ!」


 残された一匹の羊が、ぎょっとして叫ぶ。

 全員のカードを見比べる。羊くんはミスをしていることに、やっと気が付いただろう。自分がジョーカーを持っていても、平気だと思い込んでいたことを。

 ここにないカードのペアは、ハートの二。


「お前、二、持ってるだろ。ハートのやつ」


 勝ち誇ったように梓が言った。まるで梓が全て計画をしたかのようだ。


「ってことは、今棗がハートの二を持ってるから、それを取らないようにして……」


 羊くんのポジションは、銀と梓の間だ。棗の手持ちのカードが回らなければ、羊くんは上がることができない。そして、二のカードを隣の楓が引いたとしても、羊の持っているカードは手札を見れば分かるため、またそのカードを羊の手に渡らないようにすればいいのだ。


「そ、そんなのルール違反だ! 失格だろ! なあ、審判!」


 壁際から罵声が飛ぶ。


「えっと、そうですね……」

「ルールにカード見せちゃダメ、なんて、書いてねぇよ!」


 ババ抜きはカードを見せると、自分が不利になってしまうため、そもそもそんなルールを作る必要がないのだ。見せまい、とするため、見てはならない、というルールも同様に存在しない。これは、団体戦ならではの戦い方だ。


「せこいぞ、お前ら!」

「なんの、頭の作りが違うんだよ」


 味方のわたしでさえ憎たらしく感じる顔をした梓が言う。


 ここからはもう、ただただ羊くんの不利が続いた。ジョーカーを楓が抜いても、そのジョーカーを手渡しで回していくため、またすぐに羊くんの手元に戻ってしまうのだ。


「くっそー!!」


 羊くんの手に残る、たった一枚のアルカイックスマイルのジョーカー。


「優勝は、A八班です」


 審判の冷静な声が、羊のメーメー鳴く声を裂くようにわたしたちの耳に入った。

 そのあと、中継を見ていた生徒たちに、せこいだの、人間としてどうかと思うだの、散々言われたが、この戦い方を賞賛するものも、決して少なくなかった。



 そうして、その日のうちにテレビが運ばれてきた。共有スペースが少し狭くなったように感じたが、もともと大きめの部屋だったため、大して気にならない。


「いやあ、してやったって感じで、超気持ちいいな」


 梓が我がもの顔でテレビに触れた。前のテレビよりも二回り大きく、当然だが画面にヒビもない。棗までもが興味津々にテレビを囲んでいたが、珍しく、銀だけがその輪から外れていた。彼は何か考え込むように、窓際に立ち、腕を組んだまま、どこかを睨んでいる。


「ギン兄?」


 わたしは、なんとなく気になって、名前を呼んでみる。すると、薄い二重の少したれた目が、ゆっくりとこちらに向いた。


「ん? 銀くん、どうかしたの?」


 楓の声で、みな、こちらに注目した。


「銀、なんか変」

「変で悪かったな」


 いつもと同じように返しているが、どことなく、覇気がない。


「森の後からずっと変だ」


 問い詰めるように、梓がもう一度言った。


「……ああ、そうだな」

「なにか、あったの?」


 みな、息を呑んで銀の言葉を待つ。銀は、ゆっくりとこちらに体を向けた。そして、何も言わずにポケットから四つ、小さな袋を取り出すと、一人ひとりの手の平にのせていく。


「なんだ、これ?」

「早めのクリスマスプレゼント、とでも言っとく」


 状況を読み込めない四人は、互いに顔を見合わせると、その袋を開けた。

 中に入っていたのは、ピアスだった。片耳用で、わたしのものは赤いストーンが揺れるものだった。棗はシルバーのフープ型ピアス。梓はウェッジドロップ型のシルバーピアス。楓はスタッド型のシンプルなピアスだ。


「なんで急にピアスなんて。銀、彼女に振られたからって、俺らにピアス配んなよ」


 いつもの銀なら、振られたことを言うな、とか、冗談を言うはずだった。だが、このときの銀は違った。余裕のない銀だ。森から帰って、治療を頼んできた銀に似ている。


「……いいか。それ、早いうちにつけとけ。必ず、だ」

「銀くん?」

「え、これ付けるようなの?」


 困惑するわたしたちをよそに、銀が続ける。


「オレ、お前らが能力高いだけじゃねえって知って、嬉しかった。頭も使えるやつがいて、仲間って感じがした。だからこそ、怖くなる」


 銀が続きを言おうとして、その口をもう一度ぎゅっと閉じた。


「何隠してるんだよ、言えよ」


 一歩前に出た梓を避けるように、銀は一歩後ろに下がる。


「今日はもう遅い。また明日だ」


 銀の言う、明日、という言葉が、どこか悲しげに響いた。そんな気がするのは、今だからだろうか。その時にも、そう、感じていたのだろうか。


「明日。明日だな。言い逃れなんかさせねーかんな!」

「あ、ちょっと、梓!」

「待って」


 梓を追いかけようとしたわたしの手を引いたのは、銀だった。

 銀が、わたしの目線に合わせる。と、途端に頭の中がぼうっとし、体に力が入らなくなる。

 それを分かっていたように銀が支えると、そっと抱きかかえられ、床に寝かされた。棗か楓が騒いでもおかしくなさそうだが、聞こえてきた声は、二人とは違う、知らない女の人と男の人の声だった。おそらく二人も、わたしと同じように、ほぼ意識のない状態でいたのだろう。


「今は全身麻痺しているような状態だ。本当にいいのか? お前が卒業するまではって話だったろ?」

「ああ、これでいい」

「あたしの記憶操作は強力だよ?」

「ああ。覚めないうちに、始めてくれ」


 朦朧とする意識の中、銀の声はそう言った。


 記憶操作、始める……


 あまりに突然のことで、一体、なにが起こっているのか、状況を理解しようにも、頭が働かない。視界が歪んでいるのか、時空が歪んでいるのか、間違いなく前者だが、なぜそんなことになっているのか、全く予想もつかなかった。


「みんな、オレのこと、大好きだから。だから、強めに頼む」

「……了解」


 心を殺しているつもりでも、震えているのが分かった。そのとき、わたしは、銀と会うのがこれが最後なのだと悟った。根拠はない。けれど、確かにわたしはそう思った。

 何も教えてくれない、教えられなかったのかもしれない。そんな銀に腹が立ったが、そんな感情を吹き飛ばすように、銀が、わたしの頭をなでて言った。


「守るから」


 その夜聞いたその言葉が、銀の最後の言葉だった。


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