第27話

 棗とわたしは、湖の近くにあった秘密テレポートシステムを使い、アンジュ学校に帰ってきていた。自室でなく、すっかり支配下に置いている客室で、仮眠ともいえない短い睡眠を取っていて目が覚めたところだった。ちょうど生徒たちが登校する時刻で、疲れ切った体や頭には鬱陶しく感じるほどにぎやかだった。


「今日は登校、する?」

「いいよ」


 Kクラスへ移籍して以来、それまで毎日通っていた学校には、ほとんどいけなくなっていた。任務やそれの準備はもちろんだが、任務での心身の疲労を回復させるための時間が、どうしても必要だったため、学校を休んでいたのだ。

 だが、普通クラスに一応は在籍しているため、月に一度は登校しなければならなかった。


「じゃあ行こうっか」


 わたしの呼びかけで棗は軽く頷くと、けだるそうな体を無理に立たせていた。


「久々だね、学校」

「楽しみ?」

「まさか。億劫だよ」


 そう言って、わたしは地上に続く扉を開けた。

 朝のうるさいくらい眩しい太陽に、目がくらむ。任務は主に夕方から夜にかけてのものが多いため、午前中に地上に出ることは滅多になかった。そのため、思わぬ陽射しにひるみそうになったが、わたしたちは地上に踏み出した。



「やっべー、朝から小テスト? 死んだわ」


 二人が歩くすぐ前で、高等部の制服を着た生徒が愚痴をこぼす。


「お前のアンジュずるいよな、歩かないとデブになるぞ!」


 その少し前を行くグループでは、空中を自在に移動できる浮遊の能力を使い、のんびりと登校する友達に向かって叫んでいる。


「みんな、しっかり歩いて~! あとちょっとだからね~」


 その隣では引率の先生に促されながら、寝ぼけ顔のままてけてけと歩く初等部の幼児たち。


 自分たちは何不自由なく、平和で、快適な暮らしを送っていると、信じて疑わない人たちの集団。


「おい、見ろよ。こんな朝から殺人鬼がいるぜ」

「ほんとだ。どおりで血生臭い匂いがすると思ったー」


 すぐ後ろで、三人組がぎゃはは、と品悪く笑う声が聞こえる。

 殺人鬼。それはわたしたちを表す言葉だ。

もちろん、血で汚れ、切り裂かれた制服から新しいものに着替えているため、血の匂いなど、普通の人間であれば分かるはずない。これは、ただの挨拶みたいなものだ。


 Kクラス、というものの存在は、二年前と少し変わってしまっていた。


 南先生は、重要な戦力の一員として本部に召集され、代わりに椎名という先生がKクラスの担任になったのだ。どうやら新米の先生らしく、Kクラスのシステムを全く理解していない。おかげで、Kクラス、というクラスが公になり、任務の存在も、少なからず明るみに出てしまった。

 任務、というものはおそらく、だいたいの人間が本当の意味としては知らないだろう。殺しを好む、危険人物の集まり。近寄るのさえ汚く思え、不快な存在。そんなふうにだけ認識されていたのだと思う。


「あれ? 無視? 学校のゴミの分際で?」


 馬鹿みたいにキンキンする声は大変不愉快で、ゴミに出したい気分になるのはこちら側だ。


「目、やばくない? 死んでるよね、あれ」


 それはお互い様。


 わたしは横目で彼女たちのグループを睨んだ。


 アイテープ見えてるよって誰か教えてあげたらいいのに。


 そんなふうに、心の中で悪態をつくくらいで十分だ。

 わたしたちの気に入らない点を次々と指摘できるほど、もはや好きなのではないかと思うほど観察される毎日。


「別に気にすることない」

「うん、分かってるよ」


 それでも、目が死んでる、の言葉に傷つけられたのは確かだ。きっと、気にしている部分を言われたからなのだと思う。

 皆から悪口を言われて悲しいとか、そういうものではない。楽園から、自ら出て行ったのだ。それなのになんの許可もなく、今、恐れ多くも楽園に住む皆さんの道を歩いてしまっている。

 これくらいの覚悟はとうに出来ていた。それに、人と違うこと、それをいじめの対象にしたがる年頃だ。仕方がない。なんとでも言えばいい。


「でもやっぱり、なんか、違う場所なんだなって。そう思う」

「帰る?」

「帰る、か」


 わたしは弱く笑った。帰る。それは、所属する場所へ戻る、という意味がある。やはりもう、ここの住人ではない。

 Kクラスへ行くことが最善だと考え、悩んだ末にその決断を下した。その決断に後悔はしていても、間違っていたとは思っていない。

 それでも、この地上の学校に未練がないわけではない。むしろ、本来の残酷な世界で暮らし始めてから、より一層恋しく感じることが多くなっていた。


「ううん、行くよ。ちゃんと卒業、したいし」

「そっか」

「あ、でも……」

「なに?」

「棗、体調万全じゃないって聞いたけど。もし今日も悪いなら」

「ちょっとじっとしたくらいで、治るようなものじゃないから」


 棗の体は、少し前から様子がおかしかった。

 癒しのアンジュをどれだけ使っても、疲労感が取れないのだ。棗自身は、問題ない、と言い張るのだが、アンジュを通して体の状態が分かるため、問題があることは分かった。

 銀にこの症状について聞いてみると、それはアンジュの使いすぎからくる、慢性的な疲労だと聞かされた。治すのには最低一年、アンジュを使ってはいけないらしい。本部でも何人かがそのような症状を持っているが、薬を飲んだり、治癒のアンジュに助けてもらったりして、体を騙しだまし乗りきっているそうだ。

 薬、というのはもちろん、覚せい剤のことだ。国では異例だが、アンジュ本部の中では合法とされている。しかし、成長期にこの薬は毒だ、と銀が強く反対したため、本部から定期的に棗へ送られてきた薬は、全て銀の手で回収されていた。

 そのため、ときどきわたしがアンジュを使い、少しでも楽に出来たら、と思うものの、本当に必要なとき以外はいらない、と拒否されることが多かった。


 中等部三年の教室が見えてきた。

 すれ違う生徒たちが、わたしたちの姿を見て、口を噤んでいく。通り過ぎた途端起こる、ひそひそと何かを言う声。いつだったか、理科の授業で一緒だった香菜も、すっかりその一員になっていた。

 棗が隣にいなければ、わたしはとっくにかもしれないな、と思った。もしかすると、さっきのような暴言や、このような態度を取られるのは目に見えているため、心細くないようにしてくれたのかもしれない。

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