第14話

 ホノカ、ヤヨイ、ツムギ、ミヤビ。これら、四つの国からなる大陸が、わたしたちの住む陸になる。ホノカはその中で、最も医療が盛んな国で、経済的にも裕福な国だ。そんなホノカ国が最後に戦争をしたのは、十数年ほど前で、かなり最近のこと。戦争の相手は、ヤヨイ国だった。

 ヤヨイ国は、ホノカの南に位置する、発展途上の貧しい国だ。ヤヨイ国は、ホノカ国に宣戦布告をしてきたため、応戦し、ヤヨイ国を占領するまでになった。ヤヨイ国は土地的に、農業に向かない。そのため、ホノカ国の豊かな土地を欲したらしい。

 というのは、表向きの話。

 戦争を仕掛け、負けることも、全てヤヨイ国の計算だった、という見解があるらしい。


「負けるために戦う人なんているの?」


 わたしはそう言ってから、後悔した。梓は、必死にまとめの作業をしていたが、ほんの小一時間だ。答えにくい質問や、調べていないかもしれない質問は、するべきでなかった。そう頭を抱えたが、意外にも、梓は涼しい顔でスラスラと述べはじめた。


「四つの国の間に、もともとルールがあるんだ。敵国を占領したとき、占領した側は敵国の民を飢え死にさせちゃダメだっていう。その分のお金とかは、全部占領した側が負担しなくちゃいけないっていう」

「ヤヨイはこのとき、歴史的食糧難だったから、経済も土地も豊かなホノカに世話になりたかったのかも」


 歴史を担当していた棗が、まとめた資料をめくりながら付け加える。


「支援してください、じゃダメなの?」

「ホノカは、比較的温厚なツムギとミヤビとは仲がいいけど、政策や言動が攻撃的なヤヨイとは仲が悪いからね。かといってツムギとミヤビは貧しくないけど、一つの国を支援するほどの力はないんだ。あるとしたら、僕らのホノカ国だけだったんだ」


 国家間や、ホノカ国以外の国の文化を担当していた楓が言った。それぞれが、しっかりとした役割を持っていたため、議論がスムーズに流れる。梓は地理と近年の国家間の問題を中心に、わたしは、近年の政治部門を担当していた。


「でも、頭を下げて世話をしてくれ、なんて言えないから。ほら、プライドとか一応あるみたいだし。そこでわざと戦争を仕掛けて、占領してもらって、食糧難によって難しかった生命の保証をしてもらったみたいだ。そうやって貧しい国を立て直そうとしたらしい」

「昔の戦争によると、首謀者は処刑されてるけど、それは民のためなら命を惜しまないっていう考えだったのか?」

「あ! それは」


 わたしは手元の資料を漁った。確か、つい先ほどまとめたところだ。


「ヤヨイ国は共産主義だったから」

「共産主義って?」


 説明の途中で梓が訊いてきた。楓も棗も、それくらいは常識だろう、と言いたげな目で梓をちらりと見たが、梓は真剣だった。先ほど、楓が梓を諭したことで、彼の中での意識が変わろうとしているのかもしれない。普通なら、そのような状態になると、引っ込みがちになったり、他の人の顔色を窺うような行動をするだろうが、梓はそうはしなかった。楓が、そのような意味で梓をなじったのではない、と解釈したのだろう。


「共産主義っていうのは、王族でもないのに、家族で政治を行うこと。一党独裁の社会主義と違うのは、代々家族で、同じ血統で政治をしていくってことかな」

「あ、そうなんだ。ごめん、続けて」

「その共産主義体制は、必ず次の代表者が決まってるわけだから、心優しい人だったり、冷静に物事を判断できる人だったりすると、国は平和でいられる。だけど、その人がもし、とんでもないくらいに馬鹿でチャラチャラした人だったら、国は崩壊していく。ある程度裕福な国ならそれでも何とかなるけど、ヤヨイは貧しい国だから、少しでも経済が傾いたら、しわ寄せは市民に降りかかってしまうの」


 わたしは、調べたことをこのようにして共有できること、それを聞いて納得してくれる素振りを見せるみなを見て、ちょっとした喜びを感じた。が、それも束の間。国家や政治などの社会というものはそう単純ではなく、探求心を持つと、じゃあこれは、こっちは、と話が次々に深く、分からない領域に入ってしまう。


「当時の代表者は史上最低なくらい、下手な独裁をしたみたいで、この人が死刑になろうが、民もお付きの人も、どうでもよかったみたいだ。生きていくための食料の方が必要だったらしい」

「でもそうなると、独裁者って一人で行うから、戦争の指示もその人がだすんじゃない?」

「それは、確かにそうだな……」


 棗が顎に手を当てた。


「ねぇねぇ、さっきから、ヤヨイ、イコール貧しい、ってなってるけど……たしかに農業をするには向かなかったのかもしれないけど、本当にどうにも出来なかったのかな? ヤヨイっていえば、この大陸で唯一ダイヤモンドが採れる鉱山があったのに」


 楓のいうことは、最もだった。貧しければ、農業以外で補えばいいのではないか。そもそも、ダイヤモンドなんていう高価なものを産出出来るのに、どうして貧しいのか。疑問は積り、視線は、地理を担当した梓に集まる。


「時代は資源よりも技術の方が価値が高いから。ダイヤがあっても、それを売ったお金で食料を買うと、ほとんど手元に残らない。食料は持続的に必要でも、ダイヤはなくても困らないから、売れるのはまちまちで、それを頼りに出来るほどじゃなかったみたいだ」


 梓が資料も見ずに、スラスラと答えていく。


「農産物も、有名なの、あったよね?」


 学習時間が短い梓に、しつこく楓が質問をする。まるで梓を試すようだった。だが、彼は少しも焦ることなく、落ち着いて返答する。


「ウィート・トラップだ」

「うぃーと、とらっぷ?」


 今度はわたしが、オウムのように、梓の言ったことをそのまま繰り返す。


「食糧生産が破錠するプロセスのことだ。小麦のわな、とも言う」


 梓は、また、資料を特に見ることなく、説明を始めた。

 小麦などの特定の新しい作物を、それを育てる環境に向かない、土地の悪いところで栽培しようとすると、塩分集積、要するに、土が塩化してしまい、土地が完全に使い物にならなくなってしまう。代々育てていた、その土地に合う伝統的作物を少なくして、小麦などを栽培したがために、元々数少ない農業ができる土地を、自らの手でより縮小させてしまうのだ。自分で自分の首を絞めるとは、このことだろう。


「うーん、でも、どうして小麦を作ろう、なんてなったの? 小麦って、土地のいいところでしか栽培出来ないよね?」

「ある国が、無料でパンをヤヨイ国に輸出したんだ。パンなんて美味しいものを配ったら、その味が忘れられないだろう? また食べたくなる」

「もしかして、そのある国って、ホノカ?」


 梓がうなずいた。ホノカ、という国名を漢字にすると、穂乃香、になる。それは、穂が香ってくるほどにいい土地を持つ国、という意味を持っている。ホノカは医療大国であると同時に、その豊かな土地を使った、農業も盛んな国だ。中でも、米や小麦は他国にたくさん輸出しているほど、毎年よく収穫できている。


「ホノカは、ヤヨイが食糧に困ってるのを、可哀想だとかなんとか言って、主に子どもの給食に出すことを条件に、無償で提供したんだ」

「子供に? 優しいね」

「普通はそう思うよな」

「なにか、悪いことでもあるの?」

「子供が食べたいと言ったら、少しでも頑張ろうと思うのが親だし、その子供が大人になっても、ずっと舌がパンの味を覚えてるだろ?」


 梓の言葉に、わたしは、開いた口に構う暇さえなかった。なんという冷酷な作戦なのだろう。

 一見、食べ物を無償で提供する、ということは、良い行いに見える。きっと、他国から見ても、慈悲深い国に見えるはずだ。それも、未来を担う子供たちのために使ってくれ、と。

 わたしは、ホノカという国を、全く知らずにいた。そしておそらく、このような機会がなければ、何も知らないまま生きることになっていたかもしれない。


 ホノカは、子どもに小麦の味を覚えさせ、自分たちの土地でも育てたい、という意志を持たせた。故意に持たせた。ただでさえ貧しい土地に、無理にそのような作物を植えると、土地が駄目になってしまうと分かっていて、わざと。

 そう考えると、途端に背筋が凍った。


「ホノカは、ヤヨイと仲が良くないはずだよねぇ? あわよくば、自分の手を汚さずに、自滅させようとしたってこと?」


 楓も同じ結論に至ったらしい。


「たぶんね」


 梓はここで、曖昧な返事をした。


「たぶんって、これだけ言っておいて間違ってたら」


 わたしは思わず、梓を責めるように言った。


「ここには、ヤヨイが小麦のせいで土地を失ったことと、ホノカはそれを助けようとして、パンを配ったことが書かれてただけだ。たしかに、この書き方だと、ヤヨイが困ってたからホノカがパンをあげた、みたいになってる。だけど、この小さく書かれている時系列。ここでは逆になってたから、変だなっと思って、俺が勝手に推測した」


 間違ってないと思う。梓は強い口調で、そう続けた。ひとつひとつ、時間がない中、彼なりに考え、見つけ出した答えだった。それを聞いて、ひとり、楓が、目を細めた。悲しそうに、でも、嬉しそうに。

 自分が梓のどこより劣っているのか、理解できない。

 そう楓は言っていたが、それは、彼の表情を見ていると、やっぱり違う、とわたしは思った。普段真面目にしている楓と、普段ふざけてサボったり、自己主張が強いわりに、嫌なことがあればすぐに逃げ出す梓。そんな人より、劣ってる、と分かってはいても、認めたくないだろう。だが、楓の場合は、心の中でそれを認めている。けれど、口先はまだ、認めていることを梓に隠しておきたいのだと、そう感じだ。彼を、前に進ませるために。


「あっくんがそうやって分析しなかったら、ミスリードさせられる文脈だね」

「ここに時間を取られて、他はあまり出来てないけど」


 梓が白状する。おそらく、皆が注目するものに山を張り、そこを重点的に調べつくしたのだろう。


「これで少し見えてきたね」


 楓が言った。


「どうして社会をしないのか。こんなの、国民に見せれるものじゃないもんね」

「待って、フォアでは社会を勉強するんでしょう?」

「ああ、まあ。ただの暗記科目として、だけど」


 フォアにいた時期が長い棗が答える。


「暗記科目? 調べたらなんでも分かる時代に、暗記なんて無駄なことをするのか?」


 梓が鋭く切り込んだ。


「詳しくは覚えてないけど、主に、出来事の名前を回答欄に書く試験だった」

「形式的だ」

「無駄とも言えるけどねぇ」


 そうは言ったものの、皆の顔は満足そうだった。有意義な議論と、自分たちの確かな成長を感じられたからだろう。


「こんな感じだけど、なにか掴めそうか?」


 そうだ。

 このように資料をまとめたりし始めたのは、そもそも名前も分からないAの言葉が原因だったのだ。先ほどまでは覚えていたのに、今、すっかり忘れてしまっていた。


「うん」


 棗が、はっきりしない声で返事をする。


「たぶんだけど、これは、分からないと思う」

「え?」


 わたしが聞き返す。


「でも、無駄じゃない。今の話だけで、少なくとも俺たちは、情報を極めて制限されているってことが証明された。もっと言えば、コントロールされているって言っても、おかしくない」

「あ……」

「どうかした?」

「えっと、あの」


 向かいに座っていた楓が、続きを促すように覗き込んできたが、言葉にならなかった。何かを言いたいのに、頭では分かっているのに、口に出そうとすると、降りてこなくなる。どうしたのだろう。痛みはないのに、頭の中が歪む心地だ。


「ごめん、分からない」

「大丈夫? あ、もうそろそろ三時だね」


 楓が振り返って、壁にかかる時計を確認した。


「由美子さん、帰ってくる前に片付けなきゃな」

「どうする? 本。返しに行こうか?」

「だな」


 梓がふらっと立ち上がり、持てるだけの本を両手に抱えると、ドアの方へと歩いていく。その後ろ姿をぼう、と見つめるうちに、誰かのものと重なった。

 わたしは、無意識に耳元のピアスを手で触った。ピアス――いつの間にあけたのだろう。

 ピアスというのは、生涯のパートナーとしたい人に、マーキングとして、男性から女性に送るもの、とされている。それはあくまで身につけるものではなく、大切にしまっておくものだ。ピアスは、身につけることでその意味が変わってしまう。

 ピアスにはもうひとつ意味がある。家畜の耳につけられる、個体識別のための標識と同じ意味があるのだ。


 そのためわたしたちの認識では、人間が身につけるものではない。それなのに、棗の耳にも、梓の耳にも、楓にも、みんなついている。由美子は? いや、彼女はストレートの髪を耳にかける癖があるが、彼女の耳に穴は開いていない。

 買った覚えも、穴をあけた覚えも、つけた覚えもないピアス。まるで、四人が、誰かの家畜だと言わんばかりにつけられたピアス。 

 隣で棗が何か言ったような気がしたが、気のせいだろう。わたしは考えにふけっていた。


「聞こえてる?」


 気のせいではなかったようだ。わたしは、棗の方を見た。がっちりとはめられた、シルバーのピアスが、また目に入ってきた。綺麗なはずなのに、なんだか複雑な心境になる。


「それ、持って」

「……うん」

「わるいけど、さすがにそれ全部は持てない」


 棗は、わたしの低い返事が、荷物を運ぶことへの不満だと勘違いをしてそう言うと、はい、と行きよりも軽めの本の塔を渡してきた。

 知らないことが、多すぎる。いや。忘れなければならなかったこと、という方が、しっくりくるかもしれない。

 人間じゃない、と言われている印の、このピアスを見ると、嫌な気持ちになるのに、なぜか愛おしい感情が混ざり合ってくるのだ。それは、棗をみているからではないと思う。

 なんとなく、このピアスは名前も顔もわからない、Aがしたことなのだと感じた。何もわからないのだ。そうなれば、すべてこの人のせいにすれば、片付くような気がする。本気で忘れさそうとするならば、梓にメッセージなど、残さないはずだ。きっとそう。

 わたしはそう決めつけることで、この問題を片付けることに決めた。耳にぶら下がっているピアスは気に入らないが、髪で隠せば見えない。

 よし、と勢いをつけて立ち上がると、本や資料を持ち、足でドアを押さえてくれている棗のもとへ歩いていった。


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