第13話

「じゃあ、どうなっちゃうの?」


 わたしは恐る恐る、ためらいがちに訊いた。


「問題はいくつかある。それだけ技術が進化してれば、人間と大差ない家政婦ロボットも、簡単に作れる。そしたら……結婚するメリットがなくなる」

「え、それとこれとは関係ないんじゃ?」

「夫婦のメリットなんて、そんなものだよ。唯一残ったメリットといえば、性交渉の相手に困らないってことだけ」


 うっ、と言葉が詰まった。確かに、全てをしてくれるロボットがいて、それが人間がしたのと変わらないクオリティのものだったら、世話をしてくれるだけのパートナーは必要ない。


「それくらい発達すれば、この資料が言うように、全部ロボットに任せることが出来るから大量のリストラもあり得る。仕事を失う人が、労働者の半分にだってなる」

「それじゃダメじゃない……」

「そう、ダメなんだ」

「もう、答えを教えてよ!」


 埒が明かない。とうとう我慢できなくなったわたしは、眉をひそめて言った。


「ロボットは、高額だ。それに、故障もする。そしたら、メンテナンスの費用がかかるだろ? 一方、人は給料でどこかに遊びに行ったりして、勝手にリフレッシュしてくれる。それで、給料を与え続ける限り、働く。ここまで分かる?」

「うん」

「答えから言うと、職業の半分がなくなったりしなかった。ロボットに支配される日も、なかったよ。そうすると、貧しくなる人がいるからね」

「解雇された人たち?」

「いや」


 棗が一度言葉を切り、マグカップに口をつけてから、ゆっくりと口を開いた。


「みんな」

「みんな?」


 解雇された人は当然、仕事がなくなるわけだから、貧しくなるのは分かる。だが、ロボットを扱っている会社や、社長クラスの人間は、一人で利益を持つため、裕福になるではないか。


「仕事がなくなれば、お金を使わないようになる。贅沢も出来なくなる。ものやサービスを買うのは誰?」

「人」

「まあ、間違いじゃない」


 棗の口元がわずかに緩む。


「言い換えれば、消費者だ。でもそれは、明日の被雇用者にもなる。その消費者が物を買わない。そしたら会社が儲からなくなる」

「あ」

「わかった?」


 その声は、優しかった。


「うん、ループしてる。だからどれだけ人工知能が発達しても、ちゃんと人は雇ってもらえるんだね!」

「そう」

「じゃあ、この職業がなくなるっていう記事書いた人は、頭がよくないの?」

「そういうわけでもない。これ、当時はすごく問題になったらしいし。でもひとつ言えるのは、考え方を知らないっていうだけ」


 エリカはもっと、考えないといけない。そう言った棗の言葉が、頭の中を流れていった。


「今の話、ひとつひとつはどれも当たり前のことだっただろ? 知らないこと、あった?」


 わたしは下を向いて、首を横に振った。情報の送受信のこと以外は、どれも当たり前で、どうして棗は当然のことばかり話すのか、とも思っていた。


「言葉は悪いけど、そうした自分自身の中にある、乏しい知識さえも引っ張り出せてない。けど、知識を披露するのが考えでもない。引っ張り出して、そこから多角的に考える。それが、思考」


 わたしは、顔を上げて棗を見た。こんなこと、誰も教えてはくれなかった。このとき、わたしはぼうっと、棗に見惚れてしまっていたと思う。それと同時に、懐かしさのようなものがこみ上げてきた。どこかで聞いたことがあるような気がする。


「多角的に物事を見るんだ」


 耳の中が、ごうごうと鳴った。誰かがそう言っていた。たぶん……いや、きっと、あの人だ。誰かは分からない、あの人。このように資料をかき集めて、調べるきっかけを作った、少数派と多数派の質問を投げかけてきた、Aだ。

 そのとき、この話はここで終わりだ、というように、正午を示すチャイムが部屋に鳴り響いた。


「早いうちに、まとめようか」


 由美子が戻ってくる前に、片付けなくてはならないことを思いだした棗が、再び資料に視線を戻した。わたしもそれに乗じ、持ってきた資料を見漁っていく。


「具体的に、何について調べたらいいのかな? 時間も限られてるし……」

「あ、そうだな」


 棗は自分の手元にある資料に目をやると、全てめくると指紋がなくなりそうなくらい分厚い資料の束をぱらぱらとめくった。


「ポジションにも色々ある。正直、昨日言ってたものは範囲が広すぎて、何を的に調べたらいいのかが分からない。でも、自分を支点にしても、たぶんポジションなんて分からない。そこに距離がないから。他者から映る俺らと、俺らからみる他者。その距離を測ったら、見えてくると思う」

「じゃあ、他国との交流を見ればいいってこと?」

「そうだな。特に、戦争とか調べたらいいかもしれない」

「どうして?」


 また、自分で考えろ、と言われるかと思ったが、今回はそうは言わなかった。


「俺には、アンジュ学校ってところが、良い部分しか見せてない気がしてならないから。喧嘩したときに相手の本音が聞ける、みたいな感じ」


 そんな風に考えたことがなかったわたしは、いくつか引っかかる部分があったものの、時計と大量の資料が目に入り、とりあえず、わかった、と返事をした。

 要は、戦争について、政治的に見ていけばいいのだ。


 さっきの棗の話がなければきっと、五分ほどで眠気と戦うのに必死になっていたことだろう。が、きちんと内容を理解し、その裏にある背景を考えながら読んでいくと、普通に読むより、ずっと面白い。普段本を読まないため、すぐに疲れの限界が来てしまい、惜しいくらいだ。そのたびに首をぐるりと回してみたり、楓が買ってきてくれたチョコレートをつまんだりした。そんなとき、いつ見ても、棗は資料と向き合っていた。わたしが資料と、にらめっこをしているのに対し、棗は、市民からの意見を黙って聞く貴族のように、静かだった。


「エアちゃん、どう? 進んでる?」


 楓がそう訊ねながら、お茶のおかわりを注いでくれる。楓も集中して資料をまとめているはずだが、そのような気配りも忘れない彼に、自分が恥ずかしくなる。


 そのとき、ドアの方で、影がガサガサと動いた。きっと梓だ。楓も気づいているはずだが、彼はそちらを見ることもなく、ペットボトルを床に置き、自分の作業に戻っていった。

 影はまごついたままドアを開けられずにいる。おそらく本をたくさん持っていて、両手がふさがってしまっていてドアに手こずっているのだろう。わたしはペンを置いた。


「エアちゃん、ここなんだけど」


 ドアを開けにいこうとしたのが分かっているはずなのに、楓が資料を指さした。


「ちょっと待っ……」


 そこでわたしは、口をつぐんでしまった。

 資料を指す楓の指の爪が、白くなっている。力の入れ過ぎだ。プリントがズズっとこちらに滑ってくるほどだった。言葉にしなくとも分かる。楓は、行かなくていい、と伝えてきた。

 すると、不格好な音を立てて、梓が部屋に入って来た。


「悪い、ちょっと捕まってて」


 梓だ。この一連の出来事を知らない梓が、ドタドタと部屋へ入ってきた。どことなく、梓の顔が疲れている。


「涼花嬢でしょ? てっきり夕方まで帰って来ないんじゃないかと思ってた」


 楓の口調は、普段通りだった。だが、だからと言って、梓がサボってデートをしていたことを許す気はさらさらないようだ。その証拠に、両手がふさがっている梓のために荷物を持ってやることも、資料で足の踏み場の少ない床を整理してやることもない。なのに、にっこりとした笑顔は崩さない。


「これ、ここ置いていいのか?」

「そこはまとめ終えた本の場所」

「じゃあここ……」

「そこは、まだ使うかもしれない資料の場所」

「じゃあ」

「あっくん、どうしてデートに行ったの?」


 楓は、詰問した。普段笑顔の楓が、真顔になっている。


「昨日、あれだけ意気込んでたのに」

「それは……」


 梓からしてもきっと、なじってくれたり、責められた方が、まだ気分がよかったに違いない。その先の弁解する言葉は、聞こえてこない。


「怒ってるんじゃないよ。怒ってるんじゃない。でも聞いて。僕もきっと、名前も顔も分からないその人のこと、好きだった。たぶん、みんなに負けないくらい。なのに、その人はあっくんにだけ、言葉を残した。エアちゃんや棗じゃないのは、年下だからっていうので納得がいくでしょ?」


 左右後方にいる棗とわたしを、ちらりと振り返った。特に返事を求めていたわけではないらしく、うなずく前に梓に視線を戻している。

 一呼吸おいて、楓が続ける。


「けど僕じゃないのは、納得できない」


 梓の手から、本が数冊、こぼれ落ちた。


「僕より、あっくんの方が優れてたから、Aはそうしたんでしょう? けど、今の僕には、あっくんのどこが僕より優れてるか、なんて、分からない。その人の判断ミスだった、とも思ってる」


 楓の言葉は、強かった。いつも語尾に余韻を持たせる楓ではなく、一言一言の槍の矛先を梓に向けている。その矛先に、精一杯の丸みをもたせて。


「ごめんね、急に」


 楓は最後にそう言って、チョコが入っているはずのお皿に手をのばした。


「あ……」


 わたしは小さく声をだした。先ほどからわたしが遠慮なく食べるもので、お皿は空っぽになってしまっていたのだ。

 楓は、ふっと、精一杯おかしそうに息を吐いた。


「エアちゃん、食べ過ぎ。チョコ、買いに行ってくるね。本腰入れて調べるのには、必要でしょ」


 楓は席を立つと、呆然とたたずむ梓を見上げる。ほんの二秒ほどだった。やがて、ぐっと唇をかみしめると、楓は、梓の隣をすり抜けるようにして部屋を出て行った。


「……ごめん」


 楓の姿が見えなくなったころ、梓が言った。


「なんか俺、色々分からなくなってて。色んなことがこう、一気に乗っかると、逃げたいって思って」


 梓は、持っていた本を全て床に落としてしまった。自分の足に重い本が落ちてこようが、感覚がなくなったように、痛いとも言わず、眉一つも動かさない。


「楓があんなこと思ってるとか、考えもしないで俺」


 わたしは見ていられなくなり、席を立った。足元の本を取り去る間も、梓は足が棒になったままだ。その様子を、棗は、冷ややかな目でじっと見つめていた。このとき、棗は楓に肩入れをして、梓の心の甘さを非難しているのだと感じていた。もともと棗と梓は不仲であるため、そうなっても仕方ない。わたしは棗の心に、他の感情があるとは、思いもしていなかった。


「……お前が逃げてる間、俺たちは結構進んだから」


 棗は梓の手が届く距離に、まとめた資料を何枚か置いた。梓は大きく息を吸ってから、資料の置かれたところに座る。


「ありがとう」


 梓は腕時計を外し、机の上に置いた。


「一時間」


 はっきりとした口調で言う。


「一時間でこれ、全部説明できるようにまとめるから」

「これ全部?」

「資料には出来ないかもしれないけど、説明できればとりあえずこの場はいいよな?」


 棗は相変わらず感情のこもらない目で梓を見ていたが、やがて、小さく二度、うなずいた。


「戦争中心に」


 手短すぎるポイントを伝えると、了解、とだけ返事が返ってきた。

 それから一時間、彼は一言も言葉を発さず、苦手な活字から目を背けることもせず、ただひたすらに資料と向き合っていた。

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