第12話

 本は分担して探し、調べてまとめることになった。梓とペアだと、なんとなく心もとない。しかし、迷ったらとりあえず借りていく、という梓のスタイルはそれほど悪くなかった。ジャンルは決まっている、梓が地理で、わたしは政治分野が担当だ。


 迷う必要がないため、思ったよりもスムーズに本を選び、図書館を出ることができた。

 図書館で調べても良かったのだが、普段勉強をしない二人が、長時間図書館にいるのは変だ、という梓の意見で、本を借りた。このような大量の本を借りることも怪しいのではないか、と思ったが、今日はカウンターが無人で、セルフサービスの日だったため、事なきを得ていた。


 とはいえ、考えなしの手当たり次第に借りた本は、梓と分け合っても、片手で持つには重すぎる量にまでタワーのように積みあがっていた。両手で下から支え、やっと持てるほどだ。女子にしては力があると、自信を持っていたのだが、梓のようにすいすいとは運べない。

 休憩しよう、とか、梓にもう少し本を持ってくれ、などと言うことも出来たが、もともと梓は、わたしよりも多くの本を持っている。なのに少しもへばった顔をしていない。それを見て悔しくなり、こちらも涼しい顔で歩き続けた。

 が、体は熱くなっていき、カッターシャツの背中の部分は、汗が分かるほどだったことだろう。額の汗も拭いたかったが、如何せん両手がふさがっており、それはかなわなかった。

 前髪が額にへばりつき、気持ち悪い。


「あ! あっくんだぁ」


 そんなとき、ねっとりとした暑苦しい声が聞こえたと思うと、前方からパタパタと、走ってくる音がした。


「あ、涼花」


 梓もまんざらでもなさそうに、その女の子を迎える。わたしは、どこがすずだ、とツッコミを入れそうになったのを、喉元で飲み込んだ。


「あっくん、昨日も会いに来てくれないし。寂しかったんだよぉ」

「ああ、ごめん。ちょっと色々あって」


 会話から、目の前にいる愛嬌で補正がかかりそうな女の子は、梓の彼女だ、と察した。意外だったのは、昨日、梓がその彼女のもとへ行っていなかった、という点だ。昨夜話し合った後、梓はすぐに部屋から出て行ってしまったため、彼女のところへ行ったのだろう、と楓が肩をすくめていた。わたしもそう思っていたが、それはどうやらハズレだったようだ。


「それよりねぇあっくん、何してるの?」


 涼花は、の持つ、大量の本をいぶかし気に見る。


「本を運んでるだけだよ」

「その子と?」


 すかさず鋭く言うと、涼花は、じと、とした目をこちらに向けた。嫉妬、というよりも、まるで値踏みするかのような目だ。


「まあ、な」


 それに気づいた梓が、さりげなく、涼花とわたしの間に割って入る。


「ごめんな、急ぐんだ。悪いけどまた」

「えぇ? 何するの? いいじゃない、今から遊ぼうよ」


 ねぇねぇ、と猫がじゃれるように、涼花が梓の腕に絡みつく。わたしは思わず一歩退いた。見てはならないものを、見せつけられている気分だ。


「いや、今日は」


 梓がその手をそっと押さえるが、涼花は懲りずに、また梓の腕に自分の腕を絡ませた。


「梓。先に帰ってる、から。ゆっくり」


 見るに見かねて、わたしが言った。本当は、棗や楓も待っていることだし、早く調べたかったが、そんなことが言える空気ではない。きっとあの女の子は、敵に回すと、面倒くさいタイプだ。


「ちょ、エリカ」

「ほら、ね? あっくん。行こう?」


 はちみつ声が、背中の向こうで聞こえ、首のあたりがぞわりとした。梓がこちらに何か言っているのは耳に届いていたが、あえて無視をすることにする。幼馴染のこういうところは、あまり見たいものではない。


「何が、あっくん、よ」


 わたしは気持ちに任せて空中を蹴り上げた。ローファーが飛んでいきそうなのと、思いのほか本のバランスが崩れたことによって慌てて態勢を立て直す。

 楓の言う「あっくん」と、涼花の言う「あっくん」は、根本的に違う。普段可愛いながらも、あっくん、の言葉に可愛さを含まない、クリアな発音の楓に対して、涼花は話し方すべてが、ねっとりとしている。個人的な感想を混ぜて表現すると、至極うざったい話し方だ。


「あれ、エアちゃん」


 タワーの横から覗き込んでみると、偶然にも、楓がそこにいた。彼の手には、お菓子の入った袋が握られている。買い出しに行っていたようで、エレベーターが来るのを待っている。


「一人なの? あっくんは?」

「えっと、彼女と遭遇して……」


 楓は、なるほど、と納得したようにうなずく。そして、当然のように、タワーの上層部を数冊、ひょいっと引き取ってくれた。


「すごいでしょ、涼花嬢」


 楓が「嬢」を付ける意味もよく分かる。自信たっぷりで、派手なドレスが似合いそうな容姿。まるで、どこかの成り上がりのお姫様だ。わたしは楓を見習い、以後、涼花嬢、と呼ぶことにしよう、と心に決めた。


「可愛いと思うよ」


 楓の言う、すごい、をどの意味で取っていいのか分からず、とりあえず、答えを置きに行った。すると、楓がケラケラと笑いだす。


「エアちゃん、嘘下手だねぇ」


 瞬時に見破られ、わたしも楓につられ、苦笑いするほかなかった。


「梓がなんであんなのと付き合ってるのか、分かんないよ」

「なにか魅力的なところがあるのかも」


 精一杯のフォローを入れるも、楓が吹きだした。


「魅力的? 涼花嬢が? まあ確かに、胸はあるって専らの噂」


 それにやられたのかなー、と楓がにやにやとする。


「まあ、僕の方が圧倒的に可愛いと思うけどね」


 きゅるん、とした愛らしい口で、ときどき毒を吐く楓。このような彼の、自信家だが、本音を隠さないところに好感を持てる。

 エレベーターが到着し、タワーの高さを気にしながら乗り込む。


「梓は、その……涼花嬢のこと、好きなんでしょう?」

「さあ、どうかな。ぐいぐい来られると、拒めないタイプかも」


 楓が肘で八階を押した。

 梓は、あれだけの本を抱えたまま、遊びに付き合ってるのだろうか。

 わたしは今さらながら、気になってきた。このざわざわとした気持ちのなか、一人で資料を漁るのか、と考えると、途端に気分が重くなる。


「僕たち、共同スペースでやってるから、一緒にしようよ」


 そんな考えを振り払ってくれるように、楓が提案した。


「夕方までに片付けたら、由美子さんにもバレないと思うし」


 高等部二年の合宿が終わるのは、今日の夕方。それまでに跡形もなく片付けてしまえば、楓の言う通り、問題ない。わたしは大きくうなずいた。


「あ、でも、今いっぱい広げてるから、机がもう一つ必要かもね。僕の部屋から取ってくるね」

「手伝う」

「ううん、案外一人でも持てるくらい軽いから、ヘーキヘーキ。この本だけ持って行ってくれる?」


 楓は、さっきわたしのタワーから取った上層階の本を示す。

 八階に着くと、楓は本をそっと元に戻した。行動はそっと、だったが、やはりずっしりとした重みが腕に伝わる。


「筋トレ筋トレ」

「う、うん……」

「うーん、やっぱり重そうだし僕も行くよ」

「え! 大丈夫だよ、運ぶ!」


 甘く見てもらっては困る、とわたしは今にも重さで震えだしそうな腕を気合で止めた。


「ほんとかなぁ? じゃあ、がんばってね。すぐ行くからね」


 楓はくすっとして、エレベーターホールを右に曲がった。

 右の方向には楓と棗の部屋と一つの空室があり、左へ行くと、梓、由美子、わたし、そして共同スペースがある。

 楓の後ろ姿を見送ると、わたしは共同スペースへ腰を曲げ、がに股、早足で向かう。ひどく不格好な様子は鏡を見なくとも想像できたが、そうでもしなければ、重さで腕がちぎれてしまいそうだった。

 

 共同スペースには棗が一人、真剣な顔で資料をめくっていた。あまりに集中して読んでいたので、共同スペースと廊下の間に立ったまま、動けなくなった。集中を切らせたくない気持ちと、自身の腕の悲鳴がぶつかり合い、葛藤している。


「資料、見つかった?」


 すると、棗が読んでいる資料から、目を離すことなく言った。扉の前で立ちすくんでいたわたしに、気づいていたようだ。


「あ、うん。他のは後から、梓が持ってくるよ」


 少しうわずって返事をしながら共同スペースに入ると、わずかに空いているスペースに本を置いた。これくらいへっちゃらですよ、と言わんばかりに余裕ぶった顔は、さぞ可愛くなかったことだろう。


 借りてきた獲物を見て、わたしは満足げに頷いた。 分厚い資料集や、埃のかぶった地図帳、古い辞書。地理と近年の政治についてかかれている文献をこんなにも床に並べるなんて、研究者にでもなったかのようだ。これを使って、ホノカを含む、四つの国の特色や、最近の国の動向を調べる。

 研究者のようだとわくわくしているのは初めのうちだけで、その膨大な量を目の前にして、わたしはだんだん不安になってきた。そもそも活字は、授業以内では滅多にお見掛けしない。自分にこれを読みきる力があるとは思えない。

 一方棗たちは歴史分野を担当するため、本は少なかった。図書館ではなく、資料室、と呼ばれる部屋へ行ったようだ。棗の隣にファイルや資料の束が山積みになっている。


「重かっただろ、それ」

「そんなことないよ! へーきへーき!」


 わたしは、本の型が付いて赤くなった手を、咄嗟にスカートの後ろに隠した。


「そうか、ならよかった。調べる前は、こんなのに巻き込んで、悪いと思ってた。けど、まだ始めたばかりで言うのはどうかと思うけど、これ、面白いよ」

「どんなふうに?」

「たとえば」


 棗は、今読んでいた、二枚にわたる古い資料を見せてくれた。


「人工知能、AIの快挙?」


 わたしは目についたタイトルをそのまま読み上げる。棗がうなずき、続きを読むように顎で促した。


「人工知能が急速に発達し、掃除をするロボットや、感情を持つロボットや、自動運転をする自動車が登場、囲碁の名人と呼ばれる人から勝利を収めるなど、人間の知能を越えるようになってきた。我々の生活が便利になる反面、悪い面も挙げられる。あと数年後には、人間の職業の約半分が、なくなってしまうのではないか、という不安の声も相次いでいる。さらに、人間によって制御できなくなり、コンピュータが人間を支配する、そんな日も決して遠くはないのかもしれない。果たして、人工知能は我々を幸せにするのだろうか。はたまた、人類を滅亡させるものを我々自身が作り出してしまったのか……。人工知能?」


 人工知能、という言葉にあまりなじみのないわたしは、棗に訊いた。


「人工的に知能を植え込んだロボットのこと、らしいよ」

「何それ、すっごいね! 昔は人間が支配されちゃってたの? あんなのに?」


 わたしが思い浮かべたコンピュータは、部屋にあるパソコンだった。情報を読み込むことしかしない機械に、どうやって人間が支配されるのだろう。


「昔のものは、今のと随分違うみたい。一般の民間人が、自由に送受信することが出来たんだって」

「え、なんで!?」


 わたしは驚いて、喰い気味に訊いた。

 わたしたちの時代では、情報を一方的に提供する側と、受ける側とに分かれている。自分で送信するには、国家が管轄する企業に就職したうえで、選ばれたもののみが送信者になることが出来る。もちろん、個人の自由で情報を記事にするのではなく、国のチェックを通過した、厳選されたもののみが発信される。


「当時の自由っていうのに関係あるのかも。まあ、とにかく、そういう人工知能の研究は、この記事から百年もしないうちに手が引かれたらしい」


 淡々と棗が続ける。


「人々の幸せにならないって、判断したみたい」

「便利な方が幸せでしょう?」

「さあ……それはどうか」


 棗が首を振った。


「メリットもある。けど、同時にデメリットでもあるんだと思う」

「便利すぎて困っちゃうの?」

「簡単に言えば、そうなるけど……」

「どんなの?」


 棗がなかなか答えを言ってくれないので、じれったくなって訊いた。すると、棗は苦笑いして、一枚の資料を差し出してくる。


「なにこれ?」

「読んで。難しいかもしれないけど、答えが出せる」

「教えてくれないの?」

「エリカは、もう少し、考えた方がいい」

「まるでわたしが考えなしみたいに……」


 傷つけられた気分になったが、全くその通りだ。わたしは反論することも出来ず、口をへの字にすることで少しの抵抗を見せながら、資料に目を落とした。


『女性の地位は、少しずつ男性と平等になっており、家事や子育てをすればいいという風習は薄れつつある。しかし、家事をこなしたり、育児に力をいれるのは、やはり女性である。そのため、社会進出をしても、家庭を持ち子供をつくると、家事が非常に忙しくなる。そのため、やむなく主婦となる女性をわたしはよく目にする』


「女性差別があったってことはなんかで知ってるよ。でも、これがどんなふうに人工知能に繋がるの?」

「こういう記事があったから、人工知能を家庭にっていう考えが出たんだと思う。女性が社会に出れないのは家事が忙しいせいだから」

「家事をしてくれるロボットを作ればいいんだ!」


 棗が言い終わる前に、わたしが言った。そうだ。掃除も洗濯も、賢いロボットならばしてくれるはずだ。わたしは自分の答えに満足する。


「ロボットがしてくれるから、赤ちゃん出来ても、育児さえがんばれば仕事に戻れるね!」

「そうだといいけど」


 棗はまだ何かあるように、返事をする。

 ロボットだとか、人工知能だとかが発達して、便利な世の中になっていたというのに、どうして昔の人は、それを辞めてしまったのだろう。もしそのまま開発を続けていれば、今頃、嫌なことは皆ロボットがしてくれて、娯楽に走れたかもしれないのに。このときのわたしは、昔の人だからと、見下していたに違いない。


「ロボットが家庭に入る前、当然企業でたくさん使われて、それが家庭に浸透していくはずだ。パソコンとかも、そうだったみたいに」

「それがどうしたの?」


 わたしは、当たり前のことを言う棗を責めるように言った。


「ないんだよ。戻る場所が」

「え?」

「ないんだ。それだけ便利になったってことは、仕事を全てロボットに奪われて、社会に戻ることなんて、出来ないんだよ。戻れる環境を作ってくれたのはロボットだけど、戻れない環境を作ったのも、ロボットなんだ」


 当然のように言い放った棗の言葉に、わたしははっとして、目を見開いた。

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