第11話
その夜、理科のスケッチ課題で、見事、最下位を取ってしまったペナルティをこなすため、自室の机に向かっていた。宿題はいつも、共同スペースで行う、ということにしていたが、今日はそこへ行かなかった。どうも気乗りしなかったのだ。
今日の課題の敗因は、八割がた、わたしにあった。あの後、再び香菜に釘を刺されたため、巻き返しを図り、手当たり次第に植物を描いた。つもりだった。
理科の先生ですら、わたしの描いた魔物を見て、ぎょっとした顔をしていた。今日の絵は、我ながらいつもの数倍はひどい。わたしは突き返されたスケッチを見返し、一人、苦笑する。
ちょうどそのとき、ノックの音がした。返事をしようと、カラカラになっていた口を開けたときには、もうドアノブが回された。
「よう」
梓だった。その後ろに、楓もいる。そして、遠慮がちに棗も入って来た。
「どうしたの?」
「今日は高等部二年、能力合宿で、研究所に泊まる日だって言ってたからさ」
梓がくいっと顎で隣の部屋を指す。どうやら由美子が留守のため、こっそり部屋を抜け出してきたらしい。十時のメロディーが鳴ってからは、自室に戻る。そんな、寮のルールを忠実に守る模範生の由美子に従い、由美子が班長になって以来、こんな時間に集まることなどなかった。その由美子がいない、というのだから、部屋を抜け出したくなるのも当然だろう。
「こういうの、懐かしいね」
「千秋とワタるんが仕切ってたときは、フロアにいるなら、お好きにどうぞっていうスタンスだったもんねぇ」
部屋に置いてあったクマのぬいぐるみを指ではじきながら、楓が言った。
「もう七年も前だなんて。考えられねーよ」
梓の言葉で、みな、一気に静まった。
そう、考えられないのだ。特に梓は、学年でも取り上げられるほど、やんちゃで、自由人だった。その梓が、遊びたい盛りの時期にルールを守っていたなんて、考えられない。
「俺と楓も、そんな気がしてたんだけど……。ほら、もう一人、いたんじゃないかって話」
反射的に、わたしは棗の方を見た。
「棗がなんだかそわそわしてたから、僕たちが問い詰めたんだよ」
その視線に気が付いた楓が、言った。
「二人とも見栄っ張りなんだから」
クスッと笑う楓に対し、梓は、そんなことを言いに来たのではない、とでも言いたげに、胡座をかいた足を機嫌悪そうに揺らした。それを察した楓が口をつぐみ、梓に場を譲る。
「なんでもいい、なにか覚えてることはないか?」
わたしはかぶりを振った。きちんと何か覚えている、というのではなかったのだ。言うならば、とてつもない違和感、としか伝えようがない。
「やっぱり、あっくんだけみたいだね」
「梓、何か覚えてるの?」
「耳から離れない言葉があってさ。俺の言葉じゃなくって。誰かに聞いた覚えもないのに、鼓膜に張り付いてるみたいに、ずっと、問いかけてくる」
梓がそこで言葉を切ると、息を吸って続けた。
「少数派と多数派、強いのはどっちだ? って」
「少数派と、多数派?」
ずっと黙っていた棗が、ひとり言のようにつぶやいた。
一方わたしは、てっきり、励ましの言葉や、アドバイスなどを伝言したのだとばかり思っていたため、クイズ形式のそれに、拍子抜けしてしまっていた。
「なにそれ?」
さあ、と梓だけが小さく答えてくれる。
「それは……多数派じゃない? 多数決、なんてあるくらいだし」
棗も楓も何も言わないので、思いついたことを言ってみた。
「それは、どうだろ」
「どういう意味?」
「フォアとアンジュが戦ったら、勝つのはフォア?」
「えっ? それは、当然アンジュだけど……」
「アンジュは多数派?」
わたしは首を横に振る。ホノカ国内の能力者は、人口のおよそ四パーセントで、つまり少数派だ。
「次。ホノカ国とヤヨイ国だったら?」
「ホノカでしょう?」
「ホノカは少数派?」
わたしはまた、首を振る。何がなんだか、分からなくなってきた。
「棗、わかる?」
「土台が一緒のとき、はじめて数で判断できるってことだと思う」
棗の答えに、梓の小鼻がぴくぴくと動いた。
「相変わらず、可愛げねーやつ」
ぼそっと言った梓だったが、前のように棗を憎むような態度ではなかった。
「あっくん、一週間は考えてたよね」
楓が、にっこり顔で傷口に塩を塗り込んでいく。
「土台が一緒になる、なんて、だいたいの事柄で無理な話だろうけど」
「どういう意味?」
「戦うとして、全員が全員、同じ性格、同じ能力、同じ強さだったら、あとは数の問題になる」
「そんなことって、あるの?」
そう訊いてから、自分でも馬鹿馬鹿しい質問をしてしまったと恥じた。
あるはずがない。遺伝子的に、もっとも似ている双子でさえ、考え方や能力に差があると聞くのに、どうして他人同士で瓜二つな人間が生まれるか。いや、ない。だが、そうなると、多数派と少数派、どちらが強いかなんて、分からないではないか。そもそも、多数派と少数派は、時と場合によって、メンバーが変わるだろうから、一概には言えない。
「まあ、聞けよ。その分からない誰か……ややこしいから、Aって呼ぶけど、そのAの言葉には、続きがある」
「え、そうなの?」
楓も聞かされていなかったようで、きょとんとした顔をした。
「俺たちはどっちに属してるか。そこから、考えろ。だって」
わたしは内心がっかりとした。もう頭の中は滅茶苦茶なのに、この話からスタートして、何かを考えろ、と言う。
「考えろって、何を?」
心の中のいらだちが、声にも出てしまったが、抑えるなんて出来なかった。Aは、わたしたちに何を言おうとしているのだろう。ストレートに言えばいいではないか。それを明確にせずに考えろ、だなんて、議題のないディスカッションみたいなものだ。
「分からない」
ほら、棗でさえ、お手上げなのだ。わたしに分かるはずがない。そう思ってしまえば楽だった。だが、名前も顔も分からないその誰か、Aに笑われている気がして、簡単に諦める気にはなれなかった。能力でも、運動でも、クラスで常に上位、という立場に慣れてしまったわたしは、いつの間にか、プライドというものを持つようになっていた。
だが、棗の言った「分からない」は、別の意味を持っていた。
「何も、知らない」
「どういうこと?」
「自分がどこに属しているか、判断できる材料を、持ってない」
わたしの頭にはてなの記号が飛び交った。ここは、アンジュ学校で、わたしたちはA八班に属している。A八班は、能力の成績に関しては群を抜いていて、ヒエラルキーのトップにいるだろう。つまり、わたしたちは少数派だ。それも、個の強い少数派。そう考えると、なんだか誇らしい気持ちになってきた。
「エリカ、そういう話じゃないと思う」
わたしの考えを見透かしたように、棗が釘を刺す。
「わ、分かってるよ」
楓だけは、おかしそうにこちらを見た。特にフォローを入れてくれるわけではないが、一人で赤面しているより、ずっといい。
「知らなかったら、どういうことを知ったら分かると思うんだ?」
梓が静かに切り込んでいく。いつもなら喧嘩腰で会話する二人だったが、今日は、いや、最近の梓は、棗に対しても気持ちを落ち着かせて話そうとしているのが、見受けられた。
「自分のポジションを知るには、周りとの関係性や繋がりを知る必要がある、と思う」
「関係と繋がりってことは、国家間とかか? 社会科みたいな話だな」
梓があぐらの上に置いていた手を、後ろに回し、状態を後ろにそらせた。
無意識かもしれないが、棗の話を聞こうと傾いていた梓の体が、今度は反対側に傾いた。社会科のような科目は、覚えることが得意でない梓にとって、嫌悪してしまうからかもしれない。
「ちょうど、僕たちが授業でやってるところじゃない? ほら、国の特色とか」
「ああ、たしか。そうかも」
「社会は、中等部三年になったら習うの?」
梓が曖昧に返事をしたので、棗は、楓の方に話を振った。
「うん、そうだよ」
「フォアでは中学から本格的に習いだしてたような気がするけど……」
高等学校までが義務教育のホノカ国。フォアだろうがアンジュだろうが、同じ教育を受けさせる、というのがアンジュ学校のはずだ。親から子どもを引き取る際にも、そのように説明するはずだ。しかし、中等部一年で、社会という科目は存在しなかった。
「まあ、仕方ないよ。フォアではない、能力の授業が入ってるんだし。ちょっとくらい遅れるよ」
「それだけじゃない。どうしてテレビに政治系のニュースがないんだ?」
楓は、困ったようにわたしを見上げた。テレビにそのような小難しいものを望んだことがないため、どうして、と言われても棗を納得させる方法が見当たらない。
楓がぬいぐるみを触るのをやめ、上体を起こした。
「うーん。アンジュ学校は主に子どもばかりだから」
「高等部生も、子どもなのか?」
楓の考えを、棗がばっさりと切った。
高等部生、というのは、わたしたちにとって憧れのような存在だ。特に千秋や渡さんの印象が強く、あの二人のように立派になりたい、と考えている。そんな人たちを子ども扱いするのは、とてもではないが、いただけない気持ちになった。
「俺たちは、世間を知る機会が少なすぎる気がする。ただでさえ隔離されてるのに」
「隔離? そんな物騒な言い方はないだろ」
棗の言葉にムッとした梓が、すかさず言い返した。
「ここは俺たちの家も同然だ。フォアと同じところに住むなんて、考えられない。あんなアンジュも、心もないやつら」
梓は、まるで前世でフォアに殺されたかのように、フォアを嫌っていた。生まれてすぐ、物心がつく前からアンジュ学校に入学させられていた梓にとって、唯一、知っているフォアが父と母だった。その両親が、金と引き換えに梓をアンジュ学校に引き渡したのだと、のちのち聞いたものだから、フォアに対して嫌なイメージを持つのも仕方がない。
だが、棗はそうではない。
棗のように、十分に自分で物事を考えられる年齢の子どもがアンジュ学校に入学すると、今までの生活から切り離されるため、アンジュ学校を良く思わないケースが多い。
「じゃあ、調べよう」
喧嘩になる前のタイミングで、楓が猫のように愛らしい顔で「ね?」と二人を促した。
「調べるって、どこで?」
棗が訊いた。
「図書館にでも行けばいいと思うよ。ちょうど今の時期は試験とかぶってないし、人も少ないんじゃないかなぁ」
「何を調べるの? 隔離の話?」
「ポジションを知るのが近道だと思う。歴史的、政治的、地理的に見ればいい」
「それを調べたら、Aが言ってる意味が分かるのか?」
梓が、真剣なまなざしで棗を見た。
「分かるかは分からない。だけど、そういうことも視野に入れて考えないと、何も分からないままになる、と思う」
「それなら仕方ない」
腹をくくったらしい梓が、姿勢を少し正してから大きくうなづいた。勉強と、それを含みそうなことは全て嫌い。その梓が、図書館に行くことに前向きになった。それほど、彼も知りたいのだろう。
「誰か分かんねぇけど。これをちゃんと考えないと、そいつに馬鹿にされそうで嫌だ」
「相変わらず、負けず嫌いだねぇ」
楓は煽るように言ったが、わたしにはその顔が、笑っていても悲しそうに映った。
わたしたちは翌日、図書館へ向かうことを約束すると、解散の雰囲気になり、梓が急ぎ足で部屋へと戻っていった。
「なんか慌てちゃって。あっくん、彼女のとこ行くのかなぁ。じゃあね、明日、図書館で」
楓がおやすみ、と目を三日月にして二人に微笑むと、梓のあとを追いかけるように出ていく。それを見て、棗も立ち上がった。
「あ、棗……」
言いたいことがあった。だが、呼び止めようとした声は、思ったより小さく、彼には届かなかったようだった。ドアの方に歩いてしまっている。もう一度呼び止める勇気はない。
もし聞こえていて、まだ無視をしているのなら……。そう考えると、何も言えない。わたしはただ、遠ざかる背を見るしかなかった。行ってしまう。ドアに手がかかった。どうか、ただ聞こえなかっただけであることを、祈るしかなかった。だが、予想に反して、棗はドアの前で立ち止まった。
「なに」
「え?」
突然言われ、思わず聞き返す。
「呼ばなかった?」
棗がドアノブに手をかけたまま、振り返った。
「よ、よんだ!」
聞こえていた。あんな小さな声に、気づいてくれた。わたしも立ち上がる。
「あの、ありがとう。梓たちに、話に行ってくれたんでしょう?」
楓は自分たちが問い詰めた、と言ったが、そんなに都合のいいタイミングで、顔を合わせるはずがない。きっと、棗がどちらかの部屋へ行き、話し合いの場を作ってくれたのだろう。
棗は、目を三度、ぱちぱちとさせると、わずかに口角をあげた。そしてドアの方に向き直る。
「別に。楓がしつこいから、言っただけだから」
そう言ってから、もう一度だけ、肩越しにちらりとわたしに目をやった。
「また明日」
ぱたん、と閉まったドアを、しばらく見ていた。名残惜しく感じた。棗の、悔しいくらいスマートな計らいにお礼を言っても、彼は決して受け取ってくれない。粋だといえばそうだが、もどかしさの方が勝り、もやもやとしたよく分からない感情が出来上がる。
「おやすみ、くらい、言えばよかったな」
わたしは、はあ、とため息をつくと、課題の続きに取り掛かった。
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