第21話
「どうぞ」
いつの間にか渡さんは席を立ち、にっこりと微笑みながら、その女性のために椅子を引いた。
「あら、ありがとう。渡君」
女性も、渡さんに微笑み返す。
「ねぇ、僕は?」
先に入って来ていた男性が、渡さんに訊いた。
「ああ、南先生。椅子はご持参なさらなかったのですか?」
「渡。今日は冗談言ってる場合じゃない。南先生はこちらへ」
千秋が遮り、南先生と呼ばれた男性も着席した。
また、緊張した空気が流れる。
「はじめまして。わたくしは、アンジュ本部総司令室、教育課に務めています、
まみや、まみや……張り詰めている空気が、少し緩んだのが分かった。
「言われる前に申しますとね、前の夫の姓が間宮と言いますの。旧姓は花江。離婚届はすでに書き終え、あとは提出するだけのはずだったのだれど、そこにいるろくに使いも頼めない男が大事なその書類を紛失してね。夫は遠方に住んでいるから、もう一度会うのが億劫で。そのままになってしまってるのよ」
ぎろり、と間宮に睨まれた南先生、と呼ばれていた男は、特にすまなそうとも思っていない様子で、あはは、と笑っている。
「あれは南春一。一応先生だ」
銀が手身近に説明をした。
「一応って、もう、僕のこと大好きだからって、みんな辛辣だねぇ。僕はKクラスを担当している、れっきとした教師だよ」
クルンと外にカールした長めの金髪と、白のガウン。股を開いて椅子に座っているため、少しはだけてしまっている。今にも片手にワインを持ちそうな彼は、深夜ということを考慮しても、どう見ても休暇中のホストだ。
「Kクラスって何ですか?」
わたしは南先生の恰好にあえて突っ込まず、冷静に質問してみた。銀だけが、それで合ってるよ、と目配せをしてくれる。
「Kクラスは、主に能力の制御が出来ない子たちを集めたクラスのこと。普通のクラスでは学べないくらい、ふとした瞬間にアンジュが発動してしまったりするため、制御を覚えるまでは一緒の環境では学ばせない。それを担当してるのが南先生だ」
千秋の説明に三人が困惑している顔を見て、銀が説明を付け加える。
「公表されてねぇから、知らないのも当然だ」
「でも、Kクラスで制御を覚えたとして、こっちのクラスに入って来たやつなんて、聞いたことないんだけど」
「ああ、それは……」
銀が何か言おうとして、南先生の方を向く。
「そうだね。僕から話そうか」
南先生は椅子に腰かけ直すと、人が変わったように落ち着いた声で話し始めた。
「Kクラスの生徒は、普通のクラスヘの復帰はしない。Kクラスにいる子たちは制御を覚えると、学校を卒業するんだ」
南先生は、立ち上がり、ホワイトボードに図を書き始める。
「普通の子たちは通常、十八歳、高等部の過程を修業して卒業、となっている。そこから各自、アンジュを使った職に就く。フォアの民間企業でも、お国の役人になるも、自由。その中のひとつに、アンジュ本部、というものがあるけれど、そこへの就職は毎年十五人ほど取るようにしている。一方、Kクラスの場合、制御を覚え、自己判断のできる年齢、とみなされると同時に、アンジュ本部へ移動する」
普通の子、の将来への線が蜘蛛の足のように伸びるのに対して、Kクラスからは、たった一本のしか線が伸びていない。アンジュ本部というゴールにのみ向かって行っている。
南先生は淡々とした口調で、その先を続けた。
「そこで様々な訓練を受けた後、ようやくアンジュ本部の一員として認められるんだ。制御を覚えたと言っても、アンジュ自体は危険なものが多いから、監視下に置く、という意味も込めている」
確かに、アンジュの中には時として危険なものも存在する。それを見守るのもアンジュ本部の務め、ということらしい。
そのときは、そのように危険なアンジュを持ったとしても、まともな道を用意してくれているのか、とほんの少しの希望さえも覚えた。だが、彼は確かに、様々な訓練、と言った。その中身がどのようなものか、勝手に甘い想像で埋めて描いたのは、わたしがまだ、この世界への信頼を捨てきれなかったからだろう。
「まあ、アンジュ本部やKクラスに関してはここまでにしようか、千秋。夜も遅いからね。適当に済ませたいわけではないけれど、まあ、それが出来たら一番だけれど、そういうわけにはいかない。今後の君たちのことを話さなくてはね」
南先生は席に戻ってくると、深々と椅子に腰かけた。
「一応、選択肢はある。酷なものであってもね」
「南先生、全部説明してくださるの?」
そう言いながらも間宮さんの手元には説明用の資料はない。とっくに南先生に資料を渡すよう、渡さんに頼んでいたようだ。渡さんは、間宮さんに向ける柔らかな表情とは違って、目が開いているのか閉じているのか分からない無表情のまま「どうぞ」と無愛想に南先生の目の前に資料ファイルを置く。
「あー、なるほど」と苦く笑うと、南先生はそれに応え、資料を読み上げた。
「まず一つ目。学校の規則を破った罰として、優秀生の称を剥奪し、来年の能力試験で昇級を含む、称号の獲得を認めない。さらに、禁の中でも境弥の森に入ることは、最上位の禁止事項である。よって、登校をも禁ずる。期間は一年。地上に出ることは許されず、ずっと地下で暮らすこと。もちろん、他者との接触も禁ずる」
そんな。わたしは不安で目を泳がせた。目の隅に入る棗は、静かに事態を受け止めているように見える一方、梓はチラチラとこちらを見て、何か言いたそうに金魚のように口を開けてはまた閉じた。
「これが選択肢一だから、まだ選択肢はある。南先生、続けてください」
千秋の言葉に、南先生は少し考えてから説明を続ける。
「次のは、捉え方によっては君たちにとって楽かもしれない。今日のことを含め、アンジュ本部に関係する物、人、情報などの記憶を我々が全て消去し、明日から何もなかったように生活を送る」
「それって……」
「渡も、銀も、僕のことも、全てを忘れてもらう。今まで過ごしてきたすべての記憶を消去する。僕たちに関係あること、全て」
「おい千秋、そこまでしなくたって。いくらなんでもキツすぎだろう」
「銀。お前にまつわる記憶は全て消去したはずなんだ。それなのに、ある一本の糸からお前の存在をこの四人は掴んだ。それがどういうことか、分からないわけがないだろう」
銀は、うっ、と言葉を詰まらせる。
色濃く残る、幼い頃から慕ってきた三人の記憶。存在を頭の中から消去したとしても、何かを見たとき、ふとした瞬間に違和感を覚える。それを追求できる力を持っている、と今回の銀の一件で確認できた以上、部分的な記憶の消去では二の舞になる、という考えからだろう。
「次の選択肢が最後だ」
恐らく、次のものもかなり酷なものなのだろう、と予想はつく。究極な選択になるが、素直に罰を受けるのが、一番だ、と心の中で呟いた。
「Kクラスに仮編入し、アンジュ本部の任務を行ってもらう」
「え!?」
そう大きな声を上げたのは、千秋だった。
「南先生、それは提案書と違う考えです」
「まあ聞け、千秋。彼らの能力は、アンジュ本部でもときどき噂になるほどだ。いずれは嫌でもアンジュ本部に所属することになるだろう。お前がどれだけ庇っても、これだけ優秀な人材を本部が逃すはずない。どうにかして、これからの生活でその道へ落とし込むようにしてくるはずだ。それなら我々の目の届くときに、確かな決定をした方がかろうじて希望のある道だとは思わないか?」
「でも、僕が本部へ行った目的は!」
「分かってる。分かっているよ、千秋」
南先生が千秋に頷きかけ、納得を促すも、千秋はそれの倍ほど首を横に振った。
「詳しく」
「先生!」
千秋が椅子から勢いよく立ち上がり、食い下がる。南先生の胸ぐらをつかみそうになるところを、渡さんが間に割って入り、無言で引き止めた。振り払おうとする腕をがっちりと掴み、「落ち着け」と冷静な声で言って聞かせる。
「渡、お前はいいのかよ!」
そう言って渡さんの方を振り向いたとき、千秋ははっとしたように目を見開いた。口をぎゅっと閉じる。こちらから渡さんの表情はうかがえないが、千秋の表情は歪んだ。
「そんな顔……渡お前っ。そんな顔して、言うな……」
「……うん」
抵抗する力をなくした千秋の体を、渡さんはそっと離す。
「南先生。それで、詳細は?」
「君は、いいのかい?」
「良くないので、納得がいくまで噛みつきます」
「怖いねぇ。君を敵に回した気分だ」
一瞬だけ微笑ませた口元をすぐに引き締めると、南先生は続けた。
「それじゃあ、説明するね。まず、結論から言えば、四人全員、Kクラスに移動してもらう」
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