第3話

 子ども時代の話に戻ろう。

 先に述べたように、わたしはアンジュ学校へ入学する前は、母の妹夫婦によって育てられていた。私が育った町は、泥と緑が混ざったような町で、ホノカ国の中でも貧しい人々が住む地区だった。そんな町の片隅で、妹夫婦は病院を経営していた。


 わたしが三歳のころ、妹夫婦は貯金をはたき、中古の二世帯住宅用の家を購入した。リフォームをして、一階を診療所、二階を住まいとした。わたしがもらった部屋は、もともとユニットバスがあった場所をリフォームした部分だった。そこに、クッション性を失った板のような敷布団と、小さな机だけがぽつりと置かれていたのを覚えている。体の小さかったわたしが、横になってもかろうじて足を伸ばせる程度の広さだ。

 仮父の方は医者といえども、ヒエラルキーの下層に位置する医者だった。そのため、贅沢ができる家庭ではなく、そのことをよく仮母に言い聞かされており、家の金銭的問題については幼いながらも理解していたつもりだ。仮父の名誉のために一応付け加えるが、彼は決して腕が悪かったために、三角形の底辺にいたわけではない。特別腕が立っていたわけでもないのだが。


 ホノカ国は他の三つの国よりも、医療に関してはずば抜けていた。治癒のアンジュを持つ能力者が、他国に比べて多いということと、自然が豊かな地域が多く、薬草などにも恵まれていたからだ、と言われている。

 治癒のアンジュは難病や不治の病なども治せる可能性があったり、手術をしても即日に傷跡を消してくれて回復が早い、などのメリットが多数ある。それに引き換え、デメリットはコストだけなので、富裕層に大変うけていた。また、一般家庭であっても、命には代えられない、とアンジュを扱っている都心の病院へ足を運ぶこともよくあった。


 このように、患者を都心に集められるため、地方の病院経営はどこもカツカツだった。それに加えて、貧困地域では病院へ行くこと自体が贅沢、とされていたので、妹夫妻の家計は苦しいものだったのだ。


 だが、その二年後、妹夫妻はその生活から解放されることとなる。


 わたしが五歳になったばかりで、外で近所の子供たちと鬼ごっこをしていたときのことだった。鬼から逃げるのに必死で、足元をよく見ていなかった女の子が、わたしの目の前で転倒した。

 どうやら地面にガラスの破片が落ちていたようで、その子は膝を十センチほど切ってしまっていた。あわあわと、わたしが意気地なくその場を動けずにいると、わたしを突き飛ばすようにして一人の女の子が駆け寄って行った。


「みぃちゃんのママ呼んでくる!」


 集まってきたうちの誰かがそう言って、走って行く。


「ど、どうしよう」

「血、血が……」

「痛いーっ、ママー!」


 血がじわじわと広がっていくのを見て、その子が声を上げて泣き出してしまった。


「だ、だいじょうぶ! ほら、痛いのー、飛んでけー!」


 気を紛らわすため、一人の子が抑揚をつけておまじないをかけるが、もう彼女には届いていない。痛みの声は収まることなく、大きくなっていく一方だ。


「エリちゃんもやってよ!」


 半泣きになって友達を励ましていた子が、噛みつくようにわたしに言った。

 呆然としていたわたしは、はっとして傍により、同じように痛みを和らげるおまじないを言ってみる。


「痛いの痛いの、飛んでけー!」


 だが、所詮はただの言葉で、みんなの意思とは逆に、血は溢れ、足を伝っていき、白いソックスに血がにじんだ。彼女の母親を呼びに行ってくれている子はまだ帰って来ない。


「エリちゃんどうしよう」


 おまじないを何度も唱えていた子も、痛みがうつったように同じように泣き出してしまった。


「な、泣かないで」


 そう言ったものの、わたしもどうしたらいいのか分からず、鼻の頭がツンと痛くなる。視界もぼやけてきた。座り込んだその子の膝下はもう、血で染まっている。血を止めるにはどうしたらいいんだろう。わたしも泣きたい気分だった。だが、わたしが泣いたところで、事態は何も変わらないことも、分かっていた。


「もう、痛いの飛んでいってよー!」


 半ば、やけくそになってそう叫んだ、その時だった。

 一瞬、わたしの体から放射線状に光が出たような気がした。


 薄い、ピンク色の、光。


「……いまの、何?」


 泣いていた女の子が顔をあげた。


「みぃちゃんのママ連れてきたよー!」


 わたしが答える前に、向こうから、呼びかけながら駆けてくる子に意識がいく。と、同時に、怪我を負っている子が立ち上がる。


「ママー!」

「みき!」


 彼女はしっかりとした足取りで走り、母親の胸に飛び込んだ。


「ママ!」

「みき! 足は!?」


 母親が心配そうにわが子の血だらけの足を見つめる。


「痛……あれ?」


 彼女が膝を触った。何度も、何度も、確かめるようにぺたぺたと。


「あんまり触っちゃダメ、ばい菌が入っちゃうわ!」

「ママ……」

「だからダメだって!」


 母親がその手を掴む。


「ない」

「え?」


 手のひらを真っ赤にした彼女が、理解できない様子で周りをきょろきょろと見渡した。


「ママ……傷が、ない」

「どういうこと? こんなに血が出て」

「痛くないの」


 そんなはずないでしょう、と彼女の母が持っていた濡れガーゼで、傷口があるであろう個所をそっと拭う。ちっとも痛そうにしていないわが子と、血がしたたっていたであろう足を見比べて、彼女は不可解な面持ちでわが子を見た。


「ないわ。みき、本当に痛くないの?」

「お母さんが来てくれるまで、すっごく痛くて、血がドバーって。でも、今は……」


 その子が首を振る。


「ねぇ! しおり、見たよ!」


 一緒に泣いてしまっていた子がしゃしゃり出て言った。


「エリちゃんが光ったの! そしたらみぃちゃん、みぃちゃんママのとこに走ってった!」


 全員の視線がわたしに集まる。


「エリカちゃん、どういうこと?」

「え、エリカ、何も……」

「エリちゃんがね、ビーム出してたの!」


 もう一度その子が言う。


「しおり、見たもん!」


 みぃちゃんママが目を細めてこちらを見た。この目に覚えがあった。そう、義母がわたしに向ける目だ。


「エリちゃんが治してくれたの? すごいね、おまじないって!」


 それとは反対に、みきは目を輝かせて、お礼を言う。が、わたしは何が起きたのかよく分からずにいた。

 たしかに、身体の中から何かが湧きたった気がした。クジラの潮吹きのようなイメージで、汗腺から汗を拭き出させる、そんな感覚がまだ残っている。


「……みき、帰るわよ」


 その声は、静か、いや、冷ややかだった。


「え、どうして? みぃちゃん、もう平気だよ! エリちゃんのおまじないが」

「おまじないなんかじゃないの! いいから、ほら!」


 みぃちゃんママは娘の手をぐいっと掴むと、引きずるようにして場から、わたしから離れていく。


「なんでみぃちゃんママ、急にあんなこと言うんだろう?」


 初めのうちは皆、首をかしげていたが、それから数分もしないうちに、わたしを除く子供たちの保護者が次々とわが子を迎えに来た。


「え? ママ。どうしたの?」

「アンジュなんかに関わるんじゃありません!」

「え、アンジュ? なにそれ?」

「いいから!」


 不思議そうな子供たちをしり目に、保護者はわたしに冷たい視線を送ってから、その場を立ち去った。



 わたしはその日から、家の外に出してもらえなくなった。近所中がその話を噂にしたのだ。

 内容は、要するにこのようなものだっただろう。


 アンジュを持っている子供がいる。


 至って簡素なものだったはずだ。だが、それだけでも差別の対象となるのが、アンジュ、というものだったらしい。


 アンジュは特別扱いされる人種。貧困地区ではそれなりの教育しか行えないため、アンジュというものを正確に知らない。そんな無知な大人は、自分たちが納めている税金がアンジュに流れている、と思っていたようだ。能力者、と聞くなり、自分たちの金を吸引していく恨むべきもの、という認識があったらしい。そのように思われていたのならば、あのような冷たい視線を浴びたことも十分頷ける。

 まあ、それだけならまだいい。もっと悪いことは、他にある。


 それは、妹夫婦が病院を経営していた、ということだ。


 治癒のアンジュ。それが、わたしのアンジュだった。


 アンジュ治療は都心部にしか存在しない?

 いいえ、アンジュ治療、はじめました。

 しかも、良心的な値段で、都心と同じ治療が受けられます。

 

 このようなキャッチコピーで更新された妹夫婦の経営している病院のHPは、その日中のアクセスが、今までにないほど伸びたそう。


 当時、たった五歳。

 アンジュの使い方も分からないまま、仮母が繕った白衣を着せられ、眠った患者の前に立たされた。


 そんなわたしにも分かったことは、これからの日々が、ひどく真っ暗である、ということくらいだった。

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