第2話

 まず初めに、承諾してほしいことがある。それは、わたしの名前についてだ。


 本書の著者は、秋沢エリカ、とする。本来ならば、夫である梓の姓「及川」を称するのが正しいのだが、こちらの名前で名乗らせてほしい。この文書は、わたしたちが生きた証になる。梓には申し訳ないが、秋沢エリカとして生きたことが、わたしにとって、何よりの誇り。よって、本書の著者は、秋沢エリカ、と記載する。


 わたしが生まれたのは、ホノカ国のどこか。というのも、物心がついたとき、両親はすでに他界していた。わたしの正しい出生を知る者はいなかったからだ。そんなわたしは、町のはずれで病院を営む、母の妹夫妻に渋々引き取られ、育てられた。育てられた、といっても、わたしが彼らのもとで過ごしたのは、たった七年ほど。もう少し短かったかもしれない。だがはっきりと覚えているのは、わたしの記憶に残る限り、彼らと過ごした時間にいい思い出が少しもない、ということだ。


「本当のお父さんとお母さんは、どうしてるの?」


 わたしはある日、仮母にそう訊いてみたことがあった。まだ四歳か五歳のころの話だったと思う。


「交通事故で死んだって聞いたわ」


 彼女は、趣味だった編み物の手を止めることもなく、面倒臭そうな低い声で言った。わたしはそれほど察しのいい子どもではなかったが、なんとなく、両親がこの世にいないことは分かっていた。しかし、そのことを意図もあっさりと、こんなにも配慮なく言い放った彼女に、わたしはひどくショックを受けた。


「いい? もう姉さんの話はしないでちょうだい」

「どうして?」

「どうして、て」


 珍しく食い下がったわたしに、彼女はやっと編み物から顔を上げた。はあ、とため息をつき、まるで、薄汚れた野良犬でも見るような目をこちらに向ける。


「あたしは志穂の妹かもしれないけれど、姉の顔なんて知らないわ、他人と同じ」

「嫌い?」


 恐る恐る訊いてみる。今訊かなければ、次のとき、またその話か、と相手にしてもらえないと思ったのだ。


「そうね。幼いときから顔も知らない姉と比べられて怒られて、挙句の果てに、お前に期待なんかしてない、なんて言われちゃあね。嫌いにもなるわよ」

「どうして顔を知らないの?」


 喰い気味にわたしが訊いた。

 しつこいわね、とぼそっとつぶやきながら、彼女はまた、大きくため息をつく。


「あたしが一歳のとき、姉はアンジュ学校に引き取られて行ったのよ」


 ちょうどそのとき、階段の下から彼女を呼ぶ声がした。彼女の夫の声だ。


「どうしたの?」


 彼女の声が、2トーン半ほど高くなり、ぱっと椅子から立ちあがった。その軽い足取りで、部屋を出ていこうとする。


「待って! アンジュってなに?」

「どいてちょうだい。清隆さんが呼んでいるの、あなたも聞こえたでしょう」


 彼女はむっとした表情で、道を塞いだわたしを押しのけると、階段を下りていった。


 このようにわたしは、妹夫妻に好かれていなかった。特別何か問題を起こした記憶はない。だが、妹夫妻は新婚で、引き取らざるを得なかった子どもが憎い姉の娘。そのことを踏まえて考えると、こういう扱いであっても仕方がなかったのかもしれない、と今なら思える。


 わたしが妹夫婦のもとで過ごした時間は七年、と言った。だがそれは、わたしが七歳のころ、この生活に嫌気がさし、ふっと異世界へ旅立ったから。などというわけでは決してない。嫌気がさしていたことには変わりないが、当時のわたしは、自ら何か行動を起こすほど積極的ではなかった。

 ではどうして七年か。理由は簡単で、わたしがアンジュを持っていたからだ。アンジュは……



 そうだ、アンジュの紹介がまだだった。ちょうどいい。渡さんが残した本の中の一冊に、アンジュについて詳しく書かれているものがある。既に少しかび臭い「アンジュと私ともう一人」という本の第二章、アンジュとフォア(四十三頁から六十頁)を要約し、ざっくりと説明していくことにする。

 それにしても、歴史的文献にしてはどうも胡散臭い。随分とポップでポエム調なタイトルの本だ。わたしはなんの考えもなしに背表紙を見て、絶句した。だが次の瞬間には笑みがこぼれていた。


 渡優・著


 色々と引っかかる点はあるが、あえて気にせず、先に言ったようにまとめていこう。彼の知識や分析力、勉強熱心さ、認めたくないが誠実さまでも、信用に値する。



 この世には、二種類の人間がいる。アンジュを持つものと、持たないものだ。

 アンジュとは、簡単に言うと異能力、と呼ばれるものに近い。厳密にいうと違うのだが、ほとんど同じだと考えてもらって構わない。だが、誰もが魔法のように宙を飛べる、だとか、物を動かせる、というわけではない。原則一種類だ。


 たとえば、半径一キロメートルの音は全て聞き取れる、という能力であれば、その能力だけを有している。もちろん、力の使い方や発展の仕方によっていろいろなことに生かせるだろう。また、手から冷たい気を出して物を凍らせる、なんていう能力もある。このように、この世には様々なアンジュが存在していた。


 先に言った通り、人間には二種類ある。全員が全員、このような力を持つファンタジーな世界だったらまだ良かったのかもしれない。が、実際のところ、アンジュを持っていたものは、わたしの住むホノカ国だと人口の四パーセントほどになる。

 ここで、二種を区別するために、アンジュを持つものを能力者アンジュ、持たないものを一般人フォアと呼ぶことにする。


 アンジュは常に四パーセントを保っている。というのも、アンジュは遺伝で、先天性によるものだからだ。親がアンジュであれば、子もアンジュになる可能性が高い。もちろん、アンジュではない子も生まれる可能性は、十分にある。

 だが、中には後天的に、フォア同士の子どもでも、突然変異、という形でアンジュを持つ、類稀な事例がある。年に三例ほど、そのようなことがあったらしい。成長期になんらかの異変が起こり、アンジュを持つ、というケースだ。そのため、成長期の終わった大人になってから、アンジュが発動した、という事例は、資料の中にない。


 まとめると、アンジュとは、一部の人間が持つ、特殊能力のことだ。



 わたしは一度ここでペンを置いた。今まとめたものは、わたしがアンジュ学校に通っていたときに、何度も繰り返し学習した、アンジュの基礎の部分だ。

 ちなみに、渡さんが書いた「アンジュと私ともう一人」の第二章の最後の行にもこう書かれている。


 これは、我々がアンジュ学校で学んでいた知識と、全く同じものです。


 アンジュ学校というのは、アンジュの使い方を学べる、ホノカ国唯一の全寮制の能力者専用学校のことだ。ちなみに能力者はアンジュが発覚次第、乳離れをする頃、もしくはよほど危険な能力であった場合は生まれるやいなや、早急にこの学校へ強制入学させられる。

 そのことも説明しておこう。今度は、「アンジュとわたしともう一人」の第三章、アンジュ学校(六十一頁から八十八頁)より抜粋する。



 アンジュ学校――それはホノカ国全土から集められた、特殊能力を持った人間が生活を送る施設のような場所であり、能力者(アンジュ)の家でもある。能力を持っていることと、どれだけ幼くても親から離れて生活を送っていることを除けば、いたって普通の生活で、何不自由なく生活を送っている。むしろ、国から下りる多額の補助金のおかげで、快適な暮らしを送っているといっても過言ではない。

 ただ、一度アンジュ学校に入学すると、原則として十八歳までは学校の外に出ることは許されない。

 なぜわざわざそのような学校を作るか、というと、理由は三つ。


 一つ目は、アンジュを活用し、国の発展に使うことが出来る、ということに関係している。一般人には出来ないことをやってのけられる能力は、社会に貢献できる。そのため、国は将来を見据えて能力者を育てたい、と考え、アンジュ学校という施設を設けた。


 二つ目は、アンジュというのは希少なため、他国に拉致されては困るからだ。わたしの住むホノカ国の他に、ミヤビ、ツムギ、ヤヨイ、と呼ばれる国が、ひとつながりの陸に存在する。それらの国にもアンジュが存在するのだが、他国から奪ってでもアンジュの数を増やしたい、という欲はどの国もある。そのため、能力者は高額で売買されるのだ。なんらかの事件に巻き込まれ、国の貴重な人材を奪われる、なんてことがあってはならない。


 そして最後に。能力者は一般人と比べ、はるかに身体が弱い。風邪を引くとひどい場合、生死をさまようこともある。そのため、アンジュ学校では敷地内を結界がぐるりと囲み、アンジュが開発した最新式の空気清浄機が、二十四時間稼働する仕組みになっている。アンジュの健康を守るためにも、アンジュ学校は存在するのだ。



 これが、アンジュ学校の仕組みである。


 ちなみに、国から下りる多額の補助金のおかげで親が払う学費は無料。その代わり、アンジュ学校を卒業した元生徒が働き出すと、その元生徒の所得の手取りからさらに、アンジュ税、というものを引く。たいてい、能力者はアンジュを使った仕事につくため、高給だ。手取りの五割を没収しても、一般人の平均所得よりも少し多い程度になり、生活になんら支障はない。


 今考えても、能力者というのは子供の頃からとても待遇が良く、恵まれている。一般人からは、特別扱いを受ける人種、と見られていたことだろう。わたしも能力者として、七歳の頃からアンジュ学校で生活していたが、平凡な生徒であったときの生活は、それはそれは楽しいものだった。


 大人は先生などの職員だけで、上級生が下級生の面倒を見る、というのが当たり前。そのため上下の繋がりも深い。このような学校の風習を作ることで、親から離れて悲しんでいる子どもも、すぐにこの環境に慣れるようになる、というメリットがある。

 小さな子どもから見ると、先輩が近い、ということで、色々なことが学べるチャンスだと思うはずだ。そして、成長し、上級生になったときには、後輩を育てる、ということに積極的になる。聡明な子であれば、そうやって順を追ってこの風習を連鎖させることで、教員の負担が減る、ということにも目がいくだろう。


 だが、本当の目的はそうではない。


 まさかこの風習が、いずれ起こるかもしれない戦いに備えた教育の仕方だと、だれが気づいただろうか。


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