第32話

 任務に追われた、怒涛の二週間が終わった。血で固まった髪も、裂けた服も気にする余裕さえなく、わたしたちは命だけを持ち帰った。戻って来た記憶はかすかにあるが、ベッドへたどり着く気力もなく、その場に膝から崩れ落ちた。

 偶然、そこに竜崎が居合わせ、わたしたちを発見してくれたそうだ。そうしてわたしたちは仲良く、アンジュ本部の病院に運ばれてきたらしい。

 隣のベッドでは梓が薄目を開け、その向こうの棗はまだ寝息を立てていた。


「さっき連絡があってね、もう少しでこっちに渡くんが来るらしいわよ」


 そう看護師さんが伝えに来てくれたとき、梓は心の底から嫌そうな顔をした。無茶をして任務を入れたりするな、と、こっぴどく、耳に胼胝たこが出来るほど言われていたのだ。それを破り、三人仲良くこうして倒れた。


 しかし、予想よりもはるかに大人しく、渡さんは登場した。足元の革靴だけが、威嚇するかのように音を響かせていたが、渡さん本人からは、それほどの覇気は感じられなかった。


「無理すんなって、言っておいたのに」


 ぼそっといつもの憎まれ口を叩きながら、まだ目の覚めていない棗の治療に取り掛かった。


「疲れて、る?」

「当たり前だ。あのクソババア様、容赦ねぇ」


 渡さんの言う「クソババア様」を知るのは、もっと後のことだが、渡さんの頭が上がらない人、ということは理解が出来た。


「ここ、本部の病院にしては、あんまり慌ただしくないのな」

「ここは完全に生きてる奴らのための箱だからな」


 よし、と渡さんは汗を拭うと、梓のベッドを飛ばしてわたしのもとへ来た。


「棗が自暴自棄になったって?」


 治療をしながら、訊いてくる。腕から流れてくる、なだらかな力の波を感じながら、わたしは静かに頷いた。


「俺は全部知ってる。てか、上に聞いた。ていうよりは吐かせた」


 だが、渡さんはその内容については話さない。きっと、自分は知っているが、言うつもりはない、という意味だろう。


「棗は、強い。たぶん、お前が思ってるよりもはるかに」

「うん。そうだね。きっと、そう」


 棗は今回の任務で、自分や仲間の命を守るためにアンジュを使った。それが、答えなのだと思った。


「自分一人が支えてる、なんて思わないことだ。もっと周りを上手く見て、頼れ」


 渡さんのアンジュが、少しずつ体から消えていく。人の身体の状態を瞬時に見極め、身体の中に溶けていくような丸みのあるアンジュの使い方は、彼にしか出来ない技だ。人のものを受ける、というのは、受ける側にも少なからず負担がかかる。それを最小限に抑えるこの技を幼い頃からずっと追いかけてきた。


「渡くーん、ちょっといいかしら」


 ドアの外で、女の人の声がした。姿は見えないが、先ほど、もうすぐ渡さんが来る、と伝えてくれた看護師であることは声で分かった。

 渡さんは怪訝な顔をしただけで、すぐには立ち上がろうとはしない。


「それって、ちょっとですか?」

「心配しないで。すーぐ終わる用だからっ」


 病院に似合わない明るい声で、その看護師は答える。きっと顔に微笑みすら浮かべてるであろう、と予想が付く。


「よく笑えるよな、こんな状況で」


 梓でさえ、そうぼやいた。


「あの人はああいう人なんだ。親の方がもっとひどい」

「親?」

「あの人の父親は本部のお偉い人だ。いつでも愉快そうにしてる、きっとお前らも遠からず会うと思う。江見廉二郎。総司令官の一つ下の位。聞いたことあるだろう。四座しざの話」

「渡くん? 早く来て」


 説明は後だ、と渡さんは三つ目まで開けていたシャツのボタンを閉めながら、呼ばれた方へ向かっていった。


「四座、江見」

「梓、知ってるの?」

「まあ、聞いたことくらいだけど。確か、四座って役割分担された組織のそれぞれの長のことを言うんだ。特攻、防衛、治療、それから精鋭。江見って人は防衛の長だったはず」

「へぇ。わたしたちはじゃあいつも、どこに属してるの?」

「特攻と、防衛って感じじゃないか? まあ、俺たちの場合は都合のいい穴埋めって感じだろうけども」


 本部。その末端に属するわたしたちは、戦況も作戦も、まるで知らされていない。ここにいる敵を殺せ、と命令されると、その通りに動く。よく考えなくともおかしな話だ。まるで操り人形のように、目的も分からず目の前の命を奪うことに徹する。それを仕方がない、と思えている自分も。


「今なに思ったかは分かんねぇけど。汚れてる、とか思うなよ。人間ってのは半不潔がちょうどいいんだ」


 って、何かで聞いた、と梓が言う。


「綺麗なやつなんていない、ってことだよ」


 梓は以前、格好良くならざるをえなくなったのだ、と言っていた。それはきっと、わたしたち、下の代がいたから。守らなければならない、という使命感から、そうなってしまった。先輩だとか、後輩だとか、敬語を使うわけでもない。ただ数百日早く産まれたというだけで、彼は変わった。

 また革靴の音がして、ため息交じりの息遣いの渡さんが遠慮なくベッドに腰掛けた。戻って来たその手に握られた数枚の資料が、音を立てて細く、皺を寄せていく。


「なんだったんすか?」

「あ。末端には言えないことだ」


 チッ、チッ、と時計のように渡さんは舌打ちをすると、身体の中にある業を全て吐き出すように盛大にため息をつく。

 渡さんは今、若くして医療班の上層部に所属し、年配の方と時には対等に討論をするらしい。それも彼の、相手に取り入り、立てることのできるコミュニケーション力。そして、誰に属せば有利か瞬時に考察できる人を見る目が、幹部最短距離に導いたのだろう。


「まあ、俺の子弟として聞け」


 渡さんが静かに話を切りだす。


「今回の襲撃は失敗した。まあ、俺が駆り出されるほど医療班が足りない、って時点で、大方の予想はついてただろうけど」

「計画ミスですか? それとも、単に力量の差ですか?」

「現場に直接居合わせたわけじゃねーし、一概にはなんともな。どちらかと言えば、お前らの方が知っているはずだが?」


 ちらり、と渡さんがこちらを見た。


「わたしたちは囮役で、キャンプの様子は知りません」

「げっ。お前らが囮かよ」


 渡さんは眉をひそめ、あからさまに嫌な態度を取った。


「俺たちが何か、あるんですか?」


 控えめに梓が訊いてみる。


「今回の奇襲の失敗は、囮にあるって説がある」

「え!?」


 思わず二人で顔を見合わせた。


「お前らが戦った数は?」

「えっと……俺らがやったのは合計二十いかなくとも、それくらいはいたはずです」

「俺ら?」

「わたしたちは三人で固まって戦っていて。わたしが敵の攻撃を防いで、棗と梓は攻撃に専念する、という感じです」

「はあ? お前ら囮の意味分かってるのか?」


 渡さんは頭を抱えた。


 それもそのはず。


 囮、というのは通常、相手をキャンプから引き離し、本拠地の戦力を削ぐこと。離れた場所で応戦させ、時を稼ぐことが役割だ。そのため、相手を死滅させる必要はない。どれだけの時間、相手にしてもらえるかが勝負となる。こちらが弱ければ、相手に倒す好機、と思わせ上手く誘いだすことが出来る。だからこそ、本部からの指令では、囮は単独行動をしろ、という命がくだされるのだ。


 マニュアルに従わなかったわたしたちは、失敗をしていなくとも、責められる対象になる。ましてや今回の奇襲は失敗した。失敗した直接的な原因にはならなくとも、責任の押し付け合いになったとき、マニュアルに反しているわたしたち弱い者は狙われやすいのだ。それも、まだアンジュ学校の生徒ともなれば、立場も弱いため、押し付けやすい。

 三人で戦っていたのは、効率がいい、ということもあるが、ほかにも理由はあった。棗から目を離したくなかったのだ。いつ死んでもおかしくない殺し合いの場。一人にしておくことは出来なかった。が、それはあえて渡さんには言わなかった。


「で?」


 渡さんが続きを促すように顎で梓を指した。


「え?」

「別に囮はお前らだけじゃないだろ。誰の班に属してたんだ?」

「工藤さん、ですけど」

「工藤、か」


 意味深につぶやく渡さんに、梓は顔色をうかがいながら訊いてみる。


「知ってるんですか?」

「いや、聞いたこともねぇよ」


 即答かよ。なんだったんだ、さっきの。梓はきっと心の中でこう悪態をついたはずだ。


「知ってる知らないの有無はどうでもいい。そいつはどうしていた? どんな指示を受けた、三人まとめて応戦することをそいつは知っていたのか。後ろめたいことも隠したいこともあるかは知らねぇが、全部話せ。主観、憶測では語ってくれるなよ。正確に、見たまま聞いたままを、だ」


 渡さんは、わたしたち二人を交互に見てから、まだ眠ったままの棗の方を振り向いた。


「梓は席を外せ。便所でも行ってろ」

「え、なんでですか」

「簡単に言うとこれは事情聴取だ。記憶は簡単に操作できる。自分は覚えてなくても、相手の言葉を聞いて、それをあたかも自分の経験のようになってもらったら困る」


 渡さんはもっともらしい意見を言うと、梓を病室から出した。


「さて、じゃあエリカ」


 わたしは頷くと、任務で見たこと、聞いたことを渡さんに話し始めた。

 わたしたちが奇襲をする、と知ったのは、奇襲をかけるほんの数分前のことだった。いつものように本部へ行くと、前線に置かれている四つのキャンプのうち、Bのキャンプから出発するように、という命令が下された。いつもはCやDが多かったため、少し気にはなったが、それを説明する時間を要するくらいならば休みたい、と思い、とりあえずBのキャンプへと移動した。

 Bのキャンプでは、わたしたちの他に、いつもより多くの兵が集まっていたのを覚えている。パトロールをするだけではない、と気づいたのは、そう遅くはなかった。配置図を見せてもらい、所定の場所へ行くと――


「いや、そこは飛ばしていい。工藤との会話を教えてくれ」

「あ、そうですよね」


 わたしは気を取り直して、渡さんの言われるがまま、説明を続けた。



「工藤さん。あの、今回は一体……」


 移動をしている間に計画を教えてくれるのだろう、と思っていたが、そうしている間に第三キャンプまでは目と鼻の先の距離になっていた。見知らぬ五人の大人からは、全く緊張感が伝わって来ない。偵察のわりには人数が多い、ということで、気になったすえにやっとのことで話を切りだしたのだ。


「えっと。とりあえず僕たちは囮です。敵を引き付けるんですね、分かります? そうですね、ただのアンジュ生徒だし、一人につき三人ずつくらいでいいです。たかが鳴海派の第三キャンプくらいで死なないでくださいね。弱小だって、専らの噂なので」


 囮。予想よりも大きな任務のように聞こえたが、この緊張感だ。警備の薄い、過疎キャンプに違いない、と三人はアイコンタクトをした。


「俺たち、三人で固まって応戦してもいいですか?」

「いいですよ。ただのアンジュの生徒ですし」



「なんだ、ただのアンジュの生徒ですし、って。腹立つ。お前ら全員、渡っていうゼッケン付けとけ。銀で縁どりもして、目立たせてさ。完全に舐め腐ってやがる。そいつ」


 渡さんの子弟の良きも悪きも、全てが渡さんの評判に繋がる。そう考えている渡さんにとって、わたしたちが侮辱されることは、自分が侮辱されているのと同じなのだ。だが今回はそのことに対して気が立っているわけではなさそうだ。


「それで? どうなった」

「囮は今までに何度かしたことがあるって言うと、じゃあ二手に分かれて囮をすることになって。そこから工藤さんたちの姿は見てません」

「で、エリカたちは」


 一呼吸の隙すら与えない、というように渡さんは言う。


「過疎キャンプだと聞いていたので、とりあえずキャンプの入り口に棗が火を付けました」

「ちょっと待て、見張りぐらいいるだろ」

「いませんでした」

「どこから囮に誘ったんだった?」

「おそらく東門です」


 おそらく、というのも、何せほとんど情報のないままに囮役を任されたのだ。

キャンプに戻る方角くらいはかろうじて分かるが、どこの門、ということは特に聞いていなかった。


「棗が火をつけると、何人かが出てきて、冷静に対処していたようでした。なので、この際、と人めがけて放火しました。するとやっとのことで十人程度がかかりました。おそらくその程度の規模のキャンプなのだろう、と棗の小爆発を合図に、わたしたちは出てきた数名を森に誘い込みました。相手が追ってきているのを確認しながらキャンプから引き離し、応戦体制に入った時です。ぐるりと敵に囲まれていました。それがさっき言っていた二十人ほどの人です」

「で、戦って、へとへとになって帰ってきたってわけか」

「はい。それが二つ続いて」

「二つ? なんだ、二つって」


 通常、奇襲に囮がついていてもそれほど不思議ではない。相手も囮だと分かって追ってきていることが多い。そのため、ほどほど時間が経つと、相手はキャンプに引き返していく。が、昨日はそうならなかった。

 相手はしつこく攻撃を繰り返し、キャンプを守りに帰った、というよりは、深手を負ったために逃げ帰った、という方が正しい表し方だった。そして人数が減っていき、こちらも疲れがたまったころ、わたしたちは返り討ちにあったのだ。同じく二十名ほど、傷のついていない兵が現れた。


「囮でもこんなことがあるんですね。わたしたち、完全にその一つ目で体力を消費してしまっていて」


 なんとか、相手を屈服させ、命からがらBのキャンプにたどり着くことが出来た。しかし、棗にいたっては、ヘロヘロになっている梓の肩を借りなければ歩けないほどだった。わたしもとてもではないが治癒を使える状態ではなく、度々意識を飛ばしながらも、自力で本部まで帰還した。


「……おかしい」

「え?」


 渡さんはじっと空中を睨み付けたまま、答えてはくれない。しばらくの沈黙の末、渡さんがようやく口を開いた。


「了解だ。まあ、反省会で間違いなく囮の責任にしようとする輩がいるはずだな。それが知れただけでも良かった。ゆっくり休め。状態悪くなったらなんとかしてもらえ。俺は梓の話を聞いたらそのまま帰るから」

「え、ちょっと、渡さん」


 わたしの引き止める声は確かに聞こえているはずだった。が、わたしは彼の険しい表情を見送るだけになった。


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