第8話

 右か、左か。二枚のカードを前に、わたしは顔をしかめる。

 手元に残っているのは、クローバーの四だ。


「エリカ、落ち着け。落ち着くんだ。超大型テレビはすぐ目の前にある! が、落ち着け!」

「梓が一番落ち着いてよ!」


 森を探検した日から、一週間が経ったその日。

 第一体育館で、フロア対抗、ババ抜きが行われていた。フロア対抗、というのは、寮の階別の対抗戦で、三月(みつき)に一度行われる大会だ。フロア別、ということもあり、多少年齢や能力にばらつきがある。そのため、不公平がないよう、誰にでもできる、体格や能力の差を問わない簡単な遊びで、なおかつ団体戦を行えるものが競技として選ばれる。今までは他に、玉入れや間違い探しなどが競技となった。


 A棟からE棟まである寮棟。どの棟も作りは同じで、八階まであり、各フロアに部屋は六室ある。つまりこの大会では、四十組と戦うことになる。

 試合は、トーナメント方式で行い、その頂点に立ったフロアには、学校側から用意される、豪華景品を手に入れることが出来る。ちなみに、今回の景品は、超大型テレビだ。勝ち取った暁には、共同スペース(およそ一室半ほどの大きさの自由なスペース、各フロアにある)に置くことができる。


 今回の競技、ババ抜きのルールは、五人対五人の団体戦。というのも、一部屋空きのあるフロアも少なくないからだ。六人いるフロアは、試合ごとにメンバーを入れ替え、一人は見学、という形をとる。そして、敵のチームのメンバーと交互に並び、円を作り、ババ抜きを行う。両隣は敵だが、もし敵にババが渡れば、次は味方がそのババと戦わなくてはならないため、ババを回すタイミングが非常に重要になってくる。


 一回戦、二回戦と、最初にババを持っていたのは銀だった。彼は一つあけて座っていた棗、そこからさらにひとつ飛んで座っていたわたしが無事に上がったのを確認してから、銀がババを回すことで敵に自滅させる、というやり方で準決勝まで上がってきた。

 ところがその準決勝。銀が一番に上がってしまい、試合の流れを読みながら策を練ることが出来なくなってしまった。そして地道に戦った末、わたしと敵の一人が残った。勝率は五分五分だ。


「右がジョーカーよ」


 相手の中等部のお姉さんが、勝気そうに言った。


「じゃあ左……」

「馬鹿! ほんとに教えるわけねぇじゃん!」


 梓がすかさず野次を飛ばす。


「そんなの引いてみないとわかんねーよ。エリカ、信じてるぞ、テレビ」


 銀が、フォローを入れたようにも見えたが、にこっと無邪気に笑ってきた。その笑顔の裏に、景品への貪欲さが垣間見れる。

 以前とちっとも変わらない銀の姿に、内心、ほっとしているところもあった。あの探検が終わった日の深夜、二人で話していたときの銀が、本当に別人だったかと思えるほどだ。あえて変わったところを挙げるとすれば、会う頻度が少し減ったような気がする程度で、考えなければ気にならないほどの変化だ。

 そんなことを考えている場合ではなかった。もう一度目の前のカードを見比べる。今はこっちに集中だ。


「右か、左か……」

「右」


 頭をひねっていると、棗の声がした。


「右」


 もう一度棗が言う。


「なんで? 絶対?」

「あー、ごめんなさい。仲間同士でも、なるべくそういう相談は控えてね」


 係りの上級生が口元に人差し指をあて、微笑んだ。


「あ、ごめんなさい」


 棗がなぜこんなにもはっきりと、右だと言ったのだろう。

 今ここでわたしのせいで負けてしまったときの、皆の落胆した顔が頭に浮かぶ。そんなことは避けたかったが、わたし一人でどうこうしたってこれはただの運だ。それなら棗の言う通り右を引けば、痛み分けができる、というものだろう。

 わたしは右のカードに手を伸ばした。


 カードを引き抜いたとき、相手のお姉さんの顔が下に歪んだ。


 クローバーの四。


「やったー!」


 一番最初に声を上げたのは、梓だった。


「よし! 決勝進出だ!」


 銀もガッツポーズをして喜ぶ。

 勝てた。ただの運でも勝てた。しばらく驚きの余韻に浸っていたかったが、楓が頭突きをする勢いで、こちらに向かってきた。


「エアちゃーん!」

「楓!」


 わたしたちはハイタッチをして、勝利を喜び合った。しかし、棗が一人、輪から外れていることに気が付いた。


「やったよ棗!」


 勢いに任せ、みんなとしたように両手を上げた。が、彼が少し困った顔をしたため、その手を引っ込める。彼はこういういかにも、な行動を好まないらしいことは、前々から分かっていた。わたしは、つい嬉しさのあまり上げた手をおずおずと引っ込めた。


「すごいね。どうして右だって分かったの?」

「目線とか、力の入れ具合から判断しただけだよ」


 当たり前のように、棗はそう言った。少しくらい、得意げになっても良さそうなのに、彼の場合は本当に、ただそれだけ、と大したことのないように言ってしまう。そのため、見下されていると感じた人からは、反感を買いやすかったのかもしれない。

 今だって、そう言った棗をほら。梓が「白けるわー」とあからさまに嫌そうな顔を向けている。


「こらこら、せっかく決勝戦まできたんだし、喧嘩すんな。ほら、気合入れるぞ!」


 ここで、わたしたち、A棟八階、通称A八班のメンバーを紹介しておこう。歳の順に、高等部三年の小見山銀。中等部一年の及川梓、塩谷楓。初等部六年の立花棗、そしてわたし秋沢エリカの五人グループだ。

 男ばかりだと、不審に思うかもしれないため説明しておくと、実は去年まではもう一人、銀より二年下の女の先輩がいた。しかし、何か重い病気にかかってしまったとかで、入院しているらしい。ウイルスに弱い能力者の体の構造上、一度入院すると、日常生活に復帰するには時間がかかるのだ。そのため、学校の方も休学という形をとっており、寮の方も、一度撤退したようだ。

 銀には、近々新しい住居人が来る、と聞かされていたが、一向にその気配はない。そのため、女子はわたしひとりのままだった。


「次、どうしよう?」

「また銀がババをコントロールすりゃいいじゃん」

「うーん、オレがババを引かせないってのはいいと思うけど、結構運頼みって感じだかんなー」


 銀の言う通り、一回戦、二回戦と上手くいったが、準決勝ではうまくいかなかった。


「どうしよう、ババ抜きなんて強運の他に、なんかあったかなぁ?」


 楓が頭を抱える。

 A八班がこんなにもフロア対抗競技で本気になるのは、今まであまりなかった。この前の玉入れのときなんて、だれかが梓の腹に玉を誤投したかなにかで、途中から的は人になり、ドッジボールのような有様になっていた。

 もともとアンジュのポテンシャルが高いため、アンジュを使わないこのような大会に、あまり興味がなかったのだ。A八班のモットーは「ほんの少しの規律と多大なる好奇心」。つまり、自由を大事にする、という意識があった。それがときにいけない方向に傾き、玉入れのときのような事態を招くのだが……


 ところが今回、景品が超大型テレビだと聞いて、皆のやる気が上がった。それは、ついこの間、皆で遊んでいたときにテレビを倒してしまい、画面を盛大に割ってしまったからだ。おかげで、いつ画面がもろもろと崩れてしまうか、心配しながらテレビを観なくてはならず、それがずっとストレスに感じていた。


「棗、なんか案持ってそうな顔だね」


 楓が棗の顔を覗き込む。


「あいつはいつも、ああいう澄ました顔してるよ。そうだろ?」


 梓は棗の顔真似をしたのか、指で目を吊り上げ、口を尖らせ、ツーンとした表情を作った。正直言うと、わたしも同意見だったが、棗のことを悪く言う梓が不快で、無視を決め込んだ。


「なにか思いついた?」


 棗に訊ねてみる。


「まあ」

「どんなの?」

「オレも思いついた!」


 棗を押しのけ、梓が二人の間に割って入ってくる。


「わたしは棗に聞いてるんだけど」

「まあまあ、聞けよ」


 ムスッとした表情を梓に向けたが、彼はそんなことなど、どこ吹く風だ。彼は手招きをして全員を呼び寄せると、考えを説明し始めた。


「へぇ、梓にしては上出来じゃん」


 銀が感心して声をあげる。


「な? 棗もこれが言いたかったんだろ?」


 銀に褒められ、得意げになった梓が、どうだ、と言わんばかりに棗の方を向いた。棗は頷くと、ためらいがちに言葉を加える。


「半分は」

「だろ? え、半分?」


 梓がぽかんとした顔をこちらに向けた。

 悔しいが、わたしも、梓のアイデアはいいと思ったし、その方法で勝てるとも思った。が、棗はまだ策があるようだ。


「たしかに、梓が言ったのは、単体でなら勝てる。けど、これは団体戦。もう少し工夫が必要だと、思う」


 棗はそう言ってから、あまりに皆の反応がないので、眉間にしわを寄せる。


「なに」

「棗が団体って、団体って言った。一番協調性なさそうなのに」


 銀が、嬉しそうに八重歯を見せる。


「で、どんなの?」


 楓も好奇に満ちた目を棗に向けた。


「梓の言った案に加える感じで……」


 棗が話していくにつれ、梓以外の皆の目が輝いていくのが分かる。これは団体戦で頭脳戦。団体戦だからこそ使える、ただそれだけを考えて練られた棗の案は、見事だった。


「それにしてもせこいな、それ」


 せこい、と言いつつも、にやけが止まらない銀が言った。


「でもルールにはしちゃダメ、なんて書いてないよね?」

「あぁ。そもそもそんなことするやつ、いないだろうし。規格外だろ」


 みな、大きく頷いた。


「それでは、フロア対抗ババ抜き、決勝戦を始めます。A八班とD三班の皆さんは、多目的ホールに集まってください」


 スピーカーから聞こえる審判のアナウンス。さっきまでは準決勝までは体育館で行っていた。しかし、決勝戦になるとギャラリーが増え、周りの反応からうっかりババの位置を悟られてはいけない、という配慮から、別室で行うことになった。別室の様子は、体育館のスクリーンから解説付きで中継されることになっている。


「順番、どうする?」


 円形に置かれた十枚の座布団を前に、わたしが訊いた。


「さっきの作戦だと、最初が肝心だからな。棗、どうだ?」


 お前が提案したし、と銀が続ける。


「銀でいいじゃん。棗が主将みたいになるのやだ俺」


 梓は棗の方を見ようともせずに、銀を一番と書かれた座布団に座らせる。D三班のリーダーは、特に順番にこだわってないらしい。交互に座るため、どちらの班が一番の席に座るかは、互いで決めることができる。さきほど、D三班の主将に、優勝を表す一の番号に座って縁起を担ぎたい、と相談を持ち掛けると、快く了解してくれたらしい。


「うちには超運の強い、麻呂がいるからね。どこに座っても勝てるよ」


 D三班のリーダーはそう言って、徳の高そうな、ずんぐりとした体形の男の子を紹介してくれた。麻呂、というのは名字らしいが、それに相応しい眉毛は、キャラづくりのためなのか、もとからなのか、判別しがたい。


「テレビだ。テレビ。欲しいだろ? テレビはオレたちがもらう!」


 銀が皆の士気を高めるため、テレビ、という単語を連発する。


「それから団体戦だ。オレたちにチームプレイが出来るのか、まあ多くの人は疑問だろう。如何せん、仲はいいが、性格が自由だからな。だが、テレビ《もくてき》が一つになったらオレたちは強い!」

「おう、やってやろうぜ」


 梓も銀に乗っかり、場の盛り上げ役にまわる。


「よし。A八班、出陣だ!」

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