第29話

 どれくらいの間、そうしていただろうか。


 教室に取り残されたわたしは、床にぺたりと座り込む形で動けなくなっていた。不安からか、腰と背中の間あたりが、何かに叩かれたように鈍く痛む。


 棗は、入学前に家族をアンジュで殺したから、この世に未練はなくなっていて……


 今まで、変だと思っていた棗の部分。大して気にしていなかった、気にする必要がない、と勝手に思っていた部分が、次々と、枠だけ完成していたパズルの中のピースを当てはめるように、このことに繋がってくる。


 入学直後に感じた、義両親に育てられていたときのわたしと同じ匂い。どこか冷めたような態度。シンプルすぎる部屋。銀の記憶を無くしていたとき、大事なものを無くし、それが忘れられない、という発言。この世界の裏を知る前から、彼はとっくに闇は抱えていたのだ。

 Kクラスに入ってからは、積極的に危険な任務にも参加するようになっていた。わたしはてっきり、他のKクラスの生徒にその任務をまわさないようにしているのかと思っていたが、戦い方を見ていたら分かる。あの冷静な棗が、どこかがむしゃらなのだ。それを見てわたしは冗談半分に「死に場所を探しているみたいだ」と言った。


 探していたのかもしれない。本当に。


 でも、棗が家族を殺した、なんて信じることが出来ない。きっと、なにか理由があったのだろう。


 わたしははっとした。


 さっき、棗を責めるだけで、わたしは彼に本当のことを聞こうとしなかった。棗がどんな気持ちで打ち明けてきたのか。考えもせずにわたしは、棗を責めて……


 そう思ったときには、もう身体は動き出していた。

 棗と、話をしなければならない。わたしは迷わず窓から飛び降りた。任務を始めてから、格段に精度が上がった結界のアンジュ。着地する付近に結界を作り、着地する足を柔らかく包むことで、足に負担なく降りることができる。

 棗がいる場所は、おおよその検討がついていた。おそらく地下棟の二階、特別会議室だ。というのも、今日は本部から伝達される任務を、Kクラスの生徒たちで集まり、振り分ける日だ。もう少し詳しくいうと、主に任務を行うわたしたちがリストに上がっている任務を体調を考慮しながら引き取っていき、残りを分配する、というやり方だ。

 もしそこにいなくとも、心身共に不安定な状態の棗を、いつでも死ぬことができる任務へ送ることはしたくない。今の棗なら、きっと任務を出来る限り詰め込むはずだ。自暴自棄になるに違いない。


 幸い授業中で、誰の目にも触れないまま、わたしは地下に続く扉に飛びついた。

 どこを通っても、気味の悪いほど同じ色の壁、ドアが続く廊下にもすっかり慣れた今。何の目印もない廊下を、特に何個目の角を曲がる、などを考えなくとも、体は感覚で目的地へと進む。


 ここだ。

 もう来慣れた扉を開ける前、一度呼吸を整える。そして、特別会議室の扉を勢いよく開いた。

 薄暗いそこには、何人かの生徒が端の方でうずくまっているのが見えた。わたしが入って来たのを見て。一人の女の子が立ち上がる。三浦雪実。わたしより一つ年下の治癒のアンジュを持つ女の子だ。彼女はキリっとした眉毛をさらに吊り上げながら、黒いファイルを持ってわたしのもとにズカズカとやってきた。


「これ、どういうこと」


 明らかに怒っている様子だ。


「どうして棗さん、こんなに任務が入ってるの?」


 彼女は乱暴に置かれたファイルをこちらに突きつける。ファイルの外にはみ出した、無数の赤い付箋で、雪実がなぜこんなにも険しい顔をしているのか理解した。

 付箋の付いている個所は、すでに任務を引き取った、ということを示している。そして、主に任務をする三人、梓、棗、わたしには付箋の色が決められている。梓ならば紺、わたしならばオレンジだ。ちなみに三人以外の担当分は緑になっている。そして今、ファイルに貼られてあるこの大量の付箋は、全て赤。棗を示す付箋だ。


「入って来るなり、手当たり次第に付箋を貼って出て行ったらしいわよ。あたしはいなかったけど、いたら絶対に止めてた」


 雪実がさもこちらのせいだ、と言わんばかりに責め立てるのも、理不尽ではない。ときどき、三人のうち、どうしても体調が優れないときには、残りの二人の負担を重くする、というやり方を取っていた。そのやり取りは三人の間だけで行われるため、他のKクラスの生徒はこのファイルを見て初めて知ることになる。


 つまり、誰かに任務が偏っていたりすると、それは三人の間で何かあった、としか周りには分からないのだ。


「棗さんの体調よくないの、あんただって知ってるでしょ? それとも何? 今回は及川さんがよっぽど体調を崩してるの?」


 目の前にいる雪実にどう説明しよう、などということよりも、棗が行おうとしている任務のスケジュールで頭がいっぱいだった。あまりにも多すぎる。無謀だ。休みがほとんどないではないか。ただでさえアンジュを使うたびに命を削る思いのはずだ。


「答えてよ!」

「っるせーな」


 雪実の声とは真逆の、低く太い声があがった。


「任務上がりでキンキン、キンキン。頭割る気か?」


 迷惑そうに眉をひそめ、頭を押さえてドアから入って来たのは、梓と同い年の青年、竜崎だった。彼はだいたいの状況を理解していたようで、「まあ座れ」と椅子を指さした。


「及川は?」

「今日は来てません」


 大人しく席についた雪実が言う。それを聞いた竜崎が、舌打ちをした。


「俺がここに来たのはだな、コレ」


 ポケットからくしゃくしゃに丸められた紙を広げ、机の上に置いた。おそらくついさっき渡されたであろう紙をすぐにこのような形にしてしまう彼に呆れながらも、わたしはそれを破れないように広げた。


「任務の報告に行ったら、椎名から渡された」

「なんですか、これ」


 一応の敬語は守りつつ、雪実のとげとげしい声はそのままだった。


「来月からKクラスに移籍する生徒」

「また移籍ですか? 役立たず呼んでどうするんですか」

「知らねーよ」


 うにのようにぼさぼさな頭を、竜崎は感情に任せてかき混ぜる。そして、「任務できる人員が足りねぇことは確かだ」とつぶやいた。


「てか、なにその付箋。棗? いくらなんでもやりすぎじゃね?」

「これは……」

「お前ら三人だけで、全てが円滑に動くと思うな、って何度も言ったはずだが」


 今度は竜崎があきれ顔で、机の上に頬杖をついた。


「まだこの紙に書かれてるのは決定事項じゃないらしい。要するに俺たちがきちんと、本部から学校ように割り振られた任務をこなせれば、こいつらをこんな地獄の館に閉じ込めることにはならねぇと思うけど」


 彼の言う通り、任務を行うKクラスの現状は、ほとんどわたしたち三人に頼るばかりで、たまに割り振られた任務は失敗に終わることも決して少なくなかった。そこでそれをカバーするために新たな生徒を移籍させてくるのだ。つまり、今のKクラスがきちんと機能しさえすれば、残りの生徒は楽園で暮らすことが出来る。


「移籍させないために最低限、ここにいる全員は自分の任務をきちんとやり遂げて、だな」

「そんな簡単に言うなよ! 馬鹿だけど有能なお前と一緒にすんな!」


 今まで部屋の隅で縮こまっていた団体の中から、反論の声が上がった。隅の方にいる生徒たちは、言葉を選ばなくてよいならばKクラスのお荷物チームだ。任務に行っても腰を抜かしてしまい、よく今まで生きて帰ってこれたな、と感心するほどの者たちだ。

 竜崎は方鼻をぴくりと動かすと、鋭い目で彼らを睨み付ける。


「じゃあなんだ。お前らが前に言ってた、学校で呑気に暮らしてる生徒を守ろうって、どうやって守る気だったんだ? 毎日を家畜の豚みたいに過ごしてるあいつらでも、守りたいって思ったんじゃないのかよ!」

「竜崎さん」


 声を荒げる竜崎の肩を、雪実とわたしでなだめるように押さえ、椅子に戻す。しかし彼は止まらない。


「俺は、一般の呑気な生徒に、この任務のせいでいじめられてきた。だからあいつらが任務に駆り出されて死んでも、悲しいなんてこれっぽっちも思わない。けど、でも……この学園は、そうあるべきだ。そうなんだろ?」


 そうあるべき――大半の生徒は、この学校を楽園かどこかと思っている。空気は活気に溢れ、綻びや笑顔で溢れている。あまりに楽しそうなため、嫉妬しそうにもなる。だが、自分たちには決して向けられない笑顔を遠くで見るだけで、心が安らぐときも少なからずあるのだ。


 この学校は、何も知らない生徒たちが楽しく暮らす。そうあるべき。そう、以前にKクラスのみんなで話し合った。そして出た結論が、今のKクラスのメンバーで任務をまわし、Kクラスに移籍してくる生徒をなくす、というものだった。

 竜崎はそのとき、最後まで「どうしてあんなやつらのために」と一人、断固として賛成の色を示さなかった。


「……腹くくらせろよ」

「竜崎さん……」


 竜崎はきっと、全員分の任務を負うことが難しくなることを予想していた。いつかくる体力と能力の限界を現実的に考え、理想を掲げるKクラスの皆に反対し続けていたのだ。だが、多数決であのような結論に決まったとき、竜崎は反対しながらもそれを受け止めた。

 Kクラスの決定は、ただの綺麗ごとで、無責任なものだった。それはわたし自身もさすがに気が付いていた。なにしろ、その膨大の任務をこなせるのは、わたしたち三人と竜崎くらいだからだ。結局、誰が重い任務をこなすのかなど、皆分かりきっている。少なくとも自分たちには回ってこない、と高をくくっていたのだろう。

 わたしたちをなんでも簡単にこなせるヒーローかなにか、いや、兵器とでも思っていたのかもしれない。でなければ、自分の負担を自ら増やすなど、それも好きでない誰かのために、死ぬか生きるかの瀬戸際に何度も立つことなど考えられないはずだ。


 唯一の同じような境遇の人々が集まる団体「Kクラス」。しかしそれも、所詮は「同じような」団体なだけだ。


「今回の任務、全部成功させなきゃ、きっと移籍してくる。椎名は棗にもこの紙を渡した、って言ってたからあいつ、こんなに多くの任務を引き取ったのかもな」


 任務の詳細が書かれたファイルをめくりながら、竜崎が言う。どのページを開いても、たいていのページに、赤の付箋が貼られてある。


「さすがにあいつでもよぎるだろ。死ぬかもしれないって。自暴自棄にでもなったか?」


 この世に未練がない。その言葉通りに貼られた付箋。乱暴に、雑に、やけくそのような……


「違う……」

「あ? って、おい」


 わたしは竜崎の言葉を無視し、走り出した。雪実にぶつかり、彼女がバランスを崩したようだったが、そこから倒れたのか、態勢を立て直したのか、わたしは知らない。


 気がついたのだ。棗が気づいていない、いや、あえて見ないふりをしているのかもしれない。


 心の奥にある、生きることへの未練を。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る