第17話

 ときどき鳴り響く爆撃音。そのたびの一瞬、足がすくむ。周りに神経を集中させながら、治癒のベールの方も怠ってはならない。足元も悪い。不慣れなことが重なり、疲れもプラスされたからか、どうしてもイライラとした気分になる。

 それでも一行は、黙って歩き続けた。なにか目的があったわけではない。それぞれ、目の前を歩く人について行っているだけだが、先頭を歩く梓も梓で、何か目標があるようには見えない。ときどき、来た道を確認するような素振りは見せるが、引き返す気はないようだ。


 辺りは暗く、木の葉をかき分けてわずかに差し込む月の光と、棗の炎を頼りにして、歩いていた。臭いは、一定して漂っている。濃密な湿り気を帯びた空気が気持ち悪い。肌にぬっとへばりついてくる。

 だが結局、誰一人として何も言いださず、十五分ほど歩いたときだった。


「いま何か、音がしなかった?」

「音って?」


 警戒して周りを見渡す楓に、わたしが訊いた。


「僕ら以外に、なにかが動く音」


 楓は、わたしたちの中でも飛び抜けて聴力に長けている。わたしには何も聞こえなかったが、彼が言うなら、何かあるのかもしれない。わたしは試しに、そっと耳を澄ましてみる。

 空気が木の葉を揺らす音。風が木々の間を抜ける音。その程度しか聞こえてこなかった。試しに、楓が怪しいと見ている方角にも、耳を傾けてみる。


「わっ!!」


 突然梓が、声を上げた。驚いてそちらを振り返った。


「なんだよ、梓」

「これ……」


 梓が震える指で地面を指す。


「さっきから、妙に、地面がべちゃべちゃするって、思ってたんだけど……」


 棗の炎がすぐにそこを照らした。


「……っ」


 わたしたちは、息を呑んだ。気管に餅がつまったかのように、空気が通らない。耳の奥がごうごうと鳴った。


 地面を濡らしていたのは、赤い液体。恐らく、血だろう。人間のものか、動物のものか、判別は出来ない。だが、わたしたちはこの血が人間のものであると、本能的に分かった。胸のあたりが震え、それが体全体に波を起こす。ジーンとした感覚が残り、肩から下が重力以上の負荷を感じて重くなっていく。


「血。なんで、こんなに……」

「っ!!」


 楓が急に嗚咽を漏らしたかと思うと、草の一角に嘔吐した。


「だ、大丈夫?」


 わたしが慌てて駆け寄ると、来るな、というように手で制した。


「ダメ、ほんと……」


 楓のか細い忠告は、もう遅かった。

 

 血の所有者だったろう、おそらく人の死体がそこにあった。おそらく、というのも、原形をとどめていない肉片が転がっているだけだったからだ。だがなんとなく、これが腕、これが脚、というのは分かる。切り刻まれたような、性別さえ判断することが難しい遺体だった。


「なに……これ。ありえない……」


 梓の乱れた呼吸が聞こえてくる。首を激しく横に何度も振っているが、遺体からは、目を背けられずにいた。

 わたしの頭に、以前派遣された火事の現場のことがよぎった。そのときにも、これに似た、無残な死体を見たことがある。醜く、グロテスクなさまの、血抜きのされてない肉の塊。


「まだ少し、温かい」

「お前、よくそんなの触れるのな」


 ショックで体が硬直したままの梓は、遺体に触れる棗をみて、ぎょっとした表情をする。


「待って。温かい、ってことは……」


 ついさっき殺されたということだ。ということは、このような遺体にした犯人が、まだ近くにいる可能性が高い。


「逃げなきゃ……」

「あら、それはダメよ」

「誰だっ!?」


 わたしたちが声の方を振り返ったとき、黒い人影が二つ、木から飛び降りてきた。

 見覚えのない金髪の女性。夜の蝶のような、妖艶な美女だ。暗がりでも分かるほど、目鼻立ちがはっきりとしている。彼女は、舌をぺろりと出したかと思うと、焦らすように舌なめずりをした。


「見ない顔ね。さっきから見ていたの。たかだか死体で嘔吐する子がいたり、呆然と立ちすくんじゃう子がいたり。ふふ、まだ未熟なのね、おチビさん」


 気持ちの悪いほど、にっこりと微笑む彼女の後ろから、連れと思われる大男がなにか耳打ちをしようと、彼女に近づいた。


「篠様」

「あなたねぇ!」


 篠、と呼ばれた彼女が、耳を押さえて怒りだした。それもそうだ。耳打ち、のはずだが、その声はこちらまではっきりと聞こえるほど、大きな声だった。あの声が耳元ですると、さぞ鼓膜がびっくりするだろう。


「こしょこしょ話の練習をしなさい」

「すみません」


 ごついクマのような男が、しゅん、と下を向く。

 この人たちは、一体……


「それで、なに?」


 もう一度その男が耳打ちをしようとするので、篠は明らかに嫌そうな顔をしながら一歩下がった。


「そのままで結構」


 クマ男は、体型に似合わない弱腰で、もう一度ぼそっと、すみません、と言う。その声で耳打ちをすればいいのに、という悪態をつくほどの余裕はない。


「俺たちを~、取りこぼしたって、気づいた厄介な人たちがぁ、近くまで、来てるみたいです。お急ぎを」


 すみません、の発音からは分からなかったが、クマ男の発音は随分と標準離れをしていた。訛り、と言うものだと思うが、生まれてこのかた、初めて聞いたため、物珍しい。

 目だけを動かしてみんなの顔色を窺ってみた。皆、困惑したような顔つきだ。不安がっているのが一目で分かる。ただ森を散歩している人ではないことは分かる。全身は黒く、手首にのみ銀色の輪っかをはめている。まるで、闇に紛れられるように考慮した服装だ。


「あら、急ぐって、さっさと片付けろってこと? それとも見逃せ、ということ? どちらもあたしの好みじゃないわね」


 クマ男を煙たがるように、篠が手をヒラヒラと振る。

 片付ける、という言葉の意味は、おそらく……わたしは横目で転がっている肉の塊を見た。そして、もう一度、篠に目を向ける。彼女は自分の、細く長い指を愛おしそうに眺めていた。


「鮮血よ。きっとさっきの男みたいに、かったい皮膚でも、鍛えきった筋肉でもない。柔らかくて、スッと刃が通るのでしょうね。あたし好みだわ」


 楽しそうに物騒なことを言う彼女の爪が、きらりと光った。あれだ。この死体を切り刻んだ道具は。間違いない、彼女は爪を刃物のように扱えるアンジュなのだろう。

 危険だ。

 今、自分たちの置かれている状態すら、何も把握できていない。きっと、四人全員分かっていない。分かるはずもない。彼女らは何者で、どうして隣に人間の肉が転がっているのか。ここはアンジュ学校で、さっきまで何の危険もない、ごくごく普通の生活を送っていたではないか。早く帰らなければ、由美子が心配する。早く、帰りたい。それなのに、足が地面に引っ付いてしまったかのように、動くことができない。


「あら、よく見たら本当に若いのね。ホノカの内地だからって、訓練生だけにしたのかしら。甘く見られたものね、お兄様も」

「閑夏様は~、あなたのお兄様では、ありません」

「分かってるわよ」


 閑夏。どこかで聞いたことある名だ。


「ヤヨイ……」


 すぐ隣で、棗が息だけで言葉を吐いた。そうだ。さっき調べた中に出てきた、ヤヨイ国の現トップ、鳴海閑夏だ。ということは、目の前にいるこの人たちは、ヤヨイ国の人間……でもどうしてヤヨイ国の人間が、このようなところにいて、人を殺しているのか。

 篠が、人を切り刻んだ。人を殺すことに対して、何の迷いも感じられない。むしろ、楽しんでいるかのような発言。きっと、こうやって何人も何人も、殺してきたんだ。ヤヨイの人間が、ホノカの人間を。

 テロ? 虐殺? だがまるで、チームで戦っているかのような言い方だ。

 ない頭をフルに回転させるも、受け止めたくない結論に至り、もう一度考え直す。だが、結局また、同じ結論になってしまう。ヤヨイとホノカが、また戦争をしている、という結論に。だが、さっき調べた資料には、現在そのようなことになっているとは、一切書かれていなかった。戦争は、十数年前に終わっているのではないのか。


「せっかくだから、裂いていってもいいかしら?」

「追手は~、来ていますけど~」

「どうせ、三流の追手よ。さっきのところにも、精鋭班らしい団は見えなかったし」

「ん~、じゃあ、五分で」


 クマ男は律儀にも、懐からストップウォッチを取り出した。

 冗談じゃない。せっかくだから、という理由で、今から五分以内に四人全員がズタズタにされるなど。どうしよう。走って逃げたとしても、きっと無駄だ。背を見せた瞬間、あの爪で服ごと引き裂かれるだろう。

 篠は、不敵な笑みを浮かべながら近づいてきている。わたしは怖さから、一歩下がる。だが、それとは逆に、前に進み出てきた影。


 棗と梓だった。



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