26 熱い夏 (中編)
難波ドーム球場。かつて実在したナ・リーグ西の名門、大阪バイソンズの本拠地であった。しかし、大阪バイソンズのオーナー企業、西日本高速鉄道本社は、黒字経営を続けるグループ企業のうち、唯一高額の赤字を出す大阪バイソンズを疎ましく思い、神戸オーシャンズとの合併を画策し、それを発表した途端に熱烈な大阪バイソンズファンから猛抗議を受けた。ジャパンプロ野球選手会も合併に反対し、史上初のストライキを行った。そんな逆境の中、両球団の合併は粛々と行われ、神戸バイソンズが誕生した。バイソンズのニックネームは残ったが、本拠地は神戸のオーシャンスタジアムに決定。バイソンズは大阪を去った。インターネット大手の梵天が、同じくインターネット中堅企業のライフワークと新球団の設立を争い、東京キングのナベハダ氏の後押しで、仙台インパルスを立ち上げたのはこの事件の余波である。難波ドームはカラ球場となり、慌ててア・リーグの大阪タワーズを招聘しようとしたが、伝統ある、孔子苑球場をタワーズが捨てるはずもなく、春と夏の高校野球で孔子苑球場が使えなくなった時だけ、代替球場として難波ドームを使用することが決まった。かつては高校野球の期間中、死のロードを余儀なくされていた大阪タワーズにとっては天の助けだった。一方、タワーズの全面移籍に失敗した難波ドームは、苦しい営業を強いられ、人気アイドルのコンサートを積極的に呼び込み、なんとか経営を続けている。
その難波ドームで、横浜マリンズを倒すべく、闘志を燃やす男がいた。大阪タワーズ監督の吉本興行である。現在、大阪タワーズはア・リーグ最下位。難波っ子のストレスは溜まるばかりである。しかし、前節の東京キング戦に勝ち越し、対マリンズ戦を迎える。今季、タワーズは孔子苑球場で一回だけ、マリンズを三タテしたのみであとは全部負け越している。屈辱的な展開である。しかし、キングに勝ち越したことで、チームの状態は上向きである。それに、エースの新地。成長著しい沢山を投入することができる。連勝も夢ではない。あとは三番手だが、えーと、誰かいる? とにかく新地と沢山で二連勝すればいいのだ。このまま二勝一敗のペースで行けば、五位のバイキングスにも追いつける。カーボーイズを抜かすことも可能だ。とにかく、タワーズは西の盟主でなくてはならない。そうでなくては吉本の進退問題にも関わってくる。日頃は物静かなこの男が燃えている。それをナインもひしひしと感じ、練習にも力がこもっていた。
一方、横浜マリンズ一行を乗せた、新幹線のぞみ号は横に長い静岡県をようやく抜けたあたりを走っていた。前節のサブウェイズ戦に負け越し、意気消沈かと思われたがさもあらず。『正露丸』でなぜか十二指腸潰瘍が治ってしまった、風花は絶好調。冷麺の食べ過ぎによる体調不良から復帰したベルーガを捕まえて、
「レイメンダメネ、タンタンメンネ」
と完全なる日本語で注意したり、夏場の疲労で調子を崩していた住友に、
「純一郎。夏に強い子。優勝する子だぞ」
と喝を入れて大騒ぎ、ついでに浜名湖名物、うなぎ弁当を三つも平らげていた。はたから見たら大馬鹿者の集団である。だが、風花が元気だと、チームにも活気が生まれる。宗谷コーチは、風花の奇行をチームに元気を呼び込むために、自らが道化となっていると悟り、感心していた。しかし、本当は十二指腸潰瘍が治った風花が単に浮かれているだけなのであった。
午後二時に新大阪に着いた、マリンズ一行はホテルで一時間休憩したのち、バスで難波ドームへ出発した。
「タワーズがキングに勝ち越ししてくれたおかげで、首位をキープできましたね」
鵠沼コーチが珍しく喋った。風花は、
「鵠沼くん。あんまり、他人のことを気にするのは良くないよ。ちょっと貸してみなさい」
と言って、スポーツ新聞の真ん中から後ろのぺージを見だした。そして、
「なんんじゃこりゃ!」
と叫んだ。
「大人のページがないじゃないか!」
怒る、風花。
「ええ、家庭に配達されるのにはエロは載っていませんよ」
「そうなの?」
「はい」
「いい知識を得たわ。ありがとう」
と言って、風花は鵠沼に握手した。そして、
「スポーツ新聞は駅売りを買おう」
と真面目な顔してつぶやいた。
午後四時。開門と同時にビジターであるマリンズの打撃練習が始まる。それを見ている厳しい目。といっても風花ではない。彼は報道陣相手に、十二指腸潰瘍が『正露丸』で治ると力説し、出入〜スポーツの南記者に「そんなん、記事にできんやろ」とぼやかれていた。さて、厳しい目で見ていたのは、タワーズの吉本監督だった。やる気満々といった感じだ。おちゃらけている場合じゃないぞ! 風花。
午後五時五十五分。両チームの監督によるスターティングメンバー表の交換があるのだが、吉本監督は審判とだけ握手をして、風花と握手しなかった。これに風花の低い沸点が炸裂した。
「おい、吉本さんよ。何か忘れていませんかっていうんだよ」
「なんでしょう?」
「僕と握手は?」
「あっ、忘れてました!」
ガクッ、ただの物忘れかよ。若年性痴呆症疑った方がいいんじゃないか?
風花の怒りはすぐに消えてしまった。忘れていたんじゃしょうがないな。
先攻 横浜マリンズ
一番 元町商司、背番号1。ショート。
二番 富士公平、背番号3。セカンド。
三番 アンカー、背番号4。サード。
四番 トラファルガー、背番号44。センター。
五番 台場八郎太、背番号25。レフト。
六番 門脇将、背番号5。ファースト。
七番 潜水勘太郎、背番号20。ライト。
八番 氷柱卓郎、背番号22。キャッチャー。
九番 ベルーガ、背番号48。ピッチャー。
後攻 大阪タワーズ
一番 手毬蹴、背番号1。ショート。
二番 花屋敷錦吾、背番号2。サード。
三番 阿倍野公二、背番号3。ファースト。
四番 バンパック、背番号44。レフト。
五番 御厨千香、背番号9。センター。
六番 鏑木真信、背番号7。セカンド。
七番 島木錠、背番号5。ライト。
八番
九番 新地篤志、背番号14。ピッチャー。
マリンズは毎度おなじみのメンバー。一方タワーズは、好調、二年目の阿倍野を三番に上げた。そして、壺のFAの代替選手として指名された亀岡が、今年、初マスクだ。ピンポイントで狙ってきたな。吉本監督。風花はバックスクリーンに映し出された亀岡の姿を見て「亀さんよ」と言って涙ぐんでいる。でも、いいじゃないか。亀岡がいなくなったから、氷柱という、捕ってよし、投げてよしのキャッチャーが見つかったのだから。打てないのが玉に瑕だが……
一回の表、しゃべくりキングの元町が打席に入る。キャッチャーは元チームメイトの亀岡だ。口が開かないわけがない。
「亀さん、久しぶりでーす」
「おお、モト。元気だったか?」
「元気いっぱい、首位打者でーす」
「すげーな。俺はやっと一軍だぜ。なんでもキャッチャーの若返りを図っているんだってよ。じゃあ、なんで俺を獲ったのか聞きたいくらいだよ」
「聞けばいいじゃないですか?」
「ところがタワーズはマリンズみたいに上下の風通しが良くない。オーナーなんて試合に来たこともないんだぜ」
「ウチの上島オーナーは来ないでもいいのに来ますね。今日だって、大阪出張の帰りだとか言って見にきてますよ」
「いいなあ、マリンズに戻りたいなあ」
「またFAすればいいじゃないですか?」
「馬鹿、今度FAの権利とる頃には引退しているよ」
「こりゃあ、失礼いたしましたっと」
喋っている間に元町三振。続くは富士。こちらも亀岡とは懇意だ。ついつい話に身がいってしまってこちらも三振。2アウト。続くアンカーも慣れぬ日本語で、
「オツカレサマデス」
なんて言っている間にショートゴロ。新地、喜ぶかと思いきや、
「お前ら、ちゃんと野球やれや」
とポーカーフェースをかなぐり捨てて、怒りをあらわにした。するとマリンズナイン全員がベンチ前に整列して、
「すいませんでした」
と合唱したので、新地はコケた。
一回の裏。マリンズの先発はベルーガ。これまで名前ばかりが現れていたのに、本人のご登場は初である。
ベルーガは150キロ近い速球とカーブ、シュート、フォーク、パーム、スプリット、スライダー、ワンシーム、ツーシーム、チェンジアップと投げられないのはナックルボールだけという多彩な変化球の持ち主で、アメリカの3Aでは“マジシャン”と呼ばれていた。当然メジャーに上がるものと皆思っていたが、悲劇が起こる。遠征のために乗ったバスが事故を起こし、ベルーガは膝を負傷してしまう。これでメジャー行きはパーだ。自暴自棄になる、ベルーガ。その肩を叩いたのがマリンズ渉外担当に復帰した
タワーズの一番はキャプテン手毬。手毬は不振のどん底に上げいていた。とにかく、打てない。しかし、タワーズの花形スターだ。吉本監督は「いつか打つ」と手毬を先発から外さなかった。それが功を奏し、前節のキング戦では三ホーマーを含む十八打数十安打と気を吐いた。横須賀兼任コーチはベルーガに「手毬には慎重に投げるように」と指示を出していた。
その初球、なんとベルーガど真ん中にカーブを投げた。これを手毬打つ。打球は伸びてライトスタンドへ。先制ホームラン。
「何、人の話聞いてるんだよ。沈没さん、ちゃんと通訳した?」
横須賀兼任コーチは通訳の沈没さんにあたった。
二番、花屋敷は三振。ここで、これまた当たっている阿倍野がバッターボックスに入る。ここで、ベルーガはまたしてもションベンカーブを投げる。阿倍野が見逃すはずはない。レフトスタンド最上階まで運ぶホームラン。横須賀兼任コーチは帽子を地面に叩きつけて悔しがる。一方風花は珍しく、平然としていた。
「監督、今日は落ち着いているだなあ」
宗谷コーチが話しかけると、
「腹の痛みがなくなると、優しい気持ちになれるみたい」
と乙女チックに答えた。
後続をなんとか抑えたベルーガは、
「レーメンタベタイネ」
と言って、ベンチの全員をコケさせた。
試合はその後膠着し2−0のまま六回に進んだ。
六回の表、好投を続けていた新地が突然乱れた。トラファルガーにフォアボール。台場にはデットボールでランナー1、2塁。バッターは七番、潜水。風花は、
「新地のコントロールが乱れている。いいか、ストライク以外は振るな。絶対だぞ」
と潜水に命じた。
「はい」
頷いてバッターボックスに入る潜水。その初球。ボールが高めに浮いた。
「振るなよ……なんで振るんだよ!」
風花怒る。潜水、命令違反のフルスイング。
「罰金だな、罰金」
風花が周りのコーチ陣に言う。しかし大池コーチが、
「罰金じゃなくて、賞金になりそうですよ!」
と叫んだ。
「えっ?」
風花がスタンドを見ると、打球がスタンド奥の壁広告にぶつかるのが見えた。
「あれ、逆転スリーラン?」
とぼける風花。そう、背の高い潜水には高めのストレートはホームランボールだったのだ。ナインが笑顔で潜水を迎える。風花は、
「結果オーライだ。罰金はとんないけど、賞金は出さないよー」
とちょっとふてくされていた。
結局、このスリーランが決勝点となり、マリンズの勝利となった。
続く第二戦、第三戦は、タワーズの先発、沢山と枚方をマリンズ打線がコテンパンに打ち崩して、対タワーズ戦三連勝を果たした。
その頃東京キングダムドームでは東京キングが東京メトロサブウェイズとの東京ダービーに三連勝。サブウェイズは優勝戦線から脱落した。
マリンズナインは西日本の暑い夏にばててしまったが、まだ横浜には帰れない。四国に渡り、松山バイキングスタジアムで瀬戸内バイキングスと三連戦が行われる。そのあとは名古屋でカーボーイズ二連戦。死のロードにも似た編成に風花は、
「絶対、悪意を感じる」
と相変わらずリーグ関係者を疑っていた。
まだまだ暑い、八月の中旬のことであった。
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